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三、それを下心というのよ

普段は人気のない中庭の隅。


じきに雨になりそうな湿った風が吹き、空は分厚い雲が覆っている。けれどまだ乾いた地面は砂っぽくて、革靴の艶を損なわせた。


「貴女が今日、手作りクッキーとやらを渡した相手は私の婚約者なのだけれど、一体どういうつもりで贈り物をして回っているのかしら」


軍服を思わせる黒のドレス。凛とした印象の王立魔法学園の制服を堂々と着こなして腕組みする令嬢は、いかにも気位が高そうだ。


「いえ、あの、作りすぎちゃったので、誰かに食べて欲しくて……」


尻込みするマリエルも、初めて制服に袖を通した時には誇らしさを味わい気持ちが高揚した。


「どうして作りすぎるのよ」


「貴女には分量の計算もできないの?」


国の最高学府への入試を勝ち抜いた生徒だけに許される学園生のシンボルは、着る者の輝かしいステータスと約束された将来を視覚化する。制服には心理面に作用する効果が少なからずある。けれど、マリエルは同じ制服と同じ心理を共有する学園生の内で、どうしてか悪目立ちしていた。


学園生活が始まって早三ヶ月。マリエルには未だ一人の友達も居ない。


「はじめから配るために作ってるんでしょ?目的を言いなさいよ!」


どうしてか分からない軋轢。相手の満足する謝罪を求められるばかりの状況。


「えっと、仲良くなれたらいいなぁと思っただけで、下心はなかったんです」


「それを下心というのよ!私の夫になる人と親しくなって、それからどうするつもりなの」


残念なことに、農村で育ったマリエルにとって夫婦は互いに欠かせない労働力だった。金に物を言わせて妻以外の女を囲う貴族の習慣について深く考えた事もなかった。だから何故責められるのか、マリエルにはその理由が分からない。


「まともな嫁ぎ先もない女が考える事なんて一つよね」


「どうしてこんな人が編入を許されたのかしら」


猛勉強の末に念願の学園編入を果たし、同じ学年に、王立図書館で偶然に出会ったフィリップが在籍すると分かったまでは良かった。けれど現実は残酷。彼は自国の第一王子で、全生徒の崇拝を集める雲の上の存在だった。正直、腑に落ち過ぎる。それならばと、新しい友達づくりに精を出してみるものの、結果は空回りの底辺ボッチ生活。


「あの、あの、誤解です。私は本当に友達が欲しかっただけで……」


「言い訳は止めて!こんな真似は二度としないと約束して」


しかもマリエルは空気も読めない。


「でも、受け取ったのは貴女の婚約者で、私は無理矢理渡したんじゃ、ないです……」


「なんですって!?」


「悪いのは自分ではないと言いたいわけ?」


「囲われ女の言いそうなことね!」


「汚らわしい。こんな人が私たちの学園に居て良い訳がないわ」


マリエルは求められる謝罪を述べるどころか、燻る怒りに盛大に燃料を注いだようだ。


なるほど、状況から考えればマリエルの性格は貴族社会には不適合だろう。加えて、確かにそれはマリエルの責任ではないのかもしれない。けれどだからこそ、マリエルを取り囲む令嬢たちは、不要物に向ける目でマリエルを見る。


「どうするの?」


「簡単よ」


雲行きは益々怪しい。まだ雨は降らない。


「何が簡単なんだい?」


不意に響いた心地よく伸びやかな声は、容易く喧騒をねじ伏せた。


皆、思いがけない若い男性の声に動きを止める。圧倒的な存在感に震えながら振り返った最後尾の一人が、悲鳴まじりにその人の名を口にする。


「フィ、フィリップ殿下!」


「うん。お嬢さんたち、ご機嫌いかがかな?」


曇天の下にあっても輝くような美貌の王子の登場に、女生徒達は顔を赤くしたり青くしたり。その中央を悪戯っぽい笑顔のフィリップが、後ろで手を組みゆったりと歩いてくる。


「久しぶりだねマリエル。君が最近配ってるっていうクッキーを、僕にも一つ分けてくれないかい?」


誰もが王子の気まぐれに息を呑み、騒つく周囲を尻目にフィリップは手のひらをマリエルに差し出す。


「あっは、は、はい!どうぞ!!」


乞われるままに取り出して両手で捧げ持った小袋を、フィリップの側近が受け取って調べる。中身を砕いて一欠片を口に入れた側近が耳打ちすると、主人は満足そうに頷いた。


「どれどれ……なるほど」


「マルグリット嬢も、ひとつどうだい?」


フィリップはクッキーの一欠片を摘むと、婚約者の件で先頭に立って居た令嬢を名指しして一緒に食べさせる。一介の令嬢に拒否権があるわけもない。渋い顔で口に含むと、彼女は目を見開いた。


「これは……!魔力が?」


フィリップはマルグリットと顔を見合わせると微笑みを深くした。


「ねえマリエル?このクッキーはとても貴重な物のようだ。気軽に配るのは止めた方がいい」


「貴重、ですか?」


当のマリエルは目を丸くするばかり。


「うん、魔力回復の効果が付与されている。それで貰った者の間で評判になったんだろうね」


「え!?知りませんでした。そうなんですね。私、全てフィリップ殿下の仰る通りにします!」


「よかった。みんなもそれでいいかい?」


笑顔で辺りを見渡すフィリップに、賢明な令嬢たちは沈黙をもって答える。


「ありがとう。じゃあマリエルは私が借りていくね。おいでマリエル」


「はい!」


尻尾を振るマリエルを連れてしばし歩くと、フィリップは側近のカイルと話し始める。


「マルグリット嬢は噂以上の切れ者だね。これでアンブロス伯爵との不和は回避できるだろう。追ってエヴェリーナと公爵へのフォローは必須だな」


「明日、エヴェリーナ嬢とのティータイムをセッティングします」


「うん。神殿派は少し煩くなるだろうけど、今はまだ泳がせていい」


「育ち切るのを待ちますか」


「実をつけさせ根を弱らせた上で刈り取る」


先頭を歩く護衛騎士が振り返った。


「ウチの殿下は農夫になっても有能そうですね~」


くつくつと笑う護衛騎士クロードの差しで口に、フィリップが眉を歪める。


「おだてたつもりか?」


「滅相もない」


両手を上げて、ひらひらさせる最側近にフィリップは嘆息する。カイルはいつもの事と、どこ吹く風。


「しかし実力行使も辞さない派閥も出てきたようだな、あれはどこの手の者だった?念のためマリエルの身辺警護も必要か」


「貴族派の新興勢力ですね、過激化しやすい輩だ」


「下手な者では取り込まれるかもしれない。クロード、お前がマリエルに付け。御令嬢に人気のお前ならヘイトも集めやすい」


「はいはい」


「本人には時期を見て説明する」


「殿下、ご本人がここに居られますが」


「ん?」


はじめて存在に気がついたとでも言うように、三人の視線がマリエルに集まる。


「え?」


「マリエル。私の話、聞いていたかい?」


「はい。……あの、意味は分かりませんでしたが」


「そう……?」


果たして彼女に火中の栗を拾わないだけの賢さがあるのか、栗に気づいていないのか。フィリップが笑顔を片付けてしまって、宝石のような目でじっとマリエルを探るので、マリエルの胸はザワザワし始めた。


「あの、"私"、なんですね……。初めてお会いした時は"僕"っておっしゃってたのに」


急な話の転換にキョトンとしながらもフィリップが応じる。


「うん。私も一応立場のある人間だからね、必要に応じて使い分ける事もあるよ」


「ああ~、そうですよね!王太子様だったなんて、びっくりしました。公私を分けてるって事ですよね……。王子様ですもんね!でも、それって、疲れませんか?私は、こんな感じですから、いつでも素のままの"フィリップ"で話してくださって大丈夫ですよ!"僕"って言ってたフィリップ殿下、かわいかったですし!」


胸が騒ぐのに引きずられてソワソワと懸命に囀るマリエルに、日頃柔和な文官は顔を顰め、風のような男は立ち止まって彼女を凝視する。


フィリップは王族らしい笑顔を取り戻し、おっとりと首を傾げた。


「……ありがとう。考えてみるよ」




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