閑話 序章プロローグの続き2 神の法の強制執行
プロローグに続く神界での藤さんの話、その2です。1章2節~3節あたりの会話が概ね補完出来ます。
本日3節更新。これはその2節目です。ちなみに3節目は別の人の話です。
「!?」
驚いてマニュアルを落とす。同時に目覚まし時計から心臓に悪いほど大きな音で鐘が三回鳴った。
バクバクと踊る心臓を抑えそっと神様の様子を窺うと、やはりこの音の中でもぐっすりと神様は眠っていた。相当眠かったに違いない。
等と僕が感心している間に、今度は予想外にも塔子さんが起きてしまった。
水面の中の塔子さんは、自分の容姿に困惑している。それはそうだろう。明らかに変わっているのだから。
(…………どうしようこれ、僕の事忘れてたりしないよね?)
自分が仕出かした事の重大さをじわじわ感じ始める。
もし彼女の記憶が十五歳まで戻ったりしていたら、僕はまだ出会っていない。
杖が汗で滑って、水面に落ちた。
「ちょっ!待っ!!消えて!!!!」
咄嗟に訳の分からない事を叫んでしまった。しかし杖は僕の言葉に従って、水面に完全に沈み込む前に姿を消した。
いつの間にか塔子さんのステータス画面も消えていた。
(落……としたかと思ったぁ……)
肩でぜいぜいと息をする。万一塔子さんの頭にでも落ちたら笑い事では済まない。
もう一度杖を細部まで想像すると、杖は難なく現れて汗ばんだ手に握られていた。
(良かった。本当にまだここにあった……)
エルダーンでは、塔子さんが歩き出していた。でも見渡す限りの荒野。遥か上空から見れば一番近い人里が分かるのだけれど、多分塔子さんには分からないだろう。
(ごめんなさい。今元に戻します。夢だと思って忘れてね)
ちょっと名残惜しいとも思ったけれど、駄目だ。罪悪感と恐怖心が勝って来た。
僕はしっかりと杖を握り、再び塔子さんに杖と向けてステータス画面の年齢を変……。
(……+-がない)
年齢の項目を突いてみる。ビー。
『既に変更されています』
ビープ音が鳴り、メッセージウインドウが表示された。
(え?え??)
何回突いてもエラーメッセージが繰り返される。
(何で!?…………あ、マニュアル!)
慌てて杖を水面から引っこ抜き、床に落ちたマニュアルを見返す。
そして僕は絶望的な小さな記載をページの隅に発見した。
『注意事項:倫理規定に基づき、一度アクセスした項目は再接続出来ない様設定されています』
(そんな保険の取説みたいな!)
そもそも、ここまで弄んでおいて倫理規定とは一体何か。
塔子さんの姿に増々怖くなって、僕はステータス画面にそれ以上触るのを止めた。
(取り敢えずマニュアル、全部読もう)
好奇心に負けた自分が愚かだった。
動転しているのを自覚しつつ、僕はマニュアルに目を向ける。マニュアルはかなりの分量があるが、これを全て最初に読んでいればこんな失態はなかった筈だ。
(本当にごめん、塔子さん)
今更起きてしまった事を嘆いても遅い。人生にやり直しなどない。これが夢ではない事はもう感覚的に分かっている。
僕は申し訳なさでいっぱいになりながら、御使いが返って来るのを恐れつつマニュアルを読破にかかった。
(こんな事なら速読でも身に付けておくべきだった……)
ないものはどうしようもないが。
しかし、ステータス画面の操作方法についてある程度理解する頃になっても、御使いは帰って来なかった。神様が起きる様子もない。
僕は恐る恐る水盤を注視する。水面の中の塔子さんは、まだ同じ様な景色の中をさ迷っている。
(何処へ行くんだろう…………ここに呼べないのなら、どうにかして人のいる方へ誘導出来ないかな)
マニュアルには、塔子さんを此方に呼んだり、何処かへ移動させる方法は書かれていなかった。
塔子さんがいる位置からは、どっちに行こうが人里までかなりの距離がある。
(……ってあれ!?塔子さん指輪は!!?)
左手の薬指から指輪がなくなっている。僕がはめた筈の婚約指輪。
慌てて荒野を見渡すと、塔子さんが寝ていた場所に落ちていた。
(待ってトーコさん!忘れてるよ!!)
彼女が指輪を外す様な動作はなかった。であるなら絶対に自分のせいだ。いたずらに年齢操作なんかしたから体型が変わって抜けてしまったに違いない。
(全く気付いた気配がないけど、塔子さんも気が動転してるからだよね!?)
願望かもしれないが。
(でもどうやって伝えたら…………高かったのに……)
流石に給料の三か月分もはしないが、それなりにしたのだ。
まぁ結果伝える方法がない事が分かったのだけれど。
(それならせめて、安全に人里まで旅をしてもらいたいよ)
なんだか凄く悲しいが、どうしようもない。僕は涙を呑んで塔子さんの進む先を観察する。
塔子さんがいる荒野、恐らくさっき選んだデルファーニア国レザーヌ領シーザンドカントという場所の辺りは、大体同じ大きさ毎に壁で区切られている。壁の高さは万里の長城より遥かに高く、人が昇れる高さではない。
(あまり文明が進んでいる様には見えないのに凄いな)
一際異様なその壁は、エルダーン史を走り読みすると遥か昔神様が作った事が分かった。
(本当にこの神様幾つなんだろう)
見た目は十歳前後だが、恐ろしく年上である事は間違いない。
それ以外に、塔子さんの周辺に特に目立つ様な建造物はない。
塔子さんはレザーヌ領という区画の中の南の荒野から西を目指している。かなり遠いけれどそのまま歩けば小さな村に着きそうだ。
文明は中世程度とみられ、ネットと通販好きのインドア派な塔子さんが満足して生活出来るとは思えない。
(そもそも運動しない塔子さんが歩いて行ける距離かな、これ。数日って感じじゃない気がするけど)
そこまで考えて僕はハッとした。
荒野に水はない。実の生る木が生えている訳でもない。雨が降る気配もない。
そもそも雲というものがこの世界には存在しない。
(このままじゃ塔子さんが……)
しかし、意に反して塔子さんはそれから数日歩き続けた。
太陽も月もないのでこれを一日と言って良いのか分からないが、エルダーンの大樹は一つ目の鐘から二つ目の鐘の間に青からオレンジに、四つ目の鐘から五つ目の鐘の間にオレンジから青にその光の色を変え、昼と夜を演出した。
神様や御使いが大丈夫だと言った通り、塔子さんは荒野を数日飲まず食わずで歩き続けても、倒れる気配を見せなかった。これが精神的に大丈夫かは怪しいけれど、ステータス画面に出ていた称号「神の加護(5日)」のおかげだろうか。
そして僕は自分の身体にも異変を感じていた。塔子さん同様、僕も何も摂取しておらず、更に僕は睡眠も取っていない。
(しかも全然欲しくならない)
人としての欲求を二つも放棄するとは、僕は一体どうしてしまったのだろう。
(本当に神様になっちゃったのかな。もしかしたら三つ目も……いやいや、僕は塔子さんが好きだ!)
そんな自問自答の日々が続き、事態が急変したのは五日目の夕方の事だった。
予想通り神の加護が切れたのか、塔子さんが黒豹の大群に襲われたのだ。
結局僕は何の準備も出来ず、慌てて杖を水面に刺し塔子さんを助けてほしいと願ってみたけれど、勿論状況は変化しない。
次第に辺りは暗くなる。黒豹の集団から逃げ回っている塔子さんを、僕は眺める事しか出来ず、気持ちばかりが焦る。
その時偶然、突き入れたものの所在なく水面をかき回していた杖の先が、一匹の黒豹に触れた。
(ステータス画面!)
水面に現れたのは見覚えのある半透明のポップアップ。それは黒豹のステータス画面だった
個体名:ベリーシエ
種 族:番人
所 属:デルファーニア国レザーヌ領シーザンドカント
年 齢:10/+-
余 命:7/+-
属 性:光
神 力:5,000/5,000/5,000
状 態:魔獣化、興奮
称 号:シーザンドカントの番人
(そうか、何も塔子さんだけじゃないんだ)
僕は殆ど無意識に七の文字を杖でなぞる。心臓が感じた事のないくらい大きく脈打った。血圧が心配なくらい上がったに違いない。
数字を、無心で下げて行く。
余命:0
杖を引く。
感情なんてあったものじゃない。半透明のポップアップの後ろに見えている筈の黒豹も、ただ瞳に映るだけで、脳が景色の一部として処理をする。
杖の先が事も無げに水面から離れる。
『値が変更されました』
その瞬間、黒豹は光になった。光の中から現れた淡い黄色の小さな豹が、少しの光を集めて鈍色の石を生み落とし、光と共に空高く昇って行く。
その行く先には大樹が見える。
それはとても形容し難い、美しい光景だった。
僕は本棚にあった本のタイトルを思い出した。
(あれ、死ぬ時の事なんだ)
本能が理解する。光に還る、だなんて、何て詩的な表現をするのだろう。
塔子さんは光に気付いた様子もなく一心不乱に走っている。これだけ逃げられるのはまだ神の加護の庇護下にあるからだろうと思う。
一匹の豹が塔子さんに飛び掛かる。
(僕は何を悠長に!!)
咄嗟のところで僕は我に返り、塔子さんに飛び掛かった黒豹を杖で突いた。
再び目にする黒豹、ベリーシエのステータス。そこで僕はトーコさんのステータス画面との違いに気が付いた。そう、トーコさんのステータス「属性」には、プルダウン表示があったのだ。
塔子さんは上手くこの黒豹を避けたが、直ぐに別の一匹に飛び掛かられる。
「塔子さん!!」
聞こえないのは解っている。でも叫ばずにはいられなかった。
塔子さんは頭をかばい身を縮めたけれど、黒豹の鋭く太い爪は無情にも塔子さんの右手にかかる。柔らかい肌は深く傷付けられ、一気に血が溢れた。
(塔子さんを……傷付けた?)
包囲した塔子さんにじりじり近寄って来た黒豹達が、塔子さん目掛けて一斉に飛び掛かる。
考えている時間はない。
僕は今きっと麻痺している。塔子さんを助けるのは正義で、豹を光に還すのは何かとても美しい行いに思えた。
エルダーンの全てが停滞して見える。その隙に杖で塔子さんに触れる。迷いはない。
属性に触れ、プルダウンを呼び出す。
時計が鳴った。本日最後の時刻を告げる鐘の音は五回。本格的な夜が訪れる。
エルダーンの中心で大樹が光っているから満月の夜の様に明るいが、豹や流れる血が鮮明に見えるこの状況は果たして塔子さんにとって救いだったのか。
『強制執行を行います。 はい/いいえ』
(はい!早く!!)
『強制執行を受け付けました』
ポップアップ画面の文字が変わり、ステータス画面諸共消える。
同時に塔子さんの体内から光が溢れ出す。
そして瞬く間に光は収束し、塔子さんと同じくらいの人型に成る。
(神々しい……)
光に抱くこの思いは何だろう。途轍もなく美しく、温かく、尊い何か。
現れたのは着物を着た女の子。将来とても美しくなりそうな和服美人だった。
彼女は人ではなかった。意図せず触れて現れた彼女のステータス画面に表示された種族は精霊。
彼女の口か微かに動いた。「打ち滅ぼせ」と。
それは刹那の出来事だった。飛び掛かった黒豹達がまだ塔子さんに届く前に、大地が大きく揺れた。僕が感じた訳ではない。塔子さんや黒豹達がバランスを崩したのと、唸る様な地響きが聞こえたのだ。
次の瞬間大地から無数の大きな棘が付き出し、その場にいた豹という豹を貫いていた。
場を征するのは圧倒的な力。
(これが、神法……)
エルダーンの大気に満ちる神の力を取り込んで超常現象を起こす、この世界の理。
(なんて清らな)
黒豹は次々と光に還り、辺り一面皓々として一時の薄明を迎える。
飛び立つ豹は精霊だ。生命に宿っていた精霊が、その命の終わりに光と共に大樹に還って行く。
僕は塔子さんを助けようと思っていた気持ちを、その時きっと忘れていた。そしてその目に焼き付いた光景を、多分一生忘れない。
いつか僕も光に還りエルダーンの糧となる事が、何故だか最上級の幸福に思えた。
『大丈夫?』
夜の帳が再び降りてもまだ恍惚として暫く余韻に浸っていた僕を引き戻したのは、強制執行によって生まれた土の精霊の声だった。
勿論それは塔子さんへ向けられた言葉。人の言葉ではなかったけれど、確かに塔子さんの周りを飛び回っている精霊がそう言った。
人の形で軽く浮いている姿は、足があっても幽霊そのもの。その表情や声色に感情は見えない。
塔子さんはしゃがんだまま動かない。僕は慌てて塔子さんに杖で触れた。
属 性:火・水・風・土・光・聖・闇
神 力:5,000/500,000/500,000
状 態:裂傷、欠乏▼
(状態が変化してる。裂傷って、命に別状ないよね……?)
手の甲が頭より上にあるせいか、思ったより血が流れてはいない。でも相当痛い筈だ。
まだ状態は僕が変更出来る。
(でもこの先神の加護が切れて、もっと酷い状態になったら?)
そう思うと僕はその項目を触る事が出来なかった。もっと後で、本当に使うべき時が来るんじゃないかと、そんな嫌な予感がした。両親の事故が頭を掠めた。
属性のプルダウンはなくなっている。神法の強制執行も一度だけか。
何が神だ。結局僕はいつも何も出来ない。
(神力の現在値も少なくなってる。欠乏はその事?それとも血の事?)
塔子さんはまだ動かない。大丈夫だろうか。俯いていて表情は見えない。
精霊にも触れてみる。
「塔子さんの傷、直してくれればいいのに。それか守って安全な場所まで運んでくれたらいいのに」
『なんて力の弱い神』
精霊がじっと僕の方を見た。
(エルダーンにいて僕と目が合うの!?)
『精霊を知らない神は神なのか』
「……代理で呼ばれたばかりなので」
ついつい返事をしてしまった。
「あの、もしかして、僕の声聞こえてます?」
ぽつりぽつりと話しかけてみたが、あれは空耳だったのだろうか。それ以降精霊は此方を向きもしなければ、答えてくれる事もない。
(聞こえていない訳ではなさそうなんだけどな……)
でも僕が今唯一頼れる存在だ。神様や御使いが戻って来たら塔子さんを助けられなくなるかもしれないのだ。ここは一言言っておかなければ。
「塔子さんを、よろしくお願いします」
想像通り精霊からの回答はなく、その後塔子さんは崩れ落ちる様に寝てしまった。
そして就寝中五分の二程神力を回復し、翌朝一回目の時計の音で目を覚ました。
自らの傷を確かめた塔子さんは、豪快に黒いタイツを裂き手に巻き付けた。周囲の剣山に唖然としつつも瞬く間に平常心を取り戻し、更に偶然土の神法で剣山を砂に還して彼女は再び歩き始めた。
僕の知る塔子さんはいつも控えめで、こんな思い切りのいい正確ではなかったけれど、何処かで無理をしている様な気もしていたから、本当の彼女は此方なのかもしれない。
「その砂の上の石、拾ってほしいな。塔子さんの役に立つかも……」
僕は無駄かもしれないと思いつつ、精霊に声を掛ける。
杖で石に触れると、『ベリーシエの魔石』と書かれていた。魔石というくらいだから、きっと特別な石だと思う。換金出来るかもしれない。塔子さんはエルダーンのお金など持っていないだろうから。
精霊は相変わらず此方は見ないけれど、少し考える様な間の後、黄色の豹が落とした石を一つ残らず拾ってくれた。
濁った鈍色の石。一つ一つは大きくなくても、百個もあればそれなりの重さになると思う。でも精霊は着物の袖に片端から仕舞い込みけろりとしていた。まさか全部拾ってくれるとは。重さで袖が引っ張られる様子もない。
(どうなってるんだろうあの着物)
きっと猫型のアレのアレの様なものに違いない。
(僕の言う事は聞いてくれないけど……塔子さんの為になるなら動いてくれるのかな?)
だとしたら精霊を上手く使わない手はない。
そう言えば、今日は塔子さんがエルダーンに落とされてから六日目だ。神様の加護は確か五日。
大丈夫だろうかと見ていると、案の定塔子さんはあっという間に歩き疲れ、どうやらお腹もすいている様で、貧血だろうか、顔色も悪くなって来た。
その日から塔子さんは殆ど進まなくなり、終始緊張して浅い眠りを繰り返す。
(早く助けてあげたいな)
あんな幼い少女を荒野に放り出し、原因である自分はこんなところから見ているだけなんて。
ついでに指輪も拾いたいなんて考えた僕は未練タラタラで情けなくなる。
罪悪感に苛まれつつ観察を続けて八日目、彼女は漸く人里に着いた。門に掲げられている名前は『アサギ村』。なんだか日本にもありそうな名前だった。
じっと見ていると、アサギに重なって微かに模様が見えた。幾何学模様と言うか、何処かで見た象形文字と言うか。
(何処かで見た?…………そうだ、本棚)
確かに神力を受け入れる前、ここの本棚の本のタイトルは読めなかった。その時見た模様によく似ている。
彼女は門を見上げながら暫く考えていたが、外から荷馬車がやって来るとそれにひょいっと飛び乗って村に入って行った。
また意外な一面を見てしまった。思ったより大分度胸がある。僕が守りたいと思っていた彼女は本当に彼女だろうかと思う程に。
馬車は門から真っ直ぐ、村の広場に進んで止まった。
『誰だ!!』
そしてあっという間に見つかるこの考えのなさ。やはり可愛い人だ。
『ごめんなさい!お金持ってないです!すみません!!』
『さっきの奴か!?何故俺の馬車に乗っている!』
角材を持った馬車の持ち主が彼女を問い詰める。言い訳してる姿も可愛いなどと思っている場合ではない。
『どうした!?物取りか!?』
『あいつ神の果実を食べてるぞ!!』
村人が集まって来た。
謝る彼女と攻め立てる村人の会話が繋がっていない。
(もしかして、言葉が分からないんじゃ……)
僕が言葉を理解してるのは神様の力のせいだろうか。門の前で彼女が立ち止まっていたのは、文字が読めなかったからではないか。
僕は慌てて精霊を杖で突いて話しかける。
「拾った魔石、彼女に渡してくれないかな。それお金になるかもしれないから」
精霊が此方を見た。やはり聞こえているのだ。
徐に袖から魔石を一つ取り出すと、精霊は素直に魔石を彼女に差し出した。
(よしよし。これで上手く……)
『あいつ、魔石を持ってるぞ!』
『魔石だって!?』
『神の果実を食べる魔石持ちだと!?』
『魔獣だ!魔獣に違いない!!』
(…………あれ?)
話が思ってもみない方向に進む。
村人が彼女の差し出した魔石を角材で叩き上げた。
『何するのよ!』
彼女の叫び声に、精霊が物凄い顔を顰めてこっちを睨んで来た。
『きゃぁぁぁ!!』
魔石と一緒に転がった「神の果実」に村人の女性が悲鳴を上げた。
そんなに危ない食べ物何だろうか。杖で突いてみると『水を酒に変える実』とポップアップが表示された。
(果物?美味しい……んだよね?彼女喜んで食べてたし……)
僕は全く食べたいという衝動は起こらないけれど。
(本当に欲求なくなっちゃったのかな……)
僕が悠長にそんな事を考えている間に、彼女は馬車の荷台から逃げ出して路地へ隠れていた。
村人がそこそこの統制の取れた動きで彼女を探し始める。成人男性ばかり、自警団だろうか。確実に指揮管理をしている人物がいる。
(こんな貧しそうな村で?)
その光景はとても違和感があった。
そのまま村の様子を観察していると、聞き捨てならない言葉が聞こえて来た。
『大丈夫なの!?』
『安心しろ。アサギ様のお耳にももう入っている筈だ。ミツヒデ様が動かれている』
(アサギ?ミツヒデ?日本人が彼女の他にもエルダーンにいるの?)
彼女は精霊と右に行くか左に行くかで争っている。危機感がなくて此方まで緊張感を削がれる。大変な場面の筈なのに。
『こっちに誰かいるぞ!!』
(ほら、見つかっちゃった)
村人に挟み撃ちされた彼女を、精霊が土の壁を周囲に作って守る。壁と言うよりそれは、煙突の様に見える。思ったより狭かったのか、中で彼女と精霊が詰まっている。思わず笑ってしまった。
(いや、そんな場合じゃないのは良く解ってるんだけど……)
彼女も村人も叫びあっていて、会話はあまり聞き取れない。
僕は口元を抑えつつ周囲を観察しようと視界を広げ、屋根の上を猛スピードで走って来る青年を見つけた。
(黒髪……)
外見の日本人的特徴に僕は思わず興味を惹かれ、彼を杖で触ってみる。
識別名:光秀
種 族:人種
年 齢:unknown
所 属:デルファーニア国レザーヌ領シーザントカント アサギ村
階 級:unknown
余 命:unknown
属 性:火風
神 力:50,000/50,000/50,000
状 態:unknown
称 号:神の僕
(何?ミツヒデ?本当に地球の……マリフェッセの日本人?)
明らかに他の村人とは違う青年。
それに神力が五万もある。マニュアルに、人種の平均は三千程だと書いてあった。四千で魔獣クラス、土地を守る番人は五千、神獣は一万から十万程。そうすると、光秀は神獣クラスという事になる。
(unknownも気になるな。代理とはいえ神様でも見れないものがあるの?)
神の僕、というくらいだ。神より下ではないのか。
(もしかして、この神様……白の神様じゃなくて青の神様の……?)
僕を選んだのは青の神だと言っていた。
『日本語か!』
光秀が水面の中で叫んだ。
(やっぱり、そうなの?)
しかし、何処か違和感がある。
エルダーンに耳を傾ける。良く良く音を聞くと、光秀の言葉は日本語ではない様だった。
なのに僕は解る。
『答えないか。では火の精霊よ、焼き尽くせ!!』
光秀が火の神法を放ち、炎の塊を煙突の上から入れ様とする。
筒の中には彼女と精霊…………と、新たな彼女の精霊がいた。水の精霊だ。
そしてあっという間に筒が内側から吹き飛んだ。土の精霊がしっかり彼女を守っている。水蒸気爆発だろうか。
(精霊ってあれにも耐えるの?流石あの光から生まれただけの事はある……)
村人が飛んで来た土の塊や風によって光に還って行く。人から出た精霊は人型。
ベリーシエという黒豹に近い姿の番人は小さい豹になっていたから、そういうものなのかもしれない。小さい光の人は、どう見ても妖精に見える。
(ネズミの国にもこんなのがいたな)
僕はその綺麗な光をぼーっと眺める。
暫くして辺りには雨が降りだし、地面はあっという間に水浸しになっていった。
光秀が彼女の水の精霊が操る竜と戦っている。村が壊れていく。貧しい造りの村にあの勢いの水だ。当然だろう。
(でもどうして彼女の精霊はあの大きさで傍にいるの?)
見て来た中では皆、光に還る時に出現する様だったけれど。まぁ彼女を助けてくれるならその方が良い。
(雨が降れば海が出来るんだよね……)
彼女が気に入っていた映画の台詞を思い出す。
『お父さん?』
その時誰かの声が、僕の思考を妨げた。
エルダーンでは彼女が村人の少女と鉢合わせしていた。
『あんたがやったの?……お父さんもミツヒデ様も村の皆も、あんたが殺すの?』
『ミツヒデ?』
言葉は分からないのかと思ったけれど、光秀に彼女も反応している。
それとも音で名前を聞き取っただけか。
『あんたが死ねばいいのに!!』
斧を振り上げた少女を、精霊が土で出来た大きいフォークで光に還す。お見事。彼女に危険は全く及ばない。
光秀の方も、いくら神獣ほど強くても彼女はそれを遥かに上回る。水の精霊の竜が光秀を水の中に叩き落とす。もう光秀を光に還せる。
しかし、そうはならなかった。あと一歩というところで、彼女は精霊に名前を与えて縛り、攻撃を止めさせたのだ。
その日の夕暮れ、五回鐘が鳴った頃。
村から離れた荒野で小さな身体を丸め、泣いている儚い後ろ姿を見て僕は、彼女に杖で触れた。
目的の項目の中には、戦いの方法や日常生活の知恵、医療行為や商業の知識など、実に様々な選択肢があった。僕はその中からたった一つを選び取る。
(せめて複数選択出来ればよかったのにね)
彼女の事を精霊が守ってくれるなら、僕は塔子さんに別のものをあげようと思う。
情報は力だ。それをどう使うかは彼女次第だけれど。
(もう後悔するのは嫌なんだ…………)
杖を水面から引き抜くと、予想通りの通知が来た。
『値が変更されました』
識別名:トーコ
種 族:人種▼
年 齢:15
所 属:デルファーニア国レザーヌ領シーザンドカント
階 級:平民
余 命:未確定/+-
属 性:火・水・風・土・光・聖・闇
神 力:37,500/500,000/500,000(現在値/現最大値/成長限界値)
状 態:裂傷▼
称 号:自動回復、自動翻訳
(あぁ残念……あの綺麗な光をまた見られると思ったのに……)
光秀への攻撃を彼女が止めた時、はっきりと僕は落胆していた。
死んだ魚の様な、虚ろな彼女の瞳。始めて見るそんな彼女を、普段の僕なら駆け寄って抱きしめて、そして優しく落ち着くのを待ったに違いない。
しかし何故だか、温かい感情が起こらない。もしこのエルダーンの常識や言語体系がマリフェッセと異なっていたら、過去の文化的背景を知らないで身振り手振りも全く通じず、意思の疎通が出来ないのは多分相当不利な状況だろうと機械的に考えただけだ。
(こんなの、僕じゃない)
自分の変化を、僕は感じ始めていた。それはやはり神の力を手に入れたからなのか。
神様はまだ起きない。御使いも帰って来ない。
(なのに僕が変わってしまったら……?)
僕は僕が僕である内に、彼女を助けなくてはいけない。
半ば義務の様に強く言い聞かせる。
(一先ず彼女に安全な場所へ行ってもらわなきゃ)
エルダーンを見渡す。少し先にある町は治安が悪い。
(北にある森は?神獣に守られている……もし彼女がこの神獣を従えれば…………)
精霊とは話が出来る。無視はされるけれど、彼女の為になる事なら協力してくれる、と思う。
僕は精霊を杖で突いて何度目になるか分からないお願いをした。
「彼女を北の森へ連れて行って」




