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歌わないオルガン

 友香里と早苗はどれ位作詞をしていただろうか。足が痺れてあぐらを掻いて座っていたが、ノックの音に驚いて、二人は正座に座り直した。そして目を合わせて笑った。

「どうぞー」

 友香里が玄関の方に向かって声を掛けた。入って来たのはやっぱり雄大だった。雄大から見て友香里は背中しか見えなかったので、まだ怒っているのか、それとも機嫌が直ったのか見分けは付かない。

 しかし、お行儀良く早苗が何か宿題でもしている様だったので、感心していた。やはり女同士、気持ちが通じ合うのだろう。

「早苗、そろそろ帰りな」

「はーい」

 素直に返事をして早苗は立ち上がった。そしてランドセルにノートをしまい、鉛筆を友香里に返した。早苗がトットットと玄関まで小走りに来たので、雄大は早苗が長時間正座していても平気なことに、凄く感心した。

「宿題見て貰っていたの?」

「ううん」

 雄大の問いに早苗は首を横に振った。雄大は友香里の方を見て小首を傾げた。友香里は上機嫌で笑っていて、もう怒っていない様だった。

「作詞してたんだよねー」

「うん!」

「へー」

「いっぱい書いたんだよねー」

「うん!」

「おー」

 雄大は笑いながら早苗の頭を撫でた。どんな詩を書いたのか、それを雄大が見るのはもっと後になってからである。

「内緒なんだよねー」

「うん!」

「えー」

 そんな約束をしていたかは不明であるが、早苗は元気良く答えた。雄大はそう言われると見て見たい気もしたが、ノートはもうランドセルの中に入っていた。

「じゃぁ、ちゃんとお礼言いなさい」

「はーい」

 雄大が早苗に言うと、靴を履いた早苗がクルリと振り返り、ペコリと頭を下げた。

「お姉ちゃん、どうもありがとう」

「いえいえ。どう致しまして」

 友香里は正座して頭を下げ、礼に答えた。

「じゃぁねー」

「またねー」

 早苗は玄関を出ると、友香里に手を振りながら消えて行った。友香里も笑顔で手を振っていた。見えなくなった後はカンカンという足音がして、開けたままの玄関先で雄大が手を振っていた。

「おーい」

「んが?」

 手を振りながら、雄大が返事をした。友香里は机の鉛筆立てから赤い鉛筆を取り出すと、それを正座したまま差し出した。

「ごめん」

 右手で赤い鉛筆を見せ、左手で耳の奥の髪を整えた。左目を閉じ、口をへの字に曲げ、済まなそうに小刻みに頭を上下に揺らした。

「気がついた?」

「うん」

 雄大は削られた赤鉛筆と、友香里の様子を見て笑った。それにしても、削るまで気が付かなかったのだろうか。人の思い込みとは恐ろしいものだ。

「でも、いい詩が書けたんだよ」

「へー。どんなの?」

「私じゃないよ」

「早苗?」

「そう」

「本当?」

「本当本当」

「本当?」

「本当本当。本当だってば」

「へー。どんなの?」

「それは内緒」

「なんだよ」

 友香里が目を丸くしながら言うので、雄大は信じることにした。プロである友香里が言うのだから、そうに違いない。いや、雄大は友香里の曲を聴いたことがなかったし、詩も見たことがなかった。

「友香里はどんなの書いたの?」

「見たい?」

 友香里は机に広げたままのノートを取上げた。そして、その場で手を差し出した。玄関にいたままの雄大に届くはずもない。

「どれどれ」

 雄大はライバルの作る詩、プロの作る詩とはどんなものか見てみたかった。靴を玄関の扉に挟むと、友香里の部屋に上がり込んだ。勝手知ったる人の家。間取りは雄大の部屋と同じである。窓の外に見える電柱の角度が少し違う位だろうか。

 友香里からノートを受け取ると、早苗がさっきまで座っていた所にドカッと座った。そして腕組みをするとノートに目を落とした。

 それは詩というより、アイディア帳の様だった。同じ意味の言葉が様々な言い回しで書いてあった。そんなのが数ページ続いて、時々清書された詩が現れた。

「すげぇ」

 雄大は感心して唸った。自分の知らない世界がそこにあった。友香里は別のノートを取り出して、今度レコーディングする予定の詩を見せた。それは数ページに渡って色々なイメージが書かれ、所々に落書きの様な絵があったりして、一見すると只の落書き帳に見えた。

 しかし、雄大は友香里からこの詩を書くに至った出来事を聞きながら見ていたので、このノートには壮大な物語が書かれている様に感じた。描かれたキャラクターが動き出す姿を想像した。

 友香里は立ち上がると、その時の様子を手振りで説明してくれた。それだけ感動したことであっても、詩にするのは難しい。友香里は立ったままノートを指差すと、そう雄大に言った。雄大は低く唸って、頷いた。

「どんな歌?」

「聞きたい?」

「うん」

 雄大は清書されたページに辿り着くと、友香里に聞いた。友香里はプロだ。タダでライバルに聞かせる理由はない。しかし、より強力なライバルになることを、心の何処かで願っていたのだろうか。

「いいよ」

 友香里は少しだけ発声練習をすると、歌い出した。雄大は友香里の口から普段喋る声とも違う音が聞こえてきて驚いた。そのまま歌う様と、ノートを交互に見ながら雄大は歌を聴いていた。

「ラララー」

 歌い終わって友香里は営業スマイルでお辞儀をした。雄大は盛大な拍手をした。そして思い出した。友香里の曲を聴いたのは今日で二度目だったことを。一度目は、そう、暑い夏の日だった。

「どう?」

「良いんじゃないかな」

「おっ。高評価じゃん」

「そう?」

「売れるかな?」

「うーん」

「なんでよ!」

 友香里は雄大の煮え切らない返事に、笑いながら雄大の肩をパチンと叩いた。雄大は歌詞を見ながら何か考えていた。

「紙ある?」

「そこに書いていいよ」

 友香里はノートの余白を指差した。雄大はその余白では足りないと思ったのか、パラパラとノート捲った。すると、途中に見開きで空白のページを見つけた。

「あ、そこは飛ばしちゃったとこ」

 友香里は照れ笑いを見せた。雄大は友香里の方を見て、おっちょこちょいな奴だと改めて思った。大きな余白に雄大は書き込みを始めた。友香里はテーブルに両手を着け、その様子を見守った。

 雄大が書き始めたのは楽譜だった。友香里は雄大が楽譜を書く所を初めて見た。事務所で見せられた楽譜は書き直しも見当たらず、清書したものだと思っていた。しかし今、目の前で起きていることを、信じられない思いで見ていた。


 フリーハンドで正確な五線を引くと、おたまじゃくしが踊り始めた。描かれていく楽譜が今の歌であることは友香里にも判った。雄大は一音も迷うことなく素早く楽譜を完成させた。そして、それをさも当たり前の様に誇ることもなく、引き続き意見陳述が始まった。

「ここでさ、何でブレスするの?」

 赤鉛筆でチェックすると、くるりと鉛筆を回し、反対側でトントンと叩いた。友香里は何でと言われても理由は一つしかなかった。

「苦しいから」

「それじゃダメだよ」

 友香里の答えた理由を、ノータイムで雄大は否定した。雄大曰く。そこは言葉が繋がっている所だから、息継ぎをしてはいけない所だ。

「息継ぎをすると想いも切れるよ」

「判った」

 雄大の言葉に友香里は素直に頷いた。検討した結果、一小節前に短くブレスをして、指摘された所は滑らかに続けることにした。

「ここの伸ばしが短いよね」

「そう?」

「うん。一拍短いと思う」

 友香里は雄大が赤く丸した所を見た。そこは確かに四分休符だったが、雄大の楽譜は二分休符になっていた。

「ここが短いとダメだよ」

「そうなんだ」

「そう思ったことない?」

「うん」

「だってさー」

 雄大は友香里がさっき話してくれたことを友香里に話した。一度目は流れる様に、二度目は短く区切りながら話した。友香里は雄大がワザとブツブツと切っている様に思えた。

「そんな風に歌ってないよ」

「いやいや、そう聞こえるよ」

「えー。余韻でココまで来てるんだよ」

「それは違うよ」

「えー」

「余韻は休符の上だけで十分だよ」

「そうなんだ」

 雄大は友香里が納得した後も、机を叩きながら何処まで声を出し続けるべきか力説した。

「頭の中でリズムを刻むでしょ?」

「うん」

「いち、にぃ、さん」

「あーあーあ」

「短いよ。もう一度」

「いち、にぃ、さん」

「あーあーあー」

「よん」

「っ」

「そうそう」

「ふむふむ」

「休符の直前まで音は大事にしないと」

「はーい」

 友香里は最初に見せられた雄大のレポートを思い出した。あの時はカチンと来ていてまともに見ていなかったが、あのレポートに『下手クソ』と書いてあった訳ではなかった。改善案だったのだ。同じ音楽家としての意見だったのだ。

 友香里は『良い感じ』とか『いまいち』としか言ってくれない評論家より、雄大の意見の方が参考になった。

「それとココなんだけど」

「はいはい」

 雄大が次に赤丸を着けたのは、サビの部分だった。友香里はソコもダメなのかと思って、身構えた。雄大はそんな友香里のことはお構いなしに意見を述べた。

「何であっさり通り過ぎちゃうの?」

「あっさり?」

「そう」

「あっさりって?」

「えー」

 判ってないなぁという感じで顔をしかめ、雄大は友香里を睨んだ。雄大は数ページ前の落書きと、清書された詩を交互に指差しながら、友香里を睨んで言った。

「ここにはさ、この想いが詰まってるんだよね」

「うん」

「さっき、身振り手振りで説明してくれたじゃん」

「うん」

「その想いがぎっしり詰まってるんだよね?」

「うん。そうだよ」

「それを数秒のフレーズで発散すべきなんじゃないの?」

「してるよ」

「してないよ」

「してるよー」

「してないよー」

「しぃてぇるぅよぉ」

「全然してないよー」

 雄大はスッと立ち上がると、その部分を歌った。正直上手くはなかった。全然良い声でもなかった。音が合っているだけの声だった。友香里は音が合っているだけでは歌手にはなれないのだと思ったが、雄大の歌い方に、素直に拍手した。

「コレ位想いを込めてもいいんじゃない?」

「そうだね」

 照れることもなく普通に歌って普通に座ると、雄大は楽譜の所を開き、赤で緩やかな曲線を引いた。

「フレーズって、音が高くなるに従って大きくなって、下がるにつれて小さくなるものなんだ」

「うん。聞いたことある」

「じゃぁ、ここからサビに向かって、波があるでしょ?」

「うん」

「ここで一度目、ここで二度目、そしてサビだよ」

「うんうん」

「サビの最後はさぁ、音が下がらないで伸びてるんだから、ここは最大音量でしょう?」

「なるほど」

「歌ってごらん」

 友香里はサッと立ち上がった。雄大は楽譜をクルリと反転させると、友香里の方に向けた。そして何ヶ所かチェックを入れて、ブレス不可の場所を指示した。

「ここから」

「うん」

 サビ前のメロディーB途中を指差して雄大が言った。友香里はさっき雄大が歌ったのを真似ていたが、こちらがオリジナルであることを主張して、もっと想いを込めた。勝負をしていた訳ではないが、今までの歌い方では、雄大の方が自分の気持ちを代弁している気がしていた。それは悔しかった。

「いいじゃない!」

「ゼイゼイ」

 友香里は数小節しか歌っていなかったが、とても疲れた。自分の思いを込めるのに、こんなに体力を消耗するものなのかと感じた。にこやかに歌う姉を見ていたからだろうか? いや、自分は姉の真似をしていた訳ではないはずだ。姉の様になりたいと思っていることは確かだが、姉にはなれないとも思っていた。それは言葉で表したはずだった。私は私。

「通しで歌って見る?」

「うん」

 友香里は息が荒かったが、雄大の提案に答えた。雄大はちらっと部屋を見渡すと、オルガンがあることに気が付いた。

「伴奏してあげるよ」

 雄大は立ち上がると、オルガンの前に行った。後ろで友香里が「いいよ」と言っていたが、遠慮しているのかと思っていた。蓋を開けて電源ボタンを押したが、音が出なかった。足元のコンセントを見ると、コードが抜けていた。雄大は椅子に座って手を伸ばし、コンセントを挿した。

 モーターが始動する低い音がして、オルガンが息を吹き返した。雄大はいつもの通り全音チェックをすると、EsとAsとBの音が狂っている。狂っているというか、変な音がした。

「これ、壊れてるの?」

 雄大が笑いながら振り返った。友香里は照れ臭そうに頷いた。

「変な音!」

 おおよそオルガンとは思えない、壊れたおもちゃの様な音がするのが珍しいのか、雄大は三つの音を面白がって弾いた。

「いいじゃんかよー」

「これで作曲してるの?」

「うん」

「練習とかも?」

「うん」

「えー、無理じゃん?」

「いいんだよ」

「新しいの買えば?」

「それでいいんだよ」

「二、三万で買えるじゃん」

「もったいないよ」

「こんなもんで練習する方がもったいないよ」

 雄大はオルガンの方を向くと一オクターブを弾いたが、EsとAsとBの所で笑った。その瞬間、頭にノートが当たったのが判って、頭を掻きながら笑顔で振り返った。

「出てけ!」

 ノートが飛んできたのは、友香里の手から一番近い物だったからだった。振り返った雄大に次は座布団が飛んできた。鬼の形相をした友香里に驚き、足がすくんだ訳ではないが、雄大は座布団を避け切れなかった。

「お姉ちゃんのオルガンに触るな!」

 泣きながら、次はテーブルが飛んで来そうな気配だったので、雄大は慌てて玄関に走った。我ながら情けないと思ったが、今はそうするしかなかった。友香里は追いかけて来なかった。まだ何か投げ付けたそうな感じだったが、手頃な物がなかった。血相を変えて玄関に辿り着いた雄大に、友香里は後ろから罵声を浴びせた。

「お姉ちゃんは音消して練習したってお前より上手かったし、芸大だって受かったんだ! ざまあみろ!」

 雄大は驚いて振り返ると、涙を流しながら腕を真っ直ぐと伸ばし、人差し指を突き付ける友香里がいた。雄大は何も言い返せずに部屋を出た。玄関扉を閉める直前、友香里がその場に崩れ落ちるのが見えたが、当然何も出来なかった。雄大は静かに扉を閉めた。その向こうから漏れてくる泣き声が、むしろ閉めた後の方が大きくなったことに愕然とした。しかしもう遅かった。

 二〇四号室の扉に記された『高田有加里』という名前の持ち主が、一体どういう人物だったのか。雄大がそれを知るには、もう少しだけ時間が必要だった。


 友香里は思い出していた。そもそもオルガンに悪戯をして、変な音にしたのは自分だった。鍵盤の隙間からちょっと爪楊枝を入れただけで、まさかそんなことになるなんて思わなかった。焦って取り出そうとしたが、更に変な音を増やしてしまっただけだった。

 そんな友香里を有加里は笑って許してくれた。友香里に一曲弾いてくれて、大いに笑って、笑い転げた。そして、泣いている友香里に軽くげんこをしただけだった。

 両親にばれることはなかった。何故なら共働きの両親が家に帰って来ると、有加里はオルガンの音を消した。小さなアパートに四六時中オルガンの音がしていては煩かったからだ。他の家族がテレビを見て笑っている間、有加里は音のしないオルガンを弾き続けていた。

 一年に一度だけ、友香里は有加里のピアノを聴いた。それは通っているピアノ教室の発表会だった。近所の小さなホールを借りて行われた発表会は、教室に通う子供とその家族だけが集うこじんまりとしたものだった。

 しかし友香里には、それがとてつもなく大きなステージに思えた。白いドレスを着てスポットライトを浴びた姉が、凄いスターの様に見えた。いや、その時の姉は、テレビに出て来るどんな有名人より凄かった。友香里が近づけない程、子供達に人気があった。そしてお葬式の時は、みんな泣いた。

 友香里はぐるぐると記憶が巡っていたが、涼しい風に背中をくすぐられて我に返った。足元にはノートが転がっていた。当たり所が良かったのか、別に何処も痛んではいなかった。パラパラと捲ると雄大の書いた楽譜が現れたが、パンと音をたてて閉じると、机に放り投げた。

 電気が入りっぱなしのオルガンを友香里は見つめていた。オルガンを笑った奴をぶん殴ったのは、別に雄大が初めてではなかった。家に遊びに来た友達と喧嘩しこともあった。そう、習慣だ。

 友香里は溜息を吐いてオルガンの椅子に腰掛けた。そして、姉に教わった唯一の曲を静かに弾き始めた。


 あの日、あの時、姉が流した涙は本当の涙か、それとも笑い過ぎてちょちょ切れた涙か、今となっては判らない。有加里は友香里を椅子に座らせると、手を取り、指を押さえ、そして腕を持ち上げて丁寧に教えてくれた。そして友香里が直ぐに弾ける様になると、頭を撫でて褒めてくれた。そして、二人が座るには少し小さい椅子に仲良く腰掛けると、一緒に連弾した。

 今日は隣に誰もいない。だから友香里が弾く変な音が響く。友香里は自分で弾いておきながら、確かに変な音だと思った。そしてあの時、姉がおかしくて笑っているのだと確信した。そう思うことにした。

 一曲弾き終わって、あの時と同じ様にオルガンの前でポーズをとった。姉がスポットライトを浴びながらしていた様に。すると、後ろから拍手が聞こえてきた。友香里は振り返ったが、窓からは涼しい風に吹かれた白いカーテンが揺れているだけで、誰もいなかった。

 幽霊が出るには少し早い時間だった。それに季節外れでもあった。友香里は窓の所へ行くと、顔を出して辺りを見回した。

 拍手の主は直ぐに見つかった。隣の窓で体育座りをしている雄大が、少しいじけた様な、情けない顔をしていた。友香里は出窓風のサッシに腰掛けると、右ひじを手摺に引っ掛けて雄大を見た。髪が風に吹かれて揺れた。

 雄大はそのまま窓が閉まると思っていたが、友香里が目の前に現れたので、早く謝ろうと思った。友香里の顔は右半分が電球の明りに照らされていて、左側は漆黒の闇だった。それでも怒っている様には見えなかった。

「ごめん」

「どうも」

 どちらが先に言ったか、同時だったかもしれない。お互いに自分の方が早かったと思った様だった。

「いえいえ」

「いえいえ」

 今度は明らかに同時であると判った。何故なら言った言葉も、速さも、言い終わって振った手も同じだったからだ。窓辺で友香里と雄大は笑った。

「俺が悪かった」

 雄大はもう一度謝って頭を下げた。

「いや、いきなり怒ったのは私だし」

 友香里も詫びた。

「まぁ、人の気持ちを考えなかった俺が悪い」

「暴力に訴えた私が悪い」

 お互いが自分の胸に手を当てて、反省の意を表した。外は星が綺麗だった。

「俺が悪いって言ってるじゃん」

「何よ、私が悪いのよ」

 お互い何であんなことを言ってしまったのか、良く判っていなかった。雄大は人の楽器は勿論、持ち物についてけなす様なことを言ったことはなかったし、そんなつもりもなかった。友香里も受験を控えた雄大に、ざまあみろ何て言うつもりはなかった。

「じゃぁ俺は悪くない」

「何それ。じゃぁ私も悪くない」

 お互い少しだけ方向性と価値観が違うだけで、音楽を愛していることは同じはずだった。音楽のことならお互いを認め合えると思っていた。

「お前、自分で悪いって言ってたじゃん」

「良く言うわね。あんただって言ってたでしょう」

 友香里は何かを掴む振りをして、そして投げた振りをした。雄大はそれを掴む振りをすると、友香里に投げ返す振りをした。演技派の友香里は、あたかも巨大な彗星が飛んで来たかの様な恐怖の表情を浮かべ、それが勢い良く当たった振りをして仰け反った。

「ひどい!」

「えー、そんなでかいの投げてないよ」

 両手を顎に付け、肘を揃えて首を振る涙目の友香里を見て、雄大はそっくり返りながら反論した。何かもうどっちが悪いとかどうでも良くなって来た。

「ラーメンでも食いに行く?」

「おごり?」

 まだかわいく首を振っていたが、声だけはいつもの調子に戻って友香里が聞いた。別にラーメンの一杯位おごった所で、雄大の財布は痛くも何ともない。

「カップ麺にしようかな」

「私、味噌チャーシュー大盛ね」

 友香里は足を振り上げると、振り下ろす勢いと共に窓から消えた。雄大は少しだけ苦笑いをすると、窓を開けっぱなしのまま部屋を出た。雄大の一番大事な物。それはピアノである。いくら泥棒でも、窓からピアノを持ち出すことは不可能に違いなかった。

「三丁目の店でしょ?」

「うん」

 玄関を開けると友香里がいて、本当に手ぶらだった。雄大が財布をズボンのポケットに突っ込むと、友香里が「よろしく!」と言って、雄大のケツを叩いた。


 二人は星振る街を歩いてラーメン屋へ向かった。途中友香里は、姉のことを雄大に話した。悲しい話だったが友香里は笑顔だった。雄大もピアノに纏わる話をした。友香里は驚いていたが、雄大の背中を叩いて励ましてくれた。

 二人は仲良く味噌チャーシュー麺大盛を頼み、ニンニクをたっぷりと入れ合った。そしてコショウでくしゃみをし、シナチクを取り合って、スープまで飲み干した。支払いを雄大がすると、友香里は雄大の腕をとって店を出た。

 新月の夜は星が綺麗に見えた。二人は酔っ払いの様にフラフラと歩きながら、将来について語り合った。その時はどんな夢も叶う様に思えた。確かに、流れ落ちる星は無限にあったし、見上げればどこまでも広がる空に、長い長い天の川が横たわっていたはずだった。

 しかし、少しの間だけ星空が見えなくなった瞬間があった。その時は酷いニンニクの臭いがして鼻が曲がった後、甘酸っぱいレモンの味がした。

 再び星が見える様になってから、二人は無言だった。沈黙を破って初めて交わされた言葉は「おやすみなさい」だった。二人は見つめ合ったまま同時にドアを開け、それぞれの部屋に消えると、同時にドアを閉めた。

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