「神様のおつかいすずめ」
神様のおつかいすずめ
「朝だぞう」
おひさまの声が、空いちめんにひびきわたると、それを合図に、花も木々も鳥たちも、みんないっせいに目を覚まします。
はちみつ色の空に向かって、白いすずめのオチュンは、今朝も元気に羽ばたき始めました。
チ、チ、チュルレ、チュルレ
秋が深まり、少しずつ風が冷たく感じられるものの、空気はさわやかに澄み切っています。
行き交うすずめやカラス、寒そうに裸の枝を広げる木々たちに、おはようのあいさつを交わしながら、オチュンが目指す場所は決まっていました。
木々に囲まれた児童公園の真向かいに建てられた三階建てのアパート。
最上階のベランダには、いつもオチュンの大すきなパンくずやビスケットのかけらが置かれているのです。
そろそろ、そこにたどり着こうかというときでした。
―オチュン、オチュン、すぐに天上に上がりなさい。
心の中に、神様の声が流れてきました。
はて? オチュンは小首をかしげました。
(こんな朝早くに呼び出しを受けるとは……もしかして、何かしかられるようなことをしたかしら……)
少し不安になりながらも、オチュンはいちもくさんに、神様の待っておられる天上界へと昇っていきました。
白いすずめは数えるほどしかいない神様のおつかいすずめです。
おつかいすずめは、ふだんは、ほかのすずめたちと交じって過ごしているのですが、天上界からの神様の声は彼らの心にしか聞こえません。お呼び出しを受ければ、何をさておいても、神様のもとへとかけつけなければならないことになっていました。
神様はときどき、大切な用事をおつかいすずめに託すことがあります。もっともそれを引き受けるのは、年上の先輩すずめたちが多く、これまで若いオチュンに、大切なおつかいが任されたことはありませんでした。
白い装束に身を包み、豊かなあごひげをたくわえた神様は、ふわふわした雲のソファ―に座って腕を組み、じっと目を閉じておられました。
おずおずとオチュンが近づいていくと、静かに目をあけ、ここへおいでと手招きされました。
「朝早くすまなかった。オチュン。ほかでもないおまえに、大事な話があってな」
「はあ……大事なお話?」
「おまえをわたしのおつかいすずめと見込んでの話なのだ。聞いてくれるかな」
小さなからだをコチコチにして、かしこまっていたオチュンでしたが、どうやらしかられるのではないとわかると、少しだけ気持ちが和らいできました。
「いったいどういうお話なのでしょう?」
オチュンは神様の足元から、そっとお顔を見上げました。
「これを見てごらん」
神様は装束のたもとから、大事そうに白い小さな箱をとりだしました。
「その中には何が……?」
「心なんじゃよ」
心ということばは、オチュンも知っていました。自分たちに話しかけてくれる人やパンくずをくれる人。仲間たちはそういう人を「優しい心の人」と呼んでいますし、逆に、自分たちを追いはらったり、怒鳴りつけたりする人を「意地悪な心の人」と呼んでいました。
「それは、いったいどんな心なのでしょうか」
「これから生まれ出る心なのだよ」
神様は、そっと箱のふたをあけました。
とたん、オチュンは思わず目を閉じずにはいられませんでした。
箱に納められている心は、オチュンがそれまで見てきた白いもの……たとえば、自分たちの羽や、雲や雪や、神様の装束などとは、まったく、くらべものにならないほど白くまぶしい光が放たれていました。
「どうじゃ。美しいであろう。生まれ出る前の人の心というものは」
箱にふたをすると、神様はオチュンを見つめて、こう話しました。
「人はこの世に生まれるときに、命とともに心を授かる。それはわれわれからの特別な贈り物でな、生まれた赤ちゃんがオギャーと産声をあげるのは、命と心がぴったり合わさった瞬間なのじゃよ」
つぶらな瞳で神様を見上げ、一生懸命に話に聞き入るオチュンでした。
神様はさらに話を続けました。
「それで話というのはだな、オチュン。もうしばらくして生まれ出てくる命のもとに、この心を届けてほしいのじゃ」
「こ、このぼくがですか?」
とつぜんのことに、オチュンは思わず腰がぬけそうになりました。
「わしが選んだおつかいすずめはおまえなのじゃ。ほかにはだれもおるまい」
「ですが、ぼくにはまだ、そんな大それたおつかいは……」
「最初のおつかいは、だれもがそう感じるものじゃ。勇気を出して引き受けてほしいのだが」
神様に、にっこりと微笑みかけられると、オチュンはうなずくしかありません。
「それで、ぼくは、いったい、いつ、だれのもとへ、そのおつかいをすればよいのでしょうか?」
「帰ってごらん。すぐにわかる」
神様は意味ありげに、そうこたえました。
「ああ、大変なことになったぞ……」
下界へと降りたオチュンは、毎朝欠かさずやってくるアパートのベランダにやってきました。
今日は、窓が開いて、窓際の机の上から大きな瞳がオチュンを見つめています。
窓から入る風に、その瞳は時々ゆれて、コロリンコロリンとかわいらしい音色を響かせています。
「白いすずめさん。どうしてそんな悩んだ顔をしているの?」
大きな瞳が語りかけてきました。
「きみ、だあれ?」
「わたし、起き上がりこぼしのチャチャよ。この家の美希さんに生まれる赤ちゃんのために、昨日ここにやってきたの」
美希さんは、毎朝、オチュンのために、パンくずをまいてくれる女の人です。
「赤ちゃんのため? 美希さん、赤ちゃんが生まれるんだ!」
「そうよ。もうすぐ。美希さんはね、うちのベランダに来てくれる白いすずめが、大きな幸せを運んでくれそうって、すごく喜んでいるわよ」
「ぼくが?」
オチュンの胸はうれしさにふるえました。
「白いすずめは神様のお使いなんでしょう?そんなにちっちゃいのに、人に幸せを運べるなんてすごいわよ。だから悩んだ顔なんてしてちゃだめ」
チャチャは、オチュンを励ますように優しい音色をたてました。
その音色に包まれ、オチュンは決心したのでした。
「神様がおっしゃったとおりだ。ぼく、おつかいすずめとしてがんばらなきゃ」
十二月に入ると、毎日のように木枯らしが吹き荒れる日が続きました。
白い羽をまるくふくらませ、オチュンは毎日美希さんのベランダを訪れました。
このころの美希さんのお腹は、ますます大きくなり、新しい命が生まれるときが、目の前にせまってきていました。
「わたしったら毎日そわそわしてるのに……。美希さんはさすがおかあさんになるのね。落ち着いたものだわ」
チャチャは感心したように、美希さんを見守っています。
実を言えば、オチュンもチャチャと同じくらいに落ち着かないのでした。神様のおつかいすずめとして、大事なおつとめを果たす日が、だんだんと近づいてきているのです。
「落ちつけ! 落ちつけ」
オチュンは、美希さんの幸せそうな表情を見つめながら、思いきり自分に気合いをいれました。
その日は、朝からなまり色の雲がいちめんに空をおおっていました。
どんよりとした空を羽ばたくオチュンの耳にとつぜん神様の声が聞こえてきたのです。
―オチュン、いよいよだ。さあ、おつかいをたのむよ。
オチュンの小さな胸がとくとくと鳴り始めました。
ついにやってきたのです。
オチュンが、初めて大きなおつかいをする日が……。
天上界に昇ると神様は前と同じ、雲のソファーに座って、オチュンを待っておられました。
神様の両手に握られた箱は、以前より少しふくらんでいるようにオチュンには感じられました。
「さあ、オチュン、この中を見てごらん」
神様が箱のふたをあけられたとたん、オチュンは思わず、あっと声をあげたのです。
そこには、一点の汚れもない、輝くばかりの純白から、うっすらとバラ色に色づき、以前よりも大きく、柔らかくふくらんだ心が納められていました。
「母親がどんなに自分の誕生を待ち望んでくれているか、心にはわかるのだよ。母親の心と赤ちゃんの心の、目に見えない不思議な繋がりじゃろうな。まだ生まれ出ないうちにこんなにもすがたをかえてきておる」
神様は愛おしそうに、箱の中の心を見つめていましたが、すぐに厳しい表情になりました。
「しかしな、オチュン、これからが大事なのじゃ。今日の夕方五時までに、この心をおかあさんのもとに連れていっておくれ。もしも、もしもその時間に一秒たりとも遅れてしまったら……」
「遅れてしまったら……?」
オチュンは、そっと神様の表情をうかがいました。
「心はただの石になってしまう。命と心がぴったり合わなければ、もう手のほどこしようがなくなってしまうのじゃ。だから……たのむぞ。くれぐれもよろしくたのむ」
「わかりました。行ってまいります」
オチュンは、心が納められた白い箱を首にかけ、灰色の空と飛び立っていきました。
北風は、ピュルル、ピュルルと大きな口笛を吹き続けていました。それに誘われるかのように、次々に大きな雪雲がやってきては空をおおい、雪の子たちが大喜びではねまわっています。
冷たい空気が針のようにオチュンの体を刺してきますが、オチュンはますます羽をふくらませました。
「負けるもんか! ぜったいに、ぜったいに心を美希さんのもとに連れて行かなきゃ」
オチュンは必死に羽ばたき続けました。
ようやくオチュンは、美希さんのアパートに近い病院へとやってきました。美希さんは、いつもこの病院に通っているのよと、前もってチャチャが教えてくれていたのです。
「よかった。時間にはまだだいぶ間があるよ。さあ、いよいよだからね、心ちゃん」
元気な産声が響きわたった瞬間、美希さんはどんなにうれしいことでしょう。
「これで、ぼくもおつかいすずめとして一人前ってわけだ」
オチュンは小さな胸をほこらしげにはってみせました。
それからしばらく時間が流れました。
自信満々で、そのときを待ちつづけたオチュンですが、だんだん不安になってきました。
その病院はカーテンもぴったりと閉ざされていて、まったく人の気配がないのです。
「チャチャ、どこにいるの?」
もしかして、どこかにチャチャがいるかもと思い、オチュンは声をはりあげましたが、何の返事もありません。あたりはしんと静まりかえって、ただピューピューと北風の口笛だけが聞こえてきます。
「おかあさんはここじゃないよ」
コトリと音がして、箱の中から、かぼそい、かぼそい声が聞こえました。
オチュンは、ハッとして、すがるように箱に耳をあてました。
「心ちゃん、おかあさんのいるところ、わかるの?」
「わからない。でも、もっと遠くにいるような気がする」
ああ、なんということでしょう。
オチュンは美希さんが今どこにいるのか、見当すらつかないのです。ゆいいつの頼みのつなであるチャチャですら、ここにはいません。
「神様!」
オチュンは天上界に向かってさけびました。これから天上に引き返すには、もう時間がありません。
時おり、うっすらと姿をみせる冬のお日さまは、一刻も早く帰りたがっているかのように、西の空をじわじわと傾いていくのです。
あてもないまま、オチュンは飛び続けました。止まって考えている余裕はありません。
「心ちゃん、お母さんはもっと遠くかしら?」
オチュンが今たよりにできるのは、箱の中の心だけでした。
「もっと遠くのような……」
消え入りそうに元気のない声が箱の中から返ってきました。もう何時間も寒いところにいて、疲れてしまったのかもしれません。
「がんばって。心ちゃん。きっとおかあさんが待っているところに連れていってあげるからね」
オチュンは、力をふりしぼるように羽ばたきをつづけました。
美希さんの愛でバラ色に息づき始めた心。
どうして今さら石ころなんかに変えられるでしょうか。
けれどもオチュンの気持ちなどお構いなしに、お日さまは山の端近くに降りていきました。
雪の子たちは、わざと意地悪をするようにオチュンの視界をさえぎります。
どのくらい飛び続けたでしょうか。
オチュンはふと、首にかけた箱が重くなり始めているのに気がつきました。
「心ちゃん、心ちゃん!」
「う……ん」
前よりずっと小さく、か弱い声です。
もしかして、石にかわりはじめたのでは……。
オチュンは打ちひしがれた気持ちになりました。
「ごめんなさい。神様。ごめんなさい。美希さん」
がっくりと首をたれた、まさにそのときです。
―心ちゃ―ん! ここよ。おかあさんはここよ。早く来て!
苦しげな息づかいとともに、美希さんの声がどこからともなく、オチュンの心に聞こえてきたのです。
それは、箱の中の心にも伝わったようでした。
箱が、再びコトリと動いて、
「おかあさんだ! 」
元気そうな心の声が聞こえました。
「オチュン、下をみて」
そのとおり下を見やると、真下に病院の看板があり、カーテンの空いた病室から、チャチャが、心配そうな瞳でこちらを見上げているのでした。
「心ちゃん、今、おかあさんのところに行くからね!」
オチュンはありったけの力をふりしぼって下へ下へと羽を動かしました。
―早く、早く!
美希さんの声がします。
「おかあさん、おかあさん!」
箱の中から心がさけびます。
その時、オチュンは気がつきました。
箱がどんどん軽くなっていくことに。
窓の近くまで来たそのときでした。
ピカッ!
箱がひときわ強く輝いたかと思うと、紅色の光が、オチュンの胸からはじけるように飛んでいったのです。そしてほぼ同時に。
「オギャー」
北風も雪の子も吹き飛ばしてしまうくらいに元気のいい産声が、オチュンの心に流れ込んできたのでした。
「やったわ! 生まれたわ! 美希さんの赤ちゃんが……」
ぷっくりとふくれたチャチャのほおが、赤く染まっています。
全身の力が一気にぬけて、オチュンは地面にへたり込んでしまいました。
やがて、オチュンの心に、天上界から神様の優しいささやきが聞こえてきたのでした。
―よくやった。オチュン、ご苦労さん。すばらしいおつかいすずめだったよ。どうもありがとう。