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生贄の儀式

      ― 1 ―



ティアリーズがアイクと出会う2日前の夜。


辺境の地にあるロンドワースの森を、満月が煌々と照らしていた。


山岳地帯に連なる広大な森林。危険な魔物も生息しておらず、自然の恵みも豊かな森なのだが、如何せん王都からは距離がある。


更には、森の奥に連なる山々が人の交流を妨げる。交易路にも遠い場所だ。


珍しいキノコが採れるわけでも、貴重な花が咲いているわけでもない。ただ、広いだけの森。それが、ロンドワースの森だ。


そのため、行商人も滅多には来ないのだが、生活する分には問題なかった。森に入れば食べ物はいくらでもあるし、川に行けば飲み水も確保できる。土地も肥えていて、作物もよく採れる。


街と言うには小さな規模だが、それなりに人々が暮らしている場所もある。


こんな環境だから、街に住む人ものんびりとした性格だ。困りごとと言えば、畑をあらすワイルドボアくらい。


そのため、森の奥にある建物には誰も興味を示さなかった。


ロンドワースの森の深くには、昔からある建物がある。いつからその建物が存在しているのか、地域の住民は誰も知らない。


爺さんのそのまた爺さんも、生まれた時からその建物はあった。


月明かりが照らす、その建物は頑丈にできていた。


石材が隙間なく積まれており、鉄製の扉は錆びることなく黒く輝いている。規模もそれなりの大きさをしていた。


貴族の屋敷くらいの大きさはあるだろうか。石と鉄でできているため、優雅さの欠片もないが、兎に角、丈夫で大きな建物だ。


地域の住民は誰もその建物に近づこうとはしなかった。


理由は単純。気味が悪いから。それに、わざわざ森の奥に入ってまで行っても、何かを得られるわけでもない。


そんな誰も寄り付かない建物の中を、複数の男性が歩いていた。


全員、司祭のローブを纏っている。人数は5人。満月が照らしているとはいえ、建物の中は真っ暗。


5人の中の一人が松明を持って先導している。


「こちらです……」


松明を持った男が口を開いた。やって来たのは地下にある一室の前。鉄製の扉には、特殊な術式で封印が施されいている。物理的な行為では、まず破壊不可能な代物だ。


「開けろ」


初老の男がしわがれた声で指示を出す。顔には深い皺と白髭を蓄えた威厳のある男だ。


5人いる司祭服の中で、この初老の男が一番格の高い服を着ていた。絹で作られた純白のローブに金糸で編まれたストラ。司祭冠にも金糸が織り込まれている。身なりからするに、かなり上位の者だろう。


「はい」


先導役の男は、命じられるがまま、懐から短剣を取り出すと、扉に突き立てた。


パリンッ!


ガラスが割れるような音が響く。


硬く閉ざされているはずの鉄扉は、手を触れることもなく、ゆっくりと開きだした。


部屋の中にいたのは、ボロボロの服を着た一人の少女。床に倒れて動かない。うつ伏せになっている背中からは黒い翼が、臀部には黒い尻尾が見えている。


人の形をしてはいるが、明らかに異なる存在。ドラゴニュートの少女が部屋の中に横たわっていた。


「大丈夫なのでしょうか……?」


初老の男の傍らにいる別の男が心配そうに声を出した。


「問題ない。300年もの間閉じ込めていたのだ。いかに魔王竜であろうと、食事も摂らずに万全の状態を維持できるものではない」


初老の男は低い声音で答える。


「確かに……。ですが、そうなると生きているのでしょうか?」


初老の男の回答には一定の納得がいくが、別の疑問も湧いてくる。そもそも、300年間、食事も与えずに閉じ込めてきたのだから、生きてるのかどうかという問題。


「それも問題ない。弱ってはおるだろうが、その程度で死ぬようなことはない」


「そうでございますか……」


「魔王竜とはそういう存在だ――いいから、引きずり出せ」


これで会話は終わりとばかりに、初老の男は次の指示を出した。


「はい」


手の空いている二人の男が、倒れているドラゴニュートの少女の腕を掴み、引きずり出す。


半目を開いたままのドラゴニュートの少女は何も抵抗しない。自ら歩こうともしない。


ただ、腕を掴まれて引きずられていくだけ。


両脇から腕を掴んでいる男は、何とか立たせようとするが、ドラゴニュートの少女は足に力を入れようともしない。


「そのままでよい。引きずって連れて来い」


初老の男は蔑むような目でドラゴニュートの少女を見た。これだけの仕打ちをされている少女に対して、一切の哀れみは感じられない。


5人の男とドラゴニュートの少女は、地下通路を上がり、そのまま大広間まで移動してきた。


先ほどの地下室とは違い、高い天井と大きな窓。両脇の壁には幾本もの松明。石畳の床には赤い絨毯が敷かれている。


大広間の奥には大きな祭壇があった。丁度、奥の大窓から満月の光が差し込んで、祭壇を直接照らしている。


ドラゴニュートの少女は引きずられるままに、祭壇の前へと連れて来られた。


両脇は男が押さえたまま。


初老の男は、一人前に進み、祭壇を背に声を上げた。


「いよいよ我らの悲願が達成される! 300年だ! 我々は300年もの長い年月を待った! ようやく、楽園への扉が開かれる!」


初老の男は感極まったように声を上げた。周りにいる男たちも、真剣に話を聞いている。


「さあ、魔王竜よ、貴様の命がようやく役に立つ時が来た」


「…………」


初老の男が声をかけてもドラゴニュートの少女は何も反応しない。


「声も出せぬか――まあ、よいわ。生きてさえいれば事足りる」


初老の男は、どうでもいいという風に、ドラゴニュートの少女から背を向けた。


そして、祭壇に祭られている一振りの剣を手にした。純白に輝く刀身。柄は金で装飾されている。


それは、竜殺しの剣だった。しかも、ただの竜殺しの剣ではない。300年もの間、歴代の聖者の生き血を注ぎ込んだ特別製だ。魔王竜ですら殺せる武器がこの場所に保管されていた。


「時は来たれり! ここに魔王竜の命を捧げる! 我らに楽園への扉を開き、永遠の祝福を授けたまえ!」


初老の男が今までで一番大きな声を上げると、純白の剣を大きく振り上げた。その剣が振り下ろされれば、それで終わり。少女の人生は幕を下ろす。ただ暗く冷たい部屋にいただけの人生が終わりを迎える。


(――嫌だッ!)


その時、ドラゴニュートの少女の心の中で何かが弾けた。


それが何なのか、少女は理解できない。だが、弾けてしまった。


そうなってしまっては、どうすることもできない。


「アアアアアアァァァーーーッ!!!」


ドラゴニュートの少女はありったけの声を張り上げると、内に秘めた魔力を暴走させた。


まるで広間に竜巻が発生したかのような暴風が吹き荒れる。大きな窓ガラスは飴細工のように割れ、松明は掻き消される。


「「「ぐあぁーーーッ!?」」」


脇に構えていた男たちが、悲鳴を上げながら吹き飛ばされていく。大の大人であっても抵抗することさえできなかった。


「ぐぬぁッ……」


だが、正面に立っている初老の男は何とか堪えていた。咄嗟に術式を展開して、防護シールドを張ったのだ。


だが、それもいつまでも持たない、力負けして弾かれてしまう。


「ぐふッ……!?」


弾き飛ばされた初老の男は、背中を祭壇に強打して、呻き声を上げる。


ドラゴニュートの少女が巻き起こした魔力の暴走はこれで収まったが、大広間は無残な状態になっていた。


「何事ですかッ!」


余りにも大きな轟音に、建物内の警備をしていた軽装備の男たちが集まってきた。すぐに駆け付けてきたのは十数人ほど。


「その少女を押さえつけろ!」


初老の男が怒鳴り声を上げた。一瞬でこの惨状を引き起こした張本人だが、今は沈黙している。捕えるなら今しかない。


「ハッ!」


軽装備の男達は、命令に従い一斉に飛びかかってきた。だが――


ドラゴニュートの少女の瞳が青く光ると、空間が震撼するとともに、見えない何がかが迸った。それが何なのかを考える間もなく、駆け付けてきた軽装備の男達を弾き飛ばした。


「がはッ!?」


壁に激突した軽装備の男が苦悶の声を上げる。


「逃げないと……」


ドラゴニュートの少女はそう呟くと、全力で床を蹴った。


初めての全力疾走。生まれてこの方、碌に動かしたことのない手足が、少女の命令に対して、全霊を持って応えてくれる。


「追えー! 追って捕まえろー!」


初老の男の声が聞こえて来る。


だが、ドラゴニュートの少女は止まるわけにはいかない。捕まれば殺される。今まで何もなかった生だが、何もないまま終わるのだけは嫌だった。


母が残してくれた知恵の宝珠には、美しい物がたくさん詰まっている。それを見てみたい。それに触れてみたい。それを感じてみたい。


ドラゴニュートの少女、魔王竜ティアリーズは、生まれて初めて衝動というものに突き動かされた。




      ― 2 ―




「それから、ずっと走って逃げて来た。けど、だんだん足が動かなくなってきて、意識も遠くなってきて、目の前がまた真っ暗になった。その後、気が付いたらアイクに抱き着いてた」


断片的ではあるが、ティアリーズは分かる範囲で、今までのことを話してくれた。ただ、ティアリーズが語った話の中で色々気になることがある。


まず一つ、それは――


「300年間閉じ込められてたって……?」


これだ。ティアリーズの話をそのまま信用するなら、こいつは300年間なにも食べていないということだ。それで生きている? ドラゴニュートだから大丈夫なのか? そもそも、こいつは300歳ってことか? どう見ても、13~14歳くらいにしか見えない。


「そう言われた。だけど、私には時間の感覚はほとんどない。ずっと、閉じ込められてたから、300年と言われても、それが正しいのかどうか判断できない」


そらそうだ。数えていたわけでもないだろうし、300年という時間が流れていることを、その場にいた男が言っていただけだ。


この件はこれ以上収穫はないだろう。では、もう一つ気になること。


「魔王竜っていうのは?」


これは全く知らない単語だ。魔王とその腹心である竜王は有名だが、その二つを足したような“魔王竜”というのは聞いたことがない。


「私のことをそう言っていた」


「ティアリーズは魔王竜なのか……?」


「知らない……。そう呼ばれただけ……」


これも何とも言えないことだ。魔王は300年前に倒されているし、同時に竜王も倒されている。伝説として語られてはいるが、これは事実だ。


おそらく、300年と言うのは、この伝説からきている数字だろう。司祭の服を着た男たちが、ティアリーズを魔王竜というものに見立てて、何かの儀式をしようとしていた――そう考えるのが自然だろう。


ティアリーズが嘘をついているわけではない。だが、言ってることが正確であるかというと話は別だ。間違った情報をそのまま鵜呑みにしているだけということもある。ずっと閉じ込められていたのだから、それが正しいかどうかを判断することもできないのだろう。


「邪教の集団か何かか……」


俺は推論を巡らせる。要するに、ティアリーズが言っていた司祭服の男達がやろうとしていたことは、ドラゴニュートであるティアリーズを魔王竜というものに見立てて、生贄に捧げようとしていたということ。


邪教の考えることなんて分かりたくもないし、理解もできないが、そうすることによって、奴らは楽園とやらに行けると信じているらしい。


「ところで、ティアリーズ。逃げる時に、男達を弾き飛ばしたって言ってたけど、お前は魔法を使えるのか?」


俺はまた別の質問をした。


「使える」


「ちょっと見せてもらえるか?」


俺は幼いころから剣の技を磨いてきたから、腕には自信はあるが、魔法というものに関してはからっきしだ。


だから、大の男どもを弾き飛ばすことができるティアリーズの魔法というものに興味が湧いた。


「分かった……」


ティアリーズは小さく了承の言葉を口にすると、何もない森の方へと右手を掲げた。


ボフッ……。


出て来たのは屁みたいな炎。情けない音を立てて、一瞬で消えてしまう。何とも小さな炎か。


「…………」


俺はどう声をかけていいか分からず、ティアリーズの方を見ていた。


「……今は魔力が尽きている。魔法を使うのは無理」


特に気にした様子もなく、ティアリーズが言った。


「そう……だよな。ずっと閉じ込められて、飯も食ってなかったんだし、逃げる時に使った魔力で精一杯だったよな。悪い、そこまで考えてなかった」


300年かどうかは知らないが、ティアリーズは長い間、地下牢に閉じ込められていたんだ。


逃げる時に魔力を放出できただけでも奇跡というものだろう。その後も、必死で走ってきたのだ。その状態で魔法を使えと言うのは、余りにも無責任な発言だったと後悔する。


「大丈夫。まだ時間はかかるだろうけど、魔力はいずれ回復する」


「そうだな。飯も食ったんだし、後はちゃんと寝たら――」


もう休めと言おうとした時だった、少し離れたところから、松明の光が見えた。


「なあ、ティアリーズ……。お前、まだ追われてるんだよな?」


先ほどの話を聞く限り、ティアリーズの足ではそれほど遠くには逃げて来られていないはず。となれば、当然追っ手は迫ってきているだろう。


「……うん」


ティアリーズは怯えた表情でコクリと頷いた。




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