第40節 接見の準備と日本人の影
名前も決まったところで、早速準備をしよう。準備と言っても体裁を整えるところはそうない。だって物がそもそもないのだ。
ミィの服は結局ケープの一部を切り離して紐にしたほぼ貫頭衣で、領主の前に出すには少々あれな感じであった。穴を開けたり布の端を切り落として紐を作るくらいの要求がミィにとっては精一杯だったらしい。
なかなか思い通りにはいかない。
「領主のお城って、使用人でも貴族だよねぇ?」
「そうとも限りません。キッチンやランドリーには平民がいます。上級市民ではありますが」
それでも上級市民。こんな衣装ではないだろう。
仕方がない。
「領主に合う時だけ瑠璃に神法の服着せてもらおう。いい?瑠璃」
顔色を窺うと、瑠璃は素直に頷いた。渋い顔はしていないので上々だ。
「宜しければトーコ様にも素敵なお召し物をご用意致しますわ」
弾んだ声でそう言われ、そう言えば自分も衣装がない事に気が付いた。
一応お洒落ドレスを一着持ってはいるが、それが領主に合うのにふさわしい衣装かと言われればそうではないと思う。
しかし、神法の服は所詮全裸なのである。私にそんな勇気はない。
「…………服の上からでも重ね掛け出来る?」
「出来ますわ。ご安心下さい」
「なんだ。そうなの?」
それならお願いしても良い。
これで一先ず衣装の心配はなくなった。
(ついでにホノライとノハヤには執事っぽい服でも着せようかな)
だが今時の貴族の衣装がどう言ったものかさっぱり分からない。
私は円卓を広げて四人分椅子を用意し、遠慮するホノライ達を無理矢理座らせた。
「朝食ついでに衣装会議をしましょう」
会議と言っても主にホノライから現状を聞き出すだけである。
私は皆に意見があればいつでも自由に発言する様に言い含める。この辺りはホノライは比較的順応が早い。流石は下級でも貴族。そして年長者。上への対応に耐性があるのだろう。今のところ質問に回答するだけだが、直ぐに聞かなくても意見をくれる様になりそうだ。
ちなみにこのゲームは私を諫めてくれる執事が出来上がれば目標達成である。
丁度四対四なので、給仕は精霊達に任せる。出された料理は最初に私が一口食べ、後は皆が倣って食べ始めた。このくらいが双方の許容範囲なのかもしれない。
「…………美味しい」
「本当だ」
「美味しいですね、ホノさん」
ホノライを見るノハヤの目の嬉しそうな事。
「どうしました?」
「何でもない。ちょっと嬉しかっただけよ」
水先案内人の言葉を思い出しながら、にやけた顔をごまかす。本当にご馳走様です。
ミィの作った朝食は、調味料が塩しかない割に美味しかった。ノハヤもホノライもその出来栄えに驚いている。久々の温かい食事だった事もあるかもしれない。どうやら紅がIHを補助した様だ。ミィは料理をしながらプレートを温める程の神法の調節は出来ないし、そもそも元の神力が足りない。
「トーコ様が高級な塩を用意して下さったお陰です。冷蔵庫もあって野菜も新鮮ですし」
瑠璃にお願いして、昔の冷蔵庫の様に上の段に氷を入れて生野菜を保護したのだ。ホノライも感心していたので、あまり見ないものなのかもしれない。器具が増えてキッチンは粗方整った。後はミィの腕次第。そのうち調味料ももっと手に入れたい。
それから捕虜達にも基本的には大皿で同じ料理をふるまうと提案したら、全員から苦言を呈された。貴重な塩もそうだが、そもそも調理する必要があるのかと。ミィまで頷いていたところを見ると捕虜の扱いは結構酷い。パンと野菜くずのスープとかが基本かと思っていたのに調理まで否定されるとは。
しかし、食材の量から考えて彼等には恐らく一日一、二食程度しか食事を与えられない。仲間がいなくなって意気消沈しているのだからせめて食事くらいはとも思うのだ。彼等だって好きで捕虜をしている訳ではないのだし、正直なところここら辺で善行をしておかないとこの後悪い事が起きそうでちょっと怖くなったのである。
「そう言えはこっちのパンってハードなのしかないよね。柔らかいのが食べたい」
食べ慣れないので水で流し込んでいたが、柔らかい方が私は好きだ。
ちなみに今日の話ではない。この食卓にパンは置かれていない。
「そもそも主食がないよねぇ」
本日の――と言うよりレパートリーが増えるまでは暫く――食事は野菜炒めか携帯食と水である。
「何か足りませんでしたか!?」
調理法が変わらない様なら煮るのと蒸すのも提案しようなどと暢気に考えていたら、ミィが青ざめて手立ち上がった。
「いや、そうじゃなくて。パンかお米は食べたいなーって」
取り敢えず座らせて、ここも知識の広そうなホノライに目を向ける。
「お米?」
「ご飯…………稲とか知ってる?」
首を横に振られる。ノハヤも知らない様子だ。美味しい塩があるのに残念だ。塩結び好きなのに。
「パンでも良いけど、商会では売ってなかったし」
「……パンは家庭で焼くものですが」
遠慮がちにホノライが教えてくれた。ノハヤと、ちょっと涙目のミィもきょとんとして私を見ている。
「…………そうなの?でも材料とかも売ってなかったよ?小麦粉とか薄力粉とか強力粉とか……?」
パンを作った事などないので材料が何か今一分からないが、まさか小麦の栽培まで各家庭でしている訳ではあるまい。
などと見当違いの事を考えていると。
「本当にトーコ様はこの辺りの事をご存じないのですね。行商の馬車でも恐らく取り扱いがあったかと思います。黒い粉を見ませんでしたか?」
「黒い粉?」
「パンの木の実をすり潰したものです。水と混ぜて焼くとパンになります」
そう言われても記憶にない。ホノライは貴族のくせにパンの作り方まで知っているのか。
「木の実なの?」
「そうです」
「黒いの?」
「はい」
皆の食事の手が止まってしまっている。また呆れられただろうか。
ノハヤと視線が合うと、にっこりと微笑まれた。違う、これはあれだ。子供だから仕方がない、みたいな視線だ。
(良いのよ、これから知って行けば)
呆れられたって今更だ。それに考え様によっては好都合ではないか。
「パンの木が一本あったらどれくらいパンが焼ける?」
「この人数でしたら毎日食べても十分な糧かと」
ほら見た事か。庭に一本植えておけば、大して面積を取らずに主食を確保出来るではないか。
(絶対に手に入れよう)
領主に家と一緒に要求するか、それともヤトーに持って来させるか。
主食確保の目途に気を良くして食事を再開する。
その後捕虜の食事に関して了承を得て、和やかに食卓は進んだ。
会議のメインだった筈の衣装デザインは、結局概ねルネサンス期の少し豪華目の衣装と言う結論に至った。
「なら家も少し豪華にするか」
ミィとノハヤと紅を捕虜の食事作りに送り出した後、取り敢えず見た目だけでも服に合わせてバロックな宮殿風にする事を提案する。華美な装飾の白亜の屋敷。大きさや間取りがそのままなので若干変な感じだが、どうせ玄関入って直ぐのホールにしか招き入れるつもりはない。出来れば庭で済ませたいくらいである。
城に住んでいるらしい領主や貴族の館と大きさを張り合っても意味がないし、侮られない程度に豪華にしておけば良い。
ホノライに上流階級の住宅事情を聞きつつ、私は蘇芳と家を作り変えて行った。見た事もないモノを蘇芳に伝えるのは苦労するが、作り直すのは自在だ。私は精一杯の知識を引き出して、絢爛豪華な屋敷を創造させた。
「この程度でどう?」
「これはまた……見劣りしない贅沢なお屋敷かと」
結果、領主の住まう城より格段に美しい家が出来た様である。ただ大きさは貴族の屋敷どころか離宮にすら届かないと言われたが。
「ここまでの美しさなら大きさでどうこう思われる事はないでしょう。神様のお住まいはこの様な有り様なのですね」
後半は聞かなかった事にしよう。侮られなければ取り敢えず良い。
「さて、後は庭の整備かな」
外壁はぐるりと巨木に囲まれていて、その内側には火を吐く魚がいる大きな堀。防衛は完璧だが、見た目はただの木と土。森の中にひっそりと佇む一軒家と言う感は拭えない。
(バロックの宮殿なんだから、レンガ調の塀にでもしてみる?でもイングリッシュガーデンて自然な感じが売りなんじゃなかったっけ)
ふと足元を見やって、そう言えば皆跪いたり土下座したりで服が汚れると思った事を思い出す。
「どうせなら全部白にしようかな」
蘇芳にお願いして、巨木の内側、堀の外側の壁まで全て家と同じ白い石で地面を覆って貰う。広場は堀まで含めると直系百メートル。大理石調の庭とは圧巻である。
「がうぅぅ」
ヨモギの鳴き声で振り向くと、大理石で爪研ぎしているのが目に入った。神法の大理石は恐竜がひっかいたくらいで傷は付かない様だが、歩き難そうではある。あまり暴れられても困るが、運動不足になるのも後々面倒なので、ぐるっと外側一周の道を残して北側半分は大部分を土のままにした。
広場の北東はヨモギの遊び場、北西は畑エリアにしてヨモギの侵入防止に低木で囲う。物理的に防げはしないが、精神的に防げれば良し。目安になるので囲いは便利だ。
中央の屋敷の周囲と南側は大理石を敷き詰め、お城の庭をイメージして幾何学模様の庭園と噴水を造ってみた。後はご飯用の東屋を一つ。ついでに言えば、庭園用の植物は近くの森から呼び寄せた。
門と橋はないが、来客が来た時に外壁代わりの巨木を左右に分けて、余った白石で簡易の端でも作れば良いだろう。どうせ頻繁に使うものではない。
「完璧じゃない?」
「「完璧です……」」
捕虜の食事を作り終えて、地下への扉を開けてもらおうと蘇芳を呼びに来たミィとノハヤが、東屋の前で呆けた様にそう繰り返した。
ホノライからもお墨付きを貰ったので、取り敢えず屋敷はこれで完成とする。
「後はそうね、役割分担かしら。領主の前に出られる教養があるのって、ホノライ以外にいるのかな」
「「…………」」
ミィとノハヤが口をつぐんだところを見ると、どうやら頼りになりそうなのはホノライのみ。
「私にも荷が重過ぎます」
ホノライも遠慮がちに同席したくないと伝えて来る。ホノライは元々下級貴族である。領主に謁見する機会が多かったとは思えないので言いたい事は分からなくもない。
しかしここで貴族社会を知っているのはホノライだけなのだ。こればかりはどうしようもない。
「瑠璃、貴方ここの主人の振りをして領主の対応をしてくれない?主人が子供では侮られるかもしれないわ」
「何でトーコ様の代わりが瑠璃なの?トーコ様の補佐は僕でしょ?」
お気に召さないらしい萌黄に口を挿まれたが、瑠璃が一番適任なのは一目瞭然である。全く喋らないで良いなら蘇芳でも良いが、そう言う訳にはいかない。紅は面白半分で遊び出しそうな気がして怖いし、萌黄はそもそも交渉の席に着くには見た目が幼過ぎる。
私は隣に陣取る萌黄の頭を撫でながら彼の意見を軽く無視する。
「魔女って触れ込みだし、多少の事は変わった子で済ませられるでしょ」
ここまで散々な事をしでかしているので今更である。
「ホノライは執事としてそれをフォローして欲しいんだけど」
ホノライが、自分が瑠璃を窘められる訳はないと青ざめるのもスルーする。
「トーコ様はいかがされますの?」
「私は隠し部屋から見てるわ」
本音は対応に自信がないだけだが、そんな事は言わない。
「侮る?そんな事させないよ?」
まだ見ぬ領主に敵意を向き出す萌黄。私を覗き込む姿は非常に可愛いし萌える。が、話が進まないので少し邪魔だ。
「萌黄、蘇芳とミィと捕虜にご飯あげて来てくれる?」
「えー」
「行くぞ萌黄」
蘇芳に半ば引っ張られながらテーブルを離れる萌黄が玄関ドアを潜るまでは取り敢えず視線で見送った。
この機に執務室に移っても良かったのだが、伝書鳥から目を離すのはまだ不安だった。
幸い晴れているし――ここへ来てから雨だった試しはないが――折角庭も豪華になったのである。東屋で話をするのも悪くない。
「そもそも領主の目的なんだけど」
私は領主の手紙を開いて皆に見せる。
「事情を聴きたいから会いに行くって書いてあるけど、どうなの?これ?」
長々と挨拶があって、凡その日付が書かれてある他は、それだけである。
因みに私は来て良いなどとは一言も発していないが、相手は手紙を出して直ぐ旅立つとの事なのでどうしようもない。伝書鳥を返すと言う選択肢は今のところない。これも質の一つだ。
「結界や森や神獣……ヨモギ様の状況を確認したいのは嘘ではないでしょう。何故領主自らがお越しになるのかは分かりませんが」
ホノライの言う事は尤もだと思う。
「ノハヤはどう思う?」
「代替わりしたばかりの若い領主様ですから、貴族へ向けて何か実績が必要なのかもしれません」
二十代のノハヤが若いと言う領主とは。
「領主って幾つなの?」
「確か今年二十三です。三年前に前領主様が流行病で光に還られて、その後直ぐ領主になられました」
「ノハヤは?」
「私は二十六です」
二十そこそこで国を背負って立たなければならないとは、領主も大変である。まぁ私も外見は兎も角中身は二十八だし大して変わらない年で荒野に放り出されると言う波乱万丈の人生を謳歌中だが。
「しかしエルザーニス様は幼少の砌より神童、天才と謳われるお方。大きな後ろ盾もあるのに危険を冒してまで聖域にお越しになる必要があるのかは疑問だ」
領主が一人で来る訳ではあるまい。成人男性にも補佐役が付いて来るかは知らないが、文官やら秘書官やら護衛やら、そこそこの人数は想定しておかなければならない。
「……大きな後ろ盾って何?さっきもそんな話してたよね?」
「エルザーニス様の後見を務めるのは、先々代領主のアカリ様です。このレザーヌ領が他領を退けて格付けの先頭にあるのもこのアカリ様の治世で大きく発展したからでして、アカリ様ご自身はその美貌と話術で貴族にも顔が広く、その権力は今もなお衰える事を知らない、というお方なのです。エルザーニス様が領主になられてからは公の場にお出になる機会は減りましたが」
私はその名前に引っかかりを覚える。胸騒ぎがした。
「アカリって、ここではよくある名前なの?」
「そうですね。アカリ様の治世に肖って、女の子にアカリと付ける事は良くあります」
「そう言えばアカリ様ってお名前が特殊ですよね。ミドルネームが二つあって」
「二つ?」
「はい。アカリ・アリサカ・R・ランファレ様。貴族でもあまり見ない名付け方ですよ」
アカリ・アリサカ。
「有坂、あかり…………?」
ここに来て聞いた日本人の名前は三つ。アサギ、ミツヒデ、そしてアカリ。
(私だけではないの?)
アサギは村の名前の様だったので人かどうか怪しいが、ミツヒデは黒髪の日本刀を操る青年だった。
(アリサカアカリは若く見えてもおばあさんな訳でしょ?)
もし私と同じ様に向こうから来たのなら、相当昔の事なのかもしれないし、そもそも時間なんて関係なくて私より未来から来たのかもしれない。そもそもこれが夢なら……いや、私の知り合いにアリサカアカリと言う人物はいない。違う。
(それに何?私は荒野に放り出されて、ミツヒデは貧しい村にいて、アカリは領主?何でそんなに恵まれてるの?)
理不尽な怒りが沸いた。
「トーコ様?」
「…………何でもない。アカリの出身って知ってる?」
「アカリ様はランファレ家のお生まれです」
「元から領主の家に……アルゼンナーエで生まれたの?」
「そうです」
転移者でなければ転生者。しかしよく考えれば名前は親が付けるのではないだろうか。
「アカリの親は?」
「ガダール様とミゼア様ですね。三賢者や革命の物語をお読みになれば詳しく書かれていますよ」
「賢者なの?革命って?」
賢者は確か領主より上の階級だ。神力は五千を超えると言う。
「ガダール・R・ランファレ様とミゼア・R・セラドニ様は、圧政からレザーヌの民を救って領主に立った英雄でいらっしゃいます。ガダール様は三賢者のお一人です」
「ミゼア・R・セラドニ?ランファレではなく?」
「ミゼア様はセラドニ家のご出身です。ご結婚されてランファレ家に入られて、ガダール様が領主になられた時にご一緒にRを名乗られる様になりました」
戸籍制度がないと言っていたし、夫婦別姓なのだろう。
「二人の出身地は?」
「アルゼンナーエです」
日本人ではないのだろうか。
「…………なら、トーコ・ドーサカって珍しい名前だと思う?田中とか山田とか渡辺って聞いた事ある?」
「?珍しいと思います。他で聞いた事はありません」
ノハヤも頷いている。
ここには日本人の名前が溢れている訳ではない。チハヤなどは聞くのでノハヤも近いと言えば近いかもしれないが。
(でもアカリ・アリサカだよ?有坂でしょ、どう考えても)
もしアリサカアカリが日本人なら、私と同じ知識を持っているかもしれない。否、普通の会社員だった私と違って、特殊な職業や専門を極めた優秀な人材だった場合、その能力は計り知れない。
しかもあの忌まわしい神に優遇されているかもしれないのだ。異世界でチートは定番だ。そう考えればアカリより三賢者のガダールが怪しいだろうか。
今まで力業で何とかなっていたものが、通用しなくなるかもしれない。
(そんなヤバそうな人が敵側にいるの?)
私は一気に恐怖に包まれた。
ミツヒデも味方かと言うとそうではなかったが、小さな村の中の一人だった。
しかしアカリやガダールはこの国の権力の頂点でもあるのだ。
「ガダールって、まだ健在?」
「公式の場にはもうお出にならないのでよく分かりません」
健康でなかったとしても、三賢者は存命である。
(でも今は、取り敢えず来るのはアカリでもガダールでもない。エルザーニス。彼が日本の何を知ってるか確かめないと)
私の居場所が脅かされる。もう追われるのはごめんだ。
私の安寧を乱そうと言うのなら、どんな手を使ってでも抵抗しなければならない。彼等は私より遥かに恵まれた存在であるかもしれないのだ。遠慮する必要などない。寧ろ必死で抵抗しなければ負ける。
「瑠璃、やっぱり私が話をするわ」
「それが宜しいかと存じます」
日本の事を知らない瑠璃では探れない。
領主に会って、私はそこそこの要求をするつもりでいた。サダートに書かせた通り、ここの居住権や家、家財道具、パンの木。それに塩の取引なんかも良いかもしれないなどと思っていた。
それは此方の戦力が圧倒的に上であり、知識も知恵もあり、自分達が優位に立っているという前提があったからだ。策がなくとも力の差で埋められると、何処かで安易に考えていたのだ。
しかし、あちら側に日本人がいるとなると話は別である。
(急がなきゃ)
領主が来るのは凡そ十三日後。アルゼンナーエから馬車で街道を八日。そこから森を五日程度かけて来る。そんなに悠長にしてはいられない。天才と、それを補佐する優秀な集団に考える時間を与えてはいけない。
もう手遅れかもしれない。だって彼等は戦力も分からない未知の魔女に向かってくる事を即断し、既に行動を起こしているのだ。
(だからと言って、手を拱いている訳にはいかないわ)
私の方はどうせ考えたってこれ以上の案が出るとは思えない。なら時間が経つほど不利になる。
それなら先手を打って迎えに行こう。飛んで行けば数時間で森の入り口に着く。捕まえて目隠しして連れて来れれば、彼等に私の家の正確な場所が知られずに済む。それに不測の事態に相手がどう出るのか、戦術や命令系統を少しでも把握したい。
(捕まえられればの話だけどね)
ホノライによると、森までの街道には村が点在し冒険者もいる為人目があると言う事である。であるなら森を入って直ぐ仕掛けるのが良い。そこで彼等の戦力を推し量る。危険なものを危険な状態のままみすみす我が家に近づける必要はない。
神力の器が私より大きいとか、精霊が倍いるとかならお手上げだが、もしそうでないのなら有利に、そして早く交渉を終わらせて平和を取り戻すのだ。
(見た目子供だから侮られる?そんな事言ってる場合じゃないわ)
子供の姿ならば逆手に取ればよい。相手の油断を誘って。
天才と謳われる人物がそんな姑息な手に掛かってくれるとは思えないが、そう鼓舞でもしなければ竦んでしまう。
(これからの生活がかかってるのよ。しっかりしろ私!)
相手の目的も神力も不明。天才で、権力の頂点にいる、そんな人物と交渉に臨まなくてはならない。
対する私の手札は捕虜だけだ。
「やる事が決まったわ」
私は徐に全員を見て、注意を向けさせた。
「私達がすべき事は、先ず領主の目的を知る事。それから彼と、アカリとガダールとミゼアがどういう人物か見極める事」
そう、私は情報を集めなければならない。
「此方に来ない人種の事もですか?分かるかしら?」
「分からなくてもやるのよ紅」
「はぁい」
気のない返事。でもやらなければ。
「瑠璃達四人は器も調べて」
「エルザーニスのですか?」
「来る人全員よ。神力計を使わなくても正確に分かる様に、今から誰かの神力計を借りて細かく器を計る訓練をして欲しいわ。出来る?」
「勿論です!」
頼ると嬉しそうな顔をする。いつもの調子の瑠璃に、私のささくれ立っていた心が少し和む。
「そして可能な限り居住権と不干渉を交渉する事」
瑠璃とホノライに視線を向ける。
「二人は交渉の補佐をお願い。欲しいものはいろいろあるけど、それが最優先事項。平和的に交渉出来る様なら住宅建設の為の技術者と、食料と物品を頂きましょう。対価は捕虜で」
「対価など払う必要がありまして?」
「あっちには私より強い人がいるかもしれないわ」
私の言葉に全員が固まる。
「トーコ様より?有り得ませんわ」
「そうです。こんなに素晴らしく大きな器の持ち主など、この世におりませんよ」
精霊が言うならそうなのかもしれないが、今はそれを素直に信じられない。
「いざとなったら僕が光に還してあげるよ」
小悪魔が耳元で囁く。
「蘇芳と紅と萌黄は何かあったら全力で戦って構わないわ。でもそれは悪まで交渉が決裂した時。無闇に光に還す必要はないからね」
悪い事をするとこの右手の神の刻印が痛むのだ。
(レザーヌが人質を……人の命をどう扱うかも見たいしね)
紅が、私の心を読んだ様に笑っていた。
その日から私は教師役を引き受けてくれたホノライに付いて、領やデルファーニア、エルダーンの事を真剣に習い始めた。