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プロローグ

 お昼休みにコンビニへ行くと、ドサ周りの歌手がいた。オリジナルとおぼしき曲を引っ提げての営業だろう。頑張れ。雄大も音楽は嫌いじゃない。素直に応援しよう。そう思った。

 しかし集った客の前で、にこやかにトークをする歌手を見て、雄大は痺れを切らしていた。聞こえない様に呟いた。

「早く歌え。お前は歌を歌いに来たのだろう?」

 今日の雄大は機嫌が悪い。いや、昨日から機嫌が悪かった。そして明日も機嫌が悪いと思う。顔には出さないが、もやもやとした感情がずっと雄大の心の中にあった。

 十五歳で敬愛する師匠を失った雄大は、一度は音楽の道を諦めた。その考えを鉄格子の向こうにぶつけると、静かに返って来た言葉に雄大は心を揺さぶられた。

「俺の弟子はお前だけだ。三年待て。悪い様にはしない」

 その言葉を信じた。いや、信じるしかなかった。今の雄大に音楽以外の道は存在しない。真っ直ぐに続く道をどこまでも突き進むのだ。その決意を新たにする為の弱音だった。

 しかし雄大は、その嘘の弱音を吐いたことを後悔していた。静かに話す師匠の口とは対照的に、目からは激しい怒りが読み取れた。雄大は鉄格子があるのにたじろいだ。背筋が冷たくなった。

 雄大は静かに頷いて安心した。誰が何と言おうと俺の師匠はこの人だけだ。そう思った。しかし、三年は雄大にとって長すぎた。

 ドサ周りの歌手が歌い始めた。荒んだ雄大の心に沁みる澄んだ声だったが、雄大は納得できなかった。雄大の絶対音感がNGと判断したのだ。歌い出しで八分の一拍、四小節目の第三音で四分の一音外した。雄大は鼻で笑うと歩き始めた。名前も知らない歌手の一人として、気にも留めず終わるはずだった。

「いかがですか?」

 マネージャらしき男に雄大は呼び止められて、チラシを受け取った。直ぐに裏を見ると白紙だったので、それは捨てないことにした。丁度メモ用紙を探していたのだ。

「全然ダメですね」

 雄大は冷たく言い放った。しかし、言ってから半分は嘘だと思って、言い直した。

「いや、ダメかな」

 マネージャーらしき男は、平然として言い直した雄大が気に入った。この業界で批判をしてくれる人は少ない。多くは無関心なのだ。その辺の石ころと同じなのだ。

「どの辺がダメですか?」

 雄大はマネージャらしき男に変なことを聞かれてカチンと来た。こいつは自分の実力も判らずに、自己評価も出来ずに音楽活動をしているのかと。眉毛がピクッと動いたが、きっと相手にその真意は伝わらなかったに違いない。

 雄大は口を開いた。

「どの辺がダメですか?」

 一言一句間違いなく繰り返して問い返した。若い割りに眼光鋭く睨みつけられて、マネージャーらしき男はたじろいだ。雄大のその目の奥に、音楽への熱き情熱と魂を見た。ダメ元で聞いてみたのだが、それがいかに甘い考えだったか男には理解出来た。

「失礼しました」

 マネージャーらしき男は、雄大に深々と頭を下げた。そして直ぐに、流れる様な手つきで名刺を出した。

「私、安田正樹と申します」

「はじめまして」

 雄大は両手で名刺を受け取った。コンビニ弁当が揺れて、左手が少し下がっていたが、安田は気にしなかった。

「増田雄大です」

 夏らしくラフな格好だからという訳ではないが、雄大は名刺を持っていなかった。口頭で名前を伝えた。安田は瞬時に暗記した。

「増えた田んぼが雄大だ、です」

 安田は雄大の、その顔からそんな説明が出て吹いた。しかし、連絡先は教えて貰えそうになかった。当たり前だが。安田は口を押さえて顔を営業スマイルに作り変えた。

「判りやすいですね。ありがとうございます。こちらにご意見を承れば幸いです」

 雄大はもう一度名刺を見た。そして直ぐに裏を確認すると、裏には英語で書かれた名前があった。雄大は胸のポケットに入れた。

「判りました」

 雄大は短く言って足の向きを変えた。

 歌はまだ続いている。

「あぁあぁ」

 丁度サビの部分と思われる所になったが、雄大は眉をひそめた。伸ばすタイミングが悪い。そう思った。そして、面倒なレポートがまた一つ増えてしまったと思い、頭が痛かった。

 人ごみを掻き分ける様に、雄大はコンビニから遠ざかる。もうすぐ角を曲がろうという所で、後ろから盛大な拍手が鳴り響いた。雄大は足を止めた。しかし雄大は、それを温度の低い天ぷら油に入れた、衣ばかりのエビと評価した。鼻で笑って呟いた。

「俺の師匠は、そんな天ぷらは嫌いなんだぜ?」

 久々に聞いた拍手だったが、雄大には不安定に揺れるただのEsとしか聞こえなかった。無表情のまま首を曲げて、音のする方を見た。夏の日差しは真上からの筈だったが、眩しかった。

「ありがとうございます」

 甲高い声でそう言って、歌手は頭を下げた。長い黒髪が滝の様に落ち、それを掻き分けた笑顔に再びスポットライトが当った。

「えーっと、この間ですね、この曲を歌ったらお客さんから『すごく良かったです』なーんて言われまして、凄く嬉しかったです。調子に乗ってまーす」

 笑いと拍手を貰いながら、小さなステージの上でマイクを握り、にこやかに話していた。日焼け止めも無駄になりそうな位の光を浴びている。それをスポットライトと言うには強すぎるだろう。横ではさっきの男、確か安田と言った。そいつが、手に持った沢山のチラシを配っていた。雄大のことはもう忘れてしまったかの様だ。膝を曲げながらお辞儀をするのを見て、自分も通りすがりの一人と感じた。

 汗を掻きながら集った人たちに話しかける歌手を見て、雄大は哀れみの様な感情を抱いた。そして思った。

「早く次の曲を歌え」

 雄大は音楽が嫌いではない。今日は機嫌が悪いだけだ。コンビニの袋を右手に持ち替えて、左手を軽く振った。そしてまた左手に持ち替えると歩き始めた。

「では、次の曲です」

 雄大は険しい顔のまま聞き耳をたてた。等間隔に並ぶ電柱を一小節に見立て、歩きながら調子を取り始めた。

「この曲は去年私が海に行った時に作った曲で、私自身とても気に入っている曲です。朝、海に行くとですね、昼間の海岸とはまるで違っていて、誰もいないんです。そんな中ゆっくりお散歩をしていると、まるで別世界にいるような気がします」

 雄大の頭の中で、自分がイメージしたメロディーがゆっくりと流れ始めた。

「そこに空き瓶とかが流れてきたら……」

 大通りに出ると、オートバイの爆音に掻き消され、もう聞こえなくなった。雄大は苦笑いした。

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