第三話 旅立ち
ある日の未明、誠子はリュックに荷物を詰め込んでいた。由美江に会いに行くための旅支度だ。——誠子は旅行をしたことが一度もない。小学校、中学校の修学旅行には参加せず、由美江と二人で自習をして過ごした。
「え〜と、お財布と、ハンカチと、鏡と、くしと、漫画と、おやつと……」
「バカッ!余計なもんは持っていかんでいい!身軽に動けるようにしろ」
リュックいっぱいに詰め込まれた荷物を見て、ジャックはため息をついた。「お前はパッキングもまともにできねーのかよ」と言うと、“余計”と判断したものを次々と放り出した。
「あ、おっちゃん!それは持って行きたいの!」
誠子はそう言うと、ジャックが持っていたスケッチブックを取り返した。
「お前なぁ〜?スケッチブックなんて“余計”なもんの最たる例だろうが!でかいし邪魔だ!置いて行きなさい」
「お願いぃ。お絵描きって私の唯一の楽しみなんだ。由美江がいなくなって、その上お絵描きまでできなくなったら、私死んじゃうよ」
誠子はスケッチブックを抱きしめると、「お願い!」と懇願した。ジャックはわがままを言う小娘にほんのちょっぴりイラついたが、すぐにその願いを聞き入れた。「誠子がこれほどスケッチブックに執着を示すということは、少なからず能力に関係しているのではないか」と思ったからだ。
「おっちゃん、見て見て。結構上手だと思わない?これ、オリジナル。ユニコーンのうにちゃん」
「ヘタウマ系って感じ……。いいからさっさと荷物をまとめなさい!」
*
ジャックはフランスの小さな港町で生まれ育った。美しい海に囲まれ、幼いころから海に親しんで成長した。ジャックの祖父は漁師だった。祖父が漁を終えて帰ってくると、食卓には立派な魚料理が並んだ。美しく、豊かな恵みを与えてくれる海に、ジャックは畏敬の念を抱いていた。
やがてジャックは料理人としての道を歩み始めた。祖父が獲ってきた魚を調理し、祖父や家族に振る舞うのが楽しみだった。週末には早起きをして海へ行き、日の出を眺めていると心がクリアになった。ジャックや家族の生活には、常に海が寄り添っていた。
そんなある日、ジャックは不思議な記憶とともに能力に目覚めた。記憶は断片的ではあるものの、はるか昔、どこかの国で女王に仕えていたことを思い出したのだ。同時に、ジャックは水を自在に操ることができる能力を得た。
記憶と能力にどのような繋がりがあるのか理解できないまま数日が過ぎたころ、自宅でくつろぐジャックの前に、見知らぬ男が突如現れた。慌てふためくジャックに対し、男は「同胞よ。君を迎えにきた」と言った。
「お前……もしかして、昔の……」
「今生ではルカというよ」
ジャックはルカに水を披露して見せ、「これって一体なんなんだ?あとお前はどっから入ってきたんだよ」と問うた。ルカは「その水はきみの心だよ」と笑った。
「きみのその水や私のサイコキネシスは、それぞれの人生に強く影響を受けているのだよ。美しい思い出であったり、あるいはトラウマであったり……。心を捕らえて離さないものが、能力として発現している。仕組みは分からないがね」
「……」
「そして我々はこの能力で女王を守り、敵を討つ。かつての敵共も、すでに目覚め始めている。おそらく我々と同じ能力を得てな。一刻も早く同胞たちを保護し、目覚めさせ、敵の戦力を削ぐ必要がある」
「えっ戦争すんのかよ」
「そのために我々は転生したのだからな!そこで、きみには未だ目覚めていない同胞たちの保護を頼みたいのだよ」
「いやちょっと意味が分からん。待ってくれ」
「詳しい話は後にしてくれたまえ。いきなりで悪いが、女王のもとへ飛ぶぞ」
*
ジャックと誠子は空港行きのリムジンバスに揺られていた。「これからの予定を言うから、よく聞いとけよ」とジャックは言った。「空港に着いたら、まず中国へ飛ぶ。仲間が言うには、そこに能力者の気配を感じるそうなんでな」
「どこにいるのか分かるの?」
「能力者同士はある程度お互いを感知できるんだよ。俺には海外ほど広範囲の感知は無理だがな。だが味方なのか敵なのかは分からん。行ってみてのお楽しみだな」
「えと、もし敵だったらどうするの?」
「敵なら殺す。味方なら保護する。それだけだ」
「殺す!?」
「そうだ。お前は由美江に会いに行く遠足気分なのかも知れねーが、これは遊びじゃねーからな。割とマジにやばいぜ。……まあいずれ目覚めれば説明するまでもなく分かることだが」
誠子は、ジャックから目をそらした。自分はただ由美江に会いたいだけなのに、ズルズルと訳の分からない方向に連れて行かれるのが恐ろしかった。生まれ育った街の景色が、車窓を流れていく。空港は、もうすぐそこだ。