第30節 兵士と尋問と師団の足音
人間の侵入者が来た。こんな森の中に。
「本当に侵入者?迷い込んだだけじゃなくて?」
「屋敷に忍び込もうとしていました」
アウトだ。
「ヨモギが銜えてるよ。トーコ様と同じ形だったから取り敢えず遊んでるみたいだけど、急がないと光に還るかも」
「ちょっと待って!直ぐ行くからヨモギを止めてて紅!」
「はい」
噛み砕かれても困るが、昨日は私とヨモギが一の鐘の時点で離れていたのでヨモギには紅が付いたままだ。
銜えたまま炎なんか吐かれたら人など一瞬である。
私は慌ててベッドから這い出す。冗談ではない。いろいろ聞き出さなければ。私の快適生活を脅かされてなるものか。
「瑠璃、萌黄、お風呂!」
人前に出るので一応気を使って、一瞬で身支度を整える。
(そう言えばヨモギには罰則を設けなかったな)
あまりにペットな反応なので忘れていた。まぁ萌黄にも私の契約下に入る事を忘れない様にと言っただけなので罰に入るかは怪しいが、精霊や動物は人と違って良くも悪くも純粋なので、約束を破ると言う事はない。と思う、多分。
(光に還してたらお仕置きしよう)
窓からひょいひょい出入りしている精霊を尻目に、私は普通にドアに走って行って正面玄関から外に出た。窓枠を上手く飛び越えるなんて芸当は私には出来ない。
外は暗いが、大樹の光があるので走るに不自由はない。だが残念ながら目の前の広場には誰もいなかった。屋敷の裏側にいるのだろう。騒ぐ声が聞こえている。
急いで裏に回ると、そこにはヨモギの足に踏まれた兵士が一人、銜えられた兵士が一人いた。足元の兵士は苦痛に顔をゆがめ必死で地面を掻き逃げ出さそうとしているが、踏みつける力に抗いきれず声も出せないでいる。一方口の中の兵士は野太い大声を上げ、手足をばたつかせてめちゃくちゃに剣を振り回していたが、ヨモギの頬を撫ぜるくらいで全く致命傷には至っていない。
「ヨモギ~そのままよ~。それはトーコ様のものだからまだ食べちゃダメだからね~。あ、炎を吐くのも駄目ね、口の中のが焼けちゃうわ。そんなに足で踏み踏みしたら潰れちゃうでしょー?」
紅がやんわりヨモギを撫でながら大して興味もなさそうに窘めている。
「ヨモギ!放しなさい!」
私は慌てて駆け寄りながら叫んだ。
遊んでいたヨモギが私を見るなり口を開け、兵士を放り出す。兵士は装備と自らの重みで地面に叩きつけられ、意識を失った。
「あああぁぁぁぁぁ!!」
兵士に走り寄ろうとして紅に軽く止められる。兵士が光に還る様子は……ない。
(セーフ!)
情報を引き出す前に光に還られては困る。足を上げもう一人の兵士も開放したヨモギは、撫でて欲しそうに頭を下げた。
「よしよし良い子ね。ちゃんと屋敷を守ってくれてるのね、ありがとう」
気持ち的にはそれどころではないのだか、駄々をこねられても面倒だ、などと親目線でヨモギを撫でる。まぁ実際そうなれば蘇芳の土扇で一撃だが。ヨモギが気持ち良さそうに低く唸った。
圧迫から解放された兵士は激しく咳込み、まだ起き上がれないでいる。どうやら元気そうで良かった。この後暴れられたりするのは面倒なので、瑠璃に水の縄で背中合わせに縛ってもらい座らせた。一人はまだ意識がない。
兵士は同じ鎖帷子を身に纏っている。ヘルメット二つと槍が一本遠くに転がっているところを見ると、武器は自由なのかそれとも違う武器の者とチームでも組むのか。
「瑠璃、武器は取り上げておいてね。取り敢えず暴れても事情は聴こうと思うから」
「心得ております」
本当だろうか。
兵士が呼吸を整えている間に蘇芳が地面に穴を空け、剣と槍とヘルメットを埋め固めてしまった。広場はかなり硬い造りなので、自力で掘り出すのは多分無理だ。
兵士は明らかな敵意をこちらに向けて来た。二人共ガタイの良い身体に引き締まった筋肉が伺える。こんなに厳ついおじさん達が、ヨモギには私と同じに見えると言う。今回はそれが功を奏したが、乙女心的には複雑である。
「お前は何者だ?ここで何をしてい……!!」
言葉が終わる前に蘇芳の土扇が兵士を地面に沈めた。これで二人とも気を失ってしまった。
「蘇芳……」
「手加減しました」
(そりゃそうでしょうけども)
そうでなければ兵士は今頃光に還っているだろう。何せヨモギと遊ぶ用の土扇である。
「話を聞きたかったのに」
「起こしましょうか?」
「出来るの?傷付けないでよ?」
瑠璃が頷いて兵士二人に大量の水を浴びせる。勿論バリアで囲っていたので周りにまで飛び散ったりはしない。
「ほら、大丈夫ですわ。目覚めました」
瑠璃は笑顔で私にそう言う。まるで兵士は価値のないモノだとでも言う様に、その存在を見ようともしない。代わりに蘇芳が兵士を見下ろして言い放った。
「発言には気を付けろ。お前達が出来る事はこのお方のご質問に答える事だけだ。そうでなければお前達など一瞬で光に還る事を忘れるな。ではトーコ様、どうぞ」
(この状態で私に振るの!?)
警戒心むき出しで二人の兵士の目が私を捉える。怖い。
私は声が震えない様に必死で平常心を装った。ただでさえ見た目が子供なのだ。ここで怯んだら確実に侮られる。
「貴方達は誰?何をしにここへ来たの?」
「ここは領主様の森だ!お前こそ何をして……ガッ!!」
「気を付けろと言った筈だ」
剣を持っていた方の兵士が、蘇芳に首を掴まれて軽々と持ち上げられる。
瑠璃の水の縄は便利だ。一本にでも二本にでも、切断も伸縮も自在である。
「ガッ…ハッ……!!」
「蘇芳、下ろして」
「はい」
暴れる兵士を地面に落とす。ガチャン!と重そうな音がした。
後ろ手に縛られたまま苦しそうに起き上がろうとする剣の兵士に、私の恐怖心が和らいでいく。ヨモギがいるこの状況でこの威勢は凄いと思う。だがどう見ても弱いのだ。精霊一人、否、私一人ですら神法で何とでもなりそうな程に。
「余計な事言ったらこの子達が怒るから、本当によく考えて話してね?」
もう片方、槍を持っていただろう兵士が、剣の兵士を横目に慎重に頷いた。
「貴方達は誰?」
「神法師団に属する兵士……です」
「神法師団?」
「はい。グリーセントメリベは我が領主の森。だから我々が派遣されました」
主の森を守っているというなら、神法師団とは領主の軍と言うところだろうか。
「ミィは神法師団を知ってる?」
「はい。領主様の兵です。大体は貴族様ですが、平民でも神力が三千を超える優秀な人は試験を受けて入団する事が出来ます」
「詳しいのね?」
「あの……多分皆知っています。どの町にも年に一度試験官が訪れるので……」
そうやって領は優秀な人材を確保しているという事か。
ミィはとても申し訳なさそうに小声でそう教えてくれた。この子は私が物事を知らない事に対して何も言わないし聞かない。多分私達が主人と従者という関係だからだとは思うが、それをどう思われているかたまに心配になる。ミィは意思表示があまりないのだ。精霊と違って自己主張がとても弱い。そもそも私の精霊は自己主張が強過ぎる気がするが。
(三千で優秀ね……)
私はそっとミィの頭に手を置いて撫で、ミィを安心させてから兵士達の方へ向き直った。
「何をしにここに来たの?」
「神獣のいる聖域に見慣れぬ屋敷があったから調査をしようとしただけだ」
剣の兵士が乱暴に答えたが、その態度はぞんざいと言うよりは私との距離を計りかねていると言った様子である。
「聖域ねぇ。貴方が剣を向けてたのがその神獣だけど」
「まさか!神獣は人の手に負えるものではない!まして懐いたりするものでは……」
「まぁそう思いたければそれでもいいけど」
兵士達が半信半疑でヨモギに視線を移す。神獣を見た事がなかったのだろうか。
「ガゥゥ!」
「「ひぃっ!!!」」
ちょっとヨモギが口を開けただけで、兵士達は縮こまってしまった。こんな事で領の防衛は大丈夫なのか。
「兎に角ここは今私が住んでるんだから、そっとしておいてほしいわね」
「出来る訳がない!領主様の土地を無断使用だと!?お前は何様……」
「手は出さなくて良いから。ヨモギも大人しくしてて」
瑠璃と蘇芳の神法を一応牽制し、紅に目配せをしてヨモギを少し下がらせる。
剣の兵士も言葉を切る。馬鹿でなくて助かる。
「今ここは誰も使ってないから私が使う。それがどうしても嫌なら、ちょっと間借りしてる人がいると思えばいいでしょ」
「そんな訳にはいかない。我々には報告義務がある。そうなれば当然貴方はここにはいられないし、最悪反逆罪で……」
捕まって拷問でもされるのだろうか。一体誰が私を捕まえるのか。いや、この兵士が弱いからと言って他の兵士も全て弱いとは限らない。私より強いものに数に任せて攻めて来らては堪らない。
「それは困るわね。でも大丈夫よ、貴方達が誰かに喋らない限りこの事は…………」
まさか。
「トーコ様。もう一つ何かいます。森の中を移動しています」
「捕まえて!今直ぐ!!」
私は殆ど無意識に二人の兵士に土の足枷を嵌め、地に繋いだ。兵士が息を呑む。
「あれくらいなら眷属で十分ですよ」
「そうだね、こんな面白い状況から目を離すなんてもったいないよね」
何やら私と兵士達のやり取りをワクワクしつつ観戦していた紅と萌黄が、私の手を取って宣言する。
「「トーコ様、入れ替わります!」」
急激な神力の流れが体内を循環する。存在が入れ替わる。
「「飛べ!!」」
二人の声に反応したンルザントが一斉に水面から飛び出し、その小さな口から身体を包む程の火を吹いたかと思うと、炎の中から現れたのは羽の生えた元の姿のンルザントだった。大きさは兎も角姿形は。
それらはイワシの大群の様に一塊になり、壁を飛び越えて森へ飛び込んで行く。兵士の仲間を捕獲する為に。
「大丈夫だよトーコ様、あいつ等が直ぐに捕まえて来るよ」
不安そうな顔でもしていただろうか、萌黄が笑って私の腕にまとわり付く。見上げる視線にやられ、不安が一瞬消し飛んだ。
「蘇芳、人数は?」
「恐らく一人かと」
その時、大きな鳥の羽ばたきが聞こえた。見上げると空には、ンルザントの大群に遇いかけられる大きな鳥がいた。大樹の光を受けて光るンルザントとは違い、逆光で黒い影しか見えないが、しかし早い。このままだと逃げられてしまわないだろうか。
(他って、あの鳥の事?一人?でもあの鳥何処かで…………そうだ!)
広場を作った時にヨモギが光に還した、鷲の様な大きな鳥によく似ている。
(まさかあの時から偵察されてた?)
森から人の叫び声が聞こえる。どうやらもう一人を捕まえた様だ。直ぐにそれはンルザントの大群に囲まれて現れた。まるでかき揚げにでもしてくれと言わんばかりぎっちりとくっ付いたンルザントがばらけると、同じ装備の兵士が一人、その固まりの中からぺいっと吐き出され地面に顔面から激突した。
「ィデッ!!」
痛かっただろう。上半身を起こした兵士は鼻から血が出ていた。厳ついおじさん二人とは違い、此方は二十代後半くらいだろうか。まぁガタイが良い事には変わりない青年兵士である。二人のおじさんと同じ様に後ろ手に瑠璃の水で縛られる。蘇芳が私の真似をして足枷を嵌めた。
(……萌えない)
ガチムチ系は私の琴線に触れなかった。
「ちょっと!」
「あらぁ」
「もお!!何やってんのあいつ等!!」
広場を悠々と泳ぐンルザントを見ながら萌えについて考えていると、萌黄と紅が騒ぎ出し私の崇高な思考を遮る。
「何、どうしたの?」
「トーコ様ごめんなさい……鳥、逃がしちゃった」
萌黄が元気のない声でそう呟いて、私の指を遠慮がちに触れた。まさか逃がすとは思っていなかったのだろう、涙目で見上げて来る。
(あんたその表情は殺人的にヤバいわ!!)
「何をしていますの貴方」
「あんなに離れては流石に追えないか」
「あちゃーダメだったか。私からもごめんなさいトーコ様」
鼻血を堪える私を他所に、三精霊が萌黄を責める。紅は一緒に謝っている風だが、悪いとは全く思っていない様な軽い口調である。
鳥を逃がしたのは何となく分かっていた。空高く上がっていたンルザントの群れが何の収穫もなく戻って来て合流していたから。
あの鳥がもし私の情報を領主の下に持ち帰ってしまったらどうなるのだろう。
「これでもうお前達は終わりだ!!直ぐに神法師団の本隊がここをお前達を捉えに来るぞ!!」
剣の兵士が叫ぶ。この男の強気は一体何処から来るのだろう。心底不思議だ。
私の指を握る萌黄の手に力が籠る。
「大丈夫よ」
私は優しく彼の頭を撫でた。この子は私が守らねば。だって弟なのだから。そんな気にさせる。見た目が美少年な萌黄はとても得をしていると思う。
「…………神獣を従える彼女達に、誰が立ち向かえる?」
勝ち誇った剣の兵士の言葉に苦言を呈したのは、意外にも槍の兵士だった。
「何だと?」
「お前だって見ただろ。この精悍な姿に番人を従えていて、神獣でないなんて事はあり得ない!」
「…………」
剣の兵士も今度は黙ってしまった。この分だと領の師団と言うのも大した事はないのかもしれない。
(まぁ過信は禁物だけど……)
五の鐘が鳴った。大樹の光は確かに明るいが、人と話をするのだ。そろそろ広場の松明に明かりを灯そう。意識するだけで、そちらを見なくても離れた所にある松明が一斉に灯る。息を呑む兵士達。
神力の操作も回数を重ねる毎にスムーズになる。私もそこそこは才能があるのではないだろうか。
「ところで、どうやってここへ入ったの?」
この広場は背の高い巨木で囲まれている。とても人が越えられる高さではない。松明の明かりではっきりした剣の兵士の属性は火。だが何処かを焼いて破壊した様子はない。槍の兵士は水属性で、青年兵士は光の属性。風の神法で飛んで来た訳ではなさそうだ。いくら訓練された兵士でも、この装備で幅十メートルもある堀を飛び越えられたとは思えない。
「蘇芳、他に人はいない?」
「私が感知出来る範囲にはいません」
神法でないとすると、何かそれに代わる道具がある筈だ。知っておかないと安眠出来ない。
身構えていると、蘇芳が申し訳なさそうに答えた。
「あの、トーコ様。木と木の間はいくつか隙間があります」
「……へ?」
「あれだけ開いていれば人が通るには十分です。遠目には詰まっている様に見えますが、詰めた方が良かったですか?」
「…………そうね」
これは私が言わなかったのが悪いのだ。精霊は周りのものを恐れないので壁など作る必要性を感じないのだから。これまでも広場を作成した日も土の壁を作成したが、今は屋敷がある。私が何かに囲まれていれば良いとでも理解しているんだろう。人の本質がなかなか伝わらないのは残念だ。
緊張が解け、何だかどっと疲れが来た。私は一応確認の為に飛んで行こうとして、飛べない事に気が付いた。
(そうだ、紅と入れ替わったんだった。意外と不便だなこのシステム)
仕方がないので全員を連れてぞろぞろと、彼等が侵入したという場所の堀の直ぐ傍まで行く。遠目に整然と並んで見えた巨木は本当にいくつか大和塀の様に互い違いになっていて、隙間が出来ていた。
木を寄せた時に近くまで行ってきちんと確認しておくべきだったのだ。松明の近くならまだ影などで気付けたかもしれないが、兵士が侵入したのは広場の北西の方角。東西南北に配置した松明の丁度間だったのである。
隙間はかなりの広さがあり、これでは蘇芳の言う通り人程度の大きさなら簡単に侵入出来てしまうだろう。
「じゃぁこの堀はどうやって超えたの?ンルザントが泳いでたでしょ?攻撃して来なかったの?」
槍の兵士の視線が泳ぐ。なのに一度も青年兵士を見ないのを私は見逃さなかった。
「貴方ひょっとして……」
指先に炎を灯し、青年兵士に近づける。兵士達が驚愕に目を見張り炎を凝視した。
黄色かと思っていた青年兵士の髪は、よく見れば金に近い色をしている。
「光の上位互換……貴方、特殊能力者?」
「……だったら?」
挑戦的な態度を取る青年兵士に、精霊達が殺気立つ。
(地下牢とか必要かな)
剣と槍の兵士を土の箱に閉じ込めて、視覚と聴覚を奪う。一瞬悲鳴の様な声が聞こえた様な気もするが、法の発動がそれなりに早かったので定かではない。もう結構色々見せてしまっている気がするが、あまり軍属の人間に此方の手の内を晒したくはない。いろいろ面倒な事に巻き込まれる予感しかしない。
「動くと光に還るわよ」
此方を凝視して固まっている青年兵士の精霊を引っ張り出そうとして、私は彼の中に不思議な反応を見つけた。暖かいものが器の中に一つ、二つ……。
「出て来なさい」
言葉の力に引っ張られ、神力の細い糸に絡め捕られて現れたのは二匹の精霊。
「…………二属性持ち?」
「あら、珍しいですわね。最近では殆ど見ませんのに」
瑠璃の言う最近が私の感覚とは大分違う事は何となく分かる。余程珍しいのだろう。
現れた精霊の色は黄色と緑。黄色の光の方が若干強いだろうか。恐らくそれに引っ張られた為に髪の色が黄色に近かったのだと推測する。
「特殊能力はある?」
「そうですわね……ミィ、貴方折角ですからこの精霊の言葉を読んでみなさいな」
「私がですか!?」
「そうよ、早くなさい」
「はっ、はい!」
瑠璃に呼ばれたミィが前に出て、じっと小さな精霊達を見つめる。神力の糸で縛られた精霊がバタバタしている。釣られた魚みたいだ。
松明の炎に合わせて、私達の影が揺れる。光があれば薄っすらと発光する私の精霊達の不自然さも和らぐ。実際に兵士達は光っているのに気が付いていない様だ。それともそれどころではないのか。
「…………申し訳ありません、瑠璃様。分かりません」
「アデルの言葉が分かるのだから、力の使い方次第でしょうに。精進なさい」
「はい」
項垂れるミィを下がらせ、瑠璃は精霊をキッと一睨みした。
「ただの二属性持ちですね」
一瞬とは流石である。
兎に角特殊能力は持っていない様だ。私は安心して青年兵士を見る。
「それ、俺の精霊か?」
恐る恐る口にする青年兵士。
「お願いだ、帰してくれ。頼む」
神力のコントロールが出来ない事に気が付いたのだろう。不安な気持ちになるのは分かる。
どうしようかと兵士を見ていると、兵士が勝手に喋り出した。
「俺が二人を飛ばしたんだ。神獣は……あいつら多分侵入者を排除する様に命令されてないだろ?敵意なんか感じなかった」
「すみませんトーコ様。まさか眷属がそんな事も理解しないとは思いませんでした」
「紅はまだ神獣との付き合いが浅いからね!」
素直に謝る紅に、萌黄がちょっと元気を取り戻す。
最初紅が私の真意を汲み取らなかった様に、どうやら紅と眷属も神力の繋がりが薄く意図を正しく読み取れないらしい。まぁ繋がったばかりだし、間に神獣も挟んでいるのだから同然と言えば当然かもしれない。
「もう俺そんな事しないし、ここであった事は絶対喋らない。だから!」
青年兵士は言葉尻を強め、オーバーアクションで踏み出そうと足を動かす。土の鎖を切ろうとでもしているのだろうか。
(無駄な事を……)
しかし風属性の兵士がこんなに簡単に入って来られるのでは困る。木はきっちり詰めるとして、ンルザントにも広場を守る様にはっきりと命令しておこう。他に策はないか。
堀の内側にドーム状の水のバリアを張るのはどうだろう。瑠璃が起きているのだから常時稼働出来る。透明にしておけば侵入者は自然と堀に落ちて魚の餌になる。
(ってそれじゃぁ事情聴取が出来ないか)
巨木の囲いを土の壁にするのも……却下。それでは屋敷と同じだ。蘇芳が注力するものも減らした方が良い。
広場を拡大するのも同様だ。侵入者が屋敷に到達する前にヨモギをけしかけるのは良いが、そもそも広場は今でさえ直径八十メートル。約千五百二十坪。宅地としては広過ぎる。これ以上広くしては目が行き届かない。
「伝書鳥の事ならまだ、アルゼンナーエに着くまでには時間がかかる!あんた達ならその間に逃げる事だって…………!!」
「伝書鳥?」
不穏な言葉に思考を妨げられる。あの逃げた大鷲はやはり連絡の手段だったのだ。そして神法師団が来る。
私の声が低くなったのに、青年兵士が身構える。
「アルゼンナーエ……中央都市……そこに領主がいるのね」
「?当然だ。中央都市だからな」
問題はやはりこの屋敷や土地だ。これだけ維持に神力を使っていて、万一神法師団とやらが私と同等の強さだったら蘇芳は戦えまい。私は戦闘経験などないので、もっぱら戦うのは恐怖心のない精霊頼りだ。いくら強くてもその数は全部で四人。この際ヨモギも戦力に加えるが、神法を使う兵士に多勢で来られたらどうなるか想像がつかない。それに人間は汚い。ありとあらゆる手段を考えだし異物を排除する。
やはり本格的に住むには神力ではなく実際に建てた方が良いのだ。それをバリアで守るだけなら戦えない私にも出来る。
「逃げる?何を言っているんだこの人種は」
「本当に無知な上に愚かだなんて救いようのない」
「ここはトーコ様の土地だよ?何処へ行くって言うのさ?」
紅は飽きてしまったのか、おじさん兵士達を閉じ込めた土のボックスに腰掛けて上から見下ろしていた。組んだ足がぶーらぶら揺れている。色々見えそうで見えない。
「まぁ来るって言うなら……仕方がない。私はここを離れる気はないしね。貴方、私の言う事を聞くなら精霊を返してあげても良いわよ?」
私は考えるのを諦めた。敵の戦力を調べる手段は持っていない。戦いの経験もない為戦略を立てられる訳でもない。調べたところで今出来る事以上の事は出来ないのだ。
「…………何をすればいい?」
「光属性なら浄化出来るでしょ?あと補充も。神力の続く限り続けてもらうわ」
このまま彼をここに置いておくのも手だが、敵のせいで食い扶持が増えるのは望むところではない。
だったら神法師団が来るまでにせいぜい使えばいいのだ。個別で光に還したりすると私の繊細な心が折れるかもしれないので、いっその事他の二人と共に神法師団に放り込み、合わせて処理してしまうのがベストではないだろうか。
彼の神力がどの程度か知らないが、私の神力を少しずつ分け与えれば暫く使える筈だ。
「………………分かった」
彼の長い夜が始まる。