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越えられない壁

「ほら! また掛かったよ!」

 友香里がテレビを指差して叫んだ。

「おお、凄いじゃん!」

 雄大がそれを見て、素直に喜んだ。テレビで踊っている人は友香里ではなかったが、バックに流れている曲は間違いなく友香里の曲だった。今日でもう何回目だろうか。ほんの数秒だったが、そのCMが流れると友香里はテレビに合わせて歌った。

「その続きは?」

「ないよ」

 CMは季節商品の一発品。今回の採用は偶然だった様だ。CMが終わって、もう友香里は番組に夢中になっていた。雄大が聞きたかったのは歌の続きだった。しかし、友香里はテレビに夢中で雄大の方を向く気配すらなかった。

 新陳代謝が激しい音楽業界で、CMに採用されることの影響は計り知れない。例え数秒であっても、繰り返し聞かされることで、下手な歌でも売れている様に思えるものだ。

 雄大は同調する様に頷いたが、誰の目を気にしてか慌てて首を横に振った。テレビでは最後のスタッフロールが流れていて、そこでも曲が掛かっていた。それは友香里の曲ではなかったが、友香里は上機嫌でその曲を歌っていた。

「カバーってしないの?」

「しない。だから~」

「こだわりなんだ」

「そう。そして~」

「好きな曲ってないの?」

「ある。きみが~」

「なーに?」

 歌いながら器用に答える友香里に感心しつつも、笑いながら雄大は聞いた。友香里は歌っている最中に質問するなと、言わんばかりに雄大を睨んだ。どうやら歌いながら答えるのが難しい様だ。スタッフロールを見ながら、挟む場所を探している様だった。

「『切手のないおくりもの』あした~」

 早口で一気に言って、友香里は再び歌に戻った。雄大は「へー」と答えた。友香里はスタッフロールを見ながらサビの部分を歌っていた。

「三番が好き。ラララ~」

 聞いてもいないことを友香里が答えたのが印象に残ったが、雄大は三番の歌詞を知らなかった。

 番組が終わると当たり前だがスポンサーも変わる。自分の曲が流れなくなった番組に用はないとばかりに、友香里はテレビのチャンネルをかえた。今まで女の子が好きそうな番組だったので、今度は雄大が好きそうな番組にしようと思った。

 するとピアノが写った。友香里は思わず通り過ぎたチャンネルを戻して、そこに合わせた。クラッシックのピアノ演奏が始まる様だった。友香里はあまり興味がなかったが、雄大が好きそうだったのでチャンネルをそこに決めた。それに、雄大とどっちが上手いのか聞いてみたかった。

『本日のゲストは、新田響子さんです。どうぞ!』

 司会者が笑顔で紹介すると、盛大な拍手でドレスを着た美人のピアニストが現れた。

「回して」

 雄大はチャンネルを変更する様言った。友香里は意外に思った。まだ演奏も始まっていないのに。

「どうして?」

 友香里はテレビの方を見たまま聞いた。雄大からの返事はなかった。

『新田さんは全日本ピアノコンクールでも優勝していらっしゃいますが、今年はウィーンのコンクールで、何と、二位に入りました』

 下手糞とでも認定したのだろうか。しかし、司会者の紹介を聞いても、そうは思えなかった。

「へー、知ってる?」

「知ってるよ」

 友香里は雄大が、ぶっきら棒に答えるのを久しぶりに聞いた。それでも、何だ知ってるのかと思って、友香里は横を見た。雄大はテレビを見つめてはいたものの、まるで腐った魚でも見る様な嫌悪の目付きで見ていた。

「慶応だから?」

 友香里は司会者の紹介を聞きながら、悪戯っぽく雄大に聞いた。

「関係ないよ!」

 雄大が大声で叫んだ。驚いた友香里は、テレビのリモコンを落としてしまった。友香里は、冗談にしてはまずい質問をしてしまったのかと思った。しかし、雄大はテレビを見たまま、それ以上何も言わなかった。

 テレビでは司会者が、大きな写真を出していた。それを見て新田は、笑顔でその赤ちゃんを紹介した。

『娘の真由美です』

『お母さんそっくり! かわいいですねぇ。幾つですか?』

『今年で三歳になります』

『では、お母さんと同じ様にピアノを教えるんですか?』

『はい! 私のライバルになる位、ビシバシ鍛えたいと思います』

『それは楽しみですね。では早速弾いて頂きましょう。曲目は……』

 床に落ちたリモコンを、早苗が素早く拾ってアニメに変えた。その瞬間、雄大に笑顔が戻ったので、友香里もつられて笑った。何か虚しい笑いだった。

 雄大と友香里の間に早苗が陣取っていたが、それ以上に雄大との距離が、とても遠くになってしまったと友香里は感じていた。

 ふと見ると、この前見たエアメールが机の上にあった。


 ある晴れた日。雄大は普段あまり乗らない電車に乗って、あまり来ない所に来ていた。門の大きさの割りに、小さく名前が書かれた表札を見た。そこには宮本と書かれていた。母の実家だ。

 この家に来るのは憂鬱だ。母と叔父は年が離れていたので、従兄弟は全員雄大より年上だった。全員芸大を卒業して、音楽界で活躍している。活躍と言っても、テレビに出てくる訳ではない。音楽の仕事をしている人で、テレビに出てくるのは、ほんの一部の人だけなのだ。

 雄大は宮本家の人達が放つ、一種独特の雰囲気が嫌いだった。何となく母を小馬鹿にした様な言い草、母ばかりでなく叔母まで。そして師匠斉藤にまで冷たかった。

 音楽を創造し、この国の未来を握っていると自負する彼らが、一介のプレイヤーとは線を引き、独自の世界観とプライドを持っていることが気に入らなかった。名曲を奏でるのはプレイヤーなのだ。演奏家がいてこその曲であり、指揮であるはずだ。

 雄大は交響曲を作曲することは出来ないし、オーケストラの指揮も出来ない。しかし、従兄弟のプレイヤーをあたかも道具の様に扱う仕草は、とても許せるものではなかった。

 そんな彼らだが、祖父や父の教えもあって、全員ショパンくらい普通に弾けた。この家の者にとって、ピアノは基本中の基本。ピアノが弾けないと、口も利いて貰えなかったのだ。雄大はこいつらが家に居ないことを期待しながら呼び鈴を押した。

「はい」

「雄大です」

「ご用件は?」

「母の使いで来ました」

「大奥様は外出中です」

「そうですか」

 妙に噛みあわないが、意図は通じる会話が交わされた。出たのはお手伝いさんだ。しかし、例え親戚でも、芸大卒でないと敷居は高い。母の付き人か名代でないと入れないのだ。雄大はそのまま帰ろうとした。

「あら、雄大じゃない」

 気が付くと、後ろに黒塗りの車が静かに停まっていた。窓を開けた祖母が雄大に話し掛けた。雄大は深くお辞儀をした。運転手が走ってきてドアを開けると、輝美子はあたかも公園のベンチにでも座っていたかの様に立ち上がった。運転手は黙ってお辞儀をすると、静かにドアを閉めた。

「お久し振りです」

「まぁ、お上がんなさい」

「はい」

 雄大が輝美子の後を追って振り向くと、門がさっきから開いていたかの様だった。車寄せまで輝美子は雄大と一緒に歩いた。玄関ドアが開いているのも見えるし、人が立っているのも見える。しかし、あたかも輝美子と雄大の二人しか居ない様な雰囲気だった。

 雄大はこの雰囲気も嫌だった。音楽は芸術だ。それを疑う余地はない。しかしそれを生み出す為とは言え、邪魔にならない様無音であることが求められた。まるで戦闘中の潜水艦だ。

 玄関から輝美子の部屋まで、雄大は誰とも会わなかった。いや、正確には家族の者とは、である。

 輝美子が椅子に座ったのを見て、雄大は立ったまま、母からの言付けを暗唱した。輝美子は笑顔で頷くと、笑顔で「ご苦労様」と答えた。こんな話は電話で済むと言われればそれまでだが、宮本家に電話のベルが響くなんてことは、絶対にあり得ない。

 輝美子は右手を小さく振ると、テレビのスイッチを入れた。すると雄大の後ろでパタンと小さな音がして、お手伝いさんが出て行ったのが判った。

「どれ、早く見せてよ」

「お婆ちゃん、ちょっと待ってよ」

「だって、早苗ちゃん、かけっこで三等に入ったんでしょ?」

「はい。今年は頑張りましたよ」

 雄大は笑いながら持参したテープをデッキに入れた。すると格調高い音楽が流れ、大きなタイトル字幕が現れた。『秋季大運動会』と書かれたその作品は、製作に三ヶ月も掛かったのだ。

「奈津子は凝り性だからねぇ」

 輝美子は笑いながら、やっと届いた孫の活躍に心躍らせた。早苗は輝美子にとって、初めて生まれた女の子の孫だった。夫の壮一は酷くがっかりして亜希子を離婚させてしまったが、再婚してまた生まれたのも女の子だった。頭に血が昇った訳ではないが、壮一はその後しばらくして亡くなった。

「亜希子が生きていればねぇ」

 三着でゴールし、大喜びの早苗を見ながら、ぼそっと輝美子が言った。雄大は何も言わなかった。

「お爺ちゃんはね、亜希子がかわいくて仕方がなかったのよ」

「そうなんですか?」

「そうよ。知らないの?」

 輝美子はテレビの方を見たまま笑っていた。あまり大きな声を出すと、お手伝いさんが飛んでくる。ハッと気が付いて輝美子は手を口に当てた。

「雄大、貴方もよ」

「僕ですか?」

 テレビを見たまま輝美子は頷いた。そして口に手を当てたまま、ちらっと振り返ると言った。

「貴方を斉藤に預ければ、最高のピアニストになる。そう言ったのよ」

「そうなんですか」

「そうよ。あの人が期待したのは貴方だけ。貴方が宮本ではないからこそ、自分よりも上と認めた斉藤に付かせたのよ」

 雄大は輝美子の目を見たまま黙っていた。輝美子は壮一と斉藤が、ピアノのことでガミガミと言い合っているのを思い出した。

「頑張んなさい」

「はい」

 輝美子はそう言ってテレビに向き直ると、孫を見て喜ぶ婆さんに戻った。雄大は輝美子の後姿に頭を下げて部屋を出ようとした。

「あ、そうだ」

 自動ドアの様に開いたドアの前で、雄大は呼び止められた。

「秋太郎に逢って行って。貴方、湊先輩の事務所に出入りしてるでしょ」

 雄大は何処の選挙事務所かと思って首を捻ったが、輝美子の調査に間違いはない。「はい」と答えて部屋を出た。


 雄大は従兄弟の秋太郎の部屋は知っている。子供の頃は良く童謡を聞かせてくれた。何のどんな話だったのかは覚えていないが、子供に聞かせるべき音楽について、切々と語っていた。

「失礼します」

 そう言って雄大は秋太郎の部屋に入った。返事はなかったが問題ない。お手伝いさんが中と外からドアを開けたからだ。雄大が入ると、お手伝いさんは外に出た。

「お加減如何ですか?」

「まぁまぁかな」

 秋太郎は昔から病弱で、いつも寝巻きだった。調子が良い時だけ新聞と紅茶を持って、庭の東屋で過ごした。今日は青白い顔をして、ベッドに横たわっていた。余り長居も出来そうもない。雄大は用件を切り出した。

「何か御用でしょうか?」

「君ね」

 二人が同時に話し始めたので、雄大は口をつぐんだ。秋太郎はそんなことでも面白い出来事だったのか、少し薄ら笑いを浮かべて話を続けた。

「湊社長の所に行っているよね」

「はい」

「高田という歌手、いるよね」

「はい」

 雄大は友香里を思い浮かべた。さっき輝美子が湊先輩と言っていたので、あの社長も絵描きなのかと思った。雄大は天井を向いたまま喋る秋太郎の方を見た。

「私は許さないよ」

「え?」

 何のことだか判らず、雄大は聞き返した。しかし返事はなかった。秋太郎が許さないと言うことは、友香里はテレビに出られないと言うことに等しい。それに、歌番組への出演も難しくなった。いや、そもそも歌手としてやって行けるかも怪しくなって来た。

 秋太郎の本業は童謡だが、多くの歌手に曲を提供していた。しかしそれは、ゴーストでの提供だったのだ。秋太郎は自己を消す天才だった。依頼人の性格をイメージし、あたかも依頼人が作ったかの様な曲を短時間で作ることが出来る。しかも売れた。


 雄大は秋太郎に一礼して部屋を出た。まさか友香里が、秋太郎と面識があったとは知らなかった。それより何より、友香里が作ったと言っている曲の内、一体どれが秋太郎の作なのか気になった。雄大は、友香里が鉛筆を持って突き出した光景を思い出した。あの時の目は嘘だったのか。

「そんな筈はない」

 信じられなかった。信じたくなかった。しかし雄大は、何を信じて良いのか判らなくなっていた。

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