第5節 商談と言う名の何かその1
執務室の内装イメージは、第一章の「資料 第1章までの設定【用語等】」から若干確認出来ます。
地上に招き入れると、二人は予想通り屋敷の豪華さに恐れをなしていた。時間もないのでさっさと執務室に誘導し応接セットの二人掛けのソファーに座らせて、私も何時もの定位置、応接セットから数段高いところにある自分の執務机に腰を掛ける。勿論付属の椅子にだ。格好付けて机に座ろうものなら瑠璃から水の定規が飛んで来たに違いない。
瑠璃が私の右斜め後ろに立ち、萌黄は私の左横にくっ付いている。蘇芳が本棚の前、紅はマントルピースの前に立つ。後学の為に同席させたホノライとノハヤは扉の脇に立っている。
「紅、ヨモギと荷馬車大丈夫かしら?」
「見てきま~す」
「荷馬車には手を付けない様に。お願いね」
「はぁ~い」
若干不安になって紅を外へやる。念の為に釘をさしておくのも忘れない。紅は前回エルザーニスの持って来た金品を勝手に溶かし、檻にしていた前科があるのだ。しかし他に適切な人材もいなかった。慢性的な人手不足である。何故か望まない捕虜だけが放っておいても増えて行く。儘ならないものだ。
「ガダール、一緒に行って見て来てくれない?」
ガダールが無言で退室した。
何となく、紅とガダールがお互い監視してくれれば良い。まぁいくら英雄と言えど人である彼が精霊と神獣に敵うとは思わないが、どちらもまだ全面的に信用するには足りないので、話し合いをあまり聞かせたくないと言うのもある。
ミィが緊張しながら、私とお客様にお茶を配ってくれる。
「必要なくない?」
「いいのよ」
二人の客の前に置かれたお茶に文句を言う萌黄をやんわり制する。瑠璃も同じ事を思っているだろう事は容易に想像出来るが、私としては二人がお茶でも飲んで落ち着いてくれればありがたい。不必要に緊張されてはかえって迷惑だ。まぁヲールを見るに時既に遅し、という感は否めないが。
(私も敵の本拠地で出されたお茶なんて怖くて飲めないしね……)
出したのは勿論ただのお茶だ。交渉する為二人の正面に腰掛けた山吹がどうぞと進めるが、今のところカップを手に取る様子はない。それとも見栄を張ってカップをガラス風に水で創ったのがいけなかっただろうか。
(実際のところフィユカは何処まで聞いているのかしら)
青い顔をしつつも真っ直ぐ壇上の私を見上げているフィユカ。俯いて震えているヲールとは大違いである。
「ヤトーは元気?」
「…………ご要望通り、商業ルートの変更手続き中でございます」
言葉が出るのにやや時間は要したが、フィユカは私を見てはっきりとそう口にした。
ヤトーが今回の無茶ぶりをどう説明しているのかは分からないが、精霊契約では、故意に私を害する事を禁じている。
私の期待に応えてくれていたらその内首輪も外すと言ってあるし、ヲールが無事なのだから、フィユカは私が不利益になる様な情報は持ち合わせていない筈だ。
(私のお願いだって、確信してるのね。小娘を舐めてるって風でもないし。怖いなぁもぅ)
此方の様子を見て、ここのヒエラルキーを正確に把握している。想定していたより彼女は敏いのだ。
それでいて私の言葉に怯まないのは中々に凄い、とフィユカの強さを更に上方修正する。
(中級市民だから大丈夫だなんて、誰が言ったのかしら……)
逆恨みつつ入り口付近の使用人三人に視線を向けると、「トーコ様」と小さく瑠璃から注意が入った。
外部のものと話をする時は本心を悟らせてはいけない、情報を与えてはいけない、と最近教養の時間にホノライから散々言われているのだ。
木材団地での事もヲールや師団の怯え様も、フィユカが一番冷静に見ていたから、ヤトーから何処まで聞いているか聞いたら素直に答えてくれそうなのに、それではダメなのだ。
高貴なものになりたい訳ではないが、こうした貴族らしい回りくどいやり方が、今後自分の身を守るかもしれないので目下実践中である。
人間の些細な変化や機微に一々反応しない精霊達は、相変わらず完璧なポーカーフェイスを保っていた。私と話をする時に反応を返すのは、反応を返せと言われているから真似をしているに過ぎない。
(力関係だけじゃなくて、フィユカは神力でこちらに敵わない事も勿論気付いているわよね?)
「ではフィユカ、ヲール」
山吹に名前を呼ばれて二人に緊張が走る。明るいところで見るヲールは更に血の気が引き真っ青で、今にも卒倒しそうである。
(絶対受けだな)
等と私が不謹慎な事を考えると、またしても瑠璃の神力が背中に刺さる。
(背後の気配を悟れるなんて私も成長したもんだわ)
「後になさいませ」
(後なら良いの!?)
瑠璃が初めて折れた!ちょっと興奮していると、山吹がさっさと交渉を始めていた。
「私山吹がこの商談を預かる。全てのやり取りは私が行うが、先に忠告しておく」
(……………………忠告?)
思いも寄らない滑り出しに、思わず言葉が口から出そうになった。嫌な予感がする。
「我が主、この神獣の森を統べる魔女は嘘偽りを嫌う。謀も駆け引きも、ましてや我々を出し抜き説き伏せる事も出来るとは思わぬ事だ」
(山吹~~~~~!!)
ヲールの血色がスーッと音でも立てるかの様に引いて行き、見る間にソファーの上に倒れるのをフィユカが慌てて受け止め、そっと寝かせる。明らかにフィユカも震えていた。
出来るだけ穏便に、と言う私の希望は早々に打ち砕かれたのである。
(脅してどうするのよ!!)
山吹に他意がないのは解ってはいる。しかし、無表情で淡々と、圧倒的に強い立場からそんな事を言われたら、受け取る方はどうとるか。裏がなくても深読みし、発言できなくなってしまうではないか。見る限り彼等は善良なただの市民なのだ。
そしてそもそも駆け引きなしとは商談なのだろうか。私は適正価格で取り引きがしたいとはおもっているが、彼等にそれなりの旨味があっても良いと思っている。そうでなければ良い商売が、ひいては今後の円滑な関係が築けないではないか。末永く付き合う事を考えれば、Win-Winでなければならないのだ。
方針自体は昨日散々打ち合わせした筈であったのに。
(始まる前から何て事してくれるの!!)
山吹に任せた事を後悔し始める。しかし瑠璃に頼んだところで同じだったであろうし、それ以外なら更に良くない事になるのは目に見えていた。
(選択肢がない!早く人間の従業員に育ってもらわないと困る!!)
私が切実に人材育成に取り組もうと決意していると、ノックが聞こえた。
「萌黄」
私の指示とほぼ同時に、風が扉を開ける。ガダールである。
「何?」
「紅が荷を運んだ方が良いのかと」
ガダールがお使いに来るとは、二人の間で何があったか若干気になるところではあるが。
「蘇芳、荷馬車の商品を全部持って来てくれる?荷馬車は壊さないようにね」
「畏まりました」
蘇芳の後ろ姿を見送って、不図荷馬車を思い出す。
(そう言えば、蘇芳はどうやって土の箱を落としたんだろ)
土の箱を地下に落とす時、器用に荷馬車だけ庭に残してくれたのだが、私があれをやろうとすると、土の神法の他に恐らく風の神法も使用しなければならない。土だけだと多分辺り一面、荷馬車も荷物も砂だらけになっただろう。
(萌黄が力を使った様子はなかったし、後で蘇芳に細かいイメージを聞いて置かなきゃ。ヒントは多い方が良いし)
神法はイメージ出来れば使える。イメージ出来なければ使えないとも言う。
「儂も行った方が良いか?」
「……いいえ。少し部屋に戻っていてくれる?」
「分かった」
小娘が話を聞かせたくないと思っている事など、人生経験豊富な大人はお見通しの様である。
しかし、蘇芳の不思議ポケットも出来れば見せたくないので、お言葉に甘えてこの場から退室して頂く事にした。
蘇芳は紅と共に、あっという間に手ぶらで戻って来た。視線を送ると彼女は頷いて、客人の背後で荷馬車から取って来た荷物を次々と取り出して並べていく。
(本当にどうなってんのかしらね、その袖……)
国のトップである軍のエリート集団がインベントリもアイテムボックスも魔法袋も知らなかったのだから、ガダールだけでなく勿論一般市民である二人にも収納を見せたくないなと思っていると、気を引く様に山吹が話し始めた。
「では先ず持って来た物を確認する。リストなどはあるか」
「はい、此方に」
山吹はそれにさっと目を通すと紅を呼び、私のところへリストを届けさせる。
要求したより遥かに品数は多かった。
(頼んでいない物も沢山あるわね。流石は商人、優秀……でもこれ全部くれるの?いや買い取るけれども。お金足りないかも。それより山吹、この一瞬で全部覚えたの?)
元々用意しておいた購入予定リストに何やら書きつけている。
この場合も商魂逞しいと言うのだろうか。単に恐れをなして不備がない様揃えたのかもしれない。特に本は細かく注文を付けた為か、かなりの量があった。瑠璃と萌黄もリストを覗き込む。
私がフィユカの不安そうな様子に気付いた時、既に蘇芳は荷物を並べ終わっていた。目で合図すると、紅がさっとフィユカの前に移動する。
「立って。こっちに来てトーコ様にご説明差し上げて」
実際には、傍にいる山吹に説明をしてもらうのだが。恐る恐るフィユカが紅に続く。
フィユカが座っていたソファーの背後、壁一面の本棚の前。さっきまで何もなかったそこにはまるで最初からそうであった様に彼女達の持って来た商品が整然と並べられていた。
裁縫道具、服を作る布、神力計、本、ハンガーにかかったミィ用の平民服。恐らく私用と思われるサイズの上等な服や、平服。更には各種サイズの靴、鞄。外套。日用品では食料の他に茶葉や塩、カレンダー等まである。
フィユカが驚いた表情を見せたのは本当に少しの間で、山吹がフィユカの隣に立つと直ぐに説明を始めた。
「食糧についてはアルゼンナーエからでは日持ちしませんので、近くの村で購入したものをお持ちしています」
声が強張ってはいるが、立ち姿は堂に入ったものである。私は壇上から、頼んだものが大体揃っている事を目視でも確認する。山吹が検品してはチェックを付けている。
「此方の本はレザーヌの歴史、グリーセントメリベと神獣の本、神と精霊の絵本、此方は子供向けの童話です。森での生活の本はございませんでしたが、冒険者用の森探索の心得を纏めたものをお持ちしました。」
フィユカが一つ一つ指し示しながら、声に出して商品を説明していく。
(神話かぁ。ここの神話ってどれくらい史実なんだろ……)
桃に入って川を流れて来たとしても、神法があるこの世界では創作なのか史実なのか今一判断出来ない。恐らく今の私なら、簡単に空気だけ通す不思議な水に浮く桃型のケースも一瞬で創り出せるだろう。
そもそも神が実在する世界である。神法があれば実際何でもありだ。
「此方が律法、此方は学院の教本です」
(律法?レザーヌの法律?それとも宗教的な決まり事?)
日本で無宗教だった私としては、あまり宗教色の強いものは受け入れがたいかもしれない。
「学院の教本?オブイーリエの首都中央都市学院の教本か?」
「滅相もございません!これはアルゼンナーエの中央都市学院のものでございます」
私は襤褸を出さない様に予定通り取り敢えず説明を聞くに留めているので、山吹がその分質問してくれる。
(学院って、そう言えばどっかで聞いたなぁ。今更学生に戻るとかしたくないけど)
それでなくてもホノライ――実際にはその後ろについている山吹――の超スパルタ授業を毎日休みなく受けているのだ。休みなく。
(大事な事なので二回言いましたー)
このデルファーニアの各領の事や、周囲の幾つかの国についてもホノライから座学の時間に学んでいる最中だが、今は常識を覚える段階で法律まで進んでいない。
一定の知識を得て自ら危険を回避出来る様になるか、私が心から満足しない限り延々とこの授業は続く予定だ。覚える事はまだ山の様にある。
「地図もあるな。随分簡易なものだが」
「はい。あの……お嬢様が、この辺りに明るくないご様子でしたので……」
「余計な詮索はしない方が良いよ~?」
迷って「お嬢様」と呼んだフィユカが萌黄の一言で硬直する。
「今回は大目に見ても良いのでは~?」
「そうですわね。お勉強の時間に有効活用出来るでしょうし。良くやりました、フィユカ」
完全に上から目線で告げる精霊達に、フィユカは掠れた声でありがとうございますと礼を述べる。
(これ最早商談じゃないよねぇ。ただで差し出せって言われてもフィユカ断れないし)
「これは塩か。他の調味料はないのか?」
「他、と言いますと?」
ノハヤの助言や捕虜の話通り、調味料はあまり平民には馴染みがないのか、フィユカが困惑する。そう言えばここへ来て塩以外を見ていない。胡椒やカレーの様な香辛料も、砂糖も食してはいない。そういえば町で出されたお茶は塩っ気を感じたのだが。
(他の調味料がない?それとも高級品とか?エルザーニスなら持ってたのかな……)
エルザーニスから強制的に頂く事になってしまった贈り物は、よからぬ神法やアカリを警戒して全てミンデエドル海に捨ててしまった。
(確認くらいはしておくべきだったわ)
「塩の質はやはり悪いな」
「申し訳ございません。私共ではこれが揃えられる最上でございます」
(そう言えばフィユカは私の事なんだと思ってるんだろう。山吹が魔女って言ったけど、魔女って一般的な地位や職業じゃないし。神とかじゃなくて、単純に貴族とでも思われてるのかな?)
平民にとって貴族は絶対の存在だ。貴族は神力も大きく平民が勝てる相手ではない。今は精霊の力を借りて豪華なドレスを着ているし。
下を向くと、萌黄が私の膝に手を掛けて天使の微笑みで見上げている。
「トーコ様、いかが致しますか?」
条件反射で萌黄を撫でた時、急に山吹が私に尋ねて来た。
何をいかが致すのか。
「ちゃんと聞いていましたの?」
(聞いてたわよ。一瞬ちょっとだけ気が逸れただけで)
予行練習まで散々して、ここは私のホームで、しかも一対九という圧倒的有利な状況からか、思ったより大分落ち着いている。そして若干眠くなっている事は認めよう。
だから山吹が溜息を吐いたのも甘んじて受け入れるのだ。瑠璃の棘は兎も角、山吹の溜息には一瞬背筋が凍ったが。
山吹の呆れた様な表情に、恐怖と同時に少し人に近づいたなぁと関心もする。山吹は何を納得したのか、分かりました、と一言呟いてフィユカに説明を続ける様指示した。
「塩だよ、トーコ様。山吹は商機があるけどどうするかって」
(あぁ、そう言う事ね)
萌黄が小声で教えてくれた。
要は質の良い塩でお小遣いを稼げると言うのだ。しかし、塩の取り引きはアカリの出現で一時見合わせている。どうしたものか。
値段まで一通り説明させてフィユカをソファーに戻すと、山吹がリストに何か書き込みながら此方へやって来た。
渡されたリストは、購入予定品目の他に購入した方が良いものと、その他持ち込まれたものの相場予想価格、販売価格、差額、合計額、必要な理由等が表になっていた。一晩どころか一瞬で購入出来る物を選定してこれを歩きながら書いた家の執事は優秀過ぎる。主人がかすむ。
「この金額、本当に適正な価格なの?」
町で見た金額より少し高いが微々たるもので、フィユカ達に本当に利があるのか疑問に残る金額である。
「ではリストのここまで、少し色を付けて全て買い取って頂戴。塩は保留ね」
「畏まりました」
私はフィユカを少し観察した後、山吹にそう指示する。瑠璃が怖くて見られないが、しかしここは譲れない。
「フィユカ、次からは店の利益をきちんと取りなさい。適正価格ってそう言う事よ」
「…………承りました」
フィユカが顔を歪め深々と頭を下げた。次があると言う事は無事帰れると言う事なのに、本当に何故だろう。解せぬ。
こうして、交渉も駆け引きもなく、あっさりと買い物は終わった。
一生懸命練習したのが何だか馬鹿らしくなって来た。こんなにも私に余計な緊張を強いておいて。
「ところでフィユカ、貴方、この後暇よね?」
有無を言わさずにそう笑顔で問いかけた私に、フィユカが今度こそ息を止めた。
(役に立たないのなら捕虜に混ぜようかしら)
結局最初からソファーで寝たままのヲールに視線を移すと、フィユカが恐怖で思う様に動かない身体で必死にヲールに駆け寄った。足がもつれて倒れ込み、それでも覆いかぶさってヲールを庇う。
「どうかこの子だけは!!」
精霊が人間を理解し近づける様に、必死な人間を見て滑稽だと思う私は確実に精霊に近づいている。無意識に出る分だけ、精霊より質が悪いかもしれない。
(私がそれをどうすると思ってるのかしら)
商談は買い物で終わった訳ではない。だが、対等に渡り合いたい時間は終わったのだ。
精霊も使用人も、その場にいた全員がフィユカを凝視していた。




