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八、卒業おめでとう

(本日分1/3)

ストレス状態からの解放を、望まない人間は恐らく居ない。開放の瞬間の喜びを知れば尚更に。


問題はこの「喜び」の深さだ。苦しみから喜びへのギャップが大きければ、その深さはいや増す。


人は時に深い喜びの為に、自らを苦境へと陥しいれる。


愚かな事だ。


しかし、あまりに良く人の性質に則した構造なので、そうと知らずに深みへと堕ちていく。


例えば、夕飯を美味しく食べる為にもっと腹を減らすとか。愛を確かめる為に浮気をするとか。眠れないので倒れるまで働くとか。これらは損害が小さければ軽視されがちな日常の一コマとも言える。


しかし過剰な幸福感は、しばしば自制のメカニズムを踏み越える。


仕事の後で飲んでいた酒が、飲まなくては仕事も出来なくなってしまうように。得られた幸福を通過して離脱状態に陥る度に、ひどい不安感や不快な気分を味わえば、人は幸福状態への復帰ばかりをひたすらに渇望するようになる。


そして、天国と地獄を巡る旅を繰り返し、身を滅ぼす。





「皆さんのこれまでの道のりは平坦ではなかったでしょう。それぞれに挫折と栄光を味わったはずです。血の滲む努力と、苦渋の涙。当学園において、それら無しに今日という日を迎える事は、叶わなかっただろうと私は思います。今日は皆さんの勝利の日です。その戦果を誇ってください。苦労の甲斐を喜び、互いに讃え合いましょう。恐れ多くも陛下より、通例の王宮卒業祝賀会への招待を賜りました。宮殿パーティーに主賓として参加するのは、きっとこれが初めてでしょう。この名誉な招待からも知ることが出来るように、皆さんは王国の未来に欠かせない貴重な人財です。皆さんが、この国の未来を背負っているのです。皆さんならば、先人が為し得なかった偉業を可能にしていけるでしょう。今夜はこれまでの奮励を慰労し、英気を養うまたとない機会です。皆さんにとって大切な出会いも有るかもしれません。存分に楽しみ、そして、次なる戦場へ胸を張って旅立ちましょう!卒業、おめでとう!!」


より高みを目指せと薫陶する学頭の言葉に、巣立つ子らは喝采で応える。講堂の屋根から飛び立った群鳥は、歓声と共に天空を駆け昇り蒼穹に舞った。





「マリエルさん卒業おめでとう。立派になられましたね」


「本当だな。もうこんな風に親しく言葉を交わすのも、難しくなるかも知れないね」


領地なし男爵であるマリエルの養家は、王都郊外に屋敷を構えている。寮生活をはじめてからは、ほとんど寄り付かなかった実家だが、フィリップに与えられたドレスを手に凱旋したマリエルを、メイド達は見事な手腕で飾り立てた。第二の両親は、王太子のお気に入りに出世した娘を前に感慨深げだ。


「お養父さま、お養母さま、ありがとうございます。これまでの御恩は絶対忘れません!」


借りてきた猫のようだった見すぼらしい村娘は、今や我が世の春と咲き誇っている。子育てがひと段落、と思った矢先に転がり込んで来た、この養い子にはほとほと手を焼かされたが、これでやっと肩の荷が降りるというものだ。


「殿下方のご卒業には、陛下より恩寵が下るのが常だけれど、マリエルは何か……聞いているのかい?」


「いいえ。私は元平民の一生徒に過ぎないですから、何も知りません。こんな素敵なドレスを贈って下さっただけで、勿体無いくらいの幸運なんですから!でも、もしかすると今夜のパーティーで、何か、素敵なプレゼントがあるかも知れないですよね」


親心の期待を否定しつつも、秘密めいた様子の娘に男爵は頷く。


「そうか、蓋を開けるまでのお楽しみだね?」


「うふふ。そうですね」


「では、行こうか」


「はい!」






聖杯を掲げ持つ主神。


祝福の舞いを踊る女神たち。


中央に光輝く初代王。


見上げた精緻な天井画が遠く霞むような大広間に、シャンデリアが夢のように煌めく。


回廊には優美な列柱がどこまでも続き、庭園は月影に揺蕩っている。夜空に浮かぶ天体までもが、その一部であるかのように宮殿は壮麗だった。


そこに住む王子様から贈られたドレスを、フワフワとなびかせてマリエルは歩いた。まだ春風は冷たくて夜宴の熱気を心地よく攪拌する。


贅を尽くした王宮には今宵、王立学園の卒業生やその家族の他、政府高官から青年王族までが一同に集っていた。誰もがが着飾ってパーティーに花を添える中でも、自身の衣装の際立った素晴らしさにマリエルは胸を躍らせた。


デコルテの美を最大限に引き出す洗練されたネックライン。胸元に輝くルビーとダイヤモンド。大輪の薔薇のように広がるスカートに、惜しげ無く散りばめられた真珠のきらめき。


今日のマリエルはきっと、誰よりも美しい女性に違いなかった。エスコートが男爵家の使用人なのは残念だけれど。マリエルは他の卒業生と同じく、両親に伴われて会場を歩いた。


「見てごらんマリエル、卒業パーティーの名物だ」


養父が言う見るべきものは直ぐに見当が付いた。ざっと見回しただけで皆が同じ方向に注目しているのが分かったから。


そこには一組の男女が手に手を取って見つめ合って居た。真剣な眼差しの女性が緊張の面持ちでこくりと頷くと、顔を輝かせた男性が女性の前に跪いて彼女の手の甲に優しく口付ける。


観衆がわっと沸き立った。


「プロポーズは成功のようね……」


ほっとしたような養母に、嬉しそうな養父が応じる。


「私達の若い頃から全然変わってないな」


「ふふ、懐かしいですね」


夫婦は幸福な思い出の再現に顔を綻ばせた。他の多くの目撃者にも笑顔を与えた恋人達へ祝福の声が掛かり、和やかな空気が広がっていく。


その一方で、集まっていた人影が波の引くように退き、辺りにひたひたと波の寄せるように緊張が伝播する。


それはある種の期待を孕んだ緊張だ。この方の目に留まりたい、好意を抱かれたい。そうした羨望がもたらす願望の副産物が場を支配していく。


その人は、自ずと開かれる道を真っ直ぐに来た。一つに結んだ白金の髪を背に流し、自身の髪色よりも幾分明るい、金の刺繍が豪奢な青の礼服を纏っている。その姿は、いつに増してに煌びやかな王宮にあって、一際光彩を放つようだった。


誉れ高き第一王子、フィリップ王太子殿下である。


「おめでとうランドルフ卿、マルグリット嬢」


名を呼ばれた恋人達が身を低くして臣下の礼を執る。フィリップは親し気に会話を続け、ランドルフとマルグリットは、真の主役の登場に恐縮しながらも誇らし気な表情を見せた。


彼の人と腕を絡めるのは、婚約者のエヴェリーナ・アベニウス公爵令嬢。体に沿うシンプルなデザインの白いドレス姿は、学園で実しやかに囁かれる噂も相まって、まるで断罪を待つ咎人のようだとマリエルは思った。


しばし談笑する四人を見ていると、フィリップが振り向いた。マリエル親子に気がついた様子で、側近だけを従えてこちらへと歩いて来る。


彼は天の御使みたいに神々しくて、背中に翼が無いのが不思議なくらいだった。


「メリウェザー男爵、元気そうだね」


「ありがとうございます。フィリップ殿下におかれましては、ご卒業の儀、心よりお喜び申し上げます」


まず養父に、次いで養母にも声が掛かる。王太子殿下の寛いだ笑顔に、あちこちで熱っぽい溜息が溢れた。


皆が自分達に注目しているのが伝わってきて、マリエルはこそばゆいような気持ちになる。


「御令嬢の卒業おめでとう。お嬢さんは優秀だね。これからの王国に益々必要な存在だ」


「勿体無いお言葉にございます」


マリエルの養父とフィリップがにこやかに会話するのを、エヴェリーナも置き去りにされた場所からじっと見つめている。


あら、ずいぶん顔色が悪いのではない?


「マリエル」


「はい」


ほほ笑むフィリップの呼びかけに、マリエルは一歩前へ出る。


「本来ならば、父の決定に粛々と従うべき立場の私だが、寛容なる国王陛下は、今日与えられる恩寵について私の裁量に委ねると約束された。君にはどうか、私の願いを受け入れて王国にその身を捧げて貰いたい」


白い歯をのぞかせるフィリップ。


差し出された手に自分の指を重ねたマリエルは、そこに口付けられる瞬間を予期して恍惚と応える。



「殿下の、御心のままに」






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