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在りか ~私の居場所と異世界について~  作者: 白之一果
第1章 旅の始まり
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第5節 言葉と食事と私の方向性

 翌朝、いつもの鐘の音でいつもより遥かに快適に目が覚めた私は、練習がてら蘇芳の作ってくれた壁を砂に変えるところから始めた。

 一応何かいた時の為に蘇芳と瑠璃に待機してもらったけれど、二人の緊張感のない様子からして大丈夫だろうと思った。

 壁がなくなり見える周囲の状況は、昨日と何ら変わらない。薄暗いけれど湖は見える。水は引いていない。


「良かったのか悪かったのか」

「何がです?」

「なんでもない」


 何事もなかった様に戻っていてほしいという希望と、楽に進める湖に対する期待。どちらもある。


「さて、今日は進むぞー!」


 とその前に。


「瑠璃、水出してくれない?」

「はい」


 瑠璃の両手から湧き出る水をすくって顔を洗う。荒野で自由に水が使えるとは贅沢な事だ。ついでに包帯代わりの黒タイツと傷も洗ってもらおう。私はベッドに腰かけて、手と足を差し出すだけ。瑠璃が傷を丁寧に洗い、乾いたらタイツを巻き直してくれる。

 頼み事をするのにも慣れて来たので、傷が治るまでこれを朝晩のルーティーンにする。


(でもこれじゃぁ前の雇用主と変わらないのでは?少しは自重も必要かな?)


 最後にベッドを砂に戻して準備は完了だ。


「じゃぁ船作りますか!瑠璃」

「あら、作るのは私ではありませんわ」

「へ?」

「蘇芳」

「分かった。トーコ様、フネってどんなもの?」

「蘇芳が作るの?土で?」


 カチカチ山だ。心配だ。


「形を固定するのは私より蘇芳が得意ですので」


 どうやら精霊にも得手不得手があるらしい。それなら仕方がない。取り敢えず私は泳げるし、何かあっても大丈夫だとは思う。着衣水泳の経験は皆無だが。


 ところでだ。普通のOLは船の形を詳細に知っているものだろうか。正直私は知らない。そもそも乗る機会がなかったし、私は港町出身でも漁業関係者でも釣りが趣味でもない。勿論興味もなかった。


(何で船って人が乗っても浮いてるんだろう?兎に角軽い船にすればいいの?)


 考えても知らないものは分からないので、取り敢えず作ってもらう事にする。駄目ならやり直せばいい。気楽なものだ。

 先の方が尖っていて、後ろは直線。


(あ、これお寿司屋さんで見るやつだ。まぁいいか)


 前と後ろに座るところを作って、あとは何か真ん中辺りに板が渡してあった様な気がする。


(あれって何の役に立つんだろ?あ、テーブル?丁度真ん中だし)


 出来たのは小舟。湖の上で再度作り直してもらうと、土の舟は水に浮いた。

 怖いので浅いところで乗ってみる。


(乗っても普通に浮くんだ)


 一安心だ。


「瑠璃と蘇芳も乗って?」


 瑠璃と蘇芳が視線だけ合わせて頷く。

 二人が乗り込んでも舟は沈まなかった。と言うより、揺れもしなかった。多分二人とも体重がないからだと思う。最初は浮いていたくらいだ。歩いている姿は人と変わらないのだけれど。


「蘇芳、ちょっと」


 近くにいる蘇芳を抱きしめて持ち上げてみた。私より背の高い大人の体は、何の抵抗もなくふわっと浮いた。


(軽っ!空気じゃん!!まさか瑠璃も?)

「?」

「いや、この軽さでどうやって歩いてたのかなと」

「トーコ様の真似をしましたが」

「重さも?」

「重さは変わりませんね、流石に。精霊が生命の様に重くては飛べませんし、中に入るのですから重さがあっては生命が大変でしょう?」

 

 それは確かにそうかもしれない。

 兎に角、二人の重みで沈む事は心配しなくても良いみたいだ。あとは私の重さだけれど、軽そうだし大した事ない。と思いたい。


「じゃぁ進も……あ、プロペラ付け忘れた」


 これだと手漕ぎボートと変わらない。私の腕力では歩く方が絶対に早い。

 プロペラを教えようと蘇芳を舟に下ろすと、今度は反対に私が蘇芳に抱き上げられ、そのまま膝に乗せられた。

 テーブルを挟んで進行方向を背にして座った瑠璃が、朝水をくれた時みたいに胸の前に両手を構える。


「では、参りましょう」


 瑠璃の手から溢れた水が左右に別れ、舟の側面で重力に逆らって後方へ流れて行く。舟はゆっくり動き出し、徐々にスピードを上げて湖を滑走し始めた。


(凄い。神法ってコントロールが出来れば本当に何でも出来るのね!)


 風が頬を擽る。左右を流れて行く水は光を反射して煌めいている。


「気持ちいい」


 次第に明るくなる景色。昨日とは打って変わって綺麗な湖。オレンジの荒野に空の青を反射して、それはとても美しかった。


(これなら足も痛くないし!)


 舟は沈む事なく湖を進んだ。湖が終わると小舟から抱っこで下ろされ、舟を土に戻して荒野の丘を歩いて超えた。そしてまた現れた湖の畔で土の舟を作り進んだ。


 後で蘇芳に聞いたところによると、土は水を弾くらしい。よく分からないけれど、他にも瑠璃が水を退ける手段を持っているからそもそも舟が沈む心配はなかったそうだ。そう言えば土のフォークは雨の中でも大丈夫だった。


(心配して損した。最初に一言聞いておけばよかった、舟は沈まないかって。次からは気を付けよう)


 遥か左手にずっと続いている高そうな壁と、右手に連なっている高い山のお陰で、進むべき方向は明白だった。

 そうやって、歩いて七日かかると思われた道のりを私達は半日で踏破した。いや、自力で歩いてはいないけれど、まぁそれはそれだ。


 次第に右手の山々が終わり、更に湖もなくなって丘を二つ越えた頃、私は塀に囲まれた町と、こちらへ歩いてくる人間を目撃した。少し遠けれど、確かに五人いる。

 緊張が走る。この世界の最初の出会いを思い出す。またあんな事になったらどうしよう。


(今度は本当に上手くやれる?)


 怖くなって思わず丘を戻り、近くにあった岩陰に隠れる。しっかりして私。


「トーコ様?」

「しぃっ!」


 慌てて人差し指を口に当ててそう言うが、瑠璃や蘇芳にそのジェスチャーは通じなかった。仕方がないので二人を無理矢理岩陰に引っ張り込む。


「静かにしてて!」


 違う。そうではない。


(もうちょっと勇気出しなさいよ私!!)


 思っても中々身体は付いて来ない。私の意志は正直弱い。


 人が近づく気配を感じる。心臓が飛び出そうだ。緊張し過ぎてもはやどうやって動くのか分からないぐらい身体が硬直している。

 二人は青くなる私を不思議そうに眺めていたが、大人しく言う事には従ってくれた。


「昨日急に現れたんだ」

「まさかそんな」


 男性の話し声が聞こえて来る。若いお兄さんと、おじさんの声。


「井戸の水位を下げるたぁ、どういう事なんだ?」

「どうもこうもないよ。こんな近くに水が溢れちゃ商売あがったりだ」


 今度はちょっとがさつそうなおじさんと、おばあさんの声。

 

(あれ?)


 好奇心に負けたのか、固まっていた身体がいともすんなりと動く。

 岩陰から覗いたそこには、見事な外国人がいた。茶髪、金髪、緑、赤、青の髪。あの村でも思ったけれど、もうこれは外国人でいいのか判断に迷う。

 カラフルな五人組が通り過ぎる。


「おい、お前」

 

 こっそり様子を窺っているつもりだったが、赤髪赤髭のよりにもよって一番大柄で厳ついマッチョなおじさんに見つかってしまった。慌てて岩を回って反対側へ隠れたけれどもう遅い。


「そんなところで何をしているんだ?町の人間ではないな。何処から来た」


 冷静なお兄さんの声が前方からした。


(回り込まれた!)


 挟み撃ちのデジャヴが。

 逃げようかとも思ったけれど、今絶対そんな体力はない。怖くなって、岩に背中をくっ付けてしゃがんで縮こまっていると、岩を左右から回ってカラフル外国人が全員こちらに来てしまった。

 私は恐る恐る彼らを見上げる。


「女子供が三人だけか?」


 赤髪マッチョが一歩踏み出す。


(こっち来ないで!)


 庇う様に蘇芳が前に立ち、瑠璃が私を抱きしめる。私が怯えたせいだろうか、二人とも臨戦態勢だ。


「俺達はそこの町の者だ。危害を加えるつもりはない。この水について何か知っているか?」


 マッチョを退けて、今度は三十代くらいの緑髪インテリ眼鏡様が話しかけて来た。


(……この人たちの言葉、分かる。なんで……?)


 私が呼吸を整え落ち着くのを確認して、蘇芳が少し脇に寄り私の視界を確保してくれる。瑠璃が私を支えて立ち上がらせてくれる。怖がって瑠璃のドレスの後ろから覗いている私は、どう見ても幼い子供のそれだ。


(良かった、今こんな見た目で)


 なんだか瑠璃が満足そうなのが少し引っかかるけれど。


「水な…か、知ら、ぃ……」


 声が震えて上手く出ない。


「別に君達をどうこうするつもりじゃないんだ、驚かせてしまったらごめんね。知らないならいいんだよ。君達は何処から来たの?」


 五人の中では一番若い、二十代後半だろうか、金髪のお兄さんが私に視線を合わせて屈み、柔らかく微笑んでそう言った。

 私が無言で来た方向を指差すと、骨みたいにごつごつしたおばあさんがカッと目を見開いた。後ろで一つにまとめられた青い髪を振り乱しながら私に詰め寄って来る姿は宛ら山姥。


(怖いって!)

「湖から来たのか!向こうはどんな風だ!?」

「蘇芳!駄目!」


 私に掴みかかる勢いで伸ばした老女の手を睨む蘇芳に気付き、思わず名前を叫んだ。蘇芳は発動しかけた神法を収め、バシッと彼女の手を叩き落とす。


「何するんだ!」

「彼女に触れるな」


 蘇芳が怒っている。精霊も人並みに?怒るらしい。いや、今はそんな場合ではない。

 神法に気付いた人はいない様だけれど、これは非常にまずい気がする。


「少し押さえろ水屋。そちらさんも矛を収めてくれないか。手を出したのは誤る」


 殺気立つおばあさんを宥めたのは、様子を見守っていた残りの一人、茶髪のおじさんだ。赤髭ほどではないけれどこの人も対外体格が良い。蘇芳に向けて発する、重みのある大人の声にも安定感がある。


「蘇芳、大丈夫だから」


 私も一言蘇芳に釘を刺し、瑠璃の背後から進み出た。岩を背に囲まれたままだと退路がなくて何となく不安だ。

 おじさん達の横を何事もなかったかの様に通り過ぎ、丘の頂上まで来て振り返る。瑠璃と蘇芳が私を挟む様に左右に立つ。何処のご老公様だ。

 今なら町の方へ走って逃げられる。そんな体力がないのは分かってはいるけれども。


 どうすればこのピンチを切り抜けられるか。いや、別にピンチでも何でもないのだが、この五人組が悪者でないとも限らない。

 

「靴を失くしてしまったの。休めるところを知らないかしら」


 まぁ何の対策も思いつかなかったので、結局性善説を信じて事情を説明してみたのだが。

 男性陣は岩を見つめたままそわそわしている。何故此方を見ないのか。

 おばあさんだけが此方に身体を向けて睨んできたと思ったら、肩に羽織っていたストールを取りながらずんずん近寄って来た。そして呆気にとられる私の前で、屈み込み巻きスカートの様に私の腰にストールを巻き付けて端をキュッと結ぶ。

 危険を感じなかったのか、今度は蘇芳も瑠璃も手を出す様子はない。微妙な顔はしているが。


「なんて格好をしてるんだい!足を出すなんてはしたない!とんだ世間知らずだね!!」


 怒鳴られた。


(足?)


 前の村で見た女性達もそうだったが、このおばあさんも足首まであるスカートを穿いている。注意されなかった瑠璃のドレスはパンプスが辛うじて見える長さで、蘇芳は普通の着物だ。もしかしなくても、ここではスカートが短いのは良くないのかもしれない。


「あんたたちも、姉ならきちんと注意しな!」

「姉?トーコ様の姉ですって?」


 瑠璃も蘇芳も不快感を示す。


「違うのかい。ならお付きの者かい。ふん、余程のお嬢さんと見える」


 おばあさんの目がギラッとした。怖い。

 蘇芳が割って入る。おばあさんが二歩下がる。


「何もしやしないよ。あんたたち!何時までそうしているつもりだい!」


 漸く岩から目を離した男性陣が、こちらへ近寄って来た。


(やば。やっぱ怖い)


 身体が緊張する。


(それ以上近づかないで)


 瑠璃が私を抱き寄せた。本当に良く出来た精霊だ。

 おじさん達はおばあさんの後ろまで来て立ち止まった。


「あー何だ、ほら、宿屋を探してんならこの男が宿屋の主人だ。こいつに頼めばいい」

「……金は持っているのか?」


 赤髭マッチョの勧めで茶髪のおじさんが聞いて来る。そう言えばお金とか持ってないわ。


「持ってないのか?そう言えば、お前達だけか?」

「…………逸れたの」

「なら逸れた方が財布を持ってたのか」

(違います)


 適当な嘘を付いたのに素直に信じられた。罪悪感が半端ない。


「そうだ、魔石ならあるわ」

「「「「「魔石!?」」」」」


 何かいろんな感情が見え隠れした。大人はやはり怖い。

 私は蘇芳に一つ魔石を出してもらった。


「見せて」


 金髪のお兄さんだけが近づいて来て、私の前で屈む。魔石を見つめる金髪のお兄さんの表情が、心なしかどんどん青ざめて行く様な気がする。


「これ、まさかベリーシエの……」

「なんだと?」

「シーザンドカントの番人か!!」

「そんなものどうやって?」


 皆の視線が魔石に集まる。


「どうやら少し話を聞かなきゃならん様だな。おいあんたら、これどうした?番人はどうなった?」

(番人て何?)

「黒く美しい獣に会っただろう。神獣のはずだがいつの間に魔獣に…………まさかあんたら、番人から逃げ損ねて従者を光に還したのか?」

(あの黒豹が番人?何かを守ってた?シンジュウ?)


 無意識に右手の傷に視線がいく。


「悪い事を聞いた」


 黙っていたら、何かそう言う事になってしまった。まぁ不都合はないし、町に入れればそれでも良い。

 私は番人に襲われて従者を失くした可哀そうな世間知らずのお嬢様。よし、もうこの設定で行こう。


「皆、一旦戻るぞ。番人が魔獣化しているとなると、正式に町で調査団を派遣する必要があるかも知れん。アサギ村の事も気にかかる。いいな」

「まぁ妥当なところだろうな」

「湖はどうするのさ」

「水屋はそのまま調査を。石屋、これを浄化して金に換えたらそいつ等と役場まで来てくれ」

「分かりました」

「俺はどうするよ?」

「鍛冶屋は俺とこいつと役場へ直行だ。それでどうだ?」


 急に話を振られた。


(ちょっと待って。今人間関係把握するのに必死なんだけど)


 まとめ役の茶髪のおじさんは宿屋の主人。

 赤髪赤髭の大柄なマッチョおじさんは鍛冶屋。凄い天職そうだ。いや、職業柄この体系になるのか?

 パサパサな青い髪の骨ばったおばあさんは水屋。水質調査をする人。

 一番若い、と言っても二十代後半くらいの金髪の優しそうなお兄さんは石屋。石材店か何かだろうか。それとも宝石商か。

 緑の髪のインテリ眼鏡様はよく分からないが、一緒に役場に行くと言っていたし役場の人とかだろう。


「私、休みたいんだけど」

「役場で一通り聞いたら俺んちに止めてやる」


 宿屋にお墨付きを貰った。それでは仕方ない。私は頷いた。


「金が出来たら服屋に寄っておやり」

「分かりました」


 どうやら私達は金髪のお兄さんと一緒に行動をするらしい。まずお兄さんの働く石屋に寄って、それから服屋に行って、役場で話を聞かれて、夜は宿屋で休める。ハードだ。このスケジュールに食事が含まれてない事に誰か気が付かないんだろうか。それともサクサク終わらせるつもりなのか。


 兎に角今は、ぼろを出さないで円滑にこの町でお金と宿を確保するのが最優先事項。


(あれ?そうだっけ。お腹が空いてここに来たんじゃなかったっけ)


 やりたい事をやろうと思っても、なかなか上手くいかない。人の輪に入る時はやはりいろいろなしがらみが纏わり付く。失うものがないからといって、人の輪から外れる勇気はない。


 そして漸く私達は、無事町に入る事が出来る訳だ。

 門を潜る時掛けられた看板を見て、私はここが「ロド」という町だと知った。


(ここの文字は読めるんだ。そう言えばあの村の名前は何だったんだろう)


 文字は日本語だった。会話も日本語。皆外国人みたいな容姿なのに、腑に落ちない。


 この街も壁で囲われていた。但し高さは三メートル弱くらいだろうか。壁というより塀に近い。足場があれば簡単に乗り越えられる。きっとこの町は前の村より危険が少ないんだろう。

 門は開いている。少しの間見ていただけだけれど、通る人はまばらだった。

 あの村の事を思い出して足が震える。


(勇気を出せ私!ここで頑張らないでどうするの!!)


 それに今は一人じゃない。

 皆と一緒に門を潜る。通りは石畳が敷かれている。裸足の身としては凄く嬉しい。石いっぱいの荒野を歩くのは、正直もう限界だった。


 三の鐘が鳴る。ついでに私のお腹も盛大な音で鳴いた。


「…………先に食事しに行こうか?」


 お兄さんがそう提案してくれたので、小さく頷く。顔が熱い。


「あ、でもお金」

「立て替えてあげるよ、その魔石お金に換えたら返してもらえればいいから」

「分かった」


 その後役場に行くおじさん達と別れ、私は石屋のお兄さんと食事処に向かった。どうやら茶髪のおじさんの宿屋の一階のようだ。後で戻ってくる事になるなら場所を覚えておく必要がある。


 ロドは前の村と比べると随分規模が大きい。人の数も家の数も段違いに多い。

 私が勝手に「村」と呼んでいるけれど、あれはイメージであって別にナントカ村と表記されていた訳ではない。そもそもあの村では字が読めなかった。

 それと同様に、規模とインテリ眼鏡様の言を以って、ここはロドの「町」である。


 門から真っ直ぐ伸びるセンター街と呼ばれる通りを進んだ先に、その宿屋はあった。この辺りの建物は全て二階建てで、煉瓦と木が使われている。森が近づいているのかもしれない。あの村とは建築様式がまるで違う。

 このままベッドで寝たい衝動にも駆られるけれど、お腹も大合唱中なので、お金も手に入れておきたい。仕方がない。


 お兄さんに扉を開けてもらうと、そこは二十畳ほどの板の間に無造作に簡素なテーブルと椅子が置かれた場所だった。食事時なのか賑わっている。奥の方に見えるのが宿屋のカウンターらしい。チェックインはあそこで行うのだろう。


「石屋、こんなところで何してるんだい?家のと湖の調査に行くんじゃなかったのかい?」

「ええ。向かう途中でこの子たちに会いまして、ご主人に町を案内する様頼まれたんですよ」

「そうかい。ならいいけどねぇ」


 でっぷりと太ったおばさんが注文を取りに来た。おかみさんらしい。ここはお兄さんに任せる。立て替えてもらうのに図々しいのは良くない。


「君達は食べないの?」


 蘇芳も瑠璃も、じっとお兄さんを見ている。お兄さんの視線が私に向いたので、私が代わりに頷いた。

 二人は椅子に座らず私の後ろで立っているつもりの様だ。精霊は食べないと言っていたし、そうしたいならそれでいいと気軽に考えていたけれど、よく見ると大分周りから浮いてる。

 それから服装。瑠璃と蘇芳の服は、周りと比べて贅沢過ぎる。一目で良いものだと分かってしまう。

 まぁ今はお腹が空いているし、久々の食事を前にそんな事は些細な事だ。


(それよりこの二人に逆らって食事がなくなったら大変だもの!)

「じゃぁ二人前で」

「はいよ」


 おかみさんも少し怪訝そうな顔をしながら、奥に向かって大声で「二人前―」と叫んで、また別のテーブルへ呼ばれていった。


「足りなかったら追加で注文するね。君の口に合うかは分からなけど、この町では結構おいしいよここ」

「メニューは?」

「メニュー?」


 値段とかも見たかったのだけれど、メニューはないらしい。何故だ。


 ちなみに食事は見た事のないものばかりだった。どんな食材かも想像出来ない。取り敢えず出て来る度にお兄さんにそれとなく聞いてみる。そこから食材の名前なんかを推測しようとしたけれど、結局何一つ知っているものはなかった。

 お兄さんは簡単に調理法も説明してくれた。炒めると焼くしかなかったけれど、ためにはなった。流石に固有名詞まで聞くのはものを知らないで済まない気がしたので止めておいた。

 料理と一緒に出されたフォークを見て眉間にしわを寄せていると、お兄さんは何を勘違いしたのか謝りながら料理を取り分けてくれた。


「気が付かなくてごめんね、取り分ける人がいないと困るよね」


 一体お兄さんが私をどう見ているのか疑問だが、世間知らずのお嬢様設定は意外と役に立つ様である。


(瑠璃と蘇芳はどう見えてるんだろう。姉……ではないな。やっぱり従者?教育係とか家庭教師の線もあり?)


 私はお兄さんの食べ方を参考にしつつ、なるべく優雅に食事に手を付けた。会食で身に付けた社会人スキルがこんなところで役に立つとは。何でもやっておくべきだ。お兄さんが感心している。

 周りの人たちも異様な私達に見慣れてくると、ざわざわとしゃべり始める。きっといつもはこうなのだろう。


「井戸の水がなくなってたぞ。外には水が溢れて湖が出来てるって話だし、どうなってるんだろうな」

「水屋は商売あがったりだな。どうするのかね」


 何か嫌な話が聞こえた。


「水屋って、さっきのおばあさん?」

「そうだね」

「井戸って、この町にはどれくらいあるの?」

「この地区には五つかな?大通りより向こうは分からないけど」

「あのおばあさんが井戸を守ってるの?」

「まぁそうだね。一つの井戸に水属性の者が一人ついて管理するから他にもいるけど。水質だとか水位だとかを調整して水を売る。それが水屋の仕事だね。君は水屋になりたいの?」

「そうじゃないけど」

「井戸の水位があれだけ下がれば彼女達の神法で戻すのは難しいだろうし、そもそも外にあれだけ水があれば水を買わなくても済む。水屋達は職を失うだろうね」


 思ったより重い話だった。平常心を装うものの、鼓動が早まるのは止められない。


「井戸に水を戻すのって、そんなに難しい事なの?」

「学院でまだ習ってないのかな?大丈夫、君にだって出来る事はあるよ。でも僕らの器は大人でもそう大きくないからね。君も無理をしては駄目だよ」


 慰められた。完全に子供扱いだ。

 それにしても学院とは。一度覗いてみるのも良いかもしれない。社会科や地理の教科書があれば、ここら辺の事が分かるだろうか。

 後で井戸がどの程度の規模なのかも確認しておこう。瑠璃は雨で村を沈めそうな勢いだったし、私も湖一個は確実に作ったけれど、井戸の大きさによっては今後の方針を変えないといけないかもしれない。


「水屋……は、これからどうするの?」

「次の仕事が見つからなければ、彼女は光に還るだろうね。残念だけど仕方がない。君くらいなら働かなくてもいいかもしれないけど、僕たちは生きている間はずっと働かなきゃいけないからね」


 嫌味を言っている様には聞こえない。多分唯の事実だ。

 あのおばあさんは六十にはなっていると思う。これから仕事を探して見つかるのだろうか。


(光に還るって、死ぬって事だよね?仕方がないの?)


 それはあまりにも死が身近にあり過ぎないか。


「誰か彼女を助けてあげないの?」

「助ける?人の事に構っている余裕はないよ。それでなくてももう直ぐ調査団が組織されて人手が足りなくなるかもしれないし」

「調査団?」

「……この話は役場でしようか。さぁ食べて食べて」


 周りを気にしてかお兄さんが話を遮ったので、私はそれに従って大人しく食事をした。久しぶりの食事だったけれど、おばあさんの話を聞いて味がよく分からなくなってしまった。その後は機械的に口に運んで飲み込んだ。


 何か話してないと嫌な想像が頭をもたげた。

 おばあさんの仕事を奪ってしまったのは確実に私の責任だ。バレたらきっとまた前の村みたいな事になる。罪悪感と露見した時の事を思うと心臓の辺りがキリキリと痛む。村の少女の瞳を思い出し、冷汗が流れた。


「大丈夫ですトーコ様。黙っていれば誰にも分かりません。それがその生命の運命だったというだけです」


 食事が終わった後、瑠璃が耳元で囁いた。にっこり笑って椅子を引き、立ち上がるのをエスコートしてくれる。

 瑠璃の言う通りだ。卑怯だけれど私は自分が可愛いし、小心者なので多分黙っている。人の人生まで背負えない。


(もう絶対地形変える様な事は止めよう)


 私は答えず、変わりに瑠璃に一つ申し付けた。

 

「いくらだったか聞いておいて」

「はい」


 お嬢様が直接値段は聞けないだろう。

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