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失われたCD

 バンにCDを満載して営業に出掛けた友香里は、帰りは疲れて、後ろの席で横になって帰ってくることが多くなった。安田はブレーキを踏む度に、ちらりとバックミラーで友香里を見た。友香里は営業が終わると、普通の女の子に戻ってしまう。口を開けて、ヨダレでも流しながら寝ている姿を見られたらイメージダウンだ。目隠しのフィルムを貼ってはいたが、安田は心配で心配で仕方なかった。

 事務所に帰ってきて、空になったダンボールをバンから降ろした。そして次のCDを倉庫から持って来ようと、禁断の扉を開けた。友香里が覗こうとするのを安田は止めなかった。

「ひゃー、まだ一杯あるねー」

「頑張って売ろうねー」

 眠い目を擦っていたが、CDの山を見て友香里は目が覚めた様だった。安田はダンボールをヒョイと持ち上げると、バンに積み込んだ。明日の営業は早い。もう今日から積んでおこうと思ったからだ。

「ねぇ、私のCDどうしたの?」

 倉庫から顔を出して、友香里は安田に質問した。安田は何を言っているのか判らなかった。友香里のCDなら今運んでいる所だ。不思議に思いながら安田は倉庫に戻った。

「なーに?」

「私のCD」

 確かにここにあったと言う場所を、両手で四角く示しながら友香里は安田に聞いた。安田はピンと来た。

「あぁ、社長が売ったらしいよ」

「へー、そうなんだ」

 残念そうに友香里が答えた。目玉焼きを作る予定だった卵で、先にオムレツを作られてしまった様な、そんな感じだった。安田は特に気に留めることもなく、友香里の新しいCDをヒョイと持ち上げると、再びバンに積み込んだ。売れ残りに構っている暇などなかったのだ。

 友香里は倉庫を出ると、安田の手伝いもしないで事務所へ上がって行った。きっとコーラでも飲むのだろう。安田はCDの積み込みを続けた。荷物運びなんてしなくて良い。また明日、元気に営業してくれればそれで良かった。

 習慣の様に冷蔵庫へ立ち寄った友香里は、コーラを取り出したもののグラスに入れることなく社長の所へ向った。冷蔵庫の扉がバタンと閉じられた音を聞いて、社長は友香里の接近に気が付いた。まだ今日は、何もしていないはずだった。

「私のCD、何処に売ったの?」

「え?」

「CDよ!」

 社長には何が何だか判らなかった。友香里のCDは昨日も入荷したし、来週も入荷する予定になっていた。売った所は数知れず。一体何て言えば良いのだろう。

「レコード屋さん」

「どこの!」

 巷にレコードが出回っていなくても、社長にとってCDを扱ってくれるのはレコード屋さんだった。社長にとってCDは、針の要らないレコードだった。

「どこのって言われても」

 友香里は黙って机を叩いた。バンという大きな音がして、社長は椅子の上で飛び跳ねた。様に見えた。

 社長は頭を掻きながら、困った様子を全身で表したが、友香里はそれだけでは納得しそうになかった。社長は机の引き出しから売り上げ帳と顧客リストを出し、必死にページを捲った。友香里はイライラした様子で、手に持ったコーラの缶を振りながら社長を睨んでいた。

「豪勢堂に千枚」

「違う」

「山田レコードに二千枚」

「違う」

「斉唱屋に五百枚」

「違う!」

 友香里はコーラを社長の机にドンと置いた。そして左足を上げて社長の机に腰掛けると、社長から売り上げ帳を取上げ、自分でページを捲った。社長は座ったまま気を付けの姿勢で固まり、大人しくその様子を見ていた。

 数ページ捲った所で友香里は手を止めた。怪しいと睨んだ所を社長に見せ、右手でトントンと叩いた。

「マスターレコードに千三百五十二枚を十万円って何?」

「それは」

 社長は友香里が倉庫で見せた友香里の顔を思い出して、言葉を詰まらせた。友香里の怒った顔が目の前に迫っていた。

 社長は何故か言い訳を考えていた。別に裁断したとか、資源ごみに出したとか、鳥避けに加工したとか、そういうことをした訳ではないはずだった。

「御曹司がどうしてもとおっしゃるので」

「ふざけんじゃないわよ!」

 友香里が左手に持った売上帳を床に叩き付けた。そして右手で机をバンと叩いた。

「ひぃー」

 社長は机の上にあった、新しい木彫りの熊を抱き抱えた。また放り投げられたら大損害だ。

「勝手に売らないでよね」

「すいません。ごめんなさい」

 必死に謝る社長の姿を見て、友香里の怒りは幾らか和らいだ。だから今日は、余り暴れないことにした。

「夢の安売りはいけないよ」

「ぐえっ。はい。はい。はい。ぐえっ」

「よしっ」

 友香里は机を降り、両手をパンパンを叩いた。そして社長の方を振り返りもせず事務所を出た。社長は机に座り直すと、少し落ち着いた。今日は何も損害がなかった。ホッと安堵し、木彫りの熊を机に置いて、そこにあったコーラの缶を何気なく開けた。

「うわー」

 吹き上がった琥珀色の噴水が、社長を夢の世界へいざなった。いやただ単に、コーラが目に入って悶絶していただけだ。窓の外から見える木の上で、カラスが鳴く声がした。


 社長の首を死なない程度に絞めて来た友香里は、マスターレコード本店に来ていた。ここは友香里が考えていたより、ずっと大きな店だった。客が何人もウロウロしていて、棚を眺めていた。友香里はとりあえず自分のCDを探した。

 『J―POP』と書かれた棚のインデックスを見て、名前の順に置かれたCDから自分のCDを探した。しかし、そこには自分のCDはなかった。友香里はジャンルが違うのかと思って、『ジャズ』の棚や『ロック』の棚も探したが、アルファベットのTの所に自分のCDはなかった。もう一度店内のジャンルを見直して、友香里は呟いた。

「こういう風になってる訳、ないわよね」

 友香里が見た先には『美空ひばり』と書かれたジャンルが案内されていた。その棚を探す必要がないことは明らかだった。友香里は自分のCDがある場所を聞くのも恥かしくて、店を出ることにした。

 ふと、入り口正面の棚に、見覚えのあるポスターを見つけた。近付いてみると、間違いなくそれは自分の曲のポスターだった。小さい棚だったが、自分の曲専用の棚だった。

「あるじゃん」

 友香里は嬉しくなって、にやけながら見覚えのあるCDがあるはずの棚へ歩み寄った。しかし、意外にもそこには棚があるだけで、CDは一枚もなかった。友香里は手を棚に掛けて落ち込んだ。

 もう棚から撤収させられたのか。今までも良くあった。その時はCDを持って帰ってきたものだ。捨てさせたりなんて、させなかった。悔しかった記憶が蘇った。

「あ、申し訳ありません。今、売り切れ中なんです」

「え?」

 友香里は顔を上げた。もう少しで涙が零れそうな顔だったのかもしれない。しかし、店員は友香里の顔を見て、そそくさと店の奥へ行ってしまった。友香里は流れ落ちる寸前だった涙を押し込んで、笑顔で店を出た。良かった。まだ撤収じゃなかった。

 それはそれとして、友香里が探していたCDは遂に見つからなかった。友香里は家に帰ろうとしていたが、考えた結果行き先を変更する必要があった。しかし、買ったばかりの切符を払い戻す必要はなかった。

 その頃、マスターレコード本店入り口には、色紙とサインペンを持った店員が、息を切らして立っていた。


 友香里が行き先を変更した先は、隣の二〇三号室だった。階段を上がっている時からピアノの音がしたので、友香里は足を速めた。雄大が中にいるのは間違いない。友香里は雄大に一言言わなければ気が済まなかった。

 呼び鈴を押すと、友香里はノブを回した。しかし、ドアは開かなかった。普段からカギなんて掛けてないくせに、今日に限って掛けてあるなんて。友香里は無性に腹が立ってきた。

 ピアノの音が鳴り止んだ。友香里はふと気が付いてドアを引いた。やはり鍵は掛かっておらず、ドアは恋人が走り寄るがごとく壁に向って行き、そこで跳ねて止まった。友香里も靴を脱ぐと、上がり込んだ。

「何だよ」

「あんた!」

 何の迷いもなく入ってきた女に指差されて、明らかに雄大の方が、部屋を間違えていることを指摘されている様だった。思わず雄大は振り返ったが、ここは間違いなく自分の部屋のはずだと思った。

「私のCDどうしたのよ!」

 友香里は指差した右手を振り下ろした。右手で雄大を指差すと単刀直入に聞いた。友香里の目を見れば怒っているのは判る。雄大にも覚えはあるが、別にどうもしていない。

「買ったよ?」

「返して!」

 友香里は両手を突き出した。そして手を開き、上下に揺らして叫んだ。雄大は社長が友香里に黙って売ったのは判ったが、今更どうしようもなかった。今頃は全国のマスターレコード各店へ散ってしまっているだろう。

「私のCD、返して!」

「返してって言われても、あれは買ったものだし」

「違う!」

 迷惑そうに雄大が言ったが、友香里は直ぐに否定した。雄大はまた無理難題な解答を迫られて、何て答えて良いのやら途方に暮れた。別に怒鳴られる様な悪いことなんて、した覚えはなかった。

「あれは私が売るCDよ! 私の魂がこもったCDよ! 十万なんかで売りはしない。安売りなんかしない!」

 首を横に振りながら髪を振り乱して友香里は叫んでいた。雄大は値段まで当てられて、社長に聞いたのだと判った。一体どうすれば良いのだろう。

 雄大の困った表情を見れば、もうCDが帰ってこないのは判っていたはずだった。しかし、それで納得が出来れば、行き先を変更したりはしなかった。

「絶対売るって約束したんだもん。折角作ってくれたんだもん。お客さんに手渡しで売るんだもん」

 友香里は力が抜けて、その場に座り込むと泣き出した。片付かないおもちゃを捨てられた子供の様に、天井を見上げて泣いた。雄大は慰めようと思って傍にしゃがんだが、友香里は両手をブンブン振り回して暴れるだけだった。

「お願い。返して。私のCD返して」

 言葉だけは丁寧になったが、それは行動と合っていなかった。どうしようもなく困って、雄大は友香里の肩に触れようとしたが、友香里はそれを弾き飛ばした。

「触るな!」

 驚いて雄大は後ろに尻餅を付いた。今まで見たことのない悲しい目から、涙が滝の様に流れていた。口を四角くして、時々呼吸が苦しくなったのか、しゃっくりをしていた。

「出て行け!」

 鋭く振り上げられた左手が扉を指差した。その勢いで髪が逆立つほど舞い上がった。友香里にとって一度作ったCDは、自分の分身だった。裁断は死を意味し、安売りは裏切り以外の何物でもなかったのだ。

 雄大は言われるまま部屋を飛び出た。そっと玄関を閉める時、友香里の髪が壊れた人形の様に流れていくのが見えた。

「返して。私のCD。返して。私のCD」

 誰もいない部屋で、壊れたプレイヤーの様に呟いていたが、雄大は眉をひそめて扉を閉めた。

 いつか見た星空と同じだったが、ラーメンの味は何も感じなかった。一人で部屋に帰ってきた時、扉は閉まっていたが友香里はいなかった。雄大は明日の実技試験に備えて、寝た。

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