第12節 使用人達の恋愛事情その2
ちょっと、本当にほんの少しだけ、アダルトな回です。
~Side ホノライ~
「はぁ……」
大きな溜息が漏れるのは仕方がないとホノライは思う。
二人が仲が良い事は喜ばしい。だが幼いノハヤを拾い育てて来たつもりのホノライとしては複雑な心境だった。思い出すのはあの日、路地裏で見つけたみすぼらしい少年。汚れて痛んでいた髪は洗うと見事な金色で柔らかく、寂しいと言ってホノライに抱き着いて泣く寝間着の彼を膝に乗せては櫛で髪を梳いた日々。
(父親の様な気持ち、なのだろうか……)
巣立つのが寂しいのか、自分がこの年で独身なのが虚しいのか、それとも仕事中の上司と同僚に困っているのか何なのか。
はっきりと答えが出ずモヤモヤしているのは確かだ。
(いや、それだけではないな)
原因の半分、否、寧ろこちらが殆どを占めているかもしれない。ホノライは先日トーコが見せた怒りと、萌黄が結ばされた一方的な契約が脳裏から離れないでいた。
素直にトーコを恐ろしいと感じた。圧倒的なまでの神力の器、強さ。人では成し得ない神の力の領域。
トーコが特別な事は元から解っていた。神力を分け与えたり、己が精霊を身の内から出したりと、凡そ常人では及ばない域にいる光景を目の当たりにしていたからだ。
しかし何よりホノライが納得出来ないのは、トーコがホノライだけなぜあの光景を見せたかという事。
(信用されていない……)
同じ名前を貰い、家族だと言われながらも、信用にはまだ値しない。それはトーコの元で生きる事を決めたホノライにとって、人生最大の大事であった。
今更帰る場所はない。師団は兎も角、家にノハヤを連れて戻ったらどうなるか考えただけでも恐ろしい。今度こそノハヤは兄に光に還されるだろう。勿論この森から帰れる実力もないのだが。
「やぁねぇ、朝から溜息なんて辛気臭いわよぉ?」
「クレナイ様、おはようございます」
「はぁい。昨日もよく眠れたかしらぁ?」
「はい、これもトーコ様とクレナイ様が毎夜ここを守って下さるお陰です」
「ふ~ん?」
大して興味もなさそうに、紅がホノライに返答する。それでもホノライには二人で会話が出来る貴重な時間だった。
「今日はどちらへ行かれますか?」
「そぉねぇ……あっちにしましょ」
紅が指したのは南。何時も通り、グリーセントメリベの入り口の方面。北に比べれば魔物の数が少ない方角だ。毎朝ホノライはトーコの神力が及ぶ範囲で屋敷の敷地から離れ、紅とヨモギと共に森で狩りを行う。
食料の調達と、使用人として少しでもトーコの戦力になるよう訓練する事。それが今の自分に課せられた仕事だとホノライは認識していた。そしてトーコの信頼を得る唯一のチャンスであるとも。
(いくら易しい南を選択頂いているからと言っても、心してかからねば……)
「そんなに意気込む事もないのにぃ」
「そうは参りません。気を抜けば私など一瞬で光に還ってしまいますので」
トーコの事も勿論だが、ここは元神獣の棲み処。恐ろしい魔物の跋扈するグリーセントメリベの中央だ。紅やヨモギの訓練で強くなっているとはいえ、平凡な兵士である自分の実力もホノライは良く分かっていた。
屋敷の敷地を囲んでいた巨木がひとりでに動き出し、此方側に倒れて堀へ橋を架ける。勿論土を媒介して敷地を監視している蘇芳が屋敷の中から行っていることだ。
敷地をぐるりと囲む堀にはヨモギの眷属であるンルザントがうようよ泳いでいる。トーコから使用人には危害を加えないから安全だとは言われているが、遊びで水の中に引きずり込まれただけでホノライは光に還ってしまうし、火を吹いたり空を飛んだりする大群だ。触らぬ神に祟りなしとばかり、ホノライは一礼だけして橋を渡った。
「じゃぁ、行きましょうか」
紅の目が変わった。さっきまでののんびりした甘い言葉は鳴りを潜め、武神の顔が現れる。
「はい」
ホノライは槍を持ち手に力を入れた。ズシンズシンと後ろからヨモギの振動が聞こえて来る。
ホノライは集中し、水の波紋を広げる様に森の気配を読む。ヨモギが橋を飛び越え、巨木が起き上がり元通り屋敷みっちりと囲い込むのと同時に、ホノライは一つの生物の気配を感知した。
「行きます」
「いつでも!」
紅の好戦的な返事に、ホノライは一気に森へ駆け出した。
「ほらほらどうしたの!?もっとやる気を出しなさいよ!」
「ぐっ!!」
「光に還りたいの!?もっと跳びなさい!力で無理なら勢いを付けなさい!!」
「はっ!!」
汗が飛び散る。目に入ったが拭っている暇などない。襲ってくる巨大な生き物は猿の様な手足と尾を持ち、猪の様に丸々とした巨体で突進してくる。何、と言われてもホノライも初めて目にする生き物で、弱点や対応策など知りはしない。
だがこれだけは確実だ。本来ホノライ一人では太刀打ちなど到底出来ない強者。これは紅とヨモギが周りの恐ろしい魔物を蹴散らし牽制し、御膳立てしてくれて初めて訪れる絶好の実戦経験の場所。それがどれ程恵まれた環境か分からないホノライではない。
「がはっ!!」
敵の投擲を避け切れずわき腹を思いっきり強打し、背中から背後の巨木に叩き付けられる。視界がちかちかする。意識がもうろうとする。脳震盪だろうか。
間髪入れず猿の尻尾がホノライ目掛けて振り払われる。狭い森の中の空間だ。周りの木々をなぎ倒しその尾がホノライに直撃する寸前で、空から降って来た炎の矢が突き刺さった。
「グギィィィィィィィ!!!!」
空気が振動するほどの嘶きで、ホノライは覚醒し身を起こす。上空では紅が此方を楽しそうに見ている。
(クレナイ様!!)
ヨモギが走り回っている姿が木々の向こうに見え隠れする。そしてホノライを狙う別の生物の気配。周りの状況に少しだけでも気を配れる様になったのは最近だ。
ホノライの視界が半分黒く覆われる。恐らく頭を切ったのだろう。流れた血が目を覆ったのだ。
「ガァァァァァァ!!!!」
獣が叫びながら炎の矢を無理やり引き抜き、ブワッと闘気を放った。空気の波がホノライを襲う。そして次の瞬間に獣はホノライ目掛けて一直線に向かって来た。
(押し潰す気か!!)
ホノライは反射的に跳んだ。有りっ丈の水の神法を足元に放ち、勢いで自らを空に持ち上げる。同時に相手の足場を少しでも崩し、勢いを殺す。
しかし、敵も飛んだ。神法を放つ事のない生き物ですら、人とは比べ物にならない脚力がある。ましてや相手は巨大なのだ。
迫る獣。ホノライは跳んだはいいが、トーコ達の様に空を飛べる訳ではない。
(後一歩!後一歩だ!!)
脳裏に浮かぶのは紅の姿。何時も興味のなさそうなふりをしてホノライを導いてくれる戦いの女神。戦闘の高揚感は最高潮に達し、脳裏を埋め尽くしていく。
ホノライは渾身の力で持っていた槍を投げた。猿の目を目掛けて。
(刺され!!)
昏倒すると知りながら、無意識に体がセーブした僅かな残りの神力を意識的に槍に乗せて。
落下する自分の背後に大樹があるのも計算出来た。後は自分の神力がこの化け物に勝りさえすれば槍は刺さる。
混濁する意識の中、ホノライも獣目掛けて落ち始める。
(刺され……)
ホノライが最後に目にしたのは、あっけなく自分の槍が猿の手に薙ぎ払われ、大きく口を開ける姿だった。
「まぁ合格か」
ホノライが気を失った瞬間、空から幾重もの炎の矢が降り注ぎ、猿猪は一瞬にして地面に叩き付けられた。
「ギャァァァァァァ!!!!グギャァァァァァァァァァ!!!!!」
劈く様な悲鳴は紅には何の効果も及ぼさない。地に縫い留められた巨体は手足が切り離され、血しぶきを上げる。
紅は切断部を手早く焼いた。ここで絶命されては全てが光に還ってしまう。この状態で繋がりが切れるのを待てば、本体が光に還って消えても離れた手足は残るのだ。こうして肉は採取される。
空から落ちて来たホノライをヨモギがパクッと上手い具合に銜え、地面に下ろす。
「さてと、じゃぁ私は一仕事して来ましょうかぁ」
叫び声のおかげで周りの獣が散っていく。念の為ヨモギにホノライを守らせ、紅は飛んだ。
「今日もあるわねぇ」
目的は無断で侵入して来た冒険者やら盗賊が持つ剣や鎧。勿論持ち主の姿はない。ここはそう易々と踏破出来る森ではない。
一通り欲しい物を漁った紅は、神法で新たな貴金属を形成する。
「少しだけど、素敵な物が手に入って良かったわぁ」
最近はトーコが引き籠っているせいで実入りが少ない。ならば自分で調達するしかない。ホノライの気持ちとは裏腹に、紅が進路を南に取るのはこれが主な目的だった。
「さてまだ時間に余裕もあるし、玩具で遊びましょ」
目を覚ましたホノライは、柔らかな感触に身体を動かした。顔を沈み込ませ、掌でも感触を楽しむ。
「あんっ」
「…………クレナイ様……本日もご指導ありがとうございました」
少し顔を赤らめながら、それでも平静を装ってホノライが紅の胸から手を離す。膝から頭を起こし、のろのろと立ち上がって敬礼した。
「お手数をお掛けして申し訳ございません」
「気にする事ないのにぃ」
離れるのを許さないとでも言う様にホノライを背後の木に押し付け、紅は身体を密着させて行く。ホノライはまだ意識が戻った程度で抵抗する気力はなく、薄い布を纏っただけの紅にいいようにされている。
「私が強くなれるのも、こうしてクレナイ様が機会と助言をくださるおかげです」
「今はそんな話良いじゃない」
「そうは参りません。感謝は素直に言葉にしませんと」
言葉にしないと紅には分かってもらえない事をホノライは解っていた。
紅は瑠璃の様に直接言葉で指導したりはしない。しかし何時も戦いの中でヒントをくれた。今日もあの化け物の倒し方をしっかり教えてくれた。ホノライは助言通り跳び、紅の行った通り様に空から武器を投げただけ。
「貴方を強くするようトーコ様に頼まれてるものぉ」
「私はトーコ様の……ご期待に、応えられているで……しょう、か……」
戦闘の高揚感が冷めやらぬ内に、今度は下半身に熱が宿り、ホノライの呼吸は荒くなっていく。紅の手があらぬところを弄ぶ。
「クレナイ……様……」
「あまり時間もないのだし、今はトーコ様の事は忘れて、ね?」
時間とともに回復する神力に寄って、ホノライの身体にも自由が戻って来る。そしてホノライは自らの力で紅の腰を抱き寄せた。
「私にもっと力があれば……」
二人の顔が近づいて、重なる。
ミィやノハヤだけではない。ホノライにも求めているモノがある。そしてそれは余程困難な道の先にある。
遊ばれているだろう事はホノライには解っていたし、この思いが成就する未来などまったく見えてこない。それにこれは戦闘の高揚感を繰り返す事によっておこる、一種の洗脳の様なもであるのかもしれないと自覚もしている。
しかし、本気になってしまった自分の気持ちは止められない。
ホノライにはそれも分かっていた。




