街道を外れて Ⅰ
翌朝、俺とティアは街道に戻り、南へと向かう道を進む。
天気はあまりよくない。ここ2週間ほど天気には恵まれていたが、それも終わりのようだ。湿気を含んだ空気の匂いが漂っている。
「今日中に、キシルに着かないとな……」
「急ぐ理由は?」
そんな俺の呟きにティアが質問を投げかけてきた。
「雨が来そうなんだ」
「雨……。空から降って来る水のこと。知恵の宝珠の中に、雨の知識があった」
ティアは鉛色の空を見ながら言った。何を今さら雨のことを説明してるんだと思ったが、そうだ、ティアは300年間、ずっと暗い部屋の中に閉じ込められていた。
「雨を見たことがないか……?」
「ない。だから、空から水が降って来るという現象が、どういうものなのか見てみたい」
旅人からすると雨っていうのは厄介な物なんだが、見たことのないティアからすれば、不思議なんだろうな。
「嫌でも、もうすぐ見ることになるな。この辺りに充満している湿った匂いが、雨の匂いだ。覚えておくといいぞ」
「クンクン……。これが雨の匂い。うん、好きじゃない匂い」
「だろうな。雨の匂いって、どこか辛気臭い感じがするんだよな。こういう匂いがしてきたら、雨が来る予兆だ」
「分かった。覚えておく」
そんな会話をしながら、俺とティアは街道を歩いて行く。徐々にバルマスクに近づいてはいるが、出会う人はあまり増えない。
主たる交易路は東西に伸びている。ファリス王国の北部は山脈しかないから、行商人も行く用事がない。逆に南の方は海があるため、交易は盛んだ。そちらにはいくつもの街道が伸びている。
そして、南の地方で採れた海の幸や、船で運ばれてきた輸入品はバルマスクを経由するか、直接王都マイセンに運ばれる。
俺は早くバルマスクを通り抜けて、国外への道を進みたいのだが、如何せん携帯食料も少なくなってきたため、仕方なく街道から外れてキシルという村に向かう。
街道からキシルに向かう道が分岐している箇所がある。ただ、キシルに行く人はほとんどいないため、半分獣道みたいな場所を通る。
俺もキシルという村に行くのは初めてだから、地図を頼りに進んでいるのだが、本当に合っているのか怪しくなるほど細い道だ。
「大丈夫か、これ……」
既に、細いとかいうレベルを通り越して完全に獣道と化している道を進んでいる。草を掻き分けただけの道だ。
「地図だとこの方向なんでしょ?」
ティアは特に気にした様子もなく獣道を歩いている。こういうところは、半分ドラゴンであるティアの方が抵抗はないのだろう。
「ああ、地図を見てる限りだとな……。こっちで合ってるはずだ……」
俺は自信なく答える。誰か反対方向から人が来てくれれば、道を尋ねることもできるのだが、ただでさえ交易の少ないファリス王国北部だ。その街道から外れた所に人がいるわけがない。
それでも、俺は地図を信じて前に進む。
黙々と歩いていると、空がゴロゴロと鳴り始めた。
「何の音……?」
ティアが不思議そうに音のする方角を見る。空には黒い雲が広がっている。まるで、圧し掛かってくるような圧迫感だ。
「雷の音だ。もうすぐ雨が降り出すかもな……」
俺も雷鳴のする方角を見てみた。雨の匂いがさっきよりも濃くなっている。これは早くキシルの村をみつけないと、雨に降れらてしまうな。
「これが雷の音か……。雷は魔法で使う物だと思ってた」
魔王からしてみれば、雷は攻撃用としか思ってないんだろうな。一応自然現象としてあるものだから、その辺りは正しく認識しておいてほしい。
「雷が鳴って来たってことは、雨が強くなる可能性もある。ティア、急いで村を探すぞ」
「うん、分かった」
俺とティアは歩く速度を速めて獣道を進んで行く。
森の中に入ってしまえば、木々である程度の雨は防げるのだが、雨足が強いとそれでも厳しい。濡れることは覚悟しておかないといけない。
何よりも大変なのは体温の低下だ。木が濡れてしまっては、火を起こすこともできない。そうなる前に、枝と葉っぱを寄せ集めて屋根を作ってしまいたいのだが、あいにく今いる場所は開けた平地だ。
「ん?」
しばらく歩いてから、ティアが何かに気が付いて空を見上げた。
「どうした?」
「水滴が落ちてきた」
「水滴? ああ、それが雨だ」
「これが雨なの? 水が降って来るんじゃないの?」
ティアは納得いかないという顔で聞き返してきた。
「それも水だろ。川みたいに水が空から流れてくるとでも思ってたのか?」
「そうじゃなかったから、驚いている」
「そうだった方が驚くわ! ただ、まだ小雨だからな。本格的に雨がきつくなってきたら、びしょ濡れになるぞ」
俺は空を見上げながら言った。確かに俺の顔にも雨粒が当たっている。このまま雨足が強くなりそうな感じだ。
「びしょ濡れになるのは嫌」
「だろ? だから、キシルの村を見つけるか、雨宿りできる場所を探すか……。どちらにしろ、もっと急いだ方がいい」
俺はそう言うと小走りに足を運んだ。ティアも俺に着いて来ている。ティアはまだ俺の外套があるから、多少の雨でも問題はないだろう。それでも、耐水性などない外套だから、気休め程度にしかならないが。
それから、小走りに走り続けていると、少しずつ雨の勢いが強くなってきた。
「くっそ……。結構降って来たな……」
「うん……。もう、雨のことは分かった。止んでくれてもいい……」
そんな都合よく雨が止んでくれたら、俺だって嬉しい。
「ティア、走るぞ。これはもっと雨が強くなりそうだ」
「了解した」
俺は走る速度を上げた。小柄なティアがどこまで付いて来れるかは分からないので、その辺りは様子を見ながらになる。
だが、予想外にティアは俺の足に付いて来ている。魔法だけかと思ったが、運動能力も結構高いようだ。よく考えてみたら、ドラゴンの血を引き継いでいるからな。体力面は問題ないんだろう。
雨の勢いは徐々に増していき、ついには本降りになって来た。だけど、まだ雨宿りできる場所は見つかっていない。
仕方なく、俺とティアは走り続けると、目の前に木の柵が見えてきた。丸太を組み合わせただけの単純な作りだ。だが、これは人工物。人でなければこんな柵は作らない。
「村だ! キシルが見えてきた!」
俺は思わず声を上げた。走る速度が自然と速くなっていく。チラリと後ろを見たら、ティアもいる。この速度でも大丈夫そうだ。
そうして、ようやく村の中に入ると、入り口から一番近くにある家を見つけて、軒先に飛び込んだ。
土と煉瓦と木を組み合わせた簡素な造りの家だ。だけど、屋根があるのがありがたい。とりあえず、これで雨に打たれ続けるということだけはなくなった。
「ふぅ……。やられたな……」
俺は体についた水滴を払いながら愚痴を溢した。
「うん……。やられた……」
ティアも俺と同じように外套に付いた水滴を払っている。安物の外套だけど、ないよりはマシ。ティアは俺ほど濡れてはいないようだ。
「さてと、どうするか……」
俺は一層強くなっている雨を見ながら呟いた。今いる場所は誰かの家の軒先だ。何時までもここにいるわけにはいかない。雨が止むまで待ちたいところだが、いつになったら止むのか。俺の見立てでは、一晩中降り続けるだろうなという感じがする。
「あのぅ……、どなたですか……? 旅の人ですか?」
俺の背後から、若い女性の声がしてきた。
「あっ、悪い……。雨に降られたから、近くにあったこの家の前で雨宿りしてたんだ……」
俺は声のした方を振り向いて謝罪した。半開きの扉から、若い女性がこちらを見ている。この家の住人だろう。栗色の髪の毛を三つ編みにした女性だ。年齢は俺と同じくらいか。
「そうですか。そちらの方とお二人で?」
「ああ、そうだ。二人で旅をしている。悪いけど、暫くの間、ここで雨宿りさせてほしいんだけど、構わないか?」
「えっと……。この雨、まだまだ止みそうにありませんよ。どうぞ、入ってください。このままでは、風邪をひいてしまいます」
三つ編みの女性は、優しい口調で言うと、扉を開けて俺達を招き入れてくれる。
「おっ! いいのか? 助かるよ。俺達もどうしようかと困っていたところなんだ」
「礼を言う」
ティアも感謝の意を示しているが、その言い方だと上から目線だぞ。
幸い、三つ編みの女性は、ティアの上から口調を気にする様子はなかった。
「えっと、俺はアイク。こっちはナンシーだ」
俺は家に入ってから自己紹介をした。俺の名前はそもそも偽名だからいいとして、ティアの偽名はこれからナンシーということで通そうかと思う。
「アイクさんにナンシーさんですか。私はタニアといいます」
タニアと名乗った女性は、物腰柔らかく返してくれる。優しい人の家で助かった。心底そう思う。
「タニアさんは、その……。一人暮らし?」
俺は家の中を見渡しながら言った。あまり、こういうことを聞くのはどうかと思ったが、一緒に住んでいる人がいるなら、挨拶くらいはしておかないといけない。
「はい。去年、母が亡くなって以来、ここで一人暮らしをしています」
「そうか……。女性一人ってのも、何かと大変だろうな」
「ふふ、そんなことはないですよ。村の人は良くしてくれますから。困った時はお互い様。私がこうして、あなたを助けることも、回り回って私の助けになるものですよ」
「なるほどな。そういう考え方もあるか。嫌いじゃないな」
「ええ、私もこういう考え方は好きですよ。ですから、丁度夕餉の準備をしているところです。ご一緒にどうですか?」
タニアは微笑みながら言った。雨宿りさせてくれるだけでなく、夕飯までご馳走してくれるとのことだ。この恩が、いずれ自分にも返って来るから損はないってことか。打算的なところはあるが、最近騙され続きの俺には心に染みる。
「いいのか? 悪いな、夕飯まで――」
「いらない」
俺が返事をする前にティアが断ってきた。
「おい、どうしたんだ?」
ティアが食べ物の提供を拒むというはどういうことなのか。
「タニアが用意した食事を食べることはできない」
だが、ティアはきっぱりと言い切った。本当に何を考えているのか分からない。
「ちょっと待てよ。流石に失礼だろ! タニアは俺達を助けてくれてるんだぞ!」
いくら世間知らずのティアでも恩知らずではない。俺に対してそうであるように、助けてもらったという感謝の気持ちは持っているはずだ。
「それとこれとは別。タニアが用意した食事は食べない」
何故かティアは強い口調で言い返してきた。だが、俺に対してではない。タニアに対してだ。なんだこいつ、ヤキモチでも焼いてるのか?
「でしたら、アイクさんの分だけでも――」
「ダメ! アイクも食べたらダメ!」
ティアは頑なにタニアの料理を拒否している。ティアがここまで意固地になるのは初めて見た。
「なあ、どうしたっていうんだ? 何が気に入らない? タニアは親切で言ってくれてるんだ。俺達はそれを断る理由はないだろ?」
「断る理由はある。私達は雨宿りができればそれでいい。食事はいらない」
ティアは譲る気はないらしい。さてどうしたものか。本来なら怒るところなんだろうけど、ティアが拒否している理由も分からないまま怒るというのもどうかと思う。
「すまない、タニア……。折角の厚意なんだが、連れがこの調子なんでな……」
「いえいえ、お気になさらずに。それよりも、お疲れでしょう。奥の部屋を使っていただいて結構ですよ」
タニアは特に気にする様子もないようだ。それは非常に助かる。
「何から何まですまないな……」
俺は一言礼を言うと、ティアと共に奥の部屋へと移動した。




