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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ビー玉越しの、青い世界

作者: 空白のワンダーランド

 教室の窓から見える青空に目を細めては、窓際に座る君と目があった。君は大きな入道雲を背景にしてゆっくり目蓋の大きさを変えながら笑うのだ。そんな君から目を反らし、私は蝉の声に耳を傾ける。汗が頬を伝って落ちるのを感じた。

 暑さに頭がぼうっとしている。私は夏に取り憑かれているのだと──そんな妄想をしている。


「もう夏だね」

 帰り道、自転車を引いて歩く私に君はそう言った。夕方だというのにまだ暑さは残っていて、ただ夕焼けが眩しかった。夏の夕焼けは燃えるように赤い。色も、温度も暑いのだ。

「ねえ、なんか夏らしいことしようよ」

 君はそう言ってスカートを揺らす。

「夏らしいことって何よ」私は少し笑った。

「うーん、なんだろ」

「じゃあ、海に行こうか」

 私がそう言うと、君はそうしようと言って私の前を歩き始めた。

「なんだか、夏って長いね」

 そういう君に私は、「私にとっては短いかな」と言う。

「夏はあっという間に終わっちゃいそう。『ああ、もう夏が終わるのか』って、毎年思う」

「私とは逆だね」と君は言った。

「私は、また夏が来るのかってばっかり思ってる」

 そっか、と私は頷いた。

「なんだか不思議だね」

 私はそう呟いた。

「もう夏には飽きちゃったよ」と笑う君の前には海があった。

「着いた」

 君は砂浜を駆け靴を脱ぎ、海へ足を浸した。

「冷たい」

「写真、撮らせて」

 私はリュックからカメラを出す。写真部で使っているカメラだった。

 パシャリ。海と夕焼けの真ん中の君は笑っていた。

「うん、いい感じ。うまく撮れた」

「もっと撮ってもいいよ」と君が言うので、その他にも何枚か続けて撮った。

 しばらく写真を撮って、木陰で休んでいると、ねえ、と君が声をかけてきた。

「ラムネ、好きでしょ?」

 君が差し出してきたのは青いラムネ瓶。

「ありがとう」受け取ったラムネはひんやりとしていて、私は思わず笑顔になる。

 カランと音を立て、瓶のなかでビー玉が転がった。立ち上る小さな泡たちはシュワシュワと涼しげな音を立てる。

「青い」

 ラムネを飲む私の前では君がビー玉を覗いていた。それを見て、私も一気にラムネを飲み干しビー玉を取り出す。ビー玉を覗き込むと見えるのは、夕焼け空の下にポツンと立つ小さな君の背中。

「そろそろ帰ろっか」

 君にそう言われ、私はまた自転車を引いて歩き出した。

▫ ◇ ◁ △ ◻

「向日葵って、綺麗だけど見てるだけで暑くなる」

 そう言った君はセーラー服を揺らして、ずらりと並んだ向日葵の間を歩いた。

「夏って案外長いんだね」

 私がそう言うと、「そうでしょ」と君が笑った。

「なんだかずっとこの夏が続くような気がするの」

 そう言って自分でなんだか不思議になった私は、「可笑しいね」と笑う。

 すると、予想に反して君は笑わなかった。

「…私も、そんな気がするなぁ」

 私は君の横顔をちらりと盗み見る。その横顔を私は、綺麗だと思った。君は汗ひとつかかなずに立っている。

 一体君は何処を見ているのだろう、と思って私は君の視線を追う。そこにあるのは青い空に浮かんだ入道雲だけだった。

「ずっと、二人でこんな夏を過ごしている気がするの」

 君はぽつりとそう呟いた。

 蝉の声がやけにうるさくて、しばらく無言が続いた。生暖かい風が頬を撫でる。

 君はときどき、こんな風におかしなことを言う。儚げな雰囲気を持っている君はいつも目を細めて笑っている。君は何を感じ、何を考えているのか。こんなに近くにいるのに私は君の感情を読めことができない。

 空が青くて、暑くて、透き通っている。夏は嫌いじゃない。君がいればどんな季節だって好きになれる。君は、私の世界のすべてだった。

「これ、あげるよ」

 そう言って君が私の手に乗せたのは、さっきのラムネのビー玉だった。

「ありがとう」私はそれを受け取り、引いていた自転車に跨る。

 この道ででいつも私たちは別れる。

「じゃあね、また明日」

 君は笑顔で手を振った。また明日、と君も繰り返す。

 明日もきっと暑いのだろう、と私は考えた。そして、明日もまた君と夏を泳ぐのだ。ずっとこのまま、いつまでも君と共にありたい。隣にいるのは君がいい。そんなこと全て正直に伝えたら、君は驚くだろうか。

 この夏が終わっても、次の季節を君と過ごそう。

 そう考えたとき、ふと「この夏が終わっても」という言葉に引っかかった。……何故だろう、夏が終わる気配がないのだ。

「変なの」と私は呟き、自転車を漕ぎ始めた。風に髪がなびく。大きな入道雲が正面に見えて、夏だなぁと一人思った。

▫ ◇ ◁ △ ◻

 蝉の声がうるさく響く中、私は君と教室に残っていた。君が課題がまだ終わらないと言うので、私は君の隣で本のページをめくる。

「あっついねぇ」

 君の声に私は顔を上げると、君の顔が目の前にあった。「わっ、」

「驚かさないでよ」私がそう言うと、君はいたずらっぽく笑って、「ずいぶん集中して読んでたね」と言った。

「まぁ」と私は答え、時間が経つのは早いなあと壁の時計を眺めた。秒針のカチカチという音がやけに耳に張り付いて、思わず時計から目を逸らした。「私、もう帰らなきゃ。今日は先に帰るね」

「あ」君は窓の外に目をやる。

「雨だ」私も窓の外を見た。

 最初はぽつり、ぽつりと降っていた雨も次第に勢いを増し、大粒の大雨へと姿を変えた。

「凄い雨だね」雨の音に声を掻き消されぬように大きな声でそう言う。すると、君の様子がおかしいことに気がついた。

「どうしたの?」

 私は君の顔を覗き込む。君の顔からは笑顔が消え、じっと降り続く雨を見つめているままだった。

「自転車で帰るの?」

 突然君がそう聞いてきたので、少し戸惑いながらも私は頷いた。

 窓を雨が伝って落ちていく。私はただぼうっと、まるで涙みたいだ、と考えていた。

「雨の後は滑るから、気をつけてね」

 君がそんなことを言うのは珍しくて、私は黙って君を見つめた。しばらく二人で見つめ合い無言が続いたが、君がまた口を開いた。

「私、前に雨の降った後に自転車に乗っていて、事故に遭ったことがあるの」

「そうなんだ」と私は返事をする。初めて聞く話だった。

「雨の後って、タイヤが滑るの。私、咄嗟に止まろうとしたんだけど、間に合わなくて」

「怖いね」と私は言った。君がこんなに自分の話をするのは珍しかった。

「本当に気をつけてね」

 君の必死な顔を見ることは少なく、そのことが私を不安にさせた。

「わかってるよ」

 さっきまでの激しい雨の音は止み、ぽつりぽつりと屋根から雨粒が落ちていく音が聞こえた。私は雨が止んだことを確認し、教室を後にする。

「じゃあね」

 廊下に出てから振り返ると、教室の扉の隙間から君がちらりと見えた。一瞬目があった君は、なぜか寂しそうに見えた。


▫ ◇ ◁ △ ◻

「夏、まだ終わらないね」

 あまりの暑さに私はそう言った。その言葉に、君はぴたりと足を止める。

「違うよ」

 君は真面目な顔でそう言った。

「きみが」君はスカートをなびかせ、くるりと私を振り返る。


「君が、夏を終わらせないんでしょう?」

 君は私を指差しそう言った。

 空があまりに青くて、儚い君は空に溶かされてしまいそうにも見えた。

「どういうこと?」私は君に問う。

「君の、夏を終わらせたくないという思いが、私を終わらぬ夏に閉じ込めた」

 私は黙って君を見つめた。心を落ち着かせようと息をゆっくりと吐く。


 ……嘘であって欲しかった。この世界こそが本当であって欲しかった。

 でもここは、夏が終わったときに交通事故で死んでしまった君がまだ生きている、あの夏がずっと終わらない世界。まだ君がいた頃の夏だけがずっと続く世界。──君のいない世界が嫌になった私の心が作り出した世界だった。

 私は、終わらない夏に君を閉じ込めてしまったのだ。

 君だけが私のすべてで、君さえいれば、あとはどうでもよかったのだ。

「だって私、君のいない世界じゃ、生きていけないよ」

 私の言葉に君は揺らぎもしない。──ああ、一体私は何をしているのだろう。終わぬ夏に君を閉じ込めて。

 青空に滲む君は、黙って私を見据えていた。私は君にゆっくりと手を伸ばす。

 もうこの気持ちを友情だとは言えなかった。いつからこんな風になってしまったのだろう。

 私は一体、いつから君をただの友達として見れなくなってしまったのだろう。

 ずっと抑えていた心が、今溢れる。

「本当は、ずっと好きだったよ」

 言葉は口を通ってすんなりと出てきた。「君が好きで好きでたまらなかった」

 ──どうせ言ってしまうなら、君が生きている間に言えたらよかった。

「知ってたよ」と君は笑った。

「なあんだ、知ってたのかよ」私は苦笑する。「君は本当は気づいていたのに、ずっと知らないふりをしていたんだね」

 私はいつもより低い声でそう言った。君はただ私を見たまま動かない。少しも揺るがず、そこに佇んでいる。

 私は君の頬にそっと触れる。こんなに君に近づいたのは初めてだった。君の温度を感じながら、私はさらに近づいていく。

「これは罰だよ、君が気づかぬふりをした」

 君と触れ合い、混ざり合う。

 夏の匂いに、君の香りが混ざっていた。


「ずっと、ここにいちゃ駄目なの?」と私は聞いた。

「だめ。いつまでも夢を見ていないで、現実に帰んなさい」

 君はそう言うといつも通り、ゆっくりと目を細め笑った。

「君がいない世界なんて嫌だよ」

「…先に死んじゃってごめんね」

 君はそう言い、私の手を握った。

「いつか、また会えるといいね」

 君はそっと私から手を離す。

「いつかって、いつ?」

「そんなこと聞かれても、わかんないよ」

 君は困った顔で笑った。波の音と、君の息遣いの音が聞こえる。

「じゃあ、本当に帰るよ?」

「うん。早く帰ってよ」

「はあい」と返事をして、私は君に背を向けた。

 空が高くて、青くて、眩しくて。君がいるだけで世界が輝いて見えるのは何故だろう。私がこれから帰る世界に君はいない。君のいない世界だなんて、私は愛せるのだろうか。

 そんなことを考えているうちに君との距離は開いていく。最後まで振り返らずに私は進む。


 君のいる夏に、さよならを。


▫ ◇ ◁ △ ◻

 暑さにはっと目を覚ます。窓の外を見ると、また見える入道雲。──本物の夏だった。

 夏なのに、君は何処にもいない。君がいなくても来る夏が少しだけ憎かった。

 君と何度も来た海の横を通り過ぎ、学校へと向かう。

 君が前に座っていた席をずっと見てしまうのは、持ち主のいないロッカーを見てしまうのは、──夏になると君を探してしまうのは、何故だろう。

 幽霊でもいいから君に会いたい。お盆には帰って来るのだろうか。なんだっていい。君を見たい、一目だけでいいから…。

 汗を拭こうとハンカチを出そうとしたら、ポケットに何か入っているのに気がついた。

 それは、青いビー玉だった。君といたときいつもそうしていたように、私はビー玉を覗き込む。こうして見ると空がさらに青く見える。青い世界は君がいた頃と変わらず、涼しそうで。きっとまだ、私は。

 世界に君を見ている。ここにはいない君を、夏に見ている。ずっとずっと君の思い出に囚われている。私がこんなに君を探していると知ったら君は怒るだろうか。

 そんなことを考えていたときだった。

 青い視界の隅で、スカートが揺れたような──そんな気がして。

 思わず私はビー玉から目を離す。もちろん、そこには誰もいない。

「気のせいか」

 ぽつりと私は呟いて、少しだけ笑って見せた。


 ビー玉から目を離して見た世界は、もう青くはなかった。

読んでくださりありがとうございました。

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