かけられた濡れ衣
俺は薬草の入った麻袋とティアを背負ってブルームの街へと歩いて行く。西からの夕日を顔に受けながら、草むらを掻き分けて進む。
ティアは結魂の儀式で力を使い果たしてしまったということだが、ぐったりしているわけではない。俺の背中に掴まり、顔を押し当てている。匂いでも嗅いでいるのだろうか。ティアが俺の背中の匂いを気に入っている理由がよく分からないが、好きな匂いらしい。
「ねえ、アイク……」
俺の背中からティアが声をかけてきた。
「なんだ?」
俺は歩きながら返事をする。
「この世界のことを教えてほしい」
「この世界のこと? なんだよ、唐突に」
いきなり、世界のことを教えてくれと言われても困る。漠然としすぎていて、何をどう教えていいのか分からない。
「私は、300年間閉じ込められていた。知恵の宝珠の知識は300年前のもの。今の世界との差異が大きいと思う」
「ああ、そうか……。その知恵の宝珠は300年前にティアの母親が残したんだったな……」
ティアの母親。つまりは、魔王レイヴィアの遺産。魔王の知識が詰め込まれた宝石だ。
「そう。だから、私とアイクが今いる場所が、どこの国なのかも分からない」
「なるほどな。だったら、ここはファリス王国の領内だ。そして、俺達がいるのは、ファリス王国の北に位置する辺境地域」
「ファリス王国……。知恵の宝珠の中にその名前がある。まだあったんだ……」
「ファリス王国の歴史は結構長いからな。ただ、俺は良い歴史だとは思っていないが……」
「どうして?」
「ファリス王国は人種族至上主義の考えだからだよ。獣人や亜人を差別している。獣人や亜人を奴隷として売買することも容認されてる国だ。そういうのは好きじゃない」
「アイクも同じファリス王国の人なのに、私を助けてくれた。どうして、獣人や亜人を差別しないの?」
「俺が世間知らずだったっていうのもあるかもな……。ずっと、田舎で暮らしてきて、獣人とか亜人を奴隷扱いしてるってことを耳にしたことはあるけど、実際に見たことはなかった」
俺が田舎を出たのは1年前のことだ。大きな街で、初めて奴隷の扱いを見た時は衝撃を受けた。だけど、何もでなかったのを覚えている。見て見ぬふりしかできなかった悔しさを覚えている。だから、せめて俺だけは差別しないようにしようと心に決めた。
「他の国も、亜人差別があるの?」
「いや、他の国はそうでもない。サイファール公国は獣人や亜人が領地を支配している。人種族だって、普通に生活をしているっていう話も聞いたことがある」
サイファール公国。大陸の西側にある国だ。大陸の東側にあるファリス王国とは対立関係にある。
「どうして、ファリス王国は、他の種族を差別してるの?」
「くだらない理由さ……。宗教の違いだ」
「宗教の違い?」
「ああ、ファリス王国の国教はユリエス教。女神ユリエスを唯一の神とする宗教だ。女神ユリエスは、悪しき魔物から人々を守ってくれて、死んだ後には天国に導いてくれる。だけど、女神ユリエスを信じない者は、魔物に喰われて地獄に落ちるっていうのが教義だな」
「なにそれ? 脅しているの?」
ティアが胡乱気な声を出している。まあ、その気持ちは分からなくもない。というか、よく分かる。
「俺は敬虔なユリエス信者じゃないしな。脅してるっていう意見には賛同だ――それでだ、ユリエス教は人種族の宗教でな、獣人や亜人はそれぞれ独自の宗教を持ってる。精霊信仰や自然崇拝。その他よく分からない宗教まで色々ある。要するに多神教だな。神は複数いるっていうやつ。中には、石ころ一つにまで神が宿っているっていう宗教があるくらいだ」
「それが差別の理由……」
「そうだ。人種族はユリエス教以外を認めない。その傾向が強くなったのは、300年前からだと言われてる……」
「300年前……。魔王が倒された時……」
「……この話は止めておこう」
俺は自分の失言に歯噛みした。300年前のことを言えば、ティアが何と結びつけるのか想像できたはずだ。なのに口を滑らせてしまった。
「いいの、聞かせて……」
「ティアには面白くない話だぞ……?」
「大丈夫。知らない方が辛い……」
「ティアがそう言うなら……。勇者の伝説だよ。300年前はこの世界に魔物が溢れていた。魔王と竜王が世界を飲み込もうとしていたからだ……。そこに、女神ユリエスから神託を受けた勇者が現れる。勇者の名前はアクレイア。勇者アクレイアは仲間と共に多くの苦難を乗り越えて、魔王と竜王を倒し、世界に平和をもたらしました……っていう話……。世界が平和なのは、女神ユリエスと勇者のおかげだから、他の神を信奉することは恩知らずだっていう風になった……」
俺が子供のころから知っている勇者の物語だ。何度もこの手の本を読み返した。
「勇者アクレイア……。アイクっていう名前は、もしかして……」
「勇者アクレイアから取った……」
「ユリエス教の敬虔な信者でもないのに?」
ティアが疑問に思うのも無理はないだろう。ユリエス教に対する俺の話し方を聞いていれば、俺がユリエス教に対して好意的に捉えていないことなどすぐに分かる。
「勇者は勇者。ユリエス教はユリエス教。勇者が世界を救ってくれたことは……。その、違いはない……って、思ってて……。俺もいつか、勇者みたいに世界を救える男になりたいなって……」
やはり魔王の娘であるティアの前でこの話はやりにくい。魔王が悪の存在であることが前提となるから、どうしてもティアには辛い内容にしかならない。
「アイクが気にすることじゃない。私は母が何をしたのかを知らない……。ただ……」
「ただ?」
ティアは何か言い淀んでいる。
「アイクのお父さんが……、魔王信奉者っていうの……。それが、どういうことなのか教えてほしい……」
「……知ってどうする?」
俺の声音は意図せず低くなっていた。
ティアは、自分が魔王と竜王の子供であることを気にしているのだろうが、俺の父のことは貴族間の醜い争いだ。ティアには関係ない。
「これから、アイクとは長い時間を共に過ごす。知らないままなのは嫌……」
俺は足を止めて背負ったティアを見る。そこには、真直ぐな眼差しで俺を見て来るティアがいた。
「知りたいか?」
「知りたい」
ティアはコクリと頷いた。
「はぁ……。まあ、そうだな……。お前が気にすることじゃないって言っても、納得しないんだな?」
「納得できない」
ティアにしては、強い口調で返してきた。ティアはティアなりに考えているのだろう。それなら、仕方がない。
「分かった。話すよ……」
「うん……」
俺は止めていた足を前に進める。
「俺はさ、この辺りと同じくらい田舎の貴族だったんだ。さっきも言った通り、世間知らずの田舎者だ。正直言って、俺に貴族としての自覚はほとんどなかった。近くの村の悪ガキどもと毎日遊んでたからな。身分の差なんて考えたこともなかった。それは、両親も同じだった。召使でも領地の平民でも気さくに話をする。困ったことがあれば相談に乗るし、話し合いもする。だから、父さんも母さんも領民から慕われてたんだ」
「そう……。知恵の宝珠に入ってる、貴族の知識とはかなり差がある」
「俺の両親が特殊なだけだ。ほとんどの貴族は階級を重んじる。ケインなんかは典型的な奴だな。自分より下の身分には威張り散らして、上の身分にはこびへつらう。そういう貴族の方が多いな」
ケインの父親であるロズワルドも典型的な貴族だがな。領民からはかなり嫌われていたと聞いている。
「それでだ、俺の父親は人間ができているだけじゃなくて、武芸にも秀でていた。礼儀は弁えるけど、言うことはハッキリと言う。しかも、相手がどれだけ上の身分でも怯まない性格でな、ある時、ファリス王国の将軍に謁見する機会があったんだ。その時も、父さんは軍の在り方に一言言ったらしい。それがどれだけのことか分かるか?」
「言わないといけないことなら、正直に言うのが正しい」
「それは、そうなんだけどな……。貴族の世界っていうのは、そうじゃない。身分が上の者に逆らうようなことがあれば、下手をすれば潰されることだってある。特に父さんみたいな田舎の下級貴族なんて簡単に潰せる。だけど、ファリス王国の将軍はそうしなかった。逆に、父さんの度胸を気に入ってくれたんだ」
「それなら、良かったんじゃ……?」
「いや……。それが良くなかった。田舎の下級貴族は、田舎の下級貴族でなければならなかった……。将軍って言うのは、軍の頂点だ。そんな人に田舎の下級貴族が気に入られてとあっては、周りが黙っていない。そもそも、武芸に秀でていて、領民からも慕われている父だ。将軍に囲われてしまえば、どこまで上にのし上がってくるか分からない。それが、周りに貴族には怖かった……」
「それじゃあ……アイクのお父さんは……」
「中級貴族達に潰された……。ある日、突然、父さんが魔王信奉者ということで、ユリエス教会の異端審問官がやってきた。父さんが秘密裏に魔王を信奉していて、魔王の復活を願ってるときた……。俺には訳が分からなかったよ……。だけど、証拠となる魔王像が発見された……らしい……。それだけの証拠で、父さんと母さんが投獄されて、処刑された……。父さんを疎ましく思ってる貴族は多かったらな……。誰の差し金だったか分からなかった……というより、全員がグルだと思っていた……」
あの日のことは、よく覚えている。父さんは自分の身に危険が迫っていることを察知しているようだった。だから、俺が逃げることができる準備を前もってしていてくれた。父さんに仕えた人も俺を逃がすために、命を張ってくれた。
「あの、ケインっていう騎士が、アイクのお父さんを罠にかけた人の子供……」
「ああ、そうだ……。ケインの父親が主犯だったんだろ……。父さんを葬る見返りの一つとして、ケインをテンプルナイツに推薦してもらったんだろうな……。でないと、ケインごときがテンプルナイツに入れるわけがない……。全部、ケインの父親が裏で手を回したんだ……」
話をするだけでも、はらわたが煮えくり返る思いだ。
「アイクは、どうしたい?」
「どうしたいって……?」
ティアに訊かれていることが、今一つ分からず、俺は聞き返した。
「復讐したい? 今なら、その力がある」
その言葉を聞いて、俺の心臓が跳ねた。鼓動が速くなっているのが分かる。ティアには俺の鼓動は伝わっているだろうか。俺が手にした力、魔王竜の力があれば……。
「復讐する気はないって言ったら、嘘になるな……。ロズワルドを締めあげて、共犯者全てを吐かせて、全員ぶっ殺してやりたい……って思う……。けど……」
「けど?」
「……父さんも母さんも、それを望んじゃいない……。何よりも優先するのは、俺が生きていることだ……。それが、亡くなった両親の願いだ……って、思うから……」
簡単に割り切れることじゃないが、頭では理解している。
俺がティアを守るために命を張ったことを父さんと母さんはどう思うだろうか。おそらく、少女を見捨てなかったことを誇りに思ってくれるだろう。だけど、命を落としたことは怒ると思う。
「うん……。私もそう思う……」
「ああ、だから、俺は生きることにする。ティアと一緒に、どこまでも逃げてやる!」
「アイク……」
ティアは俺の名前を呟きながら、ゴシゴシと顔を背中に押し当ててくる。なんだかくすぐったい。
「とりあえず、ファリス王国から出ることを考えよう。この国じゃ、ティアは目立ち過ぎるからな」
「うん……」
ティアがギュッと俺の背中にしがみ付いてきた。
この国に未練がないわけじゃない。父と母の汚名を返上したいという気持ちはある。両親を嵌めた貴族がのうのうと生きていることだって許せない。
だけど、俺がやるべきことは、復讐じゃない。誰も復讐を望んではいない。
だから、生きることにする。ただ、人としての生は終わっている。もう人じゃなくなったんなら、それでも構わない。人以外が生きていける場所を、ティアと一緒に探せばいいだけのことだ。