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エピローグ

「今の演奏は如何ですか?」

「全然ダメ」

 友香里は新人歌手の演奏をバッサリと切り捨てた。しかし少し考えて、半分は違っていると思って言い直した。

「ダメかな」

「そうなんですか?」

 司会者の質問に、友香里は渋い顔をすると、机の下から足を出して足を組み、背もたれにそっくり返って答えた。

「最初の出だしが遅れてるし、途中で音を外してる。それに何か変な所でブレスしてるし」

「厳しいですねぇ」

 友香里の厳しいコメントに司会者もタジタジである。

「プロになるなら、それぐらい基本ですよ。しかも私の番組に出るのなら、それなりの覚悟で来てるんですよね?」

 新人歌手はすごすごとスタジオを後にしていた。そして入れ替わりに別の歌手が入ってきて、準備を始めていた。

「あの程度の人なんて、掃いて捨てるぐらいいますよ」

 司会者は苦い顔をして頷くしかなかった。友香里は辛口のコメントでも知られていたので、人気があった。ここで時報が十時を知らせた。

「鹿児島の皆さん、おはようございます」

「おはよーございまーす」

「爽やかな朝にお送りする、友香里の生歌生ラジオ、今日も新曲をひっさげて沢山の歌手が登場します。どうぞお楽しみに!」

「よろしくおねがいしまーす」

「パーソナリティーはバラードの女王こと、安田友香里さん、司会は私、幹島佳奈アナウンサーでお送り致します」

 幹島はマイクの音量をサッと下げると、テーマソングのボリュームを大きくした。この番組でCDを使っているのは、このテーマソングだけだ。あとの音楽は全て生演奏だった。

「では、Bスタジオの準備が整うまで、先程のお話の続きをお願いします」

「どこまで話しましたっけ?」

 司会者が友香里に話を振ったが、友香里は照れていた。しかし幹島は曲よりそっちの方が面白いと思っていた。

「Uちゃんが試験の結果を見に行った所までです」

「あー、そこからね」

 友香里は頭を掻いて、めんどくさそうに前のめりになると、机に両肘を付け、両手で顔を支えながら話始めた。

「Uちゃんは、それっきり帰って来なかったんですよ」

「え? すると落ちたんですか?」

「判らない。判らないけど、そんなはずはない」

「ピアノは? ピアノはどうしたんですか?」

「消えてたんだよねー」

「ええっ! 泥棒?」

「泥棒なのかなー」

「グランドピアノですよね?」

「そうそう。大きなピアノだった」

「消えたんですか?」

「そうなのよね。気持ちよく寝ちゃって、起きたの夕方だったの。そしたらもう何もなかった」

「怖いですねー」

「もう次の人が来ていて、Uちゃんなんて最初からいなかったみたいだった」

「妄想だったと?」

「違う!」

 友香里は大きな声で否定した。友香里は頬杖を付いて二十年前を思い出していた。あの日のことは良く覚えている。妄想でも何でもない。事実なのだ。


 あの日、窓辺で居眠りをしていた友香里は、呼び鈴の音に飛び起きた。玄関に走って行き扉を開けると、同じ年位の女の子がいて、タオルを渡された。名前は覚えていない。

 玄関を飛び出した友香里は、二〇三号室を見た。そこには新しい荷物が運び込まれていて、ピアノはなかった。

 友香里は雄大の受験番号が書かれているはずの、掲示板を目指して走った。人込みを掻き分けて見た掲示板に、雄大の番号はなかった。友香里は誰かと話をしている西園寺を見つけると、走っていって雄大のことを聞いた。すると西園寺から、雄大は留学することになったと聞かされた。しかも今から。

 友香里は西園寺の肩を揺すり行き先を聞いたが、一緒にいた男を見たので、友香里はそいつの首を締めた。西園寺が止めなければ殺してしまうかもしれなかった。そしてタクシーに飛び乗ると空港へ向って走った。


 そこまで思い出した所で、幹島の質問が聞こえてきた。

「Uちゃんの足取りは判ったのですか?」

「全然」

「未だに?」

「そうなんですよね」

 友香里はタクシーの続きを思い出していた。タクシーの運転手さんは良い人だった。友香里が告げた行き先に、超特急で行ってくれた。だから友香里は空港に着くと、財布を放り投げてタクシーを飛び出した。

 友香里はバス乗り場の横を全速力で駆け抜けると、自動ドアを手で押し開けて出発ロビーに躍り出た。そこで雄大の名前を叫びながら縦横無尽に走り回ったのだ。

 その時間、そのタイミングで、雄大に友香里の声が届いているはずだった。事実雄大は、少し前に自分が呼ばれたかと思い、他人への呼び掛けに振り返っていた。友香里が空港に着いた丁度その頃、雄大は出発の手続きを済ませ、歩き始めた所だったのだ。

 しかし雄大がいたのは成田空港で、友香里がいたのは羽田空港だった。友香里は警備員に取り押さえられ、事務室で安田と両親が来るまで泣き続けていた。

「申し訳ありません」

「ゆうだーい」

 深々と頭を下げる父親の後ろで、母になだめられながら友香里は泣いていた。

「お前も謝らんかっ!」

 父の鉄拳が友香里の頭を直撃し、友香里の目から大量の夢と、きらめく星が飛び散った。

「ごヴぇんざざい」

 精一杯の謝罪の言葉だったが、警備員の耳には英語かドイツ語か、そんな感じに聞こえた。しかし心には通じた。隣ではカラッポだった友香里の財布が返還され、安田がタクシー代を支払っていた。運転手は笑っていた。

 未成年で初犯であったことから穏便に済まされて、友香里は泣きながら事務室を出た。事務室を出た時、警備員はホッとしていた。

 廊下で泣き止まない娘を見て、父は足を止めると約束をしてくれた。

「その雄大って奴を、連れ戻して来てやる」

 急に立ち止まった父の固いおなかに、友香里と母はぶつかって跳ね返った。そして友香里は上を見上げた。涙で歪んだ目に写ったのは、恐ろしいまでに燃える父の目だった。父は皮のブーツをコツコツと響かせながら、友香里に背を向けて歩き始めた。その先には、敬礼をした無線係が待っていた。

 父がその気になれば、戦闘機のスクランブル発進位指示出来た。しかし、自衛隊機が海外に行ってしまっては、国際問題になりかねない。いや、それよりも何よりも、飛行機から引き摺り下ろされた雄大の命がない。友香里は母の手を振り切ると、無線係に話し掛け様とする父にタックルをして、精一杯の笑顔を作った。


「あ、でもね」

 友香里は幹島に話しかけた。

「でも?」

「信頼できる、あるスジからの情報によると」

「おぉ?」

「Uちゃんらしき人物がですね」

「ほうほう!」

「喫茶店のマスターやっているらしいのですよ」

「え? ピアノが凄く上手なのに?」

「そうなんですよ。それにね、ちょっと前に結構年下の女と結婚しやがった、いや、なさった。うん。私もその話は流石にちょっと信じられないなぁ。いや、Uちゃんのピアノは本当に上手かったしー」

「それはおめっ、それぐらい弾く人は沢山いたんじゃないですか?」

「違う!」

 幹島はおめでとうと言おうとしたが、止めた。記録係りが一応セーフの合図を出した。幹島の声よりも大きな声で、友香里が叫んだからだ。


 友香里は父に、雄大がどんな奴か説明しなかった。だから父は『ご覧下さい。雄大な景色です』というというテレビの音声に反応したし、歌手で雄大と言う奴が現れれば「こいつか?」と友香里に聞いた。家に連れ戻された友香里は、手紙もチェックされた。だから友香里は、もう二度と「雄大」と口にしなかった。


 幹島は友香里が大きな声で否定した後、少しぼんやりしているのを眺めていた。友香里の目は徐々に思い出を整理したのか、笑っている目になった。友香里がUちゃんを特別視するのは判る。しかし、きっと今では喫茶店のマスターなのだ。幹島は友香里の思い出話をそうまとめた。

「喫茶店のマスターでも良いじゃないですか」

「別に悪いなんて言ってないですよ」

 友香里が口を尖がらせて文句を言った。幹島はにやりと笑ってモニターでBスタジオの様子を見て、アナウンスを入れた。

「さて、準備が出来た様ですね。では歌って頂きましょう」

 軽快な音楽が始まったが、歌手も曲名も紹介されない。きちんと最後まで歌えたら紹介されるのだ。曲の宣伝がしたいのなら、どうぞ別の番組で歌って下さい。これは友香里の口癖だった。

「最悪」

 友香里の一言で音楽が打ち切られた。直ぐにBスタジオは別の歌手の準備が始まった。その頃、Aスタジオでは上を下への大騒ぎになっていた。友香里が速攻で打ち切ったため、まだ準備が終わっていなかったのだ。

 幹島は冷静に再び話を友香里に振った。

「さて、次の曲の準備が整うまで、今度は今の旦那さんについて語って頂きましょう」

「まーくんのことは、何も言うことないわ」

 友香里は右手を振って笑いながら答えた。幹島も笑っていたが、質問を続けた。

「馴れ初めは? デビュー前から付き合っていたんですか?」

「マネージャーですからね。デビュー前というか、デビューした時からですよ」

「やさしかったんですか?」

「そうですね。私が惚れたのは、鉛筆を拾ってきてくれたことかなー」

 そう言うと、首から紐でぶら下げた赤い鉛筆をチラっと見せた。

「あっ、それは幸運の赤い鉛筆ですか?」

「えへへ。そうですよ。大事にしてるんです」

「それで書いた曲は、全部ヒットしているという!」

「そうですね。何かもう、ゲンを担いでいるというか、縁起物というか、そんな感じですね」

「凄いパワーを感じる鉛筆ですね」

「いえいえ、タダの赤鉛筆ですよ!」

 友香里は笑った。

「AスタジオOKの様ですね。では、どうぞー」

 丁度準備が出来て話が途切れた。友香里はこの赤い鉛筆で書かれた詩で、一つだけ世に出ていないものがあったが、それは胸にしまっておいた。

「全然ダメ」

「そうですね」

 幹島も賛同するほどの出来だった。いや、もしかして極度に緊張していただけかもしれない。しかし友香里はそんなことはお構いなしに、平等に評価をするだけだ。プロなら調子が悪いなんて言えないのは当たり前だ。しかし、Bスタジオからは引き伸ばしのサインが出ていた。

「友香里さん、ここで特別ゲストを招待しております」

「え?」

 そんな話は聞いていなかった。友香里は自分の番組で、自分の知らないことがサプライズで進められていたことに、驚きを隠せなかった。しかも昔話をさせられていたのも気になった。

「では、登場して頂きましょう!」

 何の前触れもなく、説明もなく幹島が言った。友香里はかなり慌てたが、その様子はスタジオにいる人達にしか見えなかった。

「ええっ、ちょっと、えぇっ!」

 友香里はきちんと座り直すと、左手で左耳から後ろに掛けて髪を整え、スタジオのドアを見た。二十年経っていたが、雄大の顔を見分けることくらい出来る。あの大馬鹿野郎、どんな顔してやって来るのだろう。一発パンチしておくか、それとも首絞めとこか。友香里は心臓が飛び出しそうになる位ドキドキしているのが判った。

「友香里さん、こっちこっち」

 後ろから幹島の声がして、友香里は目をキラキラさせて振り返った。そこに雄大がいると思った。

「あっ!」

 友香里は絶句した。

「先程のお話にもありましたが、なんと! 友香里さんの若かりし頃のCDが、宮本堂の倉庫から大量に発見されまして、来週発売になるそうです」

「ええっ!」

 友香里は引越しの時、食器を包む古新聞にマスターレコードが買収された記事を見掛けたのを思い出した。

「では、発売を記念しまして、今日はその中から一曲かけてみたいと思います。えーっと、曲は『恋して友香里の夏気分~今日も貴方にドキッ』です」

 笑いを堪えて題名を読む幹島は、流石プロである。

「やめて、やめてー!」

「かわいいビキニですねー」

 幹島はCDを持ち上げて友香里に見せた。幸いにもこれはラジオ。映像は全国に流れることはなかった。

「ちょっと、返してー、私のCD、返して!」

 スタジオは騒然としていた。友香里は耳を真っ赤にしながら、それでも笑いながら幹島からCDを奪い取ろうとしていた。

「買占め! 私が買占める!」

 全国に散らばるラジオのスピーカーから、友香里の絶叫が響いて来た。


 客のいない喫茶店は暇である。今日は朝から本当に暇だ。これだけ暇ならラジオを聴いているより、花見にでも行った方が良い。今日のマスターは珍しく、店内にラジオを流していた。いつもはクラッシック、それもピアノが多い。

 誰も客が来ないのに同じ皿を何度も洗い、何度も拭いていた。左手にはめた指輪が、皿に当る度にカチカチと音がした。それだけでは飽き足らず、皿を時々落としていた。何をやっているんだか。でも、いつもドジっぽいので特に気にすることはない。

『先程のお話にもありましたが、なんと! 友香里さんの若かりし頃のCDが、宮本堂の倉庫から……』

 ラジオが突然途切れた。もう少し聞いていたかったが、客が来たのだ。スッと立ち上がって礼をした。

「はい。いらっしゃーい」

 マスターはさっきより一層にっこり笑って、女の子に挨拶した。

「ほら、春香、ご挨拶なさい」

 母親らしき女性が言うと、チョビヒゲに興味を示しつつ、春香は元気良く挨拶をした。

「こんにちはっ」

「よくできましたねぇ。はいこれどうぞ」

 マスターは目を細めて、スペシャルトロピカルオレンジジュースを出した。

「ありがとー」

 春香はまた元気良く礼を言うと、遠慮なく飲み始めた。まだ手元が危うい。

「春香ちゃん幾つになったのかな?」

 マスターが二人に声を掛けた。

「春香、何歳だっけー?」

 母親が首を傾けながら春香に聞くと、春香は得意げに指を二本差し出し、手首を前に倒した。

「二歳なんだー」

 それを見て、マスターがにこにこして春香に声を掛けると、春香はスペトロオレジューを吸い込みながら首を横に振った。マスターはおやっと思った。

「二歳半です。少しサバ読んでます。うふふ」

 母親が代わって答えた。マスターはよく判らなかったが、納得することにした。どの辺で六ヶ月を表現したのか。まぁ、子供だから省略したのだろう。

「紅茶下さい」

「はーい」

 母親がそう言った時、春香のスペジューはズズズと音を立てて空になった。美味しいものは真っ先に。良い性格だ。

「真由美さん、ピアノ弾いてあげて」

 名残惜しそうに氷を突っ突く春香のコップを母親が取上げたので、マスターは言った。真由美はにっこり笑うと、窓際から歩いて来て小さな春香の手を取り、店の奥にある古いピアノに向って歩いて行った。暫くすると店内に、軽快な子犬のワルツが流れ始めた。


(了)

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