第48節 最後の質問と傀儡の領主
本日も複数更新です。予定では3節。これはその2節目です。
視点がトーコからエルザーニス、アカリへ変わります。
あと1節、間に合うかな……。
私を睨んでいたエルザーニス達だが、悪逆非道にアレを切り落としたり、無理矢理BL的展開に持ち込んで尊厳を踏みにじるまでもなく、次第にその士気は落ちていった。
大樹へ光が還る度、彼は自分が何も出来ない事を自覚し、怒りや悲しみを噛み締める。
唇に血が滲んでいた。
(哀れ……)
それはまるで自分を見ている様だった。いろんなものを諦め、結局何も手に入れられずここに来るしかなかった力のない自分と同じ。人から私もそう見られていたのだろうか。
彼等から怒りの感情が消えるに従って、私も少しずつ平常心を取り戻していく。
最初の対談では私達を怒らせて自分のペースに持ちこもうとしていたルミアも、既に勢いを失くして大人しくしている。怯えと焦りを必死に隠しながら。
しかし、決してこちらに余裕が出来た訳ではない。これだけの事をしておいてまた彼等を見逃せば、多分次は私の命がない。
向こうにはアカリと言う謎の強敵がいる。
私はもう手を緩められないところまで来てしまったのだ。
一通り彼等の能力と強敵アカリの存在を確認した頃には、萌黄も伝書鳥の羽を粗方毟り終わっていた。
辺りに散らばる黄緑の毛玉。伝書鳥からは見事に羽が抜かれ、そこには丸焼きにでもしてくれと言わんばかりの裸の鳥が横たわっていた。
「なんか、サイズ小さくなってない?」
気のせいではない。明らかに伝書鳥は小さくなっている。
「だって神力を蓄えた羽を貰ったからね。綺麗でしょ?」
萌黄が嬉しそうに毟った羽を並べて開く。ジュリアナの扇子の様だ。
「流石に可哀そうなんだけど」
「寒ければ直ぐ生やすでしょ」
「そう言う事じゃなくて…………それもう鳥じゃないわ」
「鳥じゃないよ、精霊だもん。僕等と同じだよ」
今何か聞き捨てならない事を聞いた気がする。
「精霊?この鳥が?」
「そうだよ?前にそう言ったでしょ?」
「言ったっけ?」
「言ったよー。トーコ様覚えてないのー?」
呆れられた。そう言えば記憶にある様な、ない様な。
「萌黄、その羽どうするの?」
「服を飾ろうかと思って」
どうやっているのか、萌黄が器用に羽をファーに成形して服に付ける。ふわふわしていて凄く気持ち良さそうだ。
「一個頂戴」
「はい」
春夏の気候でもファーの使い道は幾らでもある。もふもふしている。
「でも何かこれ、神力が……」
「?神力の塊だよ?」
何を当たり前の事を、とでも言いたげな萌黄。
貰った手の平大の毛玉からは、確かに神力を感じる。人の神力が取れるとはどういう仕組みなのか。神力分与の一種だろうか。
それにしてもこの鳥、精霊だったとは。エルザーニスの精霊ではない。器が小さ過ぎる。
(まさかアカリの精霊……)
そうだ。精霊が外へ出られる程の器の人間など他にいない。
黄緑色なら風の精霊。今アカリは風の神法が使えないのだろうか。
私ですらこんな様子なのだから、私より強いアカリには当然精霊が他に何人も付いている筈だ。だからアカリは生きている。
「トーコ様も取りたいなら今の内にね。その内大樹に還っちゃうからこれ」
「そうなの?」
「うん。神力の糸が誰にも繋がってないもん」
アカリは恐らくアルゼンナーエの領主の城にいる。相当な距離が離れている。
「だからこんなに無理矢理神力を纏っているのですわ」
「どういう事?」
「本来器と切り離された精霊は大樹に戻されますけれど、強大な神力を重石にして無理矢理それを防いでいたのでしょう。この羽は神石みたいなものですわね」
瑠璃の説明に、紅が武神の顔をして言う。
「これは本来この精霊の神力ではありませんから、採れます!」
(盗れと?…………そうですか。戦利品ですか)
極上のスマイルに押し負ける。
まぁ神石なら良いだろうか。形だって此方の方が身に付け易い。
鳥から直接毟らなければいけない事がネックだと思っていたら、ミィもちょっとキラキラした目でこちらを見ていた。
「…………ミィ達にも」
「やだ」
駄目か。神石も減っているし持たせるには良い代替品だと思ったのに。
まぁ萌黄にあげると言ってしまったので仕方がない。
「トーコ様、それ食べれるなら今夜の食事にどうでしょう」
(そっちか!)
意外にたくましい少女である。
信心深いホノライとノハヤが真っ青になっている。
「その話は後で。今は此方を先に片付けましょう」
これでアカリの怒りを買ったのは確実だ。いや、身内に手を上げた時点で既にアウトだったか。
置き去りにしていたエルザーニス一行に目を向ける。数はざっと五十程。エルザーニス、ガダール、ルミア、トーダリィ、キーニーズ、ヤユジノ。名前が分かる者は皆残っている。
(もしかして、還す時に彼等を故意に除外した?)
精霊達を見るが、その表情から真相は伺い知れない。
「そろそろ終わりにしましょうか」
アカリは間違いなく強い。未だに、レザーヌ領の重要人物だと思われるエルザーニス達四人の器には干渉出来ていない。
「心して答えなさい」
でももう引くに引けない。
「二つに一つ。選ばせてあげるわ。ここで光に還るか、私の言う事を聞いてでも生きるか」
悲壮な顔の兵士達。それでもまだ何か考えている風なエルザーニス達。
彼等に要求出来るものなど何もない。食べ物でなくても、万一神法など付与されたら生死にかかわるかもしれない。
何も貰えないなら使えるものはもう彼等の人としての身体と身分のみ。
(この美しい顔も見納めか)
とても残念だ。
自分で決めかねて答えを委ねたが、四人は命乞いなどしないだろう。私に従うとは思えない。
エルザーニスと目が合う。
「…………一つだけ、宜しいでしょうか」
ルミアがエルザーニスを心配そうに見る。
「…………最後だものね。いいわ、本当に一つだけなら」
これが本当に彼と交わす最後の言葉になるのか。
「貴方はこの地をどうされるのですか。此方の法に従う御つもりはないようですし、これだけ罪のない兵士を光に還し、その上神獣を連れ出されては生態系まで変わってしまう。それとも…………貴方はこの国を収めるつもりがおありですか」
そんなつもりは全くない。
「約束を先に破ったのは貴方よ」
「約束?」
「ここには暫く手出しはしないと」
「暫くは、と申し上げた通りです」
(…………本当にしたたかで嫌になるわね)
やはり美しいだけでは領主など務まらないのだろう。私が知恵で彼等に勝る事はない。
「此方に手出ししなければ私達は何もしなかったのに」
手を出して木材団地が撤退して、商人が来なくなっては此方も困る。
「本当は穏便にいろいろ交渉するつもりだったし。でも貴方達がその機会を潰したのよ」
「交渉?あれほどの神法がお使いになられるのに、我々と手を取り合う必要はないのでは?」
ルミアの呟きに、精霊達が一斉に敵意を向けた。
ルミアが慌てて口を閉じるがもう遅い。言い方は前ほど棘のあるものではないが、何故かこの男が言うと嫌味に聞こえてしまう。第一印象が悪かったせいだろうか。
(策士が二人だなんて、やってられない……)
エルザーニスだけで手一杯だ。もう他の誰かに喋らせはしない。
私はルミアを一瞥して、エルザーニスに視線を戻した。
「…………一体貴方は、どれ程の器をお持ちなのですか」
エルザーニスがルミアへの敵意をやんわりと回避させようとする。
怯えながらそんな事が出来るとは、やはり経験の差は大きい。
「質問は一つ…………アカリの情報と交換なら教えてあげても良いわよ?」
「それは無理です」
「なら貴方の命と交換は?」
「お解りの筈です。私は貴方にレザーヌを明け渡すつもりはない」
やはり彼はどうなっても、私の手駒にはならない。
今更共生を持ちかけられても、私だって彼等と共に生きる事はもう出来そうにない。
しかし、ここで見す見す彼を光に還してよいものか。本当に他に道はないのか。
正念場だ。普段あまり使っていない頭でも、今は必死に考えなければ。
「そうだエルザーニス、あの鳥を返してあげても良いわよ」
「この期に及んで何を……」
萌黄も満足した様子だし、増々小さくなっていく鳥にもう用はない。
「アカリの精霊なんでしょ?彼女の許可なく大樹に還すのは、貴方にとっても良くないんじゃない?」
「…………」
この様子だとアルゼンナーエへ帰る途中で大樹に強制送還されそうだし、交渉材料として使える内に使ってしまおう。
エルザーニス達がどんな要求をされるのかと身構える。思わず笑みがこぼれてしまった。
「その器の結界を解いてくれたら、鳥も貴方達も森の外まで無傷で送り届けてあげる」
「!!」
万一エルザーニスが生き残る道を選んでも、武器もなしにここから逃げられる筈はない。森には獣も沢山住んでいる。
「それで貴方に隷属しろと?」
「別に無理な事は言わないわ。傀儡にしたい訳じゃないもの。私はただ静かにここで暮らしたいだけ」
エルザーニスは明らかに動揺していた。瞬きの回数が極端に減った。故意だろうと思う。
袖口を無意識に触ったのを私は見逃さなかった。
「私達に干渉さえしなければ、貴方達の今後を縛るつもりはない。貴方はここで光に還っても良いの?アルゼンナーエへ戻って、民を守りたいんじゃないの?」
彼等は精霊契約を知っているだろうか。私の神法の使い方はいろいろ特殊らしいので、知らないと言う事も考えられる。
(でも少なくともアカリは分かっているから、ああして彼等を守ってるのよね?エルザーニスも、知っているから動揺しているのよね?)
瑠璃によれば、一度精霊契約をしてしまえばアカリの器が幾ら大きくても神以外に解かれる事はないのだそうだ。
(アカリは絶対に神なんかじゃない)
瑠璃の言なので不安は残るが、今は信じるしかない。
守られている事をエルザーニスとガダールは知っている。問題は何処まで知っているかだ。
精霊契約が死ぬまで溶けない呪いだと解っていれば、きっと結界は解いては貰えない。私が口にした事を守る保証などないのだから。
ルミアやトーダリィでも構わない。彼等は精霊契約について知らなさそうだし、此方の方が望みがあるか。
彼等も領の重要な役職に付いている事は間違いない。エルザーニスに比べれば少し心許ないが、私達に手出しをしない決定や、法律でも何でも整備させる為に彼等を契約で縛って返す事は、私達にとってマイナスばかりではない筈だ。
「知ってる?防御の神法って、内側からの衝撃には結構弱いのよ」
「…………」
「これ以上私の邪魔をしたら、アルゼンナーエと言わずレザーヌ毎滅ぼすからそのつもりでよく考えて」
そんな事が出来るかは分からないが、負けっぱなしは何だか癪に障った。
エルザーニス達に緊張が走ったところを見ると、少しは意趣返しが出来ただろうか。
「では答えを聞きましょう。光に還るか、それとも…………」
木材団地から豪勢な馬車が出立する。
来る時は百人の近衛に守られていたその馬車には、二人の俯いた御者が座っているのみ。
乗り込んだのは三人の男と、抱かれた鳥が一羽だけだった。
「怒られるかなぁ……」
そう漏らしたのは一番若い青年、エルザーニス・R・ランファレ。
「怒られればまだましなのでは?」
答えたのは彼の教育係を務めていた、会合の主席交渉官だった男、エンデ・ルミア。
エルザーニスが、腕の中で眠る鳥をそっと撫でる。弱々しくて、本当にただの鳥の様だ。
「神の果実をここにおいて置いて良かったよ」
そう優しく語り掛ける。これで少しでも長く留まっていられる。
神の果実とは生命を光に還すと同時に、神の水で以って生命をこの地に縛り付ける魅惑の実。精霊は神の果実で光に還る事はないので、残る効能は言わずもがな。
人に戻った時にミドリがどんな顔をするか。怒っているに違いないとエルザーニスは思う。
(泣いていなければ良いな)
「私ともあろうものがあんな失言を」
「確かに失言だったなあれは」
最後の一人は、今はもうなくなってしまった近衛師団の隊長を務めていた者、ネイガ・トーダリィ。
いつもの掛け合いにもキレがない。
「交渉事でここまで完全な敗北を味わうとは予想外でした」
「ありゃどうやっても勝てねーだろ」
「もうこんな失態は侵しません。もっと上手くやります。今回は……流石に私もお手上げでした」
「そうだね」
エルザーニスはアカリの反応がどうしても気がかりだった。
そのヒントをくれる老人が、もうここにはいないのだ。
「ガダール様は何故残られる選択をしたのかな?」
「分かりませんが、我々の為でしょう」
「そう……だよね」
ガダールがそうしたのは、間違いなくエルザーニス達を守る為だった。彼は身代わりに魔女の元に残ったも同然だ。
あの環境で、ガダールはいつまで強く自分を律する事が出来るのだろうか。光に還る以外に、果たしてあそこから解放される方法はあるのだろうか。
(いや、あの方の事だから私とは違うのかな)
「我々を裏切ったという訳ではないのですから」
「それはそうだけどね……」
勿論そんな事は疑っていない。しかしいつまでもそうとは限らない。
あの地は彼の意思だけでそれが叶う場所ではない。
「エンデはあそこに残ると言うかと思ったよ。負けたままは嫌でしょう?」
「嫌ですけど、貴方が帰るのに私だけ残れません」
「そうですよエルザーニス様。ご自分を過小評価してはいけません。こいつがどんだけ貴方を好きか」
「それは……ありがとう。魔女が二人が帰る事も許可してくれて本当に良かったとは思っているよ。でも結果としては最悪かな」
「弁解の余地もありません」
ルミアだけではなく、自分に落ち度があったとここにいる誰もが思っている事は間違いない。
「あの様に力を振りかざされてはね。勝ち目がない」
侮っていた。もっと人ならざるモノだと構えて、相応の備えで挑むべきだった。
(まぁあれでも相当の準備だった筈なんだけど……)
持って来た物資の中で、特に神石はそう簡単に集められるものではなかった。それを無理して領庫の半分まで持ち出したと言うのに。
不幸中の幸いだったのは、そのほぼ全てを戦闘で使い果たした事だ。魔女の手に渡ってはいない。
魔女は一瞬金銭で解決出来そうな側面も見せたが、今となってはもうそれも出来まい。
「それに兵士達も……」
エルザーニスが声を落とす。
捕虜を助けないと言う選択肢は、エルザーニスは極力避けたいと思っていた。今までそれで負けた事はなかったし、そうであるから築いた今の地位と人望なのだ。
その自負が仇となった。あの時追撃などしなければ、被害はこれほど広がらなかった。
相手が悪かったのは確かだ。けれどその一言では済ませられない。
「私達だけ返されるとは予想出来ませんでした。誰のせいでもありませんよ」
「でも答えたのは私だから……」
実際には、魔女トーコの二択を選んだのはガダールだった。ガダールが考えあぐねているエルザーニスの変わりに選んだのだ。恐らくエルザーニスは、どちらも選べなかった。
ガダールは皆が生きる道を選択し、エルザーニスの代わりに決定した事を怒る精霊を宥める為に自らは捕虜となる事を選び、エルザーニス達を森から返したのである。
まさかエルザーニスもこんな形で敗走する事になろうとは思わなかった。しかし、ガダールの決定に頷いたのは紛れもなくエルザーニス自身だった。
これも自分の浅慮が招いた結果だとエルザーニスは思った。敗北とはこんなに苦い思いをするのかと。
(こんな事なら私は捕虜を……)
エルザーニスはそこで考えるのを止めた。それでは本末転倒だ。
それよりも。
「私は彼等の家族に何と詫びれば良いのかな」
申し訳なくて涙が零れる。
「詫びなど……」
言いかけて、ルミアは止めた。どんな慰めも今は意味がない。
エルザーニスは領主として綺麗事だけでは済まない世界で生きて来た。しかしこうしてきちんと民を悼み、傷付く。
だからルミアはエルザーニスが好きなのだ。いつまでも変わらないでいて欲しいと思う。
子供の頃からそうする様に、エルザーニスの頭を優しく撫で、ルミアは話題を変えた。
「アカリ様に何と報告しましょうねぇ。もしアカリ様に助けを求めていたら…………」
(((…………ないな)))
言葉にしなくても、それは三人の共通認識だった。
アカリは捕虜など見捨てる。捕虜どころか自分達でさえアカリにとって価値があるかと言われると不安になる。
「しかし万一アルゼンナーエが滅ぼされる様な事になったら、城が落とされそうになったら流石にアカリ様でも動かれるんじゃないか?」
「…………おばあ様を数に入れてはいけないよ」
エルザーニスが笑ってそう言ったので、ルミアは撫でていた手を自然に話す。
身内をそんな風に言うエルザーニスを見るルミアの目がとても寂しそうだと、トーダリィは思った。
三人と一羽を乗せた馬車がアルゼンナーエへ戻ったのは、神の季節も十週目に入った土の日の事だった。
面会を求められ早々にエルザーニスと対面したアカリは、眉をひそめつつ眠ったままのミドリを受け取った。
この時ミドリは小鳥ほどの大きさになっていた。
「申し訳ございません、アカリ様」
アカリの前に膝を付き、エルザーニスが深々と頭を下げる。アカリはそんな孫を見て、増々眉間にしわを寄せた。ミドリを見ても分かる様に、エルザーニスが自分をアカリと呼ぶ時は良い報告であった例がない。
娘は彼の帰還を短く喜び、お茶を入れると直ぐに退出した。私が今日も同席させるつもりはない事を良く解っている。
「先ずはこれを」
エルザーニスが一通の封筒を差し出した。
アカリは無言でそれを見る。封蝋の下に見なれないサインがあった。
(トーコ・D・ウェネーフィカ?…………venefica?……魔女…………)
「中身は、魔女トーコと交わした契約書です」
アカリは少し驚いた。魔女は少なくとも交渉事を書面に残す程度の知識がある。
(見た目は成人前の少女と言う話だけれど、中身は案外大人かもしれないわね)
それはアカリにとって納得出来ない事ではなかった。自分がそうである様に、見た目等どうとでも出来る事を知っているからだ。
アカリは一先ず封筒には触れず、エルザーニスに報告を促す。
「魔女トーコの容姿は…………おばあ様によく似ていました。黒髪黒目の少女で、あの肖像画の様な様式の家に住み、傍には黒い着物を着た土の精霊が居りました」
アカリは確信した。魔女トーコは異世界から来たのだと。
「他に顕現していた精霊は火水風光。全属性持ちです」
(五人とも顕現しているか……。到底これでは敵わないわね)
この世界エルダーンに、精霊が顕現する程の器の人間はまずいない。神の悪戯によって此方に来た来訪者以外には。
「グリーセントメリベの神獣及び眷属も、報告書の通り従えていました」
淡々と事実を告げる孫。
「魔女の称号に付いては不明な点が多くありますが、我々を土の巨大な箱に閉じ込めて長距離を高速で移動する、人を空へ飛ばす、植物、鉱物、金属、神力等を自由に成形する、森や建造物を創造するといった神法を確認しました。その器は計り知れません。ただ、モエギと言う風の精霊の看破の目については、質問の仕方次第でまだ回避は可能です」
「精霊が知恵を付けないうちわね」
「はい」
風の神法が心に干渉し易い事は良く知られている。器が大きければ心や身体の動きを読んで嘘を見破る程度の事は容易い。一般的に「看破の目」と呼ばれる神の称号だ。
それよりもアカリは精霊の名前に着目した。
(萌黄、ね)
春先の若葉の様な黄緑色。それは平安時代からの伝統色である。他にもエルザーニスの口から蘇芳、瑠璃、紅、山吹の名が出る。神獣は蓬と言うそうだ。
魔女トーコは日本人、若しくは日本に所縁のある者。またはただのマニアとアカリは当たりを付ける。
「次に魔女の人となりですが、器が圧倒的でも此方を敬うだけの度量は見せました。人を光に還す事に若干躊躇する様子もありましたが、こちらが攻撃を仕掛けてからは一変しました。ある程度の思慮分別はある様です」
アカリの元居た場所にもそういうものは沢山いた。もしかして、同じ時代から来たのではないかとアカリは推測する。アカリが此方に来たのはもうずっと前の話だが。
「魔女の身分については不明です。振る舞いは平民にも貴族にも見えました。貴族の事情にも通じていましたが、此方の兵士が二名ほど彼方に付いていましたのでそこから情報を引き出したのかもしれません」
召喚されたのならそれは想定の範囲内だった。大人の日本人なら此方の身分制度にある程度は柔軟に対応出来るだろう。
(ただの馬鹿なら話は早かったのだけれど。此方の人員を引き入れられのは、これの称号と同じ様な物を持っているのかそれとも……)
魔女トーコが元々人脈を作る事に長ける社交的なタイプなら厄介だ。聞いた限りではそこまでの感じではないが、本人は特に何かに秀でている訳ではないのに何故かいつも周りに助けられる愛されキャラと言うのもいる。
(どちらかと言えば後者かしら。全く憎らしいチートだわ……)
「金銭で解決出来そうな事は今のところございません。一度は食料や結界石等を要求されましたが、我々が持って行った物以上の物資は結局請求されませんでした。金銭に一定の興味は示しましたが、それだけでは交渉の材料にはならない様子でした。魔女が最終的に求めたのは今後の不干渉のみです」
(交渉経験は少しはある様だけれど、此方を謀る程の知恵はない人物……)
アカリは魔女をそう考察した。
侮るのは危険だが、魔女の現れた時期やその言動から、アカリは自分に知の利があると踏む。
「他に、従者を一名確認しましたが、特に気に掛ける様な者ではございませんでした」
そこまで喋るとエルザーニスは一息付く為にカップを手にした。中身は程よく温くなっていた。
神の季節は四季で言うなら夏。しかしクーラーや冷蔵庫などないこの世界では、冷たい飲み物は殆ど提供されない。
(この小さい器でそれだけの能力を探り無傷で帰還するとは、良く出来た孫だこと。でも……)
それは称賛に値する成果だった。しかし、アカリはエルザーニスを褒めようとはしなかった。
いくら代替わりしたばかりとは言え彼はもう成人した立派な大人。領主としての責務に妥協は許さない。
本当に伝えなければならない事はここからだ。
「他には?」
促せばエルザーニスは直ぐに答えを返した。
「此方の被害ですが、ガダール様を人質に取られました」
「…………」
真っ先に顔を見せなかったのは、やはりそう言う事だったか。
「近衛師団の兵士九十七名、神法師団第八隊の兵士全百名、第九隊の兵士三名と偵察鳥一羽が魔女の手に掛かり、計百五十名と一羽の大樹への返還を確認しております。残りの兵の生死は不明です」
エルザーニスの身を守る近衛と師団のエリート隊がほぼ全滅。これはエルザーニスにとってもレザーヌにとっても相当な痛手であろう。
「早急に師団を再編成致します。それから、結界石の生成方法や我々の称号の情報を奪われました」
情報を奪われると言う言葉に、アカリの視線が一気に冷たくなる。
ただ、次のエルザーニスの言葉でアカリは一瞬感情を忘れた。
「最後に、精霊を呼び出されました」
「……………………何ですって?」
アカリの態度が、目に見えて険しいものへと変わる。
「おばあ様にかけて頂いた保護の術を破られました」
「それで精霊契約をしたと言うの?」
「はい」
(何て事……)
念の為と思ってアカリが掛けておいた保護。魔女はそれを打ち破り、精霊をも呼び出せる器を持っている。
まさか精霊を呼び出せるものが自分の他にもいようとは。それはアカリが思い描いていたよりもずっと強い。
(もし私より上なら…………いえ、白の神に本当にそれが出来るの?)
アトリからの報告では、青の神が干渉している様子はなかった。であればそれは白の神の仕業と言う事になる。
「総評すると、魔女トーコは触らぬ神に祟りなしと言うところです。手を出せば我々だけでは……。今のところグリーセントメリベを与えておけば害になる可能性は低いと考えます」
エルザーニスの報告が終わる。
アカリは半信半疑、エルザーニスに問うた。
「念の為に聞くけれど、自分から保護を解いたりはしていないでしょうね?」
「…………申し訳ありません」
「!!」
アカリは頭を抱えたくなった。まさかこれ程孫が愚かだったとは。
(ガダールよりはましだと思っていたのに、過大評価し過ぎたかしら)
エルザーニスは平然とお茶を飲んでいる。アカリはエルザーニスに失望し、図太いその神経分だけ評価し直す。
それは何においても絶対にしてはいけない事だった。例え兵士を目の前で光に還されようが、懐いている教師を拷問されようが、己の立場を弁えなければならない。
「なぜその様な事を…………」
聞くのも馬鹿らしくなる。何故エルザーニスは保護を解く様な愚かな真似をしたのか。自分の立場をどの様に考えているのか。
こんな愚者に今更精霊契約の絶対性を説き直して理解出来るのか。
「ミドリ様の繋がりと交換致しました」
エルザーニスの返答に、アカリは目を見張った。
二人の視線がテーブルの上に注がれる。そこに置かれた籠の中で寝息を立てるミドリの呼吸は安定していた。神力の糸が再び繋がった今、ミドリは徐々に回復に向かっている。
「夜襲の後捕らえられたミドリ様は、魔女トーコの精霊モエギに神力を奪われ大樹に還る寸前でした。ガダール様がミドリ様を此方へ返す代わりに、ご自分の命を魔女に預けると申されたのです」
大きなため息が出た。昔から浅短で何をするか分からない男だとは思っていたが、何もこんな時にその力を発揮してくれなくても良いではないか。
(まさか私の邪魔をする気ではないと思うけれど……)
「魔女の要請に従ってガダール様は保護を内から破りました。そして魔女は精霊契約の条件として私を指名したのです。私はガダール様の思いを汲み、保護を解きました」
「…………精霊契約の内容は?」
「詳しくは此方に」
エルザーニスが封筒を示す。アカリはさっと封を解いた。中身は一枚の上質な便箋だった。
内容はエルザーニスの申告通り、魔女の許可なく魔女と関係者及び森の街道以北のグリーセントメリベへ干渉しないことが明記されていた。それから精霊契約の詳細についても。
ガダールには魔女への服従を強い、破ればエルザーニスが光に還る。
エルザーニスにはこの契約書を努めて全人類に守らせる事を強い、怠ればガダールが光に還る。
ルミアとトーダリィにもエルザーニスと同様の事を強い、怠ればエルザーニスが光に還る。
(やはり従者にも掛けられたか)
更に、魔女トーコにとって不都合な事があれば報復は辞さないとの注意書きと共に、本契約書を二通作成し、甲乙一通を保有す、と決まり文句で契約書は締められていた。
「ミドリ様をお借りしましたのに、戦力を削がれ情報漏洩の上にこの様な失態、申し開きのしようもございません」
エルザーニスが再び深々と頭を垂れる。その表情は伺い知れない。
「精霊契約は神の定める絶対の理。それを歪める事は神にしか出来ないわ。例え器が勝ってもね」
「……はい」
精霊契約は絶対順守の呪い。それは掛けた者にしか解けない。無理矢理解こうとすればこの世界の器の小さい生き物は壊れてしまう。エルザーニスも知っている筈だ。
「おばあ様、魔女は、本当に人なのでしょうか」
暫くして、エルザーニスが静かにアカリに問い掛けた。
「あれは神などではない。但し強者。レザーヌを守りたいのなら、相応に戦う術を身に付けなさい」
アカリはそれだけエルザーニスに伝えた。




