第19節 悪役令嬢?と因果と首輪
5/19 主人公の現在地を修正しています。
修正前)ガンゼットから荷馬車で五日の距離 → 修正後)四日の距離
(今測ってたの、全部見られて……)
冷汗がどっと流れる。手先が一気に冷えて震える。心臓が痛い程跳ねる。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう。こういう時どうするんだっけ)
慌てると頭の中が真っ白になるこの癖は、どうにかならないだろうか。小心者の自分が本当に嫌になる。
「トーコ様、そろそろ魔石をお返し下さい」
蘇芳の声が、私を思考の迷宮から救い出す。
辛うじて手先に引っかかっていた腕輪が手から滑り落ちる。
私は咄嗟に荷台から飛び降り蘇芳にしがみ付いた。何でもない事の様に蘇芳が受け止めてくれる。
震えが止まらない。お兄さんの視線から隠れる様に、無意識に蘇芳を盾にする。手の中の石すら上手く持てない。落とさなかったのは唯の幸運だ。
「トーコ様、大丈夫です。何も心配なさる事はありません。石は此方でお預かりしますね」
蘇芳は片手で私の頭をゆっくり撫ぜながら、もう片方の手を後ろに回して私を手を取り、優しく解いた掌から神石も魔石も取り出して着物の袖に仕舞った。
「あ、貴方達は、何なんだ」
荷台からお兄さんの声がする。恐れを含んだその声に、私は蘇芳に抱き着く腕に力を籠める。
精霊がこんなにも私の中を占めているのに愕然としながらも、私を撫でてくれる蘇芳の手にどれほど救われているだろう。
「何とは何だ」
「そんな大きな魔石を……何処でどうやって手に入れた?」
「荒野で魔獣を倒して」
「そんな訳ない!!」
「聞いておいて否定するな」
お兄さんの言葉に蘇芳が苦言を呈した時、荷馬車の前方から一瞬悲鳴が聞こえた気がした。続いて何か重たいものが地面に落ちる音がする。
恐る恐る蘇芳の壁から前方を覗き見ると、いつの間にやらそこには瑠璃が立っていた。
「!!」
瑠璃が、動かなくなった行商人(父)を引きずって此方に近寄って来る。その後ろから遠慮がちにミィが付いて来た。
(な、なっ、何やってんの!?)
悪者は退治して置きました、とでも言わんばかりの満面の笑み。恐らく蘇芳が私を抱きしめてくれた様に、瑠璃も私を助けようとしてくれたのだろう。しかし、やり様というものがある。
震えていた手に徐々に怒りが浸透し、ギリギリと蘇芳を締め付ける。まぁ私の握力や腕力なんて大した事はないけれど。
「父さん!!」
荷台のお兄さんがそれに気付き叫ぶ。やはり親子の様だ。
引きずられて来た行商人(父)はどうやら意識を失っているらしい。外傷は取り敢えずないが、御者台から落ちたのだとしたら五十代以降という年齢を加味すれば何処か痛めている可能性がある。打撲、場合によっては骨折という事もあるかもしれない。商いを続ける事が困難になる損傷だった場合、賠償すべき金額はいくらになるのか。考えただけでも頭が痛い。
いや、この際そんな事はどうでもいい。今考えるべきはこの惨状をどう誤魔化すか。基、やり過ごすかだ。
私が機密保持の為に出来る事と言えば、光に還す事、精霊契約で縛る事の二択。どちらも悪役まっしぐらな感は否めない。
(クリーンなヒロインを目指してるんだけど!いや、目指してないけど)
一人ノリつっ込みで心を落ち着け、私は蘇芳を握りしめていた手を緩める。
お兄さんが父親の元に駆け寄ろうと商品を押しのけ、荷台から飛び降り様としている。
「あ」
「うわ!!」
お兄さんの足が着地した地面が瞬時になくなった。いや、正確には変化したというのが正しい。土が砂に変わり、石畳を飲み込む。そしてお兄さんも一緒に呑まれる。蟻地獄の様に。
「なっ!何だ!?どうなって……!?」
どんどん沈み込んで行くお兄さんの身体。慌てて手を伸ばし石畳に噛り付こうともがくが、手が触れた石畳が傍から崩れて砂と化す。吸い込まれたのではない。もう石畳そのものが砂に変わっていく。
「誰か!!助け……」
そして周りを見渡して、見方が誰一人いない事を悟ったお兄さんの表情を見て私は、笑っていた。
(どうしよう。罪悪感どころか、このまま消えれば良いと思った?)
光に還る事が人の死と結び付かない様に、こんなあり得ない状況が現実と紐付かない。
咄嗟に綻んだ口元を抑えたが、元いた世界なら慈悲のない、褒められない感情だ。いよいよ私は良心を手放すのだろうか。
無意識に爪を噛んでいるのに気が付いて、慌てて口から手を離す。
「蘇芳、そこまでにして」
「はい」
蘇芳は素直にその現象を停めてくれた。蟻地獄は固まり砂は土に戻る。
お兄さんは胸から下が埋まった状態で、両手を付き必死で土から出ようと試みる。しかし力では無理だと気付き、直ぐに胸の辺りを掘ろうと手を動かし始める。
そんな光景を見て滑稽だとしか思わない自分に多少の焦りを感じつつ、私は蘇芳の後ろから出てお兄さんに近づいて、その顔の前にしゃがみ込んだ。
「ねぇ、助けてほしいの」
「…………は?」
お兄さんは手を停めて私を見る。恐怖よりも困惑の色が強く伺える表情で。
精霊二人は大人しくこちらを見守っていてくれる。手を出されないのは有り難い。おじさんが動く様子はないが、光に還っていないのだから生きてはいる。問題ない。
(そうよ、何も問題ない…………ようにすればいいのよ)
覚悟を決めよう。何かを得る為には何かを捨てなければならない。等価交換というやつだ。どちらも掴み取る事が出来るのは神のみ。
「私これから森に行くの。だから貴方、必要な物を森まで届けてほしいの」
私は最早クリーンなヒロインではないのだ。悪の女王になるつもりはないが、傍から見れば善ではないだろう。今更言い訳するつもりはない。どうせここでなら何でも出来ると思っていたのだ。それは何をしても良いという事ではないけれど、結局因果は巡り巡って返って来るとも思うけれど、それはその時の事。
「出来るかしら?」
「……次に森へ行くのは少し先に」
「季節を回るんでしょう?それでは遅すぎるわ。せめて二週間」
「無理だ!!」
「口答えするな」
蘇芳がしゃがんでいた私を軽々と抱き上げ、お兄さんを見下ろした。必然的にお兄さんは蘇芳を仰ぎ見る事になる。首が痛そうだ。
「やれ。トーコ様の願いを叶えろ」
「…………無理だ。商会は父のものだ。私が好きにする事は」
「なら光に還しましょう」
「止めてくれ!!」
瑠璃の提案に、お兄さんが悲鳴を上げて父親の方を向く。まぁ埋まっているから実際は腕と首から上が動いた程度だが。
「物理的にも無理だ!ここからホームまででも十四日かかる!補給する物が直ぐ手に入ったとしてもそこから森まで八日だ!二週間では……」
ぶっきら棒にそう答えつつも、お兄さんは父親から視線を外さない。心配なのは勿論分かる。分かるが、それよりもだ。
「ホームって何処?」
「中央都市。アルゼンナーエだ」
「中央都市はアルゼンナーエというの?」
「?そうだ……?」
確かに街道沿いに行くとガンゼットから中央都市まで二週間と言っていた。であるなら、ここからガンゼットまでは荷馬車では四日かかる事になる。
(鐘一つ分くらいで来たけどね)
三角形を想像しよう。左下にガンゼット。右下に中央都市アルゼンナーエ。アルゼンナーエの上に森の入り口だ。
森から南西にガンゼットまでは荷馬車で十五日。今はガンゼットから四日、森から十一日程の位置にいる。
ガンゼットから東にアルゼンナーエまでは十日。アルゼンナーエから北に森までは八日。
「二週間は流石に無理か。でもこのスピードなら明日には森に付いちゃうよ」
「!?」
森まで神法ならあと鐘三つくらいあれば着いてしまうだろう。十五日の道のりが一日かからない。早過ぎる。人に見せられるものではない。
(あーお兄さんが驚いてる。口に出しちゃいけなかったなこれ)
そんな、何を言っているんだ大丈夫か?みたいな顔で見るのは止めて頂きたい。事実だ。
「ガンゼットなど経由しないで、真っ直ぐホームに帰らせれば宜しいのでは?」
「道が舗装されていないとスピードが出ないんだ。荷馬車も痛むし、魔獣や獣が出るかもしれない。街道を行った方が早い」
そうか。街道は冒険者が巡回しているから安全なんだった。それは外れるとどんな危険があるか分からないという事。
「あれ?もう一つの商会は八日毎に森に来るんだよね?中央都市から森まで八日もかかるの?」
「あの商会は家とは違って大きいんだ。三つの商隊が交代で行ったり来たりしてる。アルゼンナーエから森までの距離は馬車で八日だ」
「じゃぁ貴方がどんなに頑張っても十六日毎にしか森に来れない訳か」
「そうだ。だから……父さんを離してくれ……」
ぐったりと地に伏す父親。地に捕らわれた息子。それを見下ろす精霊に奴隷に私。
(悪役令嬢ってこういうのかしら)
そんなつもりは全くないのに、どうしていつもこうなってしまうのか。
何だか親子が可哀そうになって来た。
「蘇芳、お兄さんを出してあげて」
「…………はい」
納得はしていない様だが、取り敢えず私の言う通りお兄さんを土から押し出してくれた。タケノコみたいだ。
お兄さんは土だらけなのを掃いもせず、慌てて父の元に駆け寄る。途中瑠璃を避け、ミィに気付く。
「奴隷!?……どけ!」
(ちょっと……)
お兄さんに突き飛ばされたミィが派手に尻もちを付いた。石畳の上だ。相当痛いと思うのに、ミィはそれがまるで当たり前の様にただお尻を押さえて立ち上がる。何だこれは。
お兄さんがミィに怒鳴る。
「汚らわしい!離れろ!!」
何だ此奴は。そういう態度を取るのか。ミィは何もしていないのに。
私の中で何かが切れた。
蘇芳の制止を振り切って、つかつかとお兄さんに詰め寄る。意識のない父親を呼びながら揺するお兄さんの横に立ち、私は不機嫌も露に声を掛ける。
「可哀そうと思って出してあげれば何なの?ミィに謝りなさいよ」
「は?奴隷に謝れって?それよりそっちこそ、人を何だと思ってるんだ」
お兄さんが私を睨む。何だろう。このすれ違う感じ。言葉は分かる筈なのに、通じない。
「何、じゃぁあんたはミィが人じゃないって言うの?」
「それは奴隷だろ!?そんな事より父さんに何かあったらどうしてくれ……」
無意識だった。精霊達が動くより前に、私は土のタケノコを創る。石畳を割り生えたそれはお兄さんの上着に入り込み、上手い具合に背中を引っかけてぐんぐん伸びる。
「わっ!!何だ!?父さん!!」
お兄さんが宙に浮いて行く。バタバタと手足を動かす姿は蜘蛛の巣に絡め捕られた虫の様で滑稽だ。
でも今は彼はどうでもいい。視線を倒れている父親に移す。
「離せ!!父さんに触れるな!!」
上からそんな声がしたが当然無視する。頭に血が上っていた事は認めよう。私は今、ここ最近忘れていた程の怒りを感じている。
「ミィ、こっちへ」
「はい」
私の傍に来て跪くミィの顎に手を当てる。ミィが緊張したのが伝わって来るが、それにかまってあげる気はない。
「動かないでね」
「はい」
ミィがごくりと唾を飲み込む。
私はミィに上を向かせ、その顎からなぞる様に手を下に滑らせる。指先が首輪に触れ、チリンと鈴が鳴った。
(そうよ。人の気持ちが分からなければ、分かる様になればいいのよ)
罪もない人を身分が下だというだけでぞんざいに扱うというのなら、その身分に落ちれば良い。そうすれば気持ちが分かる筈だ。そうして同じ扱いを受け、自分の行動を大いに反省すれば良い。
よく見ると首輪は皮や銀ではなく鉄に近い硬い金属の様なもので出来ている。溶接された様に継ぎ目がない。私の知っているチョーカーとは違うんだろうくらいにしか考えていなかったが、ミィが自分で外せないと言っていたのはこういう事か。切断するにも首に密着し過ぎている。少しでも太ったら確実に息が出来なくなる程に。
私は徐に神力を流す。硬い首輪が直ぐにうねり出す。鈴が激しく左右に揺れる。私は首輪に無理矢理水を流し込んだ。体積が増えて首輪が広がればいいと思ったのだ。鉄の成分とか分子や構造がどうとか、そんなものは勿論知らない。そもそもこれが鉄かどうかもよく分からない。
(分からないけど、夢なら思い通りになれ!!)
首輪を掴んで勢い良く後ろに引っ張る。
「!!」
ミィが目を見開く。その細い首に何の圧力も負担もかける事なく、首輪は伸びた。
(良し、成功!もう少し動かないでよミィ)
うねる首輪を土の膜で覆って固定する。丸い蛍光灯の様だ。それをゆっくり上へ持ち上げミィの首から外す。頭を通り抜け、ミィが自由になる。
「嘘……」
(嘘じゃないよ。でも大丈夫。精霊契約がなくなる訳じゃない)
ミィに微笑みかけながら、心の中でそんな事を考える。やはり私は悪役なのかもしれない。令嬢かどうかは怪しいが。
広がった大きな首輪を持って、私は倒れている行商人の男に近づいた。
「止めろ!」
さっきから騒いでいたお兄さんが一際大きく叫ぶ。
後悔してももう遅い。発した言葉や行動は元には戻らない。後悔する様な事は、初めからしてはいけないのだ。
「駄目。許してあげない。これは貴方の行為が招いた結果よ」
そうか、分かった。違うのだ。何がそんなに腹が立つのかと思ったら、私は単に自分の所有物を馬鹿にされたのが気に入らないのだ。身分がどうこう、人権がどうこうといった綺麗事を隠れ蓑にしても、私の本性は誰であろうこの私がきちんと観ている。私こそ、ミィを自分より下に見ているではないか。
(結局これも巡り巡って、いつか私に返るのかしら)
「止めてくれ!!」
その悲鳴も空しく、男の頭に首輪がかかる。用意の良い事で、精霊二人がいつの間にか両側から彼を支え上半身を起こしていた。
土の膜を砂に変え掃う。徐々に水分を消して首輪を縮めて行く。
「父さん!!やめてくれぇぇぇ――――!!」
ぐったりとしている太った男の首に沿う様に、慎重に大きさを調整していく。固定したら水分を抜いて元の硬さに戻す。ミィとは首周りの太さが違うから、どうしても首輪は細くなってしまう。けれど流石に絞める訳にはいかないから仕方がない。
「出来た……」
大きく息を吐き出し、高ぶっていた心を落ち着ける。緊張の糸が解けて私は石畳に座り込んだ。
「お見事ですトーコ様」
「素晴らしい微調整ですわ」
精霊二人は男をさっさと放り出し、私に拍手を送ってくれる。石畳に落ちた衝撃でゴンッと大きな音が鳴った。
(うわ、痛そう)
「お、おめでとうございます!」
ミィも慌てて私を褒める。褒められた、のだろう多分。
あいまいに微笑んでいると、空から水滴が落ちて来た。
「……ん?雨?って汚っ!!」
上空でタケノコに引っかかったお兄さんが涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。
「トーコ様、こちらに」
瑠璃に抱き上げられ、少し離れた場所で全身洗われる。綺麗になる術があって本当に良かった。流石にあれは気持ち悪い。
「あれを連れて行くのは少し嫌です」
「使い道があるのですか?」
精霊達がお兄さんを一瞥もせず私に問い掛ける。
「使い道って、森まで物資を運んでもらうよ?」
「野放しにするのは危険ですわ」
瑠璃は笑ってそう言うので本心かどうか今一計りかねるが、蘇芳が真面目な顔をして頷いているのでそうなのだろう。
確かに相当恨まれた事は間違いない。このまま放置して中央都市の警察や自衛隊などを森に遣されても困る。
「でも折角のご飯を確保する手段だしなぁ。この首輪行動を制限したり出来ないのかな?ミィ」
「この首輪にそういう効果はないです。緑の館ではお香と風の神法で奴隷を縛っていました」
そう言えばそんな事もあった。
「じゃあこの首輪って目印くらいの役目しかないのね」
「はい。大昔の首輪は心や行動まで制限出来たみたいですけど」
「大昔?」
「神話にそういうのがあります」
大昔どころではない。神話何て本当かどうか怪しいし、御伽話は今は要らない。
「ところでこの首輪どうやってはめたの?サイズぴったりだったけど、やっぱり神法で?」
もしそうなら使い方を聞きたい。今後の神法のレパートリーに是非加えたい。
(いや、首輪の作成じゃなくて何かに応用をね)
「はい。これは神法で付けられました。四人で、首に直接首輪を創るんです」
「四人?」
「多分首輪を創るのに神力が沢山いるんだと思います」
「そっか。怖い事と思い出させてごめん」
ミィは小さく首を振ったが、恐らくその時の事を考えていたんだと思う。泣きそうな顔をしている。
上空で両手足を力なく垂らし泣き疲れて大人しくなったお兄さんを仰ぎ見た時、五の鐘が鳴った。




