第33節 進む師団と久々の買い物
「良く寝た……」
「そうですね。おはようございます、トーコ様」
カレンダーの付いた時計などないから何となくしか分からないが、それでもはっきり分かる事かある。
「今一の鐘鳴ったよね?」
「鳴りました」
ベッドの横で控えているのは蘇芳。そして内にも外にも感じる火の神力。
「今日、何の日?」
「火の日です、トーコ様」
「私の日でーす」
お湯係の紅が前屈みでアピールする。後ろで手を組むのは止めて欲しい。胸が強調されてゆるふわな髪と一緒にぽよんと揺れた。
(いや、そんな可愛い擬音じゃないわ……触りてーな)
自分にないモノと言うのは、どうしてこう良くも悪くも人を惹き付けるのか。
(そうじゃなくて。私昨日寝たの、朝始まった頃だったよ?二の鐘鳴ったばっかで……)
明らかに寝過ぎだ。嫌な事があると寝て忘れようとする癖でも付いたらどうしてくれる。既に遅い気もするが。
「確か私お昼寝を勧められたんだよね?何で起こしてくれなかったの?」
「気持ち良さげに寝ておられましたので」
「トーコ様の眠りを妨げたりしないよ?」
腕の中から声がした。萌黄である。そう言えば抱き枕代わりにして寝てしまったのだ。
「おはよう、トーコ様」
んちゅーっと唇を吸われた。
(……………………!!!!!?)
「離なれろ萌黄!!」
「止めなさい!!羨ましい!!」
「あら、そう言うのがお望みなら私が専門ですよー?」
「貴方も何言ってるの紅!!」
瑠璃の本音が駄々洩れてくる。一番近くにいた蘇芳に首根っこを掴まれて、萌黄がベッドから引っ張り出された。
「ちょっとぉ。邪魔しないでよねー」
「何が邪魔なの!!私もまだなのに!!」
(…………まぁ減るもんでもないし良いけど。ちょっと萌えたし、ごちそうさまです)
瑠璃と萌黄は性格が似ていると思う。この二人がいつも喧嘩をしているのは同族嫌悪だろう。
(そろそろ精霊に人間の時間間隔を教えて行くべきかなぁ)
長生きの精霊にはたかが一日寝ていたってどうと言う事はないのかもしれないが、人間にとっては大きな一日である。彼等と違って人には食事が必要で、更に言うとここで放っておくと私が堕落するからダメな気がする。
「次からは寝てても食事の時間には起こしてくれると助かるわ」
「食事の時間ですね。分かりました。では一の鐘と三の鐘と、四の鐘が鳴ったら起こす様に致します」
「うん。まぁそれでいいか」
臨機応変に対応してくれると助かるのだけれど、出来ていたら今こういう状況にはない。
(時間かかるなこれは)
先の長さにため息を吐きつつ、蘇芳に掛け布団を捲られて起き上がる。
「ミィは?」
「お呼びですか、トーコ様」
いないと思ったら寝室の入り口に控えていた。
ちなみに寝室の向こうは使用人の控えの間などではなく執務室である。特に仕事がないので今は使用していないが、名目上はこの館の主人である私の部屋だ。
「ミィ、昨日はちゃんと食事した?」
「はい。昨日の昼と、夕食も頂きました」
きちんと言い付けは守った模様。私がいないと食事を摂らないなんて事は止めて欲しい。
「捕虜には?」
「?与えていませんけど」
それが何か?と瑠璃。全員が同じ反応をする。ミィもである。
「もう食べられなくなるからあげてって言わなかったっけ?」
「昨日の朝は言われましたが。その後もそうだとは思いませんでした。そもそもノハヤは寝かせておりましたから必要ないのでは?」
蘇芳の言葉に頷く一同。寝かせた、とは。
(強制的に?恐……)
神力を回復させるという意味では無駄ではない。しかし生き物の生存という点については良し悪し。
食事を必要としない精霊が悪びれないのは仕方がないとして、ミィは食事の意味を分かっているはずだが。
「ミィはあげようとは思わなかったの?まさか水も?」
まぁでも瑠璃が必要ないと言うなら反対し難いかもしれない。
「?はい、彼等は捕虜ですから。トーコ様の許可なく勝手には」
これは瑠璃に逆らえない、と言う雰囲気ではない。
捕虜とはそう言うものなのだろうか。
現代日本ではあり得ない衛生状態のファンタジーな牢屋にぶち込まれても、一欠片のパンと具のない薄いスープは与えられるものだと何となく思っていた私は軽くショックを受ける。
「今直ぐあげて来て。飲み物はこの水を」
「トーコ様より先に食事を摂らせるなど……あぁ、なるほど」
(ん?)
「確かに毒見役は必要ですね。ショーミキゲンですし」
「え?いや別に……」
そんなつもりは毛頭なかったのだが。
(納得してくれたんなら良いか)
心得ましたとばかり微笑む瑠璃に水を差さなくても良いだろう。
毒見と言っても毒が入っている訳ではない。傷んでいるかどうかの確認なのだから、多分効果が出るまでには時間がかかる。時間が立つ頃には残りの携帯食は更に傷んでいるのだから、正直そう言う意味では使えないのだがまぁ精霊のする事だ。
「蘇芳、ミィに付いて行って」
「……畏まりました」
地下へ続く扉の管理は蘇芳の管轄である。
私からコップを受け取ったミィと何故か不満そうな蘇芳が寝室から出て行くのを見送りつつ、ベッドから出て伸びをする。今日も燦々と大樹の光が差し込んでいる。いい天気だ。雨は相変わらず見た事がない。水の神法で降らす以外は。
「そうですわトーコ様。商隊の件ですが、本日の森の入り口を通るとの事です。食糧の残りも少なくなってまいりましたし、買いに行かれますか?」
「今日?何時頃?」
「三の鐘は過ぎると言う話でしたけれど、はっきりとは分かりませんでした。申し訳ありません」
「いや良いけど……間に合うの?」
森の入り口、木材団地まではかなりの距離があると思う。
「今から飛んで行けば三の鐘頃着くと思いますが」
「時間ないじゃん!四十秒で支度しなきゃ!!」
「ヨンジュウビョウ?」
「……急いでって事!」
四十どころか秒についての説明が必要そうだ。時計のない世界で三百五十年も生きている精霊に、そんな細かい単位は理解が及ぶところではないのだろう。
(そんな事考えてる場合じゃないわ!食糧調達しなきゃ!!)
「お風呂はいかが致しますか?」
「一瞬で済ませて!」
「畏まりました」
瑠璃に洗われ萌黄に乾かされる。言葉通り一瞬である。
ここでは着替えもメイクも必要もない。そもそも着替える服自体がないし、メイク道具も所持していないので当然だ。
「買い物行くよ!」
「「「はい」」」
さて、問題は誰を連れて行くか。私は執務室を突っ切りつつ考える。
交渉……いや、万一何かが起こった時の為に瑠璃の知恵は必要かもしれない。飛ぶのに木が邪魔だから蘇芳には道を作ってもらいたい。ここから森の向こうまでは多分神法が届かないから、効果範囲が切れる前に掛け直す必要がある。自分で出来なくもないだろうが、高速で飛ぶスピードに合わせて並列で処理するには不安がある。車並みのスピードで飛行中に万一枝が目でもぶつかったら痛いでは済まない。瑠璃にバリアをかけてもらっても良いが、今日のところは蘇芳を同行させた方が早いと思う。練習は時間がある時にすれば良い。
(森の上を飛ぶのは流石に目立ち過ぎるしね)
あまり高く上がるのは酸素が薄くなったり私の気が遠くなったりと別の心配もある。障害物がない分風の抵抗も増えるだろう。
バードストライクも怖い。鳥だけなら良いが、他にも何かいるかもしれない。鳥にしたって私の知っているサイズかどうか怪しい。
「……そういや萌黄がいないと私が飛べないわ」
今私には紅が付いている。
「私が抱いて飛びましょうか?」
冷静な言葉とは裏腹に、瑠璃の手はわきわきしていた。
「そっか。萌黄がいなくても最悪飛べるのか」
「酷いトーコ様!昨日は好き勝手僕の事抱いたくせに!!」
誤解だ。抱いて寝ただけだ。まぁそう言われると罪悪感が無きにしも非ずだが。
「じゃぁ申し訳ないけど紅、ミィとまたお留守番しててくれる?」
「畏まりました」
紅は大人の対応で優雅に微笑んだ。満足気な萌黄の頭を撫でる。可愛い。
ホールへ出ると、捕虜に食事を与えて地下から上がって来たミィと蘇芳に遭遇した。
「ミィ、出かけて来るから紅と留守番をお願い。蘇芳、地下への扉は開けたままにしておいて、私と一緒に行くよ」
「トーコ様、本日の入浴は……」
「済ませたからもういいわ」
「!!」
蘇芳が悲壮な顔をする。不満そうだったのはこのせいか。どのあたりにそこまで落ち込む要素があるのかは分からないが。何かするつもりだったのかと疑いたくなる。
「どっ、どちらまで!?」
慌てたミィも目を潤ませてパタパタと小走りに着いて来る。
「木材団地。今日商会が来るらしいから。ご飯買って来るわ」
「はい……」
声が小さくなる。居残りはやはり不安なのだろう。
「何か欲しいものはある?」
「!……私も何か、食べたいです」
欲が無さ過ぎて困る。
「大丈夫よ。買って来たものを調理してくれたら半分こして一緒に食べましょ」
「はい!!」
言葉だけでも少しは落ち着くだろうか。これからこうして出かける事もないとは言えない。留守番くらいは慣れてもらいたい。任せて出かけられるくらいが私の気持ち的にはベストだけれど、流石にそこまではまだ望めない。
さっきから扉が自動で開く。風の流れがあるから多分萌黄が開けているのだ。手動式自動ドアの神法版。
(それはもう自動ドアで良いのでは?)
屋敷から南へ出ると、ヨモギが伏せの姿勢で待っていた。
「出かけて来るわヨモギ。いい子で待っていてね。捕虜達はしっかり捕まえておくのよ?」
頭を撫でると、ぐるるとヨモギの喉が鳴る。
「紅は直ぐ捕虜を外へ連れ出して。ミィは食料を全て外へ出して。この屋敷いつまで持つか分からないから」
「はい!」
「心得ております」
蘇芳が離れ過ぎると土で出来た神法の家は強度を失って崩れる。そのままでは埋まってしまう。
「時間がないから飛んで行こう。紅、萌黄、交代して」
「「はい」」
抱っこも良いが取り敢えずは自分で飛ぼう。
「ミィはご飯食べて待っててね。夜には帰れると思うけど、五の鐘に間に合わない場合は先に食べて寝てる事。家がないけど、いい?」
「はい」
「水は取り敢えず出しておくけど、私のコップもいつまで持つか分からないから早めに飲んでおいて」
頷くミィ。
(どうしたって水道はいるな。脱水症状になったらどうしよう)
幸い暑いという気候ではないが、これでは飲み物が確保出来ない。
「捕虜には毎食ご飯あげてね。紅はミィを必ず守って。あと……」
魔石を渡してノハヤに浄化させようかと思ったけれど、そこまで紅を信用して良いのか分からず言葉を止めた。ミィを預けておいてなんだが、魔石は無害なミィと違って私を害することが出来るものだ。どの様な不利益があるのかは今一よく分からないが。
「……ノハヤは休ませておいて。帰ったら魔石を浄化してもらうから」
「承知しました」
回復量から言ってまだ彼は全快していない。寝かせておけばいいだろう。朝から寝ろと言うのも酷だとは思うが、生産性のある事を他にさせられないから仕方がない。少しでも役に立ってもらおう。一応彼等は捕虜。これくらいの我儘は聞いてもらっても良いと思う。
体内に感じる神力が火から風に変わる。交代が完了したようである。
「良し!行くよ」
私はふわっと飛び上がった。精霊達がそれに追随する。
整然と壁になっていた屋敷の南の木が脇へ避け、森に一直線の道が出現する。
「「いってらっしゃいませ」」
従者とペットに見送られながら、私達は飛び出した。
生け簀を越えるとンルザントが一斉に飛び出し、ファンファーレの様に火を吹いて送り出してくれる。一歩間違えれば私が黒焦げだ。
(まさか謀ってないわよね……)
恐い考えを頭から追い出して、私達は森へ入った。
私は飛びながら携帯食を取り出してかじった。行儀は悪いが悠長に食事をしている暇がなかったので仕方がない。味も、取り敢えずお腹もまだ大丈夫だが、飽きてはいる。新しい食材が非常に楽しみだ。
(そう言えばどうやって情報を聞き出したか聞いてないわ……)
横目で瑠璃を見たら、にっこり微笑まれた。何か?と顔に書いてある。勿論「何かありましたか?」ではなく「何か言いたい事があるんですか?あるなら言ってみなさいよ」の方だ。
反対を見ると、天使が優雅に飛んでいる。此方も気が付いてにっこり。小首をかしげる姿が可愛い過ぎる。
ちなみに蘇芳は先行して飛んでいる。
(駄目だ、誰も答えてくれそうにないわ)
蘇芳だけなら実直に答えてくれるかもしれないが、瑠璃がいると牽制されたり、萌黄に邪魔される事もあり得る。聞くのは今ではないだろう。
もし他の精霊に釘でも刺されたら、蘇芳が私と精霊のどちらを採るかは分からない。
(止めとこ。聞いたところでどうにかなるものでもないし)
正直自信もない。彼女は精霊契約の様な、強制力がある何かで縛っている訳ではない。私を採ってくれる保証など何もない事を再認識させられてちょっと凹む。
「……そう言えば森の中に食べれるものとかないのかな?捕虜は何か言ってなかった?」
「青い実やら赤い実やらいろいろあるそうですが、素人が手を出すと危険との事です。私達ではよく分かりませんので、商会で安全な物を購入なさる方が賢明かと存じます」
キノコみたいなものだろうか。
「それなら仕方がないね」
変なのに中って大変な思いをするのは嫌だ。
家の気配が次第に遠退いて行く。神力の及ぶ範囲は器に由るとは言っても、森中カバー出来る訳ではない。森は広い。
蘇芳が離れる度、毎回家が壊れるのはどうなのか。留守番している紅やヨモギは兎も角、ミィは生身の人間だ。飲み水の問題もあるし、雨の日に野ざらしは流石に可哀想だろう。それにこれから増える家財道具だって一々掘り出すなど不便な事この上ない。
ただ、暗くなるとヨモギが尻尾を丸めてミィを中に囲っている姿は結構可愛いのだが。
(いやいや、私の萌えを満たす為にミィの生活を脅かすのはダメでしょ)
やはり家は正攻法で建てるべきだ。
食事を摂りながら飛ぶのはやはりと言うか、私は案の定割と直ぐ気持ち悪くなって、いつの間にか瑠璃の腕にがっちりと抱かれて飛ぶ結果になっている。
(仕事してよ私の三半規管……うっぷ)
後ろに人がいなくて良かった。
(調子に乗ってごめんなさい。大人しく最初から抱っこしてもらえば良かったよね)
気持ち悪さに弱気になる。
無駄上下運動もなくスピードも一定な精霊の腕の中は、自分で飛ぶより遥かに楽だ。それでも食欲がないので昼食は遅らせる事にした。やはり長時間自力で飛ぶのはまだ早かった。
「少し休まれますか?」
「いい、遅れたら困る」
そんな会話が数回繰り返された時だ。
「トーコ様、木材団地に人が大勢います」
蘇芳がスピードを落として瑠璃に並び、私に警告を発した。
「大勢?」
「はい。以前通った時より何倍も」
「こっちに来てるの?」
「いえ、木材団地に留まっている様ですが」
木材団地はまだ肉眼では全く確認出来ないが、神法の効果範囲に入ったのだろう。
森の入口辺りの木を伐採する為に木材屋達が形成する木材団地――と私が勝手に呼んでいる場所――は、確か十五軒はログハウスがあった。少なくとも十数人はいると思われる数の何倍もとなると、商隊の数としては多過ぎる気がする。
兵士の捜索隊だろうか。私には軍事的な知識は一切ないが、イメージとしては兵士を救うのは兵士。救難隊等ではない。
(……神法師団?)
中央都市アルゼンナーエから来ると言う領主の軍。本隊とは一体どの程度の規模で、その強さはどうなのか。
「まさか、蘇芳の道に気付いて……」
森に突如現れた、切り開かれた真っ直ぐな道など不振以外の何物でもない。どっと冷や汗が出るが。
「いえ、まだ気付かれてはいません。道はそれ程伸ばしてませんし」
それなら一先ずは安心だ。それに木材団地から家に向かっては来ないかもしれない。
そもそも神法師団かも不明だし。
(……楽観視は駄目)
侮って負けたらどうしようもない。
「スピードを落とそう。蘇芳、道は極力短く作って消して。絶対に人に悟られない様に」
「畏まりました」
「その中に強そうな人はいる?」
「いません。メルイドやノハヤと大差ありません」
ノハヤの器は三千五百。千五百のメルイドの倍以上あるが、まぁ少なくとも六桁はある私達からすれば小さな差かもしれない。
ただ数がいる上に策を用いられたら、勝てるかどうかは怪しい。殲滅は可能かもしれないが、やはり慎重に行動するに越した事はないだろう。
私達は少しスピードを抑えながら――と言ってもやはり車並みではあったが――木材団地を目指し、いよいよ木材団地に着くと言う時になって、蘇芳が私達を制止した。どうやら人が大量に森に流入したのを感知したらしい。私達は高度を上げ、森の木々に隠れて地上を通過する一団を見た。
(やっぱり軍……)
それは捕らえた兵士達と同じく武装し、馬に乗った兵士達だった。その数凡そ……途中で数えるのは止めた。多分九十とか百とかそんな感じだ。
「トーコ様、あれ」
耳元で萌黄の声がした。枝に下ろされ腰かけた私の背後から伸びて来た腕が首に抱き着き、地上を指さして見せる。浮いているから重さは全く感じない。
示された方角には大きな鷲がいた。
(まさか、あの時逃げた鳥?)
確か連絡用の伝書鳥と言ったか。萌黄が逃がした鳥である。
「トーコ様、あれ……僕が殺って良い?」
萌黄の声から怒りが伝わる。背後からの殺気が凄い。私へ向けたものではないと解ってはいるが、怖いものは怖い。
「……今は駄目」
緊張しつつそう口にする。ここはやり過ごした方が良い。森に足を取られているあの状況なら、家まで来るのには数日かかると思う。領主の、彼等の主の森を燃やしたり切り倒して進み易くするとも考え難い。
ここは一旦放置して、買い物を先に済ませるべきではないか。その後でも十分対処出来る。私の方が圧倒的にスピードは速い。追い付けば良いだけの話だ。
(あの鳥は早いけど飛ぶ気配はないし。まぁ飛んだとしてもンルザントから逃げたくらいだから、そこまで攻撃力があるとは思えないし)
広場には紅もヨモギもいる。あの鳥一匹だけなら何とかなるだろう。
(それに今は守るべき家はないしね)
全力でやってもらって構わない。最悪ミィだけ守ってくれれば良い。
首に巻き付く萌黄の腕に、自分の手を重ねる。
「今は駄目だけど、私のものに何かした時には萌黄、貴方がどうとでもしていいわ」
「ありがと」
萌黄の怒りはそれでも少しの間続いていたが、一団が通り過ぎるのを待つ間に徐々に落ち着きを取り戻し、数分後にはいつも通りの萌黄に戻っていた。
「よし、じゃぁ木材団地に行くよ。蘇芳、念の為彼等に気を配っておいてね。今と違う何かを感じたら直ぐに教えて」
「畏まりました」
私は再び瑠璃に抱かれ、木材団地へと降りて行った。
木材団地には二十人程の大人がいた。隠れて暫く様子を窺っていたが、どうやら木材屋の他に冒険者も混ざっているらしい。この辺りにも魔獣や獣が出るのだろうか。見た覚えがないが。
そして隠れて聞くところによると、先程すれ違った一行の外に、今朝森の詰め所からも数人の兵士が来たと言う。ノハヤたちの仲間かもしれない。
「やっぱりさっきのは神法師団なんだね」
「そのようですね」
「でも大した事ないんでしょ?」
「そうですわね」
それで領の防衛は大丈夫なんだろうか。
どちらも先日の山火事について、それから最近変わった事はないかなどと聞いて行ったらしいが、火事以外は特に何もなかった様だった。
(こんな遠くからも見えてたのか。師団が知ってるって事は勿論領主も知ってるよね。バレて怒られないかな)
証拠がないから何とでも言い訳出来そうではあるが、ここは神法のある世界だ。どんな形で自白させられるか分からない。それに文化レベルを考えるに、証拠不十分でも身分や何やかんやでどうにでもされそうな雰囲気もある。
法が整っておらず道徳観念も未発達。これほど怖い事はない。そもそもその道徳、モラルや常識の部分が根本から違うと言う事も考えられた。
「トーコ様、あれって商隊じゃありません?そろそろ出発する様ですけど」
「え!?嘘!ちょっと待って!蘇芳と萌黄は森に戻って隠れてて!瑠璃、行くよ!!」
「はい」
「……はい」
「えー」
文句は後で聞く。時間がない。
私達は人が散った荷馬車にこっそり近づいて、片付け真っ最中の商人に声を掛けた。
「おじさん!商品見せて!」
「ん……?お嬢ちゃん?……買い忘れかい?」
「うん」
商人は子供がいた事に驚いたらしいが、お客と見なすや片付けを中断してくれた。
商隊は荷馬車二台で、御者台と荷台に一人ずつ計四名。対応を見る限り商店主ではなく全員従業員と言う感じで、商会の大きさを感じさせた。
それから装備の点検をしている冒険者らしき人が二人。護衛だろうか。
(お金がある人は違うわね)
リスクマネジメントは大事だ。
お兄さんが手を出す前に、私は後ろから瑠璃に抱き上げられて荷台に乗せられた。
商品はやはり、ヤトーの商会とは品揃えが異なっていた。念願の生野菜があるのである。それに調理器具も一種類ずつだがあった。そして。
「タオル!!」
「ん?それが欲しいの?」
「うん!凄く欲しい!!」
そう言えば木材屋が首からかけていたのを思い出す。
(需要があってよかった!)
これからの安全なお風呂生活を想像して、ちょっと涙が出た。瑠璃が残念そうに見ているが知らない。
「シャンプーとか石鹸はある?」
「ジャンプ―?」
……うん、ないのは分かった。けれど石鹸もないのはいかがなものか。
「洗剤はある?」
「センザイ?」
「…………」
キッチン担当をミィから瑠璃にした方が良いだろうか。衛生面が心配になる。
洗剤の代わりになるものとして思い付くのは灰くらいだが、正直その作り方や使い方はさっぱり分からない。
(木を燃やして出来た灰を食器に塗るの?綺麗になるの?)
サバイバルな知識は必要なかったので特に持ち合わせていないのだ。
「身体や食器を洗う時に使うものってない?」
「身体?あぁ、香油かい?貴族様みたいな事を言うね」
笑われてしまった。嫌な笑いではなかったけれど、背伸びしたい子供とでも思われただろうか。
香油の使い方があっていた事にこっちが驚く。
「残念だけど、この隊には香油はないよ。町を行き来する隊では扱うけど、僕等は村しか回らないからね」
「村?アルゼンナーエとここを往復してるだけじゃないの?」
「ここに来るまでに、街道に近い村にも寄るんだよ。そこの野菜なんかは前の村で仕入れたものさ」
そう言う事か。確かに生鮮食品は八日も持たないだろう。恐らく点在する村で仕入れて売ってを繰り返しているのだ。
(クーラーボックスはないみたいだしね)
以前見た村には畑もあったし、だからこの小規模な商店が八日に一度来る程度でも生活が成り立つのだと思う。まぁ木材団地は畑などないが、状況を鑑みるにここは少し特殊だろう。
「香油以外は何かない?」
「香油以外に何を付けるの?」
シャンプーもトリートメントも石鹸も洗剤もないのは理解した。仕方がない。諦めよう。
一瞬、作ったら大儲けできるんじゃない?等と安直な考えが浮かんだが、石鹸やシャンプーの作り方なんて知らないのでどうしようもない。そこに時間をかけるかどうかは今後の差し障りの度合いに寄る。
そもそもお風呂に入る習慣がなく、食べて行くのに精いっぱいの平民に継続的に購入させるなんて、相当の労力と時間が必要だと思う。貴族相手ならまだしも、そんなコネはないので却下。今のところは。
「神石も買い取れる?」
「持ってるの?」
「うん。お金に換えて、それで買い物したいんだけど」
「いいよ。見せて」
お兄さんが袖から神力計を取り出した。商人にはこのタイプが一般的なのだろうか。気を付けないと私の神力がバレる。
私は蘇芳から預かっていた神石を鞄から取り出してお兄さんに触れない様に手渡した。
「「50/50/99」だね。小銀貨五枚、大銅貨四枚、小銅貨四枚、銭貨五枚かな」
五千四百四十五円。確か七千円ちょっとで買った気がする。使用回数が一だけれど減っているし、中古品としてはこんなものなのだろう。銭貨は初めて手に入れた。何となく嬉しい。
流石にここで木材屋の小娘――と言う体――が神力五百もある神石を出すのは不自然だと分かるので止めておく。
手持ちと合わせて六万九千五百九十五円。十九日後にはヤトーに二十万円の支払いがあるが、神石を売ればそっちは問題ない。
(ちょっと余裕出て来たんじゃないの?)
日本では考えられないくらい心許ない貯蓄額だが、ここでは今のところ家賃も光熱費も通信費も発生しないので、食糧さえどうにかすれば生きていける。
(本当はもう少し文化的な?生活がしたいけど、贅沢は言っていられないしね)
そして意外と今のままでも不便は感じていない。
他に気になった事と言えば、主食が見当たらない事だろうか。宿屋等でも毎食同じものは出て来なかったし、生鮮食品にもこれと言って特徴のあるものは見られない。と言うよりは、見た目で判断でいる食材が少な過ぎて特徴があるのかないのか分からない。小麦やパンや米は取り扱いがなかった。
後は調味料である。調味料は一種類しか取り扱いがなく、しかも見たところ混ざりものが多い。
「お兄さん、これ塩?結構いろんな色が混ざってるけど、これじゃぁ食感が悪くない?これでこの値段は高いと思う」
「そうかな?こんなものだと思うけど」
そんな訳はないと思う。何が違うのだろう。
「最近は塩の岩もあまり見つからないから高いのは仕方ないね」
「塩の岩?」
ここの塩は岩塩なのだろうか。
(海から採る事を知らない?)
これはもしかするともしかするかもしれない。
結局私は、タオル数枚とミィ用のブランケット、包丁一丁、果物用のナイフ一本、フライパン一個、よく分からないけれど「野菜」と言われた生鮮食品多数、果実数種類、携帯食二十食、紙や羽ペンやインク等の筆記用具セットを購入した。占めて五万壱千円。此方の通貨で大銀貨五枚と小銀貨一枚。神石を売ったお金は五千円ちょっとなのに。
紙や布が高いのはまぁ予想の反中。刃物や鉄だって、恐らく一本一本手作りなんだろう。
まとめて買うとどうしてもこういう金額になってしまうのは仕方のない事かもしてない。それにしても。
(お金がない!!)
捕虜の毛布はなかったので諦める。と言うかあっても買えなかった。残金大銀貨一枚、小銀貨八枚、大銅貨五枚、小銅貨九枚、銭貨五枚。僅か一万八千五百九十五円である。
私は蘇芳の土の布団の方が触り心地が良いのでそれでよい。
帰ったらまな板を作ろう。あと冷蔵庫だ。瑠璃に大きな氷を作って入れてもらわなければ。
「持てる?」
「大丈夫」
私は瑠璃に買ったものを渡しながら、どうせ蘇芳がいるし、等と考える。
(そう言えばヤトーには生活に必要な物を殆どオーダーしてなかったのね)
現実味がなかったこの世界での暮らしに、漸くリアリティが伴って来たという事か。
(私本当にここで生活していくんだなぁ……)
家財道具に目が行く様になった事が何よりの証拠だろう。帰る目途はさっぱり立っていない。
私が感傷に浸っている間に商隊はテキパキと片付けを終え、高額な買い物をした小娘に若干不審な目を向けながらもまた八日後に来ると言い残して去って行った。
さぁ私も戻らなければ。
彼等が再びここを訪れた時私の話題を出さない事を願いつつ、私は住人に見つからない様に蘇芳と萌黄の元に戻った。
これから領主の神法師団と対決である。




