第20節 主人と従者の欲しいもの
相変わらず遅い更新です。
遅々として進まないのは書くのが遅いからか眠気と戦いながら書いているからかどっちなんでしょう。
その日、私達は街道から少し離れ、草原寄りの荒野の一角を壁で囲んで野宿する事にした。
先ず直系三十メートルくらいの範囲を高さ五メートル程の土の壁で囲い、次に端の方に行商人親子と荷馬車を置いて壁で仕切る。上から見ると、仕切り入った鍋だ。二色の味が食べられるあれ。但し仕切りの位置はかなり行商人の親子寄り。つまり此方がかなり広い。どちらにも出口はないが、上空は開けているので大樹の光のでそこそこ明るい。
私が壁を準備している間に、蘇芳に土のテーブルセットを出して貰う。
「さ、ご飯にしましょ」
壁の出来に満足し、私は真っ先にテーブルに着く。まぁご飯と言っても携帯食だ。準備等は一切必要ない。瑠璃の袖から出して食べるだけだ。
ちなみに今日は朝からの騒動のせいで一食も食べていないのでかなりお腹が減っている。なのに手持ちの食料はないし、まだ買い物も済ませていなかったのにお兄さんが警戒して商談にならなかったので、荷馬車から一食分勝手に頂いて来た。これは仕方がない事なのだ。明日父親が起きたらちゃんと支払うつもりだ。後払いになるのは見逃してほしい。
私は追剥ぎではない。お金を稼ぐ事の大変さを知っているつもりだ。だから品物を強奪しようとは思わない。取り敢えず今のところは。今後置かれる状況によってはこの限りではないかもしれないが。
「ミィ、早く座って」
蘇芳に作ってもらった椅子は四脚。瑠璃と蘇芳は私の両隣に既に着席している。食事は必要ないけれど、立っていられるとやはり気になるので座る様決めたのだ。
ミィが余った椅子を見て困惑している。
「ミィ?」
「…………あの、私は奴隷です」
「首輪なくなったから違うでしょ?」
「それはその、そうかもしれませんが……」
何を気にする事があるのだろう。そんな事より私は早くご飯が食べたい。
「あの、トーコ様と……ご主人様と同じテーブルに着くのは……」
「そんな事ここでは気にしなくて良いよ。私早くご飯食べたいから座って」
「でも……」
「ミィ、命令。座って」
「はい」
面倒になってそう言ってしまった。まぁ良い。これで漸く四人がテーブルに揃う。
「頂きます」
「「頂きます」」
私の言葉に続いて手を合わせる二人の精霊を見て、ミィが慌てて真似をする。そして、私が食事をするのをじっと見つめだした。
「何してるの?ミィも早く食べて」
「あの、これを、ですか?」
「そうよ?」
ミィの前にあるのは私と同じ携帯食だ。
「申し訳ないけど、私あんまりお金持ってないし、今はこれ以上良いものは食べてないの」
「いえ、そうではなくて…………ご主人様と同じものを使用人も頂けるんですか?」
「今のところはそうね」
ミィが唖然としている。
「……宜しいんですか?」
何故瑠璃に確認を取るのか。
「トーコ様がそうしろと仰っているのだからまぁ良いでしょう。いつもこうだと勘違いだけはしない様に」
「はい」
そして何故瑠璃も許可を出すのか。
瑠璃の言葉で安心したのか、ミィは恐る恐る食事に手を付けた。若干納得がいかない。
瑠璃達が食事をしない事については、何も伝えていないが察している様だった。アデルにでも話を聞いているのかもしれない。
ミィの瞳に涙がいっぱい溜まっていたが、こぼさない様に必死に隠していたから私は気付かないふりをした。涙は大樹の光に反射して、とても綺麗に見えた。
夕食の後は、恒例のお風呂タイムである。私が先ず済ませ、次いでミィも洗ってもらう様瑠璃にお願いする。ミィは土下座したり膝間づいたり荒野で寝たり、いろいろ汚れていると思う。あの館の香が残っているかもしれないし、この際綺麗にしてもらおうと思ったのだ。そう言うと瑠璃は諦めた様にミィを洗ってくれた。渋々でも結局諦めて洗ってくれる瑠璃を、ちょっと愛おしいと思ったのは内緒だ。
その後完璧な土のベッドを蘇芳に作ってもらい、漸く私達は就寝時間となった。瑠璃と蘇芳はいつもの様に私のベッドの傍に椅子を用意して座っている。
「これから夜の間はどうするの?」
好奇心で蘇芳に聞いてみた。
「夜通しトーコ様を観……見守っています」
(今観察って言おうとしたよね?)
正直それは止めてもらいたい。押し問答の末、私が眠った後なら見て良いという事で決着した。そうでないと多分気になって眠れない。
「瑠璃はこの壁の中から出ないでここにいてね。行商人に危害を加えちゃダメだよ?」
「何故私だけに仰るんですの?」
瑠璃が不機嫌にそう言ったので、蘇芳にも同じ事を繰り返す。そう言えば蘇芳は瑠璃に言われてメルイド達を連れて来たのだった。瑠璃だけだと危なかったかもしれない。何せ瑠璃は知恵が回る精霊なのだ。
「あの、トーコ様。私は何を……」
ベッドに入ろうとすると、ミィが申し訳なさそうに声を掛けて来た。
「あ、そうよね。蘇芳、もう一つベッドを準備してほしいな」
「…………はい」
大分離れた壁の傍に、四角いだけの土の箱が出現する。
「蘇芳、何もそんな」
「トーコ様、使用人に寝床など不要です。緑の館ではそうでした」
「そうなの?」
ミィが頷く。
蘇芳が言う寝床とは、ベッドの事ではなく寝る場所の事だと思うのだが。
「寝床がなかったら何処で寝るの?」
「使用人に就寝時間はありません。隙間時間にその場で仮眠を取るくらいで」
(そんな劣悪な労働環境初めて聞くよ!?いいの!?)
それはあまりに気の毒ではないだろうか。ミィがあそこを逃げ出したかったのも頷ける。でもその睡眠時間でその肌の張りは凄い。何をしたらそうなるのか。それとも若さ故か。
「じゃぁ今日からは寝て。何時までも若い訳じゃないからね」
「?はい、あの、でも何か出来る事は……」
寝たい訳ではないのだろうか。不思議な事を聞く。
「今は何もないよ。そもそも夜にする事って何?ミィは春は売ってなかったんでしょ?」
「その、給仕とか雑務を。春をひさぐにもいろいろ……」
「あー良いよ詳しい説明は」
深く聞くのは止めておこう。興奮して眠れなくなる。
「では…………本当にあそこに寝かせて頂いても、構いませんか」
「本当にあそこで良いの?」
こんなに広いのに、あんな隅でしかもベッドではなくただの土の箱。見ようによっては棺桶である。なのにミィは感激して涙まで浮かべ頷いている。
(私が最初に寝ていたのもあんなのだったよね……)
箱に横たわる青白い自分を想像してしまい、慌てて想像を追いやる。
「ミィが良いなら良いよ。お休み」
「「「おやすみなさいませ」」」
嬉しいのを隠しもせずベッドへ走って行くミィの姿が哀れだった。ミィと私では、あまりに幸せの感覚が違う。
(少しずつこちら側に近づけて行けばいいか)
それは傲慢な考えかもしれない。でもどうせミィとはこの先一緒にいるのだ。私が悶々と悩むくらいなら、さっさとこの状況に慣れてくれればいい。大丈夫。人間贅沢はあっという間に覚えるものだ。逆はとても難しいのだけれど。
私は今日も、いつの間にか眠りに落ちた。
それにしても、お兄さんがあんなに騒いだのに獣も魔獣も冒険者も乗合馬車も通らなかったのは幸いだった。
一の鐘が鳴った。大樹の光が徐々に明るくなり始める。
私が起きた時、既にミィは起きて傍に控えていた。テーブルセットがあるのに態々ベッドの横で跪いている。瑠璃と蘇芳が同時に椅子から立ち上がり礼を取る。朝一番の謎の儀式である。
私はベッドから降り、心の中でイメージを作り上げる。ベッド二つと、夕飯で使用した後創りっぱなしだった蘇芳のテーブルセット、瑠璃と蘇芳が夜座っていた椅子二脚を、一斉に砂に還すイメージを。
神法は直ぐに発動し、私は全てを壊す事に成功する。三人の拍手と自分の上達ぶりに達成感を思えながら、今度は朝のお風呂タイム。
最後に、残った砂を使って自分でテーブルセットを作ってみる。起きている間の維持は大丈夫な様だ。
「じゃぁ皆座って。行商人をどうするか意見をくれる?」
初家族会議である。ドキドキしながら皆を見渡す。口火を切ったのは蘇芳だ。
「光に還しましょう」
「それは駄目。瑠璃は?」
「契約で縛れば宜しいのでは?それで森まで物資を運ばせれば良いのです」
瑠璃が珍しく同行を拒否する。昨日の鼻水が余程嫌だったらしい。
「ミィは?」
「え?……私、ですか……?」
「トーコ様が意見を求められたのよ、発言しなさいミィ」
「はっ、はい、あの……私も精霊と契約をして、物資の調達を任せれば良いと思います」
奴隷が意見を求められる事などないのは容易に推測出来る。しかしミィは、自分の意思ははっきりと口にした。それがこの深紅の髪のせいなのかは分からないが、多分奴隷の中でも特殊なのだろうと思う。
「やっぱりそうだよねぇ。それが一番だよねぇ」
実際私もあの息子の態度は気に入らないのだ。いくら扱いが使用人や奴隷でも、側に置きたいとは思わない。
かと言って光に還せば、折角の食料調達の目途が立たなくなってしまう。それに人が消えるのは不自然だ。探されても困る。出来れば二人には普段と変わらない生活を続け、周りに不審に思われない様にしてもらいたいと思っているのだ。
「じゃぁやっぱり精霊を呼び出すかぁ……」
私は家族会議の終了を告げ、席を立つ。そこから円の中の仕切りの壁だけを砂に還した。
騒ぐかと思っていた行商人達は、予想に反して大人しく座っていた。私は瑠璃を連れて彼等の元まで歩いて行った。
「おはよう」
声を掛けて近寄ったが、憔悴しきった息子と茫然と壁を見続ける父親は反応を示さなかった。
「よく眠れ……た訳ないよね。取り敢えず買い物したいんだけど」
「…………はい」
弱々しく返事をしたのは父親だった。息子が虚ろな瞳で父を見る。
私は取り敢えず緑色の生地を手に取り、生地は三メートルくらいのところで切る様に言った。彼が震える手でぎこちなく生地を切った為、あまり滑らかではない切り口の生地が手に入る。まぁ許容範囲としよう。ミィに羽織らせればマントの代わりになるだろう。
更に朝ご飯用の携帯食を二人分取ると、昨晩の携帯食と合わせて値段を聞く。しかし彼は首を振るだけで、答えようとはしなかった。
「駄目よ、ちゃんと支払いは受け取ってくれなきゃ商売にならないでしょ?これから物資を運んでもらわなきゃならないのに」
私のため息に青ざめた父親は生気のない様子で跪き、「後生でございます」と消え入りそうな声で地に頭を付ける。
(後生で返すくらいなら今言う事を聞いてほしいわ)
埒が明かない事は分かったので、参考までにどうすればよいか瑠璃に聞いてみる。
「光に還すと脅せばよいのですよ」
予想に違わずブラックな答えが返って来た。
親子が震えあがる。二人が此方に視線を向けたところを見ると、効果は覿面の様だ。この方法はあまり好きではないが仕方がない。
「じゃぁおじさん、正しい金額を今直ぐ教えてくれないと息子さんが光に還ります」
「小銀貨四枚と大銅貨二枚でございます!」
素直なのは感心だ。金銭のやり取りはきっちりするべきだ。
「ありがと。これからも良い取引が出来ると嬉しいわね。取り敢えず朝ごはん食べて来るから、少し待ってて。後で今後の事に付いて話しましょう」
私はそれだけ言うとさっさと元いた場所に戻った。本当はもっと食料を買い込んで今後の話もしようと思っていたが、お腹が空いたせいか息子の姿を見たせいか、何故かイライラしている。一体何が気に食わないのか自分でも良く分からないが。
まぁ食べてからでも遅くはない。食べながら話も出来たけれど、あの息子をミィに近寄らせる気はない。
蘇芳と瑠璃には遠目に監視を頼み、緑の布をミィに渡して必要な時は羽織る様に伝える。ミィがありがとうございますとまた涙を見せる。良く泣く子だ。
それから二人で食事をとる。テーブルや椅子を維持しつつ、コップの水も二人分出せる。我ながら進歩だと思う。
「商談に行く前に再確認しておくけど、私達はこれから森へ行く、あの二人にはホームへ帰って森まで物資を持って来てもらう、それでいい?」
「えぇ。その前にしっかり精霊契約で縛っておいてくださいませ」
蘇芳とミィが頷いて瑠璃の意見に肯定する。
そう。私は森へ行きたいのだ。町や人から離れたいと言った方が正しいのかもしれないが。
「分かった。それから、皆欲しいものはある?」
「特にありませんわ」
「私も」
欲がなくて助かる。私はお金がない。
「私もありま……」
二人に続いてそう言いかけたミィが、急に胸を押さえて身体を丸めた。ぎゅっと目をつぶり、服を破れそうな程強く握りしめている。
「ミィ?」
開いた口から空気を吸い込もうとするが、息が出来ないのか掠れた音だけが微かに鳴った。
「どうしたの!?」
「ミィ、契約を忘れたのか?」
(契約って、精霊契約!?)
蘇芳の言葉で反射的にミィに駆け寄る。
「ミィ!欲しいものはある!?」
そして早口で質問を繰り返した。咄嗟に上書きされるのではないかと思ったのだ。
案の定ミィは驚愕に目を見開き、その後大きく咳込んだ。どうやら胸は無事の様である。
(光に還るって、苦しむの?でも、何に引っかかったの?)
次第に平常に戻る呼吸。ミィは徐々に俯き、膝に下ろした手を見つめながら消え入りそうな声で私に答えた。
「トーコ様、私…………ご飯が食べたい、です」
ミィは私に嘘を付けない。
嘘とは何か。今回の様に欲しいものを聞かれて、足を付ける地面が欲しいとか呼吸する為の空気が欲しいとか、そんな事まで答えるのは現実的ではない。だから私はアデルと契約する時、「嘘」を本人が認識している事が前提だと考えていた。
つまり、私が当たり前だと思っている事も、ミィにとっては本心を隠して遠慮をする様な事なのだと、私はこの時思い知ったのだ。
「ミィ、ごめんね。ご飯も寝る時間もちゃんと毎日あげるよ?ちゃんと服も買ってあげる。欲しいものが出来たら何時でもいいよ、私に教えてね」
私は小さく丸まるミィを抱きしめて、ゆっくり頭を撫でながらそう伝えた。
出会って間もない少女。少女といっても今の自分より体格の大きい子共だけれど、何故かそうしたいと思ったのだ。
「トーコ様……ありがと…………」
安堵からか私の肩を濡らすミィを撫で続けながら、私は自責の念にかられた。私は本当に何も知らず、私の価値観でしか物事を判断出来ない。他人の境遇にも思い至らない、どうしようもなく愚かな人間。そんな人間が精霊契約を行使し続ければどうなるか。
そんな事は分かり切っている。私は何れ、人を殺してしまうのだ。
ミィが泣き止んだところで、私は瑠璃と共に再び行商人の元へ向かった。行商人親子は土下座で私達を迎えた。
(あぁ、そうか。私はこれを見るのが不快なんだ)
怯えるのも卑屈なのも、限度を超えると一気に気持ちが冷める。
私は父親を立たせ、先ず携帯食料を買い込む事から始めた。ミィに泣かれた手前一日二食では可哀そうな気がして、結局二人の一日三食、八日分計四十八食を購入する。二万四千円の出費だが、こればかりは仕方がない。
この大量の食糧を運ぶのには、勿論蘇芳の協力を取り付けてある。しかし残念な事にこの袖は、時間経過を停める様なものではないらしい。蘇芳によると大樹と繋がっているだけなのだそうだ。支出もさる事ながら携帯食の日持ちは五日から十日だと言うから、これ以上買って何かあるのも怖い。森にトイレや病院があるとは思えない。
「次は契約ね」
私は気持ちを切り替えようと、態とそう口に出した。慎重に対応しなければ後で大事になる事は身に染みた。私の希望が叶い、尚且つ意図しない事で彼等に負担をかけない、そんな都合のいい言葉を見つけなければならない。彼等を見ていると一瞬そんな配慮が必要か?とも思ったが。
ミィに条件を付け過ぎた事は明白だ。その点ククルにかけたのは「許可なく喋るな」という一点のみ。
但しこの親子はメルイドやククルと違って私を神聖視している訳ではないので、ある程度の拘束力は必要になって来る。私の今後の生活もかかっている。
私の前に正座させられ、何をされるのかと慄いている父親には少し同情の余地もあるが、息子には全くそんな感情は沸かない。だがそれは危険だ。怒りに任せてミィの時の様な事になったら私の良心が限りなく消滅していく気がする。
(別に私は人を光に還したい訳じゃないんだから)
「出て来なさい」
二人の精霊を呼び出す。回数を重ねる毎に抵抗が減って行く。
戦慄する親子から現れたのは、水と風の儚い妖精。その光景は、親子を恐怖から救い出す程の衝撃を与えたらしい。彼等の表情はみるみる恍惚とし、私の存在など忘れてしまったかの様に精霊を見入っている。
「貴方達は故意に私を害する事は出来ない。破れば相手が光に還る」
父が破れば息子に、息子が破れば父に契約が及ぶ。お互いの関係があってこその契約だ。
ミィにも似た様な事を言ったし、この言葉が正しいのかも分からない。もっといい方法はきっと幾らでもある。
瑠璃は微笑みを浮かべたまま此方を観察していた。親子は驚いてはいるものの、ミィの時の様に長く苦しんではいなかった。最初に少し違和感がある様な表情をしただけだ。
(こんな事が上達するってどうなのよ)
精霊を二人の中に戻すと、二人は胸の辺りをしきりに確かめる様に触った。そんな二人の前で私は土の椅子を作って座り、何となく足を組む。
「精霊契約は絶対順守の呪いよ。だから私を失望させないで。約束を守ってね」
彼等は私の神力値を見た。そしてこの巨大な土の壁を目の当たりにした。恐らく抗う事の出来ない神法の使い手である事は分かってくれていると思う。
「貴方達は私達の事を吹聴する事は出来ないし、私に物資を届けるという約束を破る事も出来ないわ。良く良く気を付けて。私の期待に応えてくれていたら……そうね、その内その首輪を外してあげるわ」
息子が驚いた様な反応を見せる。父親はただ頷いた。
飴と鞭は与えた。後は要望を伝えるだけだ。
「じゃぁ森に持って来てほしいものを伝えるわね。メモが必要ならどうぞ」
慌てて二人は懐からメモ帳とペンを取り出す。
「持って来てほしいのは、先ず森で生活出来る様な平民の服が一着。着るのはミィだから、私と似た様な体系よ。仕立てて持ってきて頂戴。それから裁縫道具と、ミィの服を後二、三着服を作る布地。出来れば黄色と緑が良いわ。まぁなければ何色でもいいけど」
森に隠れられる緑と、迷子にならない様に黄色を選ぶが、言葉に幅がないと在庫がない時に期日に間に合わなくなっても困る。精霊契約の逃げ道だ。
裁縫道具は勿論ミィ用。私は作らないし、今後の事を考えて作れる人がいた方が良いと思う。
「それから本。例えば歴史書、神話、地理、法律、学院の教本……はなければ神法が目覚めた子が読む様な本や絵本でもいいわ。それから森で暮らす為の本。食べれる葉っぱ、木の実、気を付けなければいけない事、何でもいいからそういう役に立つ知識が得られる本。兎に角この国で生活していく上で必要な事を勉強出来るものを中心にお願い」
彼等は疑問符を頭に浮かべながら必死でメモを取り続ける。まぁ森に行くのに本が必要な訳が分からないのだろう。それとも本の内容だろうか。
「後は食料と、魔石の浄化と神石の補充が出来る光属性の人を一人。これは合った時に精霊契約で縛るかもしれないからよく考えて選んでね」
メモしていた手が同時に停まった。顔が引きつっているのもそっくり。流石親子だ。
「今のところこれくらいかしら。あ、後は神力計を一つ!ペンダントのが良いわ」
肝心な物を忘れるところだった。
「瑠璃、他に必要そうなものは思い付く?」
「よく分かりません」
「そうよね」
実際行ってみないとどんな場所かもまだよく分からないのだ。勿論森で暮らした経験はない。
「じゃぁ貴方……そう言えば名前を聞いていなかったわ。私はトーコ、貴方は?」
「……ヤトーと申します。これは息子のヲール」
「ではヤトー、今言ったもので準備が出来ないものはある?」
「本は全て揃うか分かりません」
「見つけたものだけでいいわ。他には?」
「食料は何を如何程お持ちしましょう」
「日持ちがするものを……そうね、調達時間を考えて、最短で何日後に森の入り口まで持って来られる?」
「それは分かり兼ねます」
驚いたヲールがメモから顔を上げて父を見た。
「…………何か問題でも?」
「商業ルートの変更です。私共はギルドに届け出たルートを走行しております。ルートは周辺住民や冒険者等の利用者と登録された商会を調整して決められておりますので、私の独断で変更する事は出来ません。今ギルドに届け出ても、調整がいつ終わるか分かりません」
どうやらヲールは知らなかったらしい。商会が父のものというのは嘘ではない様だ。ルールを破るという選択肢はないらしい。意識の高い仕事をする人は好きだ。
それにしても、思ってもみない返事が返って来た。どうしよう。これは私がどうにか出来る問題なのか。
「では直ぐに届け出て、許可が下りるまではどちらか一人が森までくれば良いではないですか」
瑠璃がそう提案した。流石頼れる精霊だ。良い案が全く思い浮かばない私はその意見に飛びつく。
「出来る?」
「…………はい」
「父さん!?」
「ではトーコ様、ヲールと私の妻を森まで行かせます。妻にトーコ様の事は伏せさせて頂きますので、何分失礼があるかもしれませんが、ご容赦願います」
それはまぁ、容認できる範囲でならば。
「奥さん、精霊契約で縛っても良いの?」
「…………そうならないのが一番ですが、光属性ですので浄化と補充が出来ます」
他に頼れる従業員がいないのか、それとも他に思うところがあるのか。まぁ私が口出す事ではない。
「ならそうして頂戴。他に森の生活に必要と思うものはある?」
「…………やはり森に入られるのですか?」
「聞かれた事に答えなさい」
瑠璃が少し低めの声で忠告した。
「失礼しました。森に入った事がございませんので、分かり兼ねます。しかし……」
「何か問題でも?」
「森は領主様の領地です。中に入る事は出来ないかもしれません」
「出来ない?」
「何か見えない壁の様なものがあって、領主様でないと入る事が出来ないと聞いております」
何だそれは。結界でも貼ってあるのか。それは非常に不味い。予定が狂う。
「…………いえ、貴方様なら入れるのやもしれません」
どっちだ。
「私ならって?」
「あの様な御業、領主様とてお使いになる事は出来ないでしょう」
御業とは、精霊契約の事だろうか。いつの間にか神様認定されそうな雰囲気になっている。気のせいだろうか。
(だから初対面の相手のこんな無茶苦茶なお願いも聞いて、奥さんも差し出すの?)
勿論そんなつもりではなかったが、都合よく事が運んでいるのでこの際良い事にする。
「私が今出せるお金は大銀貨六枚程度。でも魔石ならヲールが見た程度のものをかなりの数持っているの。奥さんが一回に浄化出来る量はどれくらい?」
「二千程でしたら可能かと」
「では四つね。浄化して幾らで買い取れる?」
「神力五百丁度でしたら浄化を差し引いて四つで小金貨一枚と大銀貨九枚と小銀貨八枚です」
十九万八千円。メルイドの店より多い。町より行商人から買う方が物の値段は高い様だが、引き取る方も高いという事か。
服は生地で一万円、仕立てて一万円、神力計が五万円。
「裁縫道具と本って相場はどれくらいなの?」
「裁縫道具は一式揃えると恐らく小銀貨四、五枚です。本は少なくとも一冊でそれと同じくらいはするかと」
高い。予想以上に本が。まぁ薄い雑誌ではないのだろう。ハードカバーの図鑑などは一冊一万円超えていてもおかしくはない。
「ではそうね……小金貨二枚で揃えられるところまで揃えて頂戴。服の仕立て代はちゃんと取ってもらって構わないわ。購入リストと明細は必ず出してね。食料は日持ちする日数分だけ。二人分で毎日三食。携帯食の様なものならまぁ賞味期限を考えて八日分くらいね。これを全部揃えて何日後に森まで来られる?」
「五週間は頂戴したい」
二十五日。ホームまで帰って森までの移動だけで二十二日。補給と調達でまぁそんなものだろう。服だって縫ってもらわなければならない。
「ではきっちり二十五日で出来る事をして頂戴。約束よ」
「はい」
話は付いた。後は森の状況を確認して、住むところを確保するのだ。
誰も入って来ない森なんて、若干藤の樹海みたいで怖いと言えば怖いが、私には心強い精霊が二人もついている。瑠璃も蘇芳も強いのだ。森で二人に殺されかけても誰も助けてくれないなどと恐ろしい考えが過った事は確かだが、でも裏切るなら町でも幾らでも出来たし、そもそも町の人が誰か私を助けてくれたかというとそんな事はなかったのだ。
中流階級の平民の町に暮らしたいと思った事もあった。でも、上手くやって行く自信はもうない。そもそもやって行く必要があるのか。こんな訳の分からない世界で、好きな事をしようと思ったのではなかったか。人の輪に入りたいと確かに思ったが、周りに人が沢山いるからそんな事を考えるのだ。別に入らなくても程よく付き合えばいい。いっそ最初から何もない方が、心穏やかに過ごせるに違いない。
ならば私は森に要塞を作ろう。私が、私達だけが、安心して過ごせる場所を。
ヤトーの返事に達成感と安堵を大いに感じて、私は態々土の壁に手を付いてそれを消して見せた。壁の高さは五メートル程。いつもの様に砂に変えてしまうと砂埃で大変な事になっただろう。消えた砂の行方は謎だが、ヤトーとヲールを驚嘆させる事には大いに成功した。少しでも彼等が光に還らずに私の望みを叶えてくれると良い。
さぁ、これで準備は整った。
ヤトー達をガンゼット方面へ送り出した私達は、再び森へと向けて出発した。