第17節 神力の服と道と禁止事項
赤く光る精霊は熱いのか。
ちょっとした好奇心で精霊に手を伸ばし、怯えるそれをそっと握る。
「アデル!!止めてぇ!!」
(優しく、そっとね。私は瑠璃とは違うんだから。あ、ぷにぷにしてて柔らかい。赤ちゃんの肌の感触だ。気持ちいいかもこれ)
ふにふに、ふにふにふに。
顔がにやけて来る。
(いいな、これ)
「いやぁぁぁぁ!!」
(うるさいな)
ミィは少し大げさではないか。別に呪いの人形よろしく感覚が繋がっている訳でもあるまいに。何も叫ぶ必要はない。私はちょっと触っているだけだ。危害を加えるつもりはない。そんな悲痛な声で騒がなくても私は何もしない。
ミィの悲鳴を無視して一通りその感触を堪能する。アデルと呼ばれた小さな精霊は身を捩る。多分これはくすぐったいからだ。
熱くはない。熱いどころか、温かさがよく分からない。冷たくはないが、どちらかというと自分の右手の方がずっと熱を持っている。
「戻っていいよ」
私はその感触を一通り堪能し、精霊の頭をそっと撫でて掴んでいた手を離した。アデルが戸惑った様に何度か私を見る。あまりにそれが可愛くて、私は小さな子供にでもする様に微笑んでしまった。アデルは小さな両手を伸ばし、私の人差し指を抱えて先端にキスをする。
(何だこの可愛い生き物は!!)
めちゃくちゃ萌える。
そして離れたアデルは、私を振り返りつつミィの中に戻って行った。赤い光がその胸の中に吸い込まれる様に消える。
「…………アデル、良かった」
ミィが漸く叫ぶのを止めた。アデルが戻った心臓の辺りに両手を当てて、慈しむ様に目を閉じる。地面に涙の痕跡がある。何もしてないのに心外だ。
「ミィ、アデルは何て?」
「…………ご主人様は、大丈夫だと」
「何が?」
「着いて行っても……信用しても大丈夫だと」
「ふーん?」
やはり話が出来る様だ。私には聞こえないけれど。そもそも自称私の精霊は勝手に喋る。
何を基準にアデルがそう言ったのかは分からない。精霊の事だから、人柄とかではなく器の大きさか何かで測るのかもしれない。
「じゃぁ一緒に行きましょう」
「はい、ご主人様」
(ご主人様ねぇ)
何かその響きが微妙だ。私が養わないといけないみたいに聞こえる。それは結構プレッシャーだから嫌だ。世の中のお父さんは(お母さんかもしれないが)本当に凄いと思う。家族の生活を、命を背負っているんだから。
私はお金もないし、正直自分の事は自分で何とかしてもらいたい。
「呼ぶならトーコにして?」
「トーコ、様?」
どの道精霊契約で縛っている。もう対等ではあり得ないのか。
「じゃぁそれでいいわ、ミィ。改めてよろしく」
「よろしくお願いします、トーコ様」
椅子に座る私の足元に跪いたミィが、そっと私の足を取りその甲にキスをした。
瑠璃が満足気に頷いている。
「………………………」
アデルは良いとしよう。人差し指の先っぽに一生懸命小さな体でキスをして可愛かった。
瑠璃と蘇芳もまぁ良しとしよう。手の甲にキスって何処の芝居かとは思ったけれど、まぁギャラリーがいた訳でもなし、いや、メルイドとかいた気がするけれど、ギリギリ良しとしよう。
「でもこの挨拶はおかしいよね?」
「しっ、失礼しました!では、その……どうすれば……」
足は駄目だ、足は。私が変な趣味に目覚めたらどうする。
「普通でいいのよ。握手でもハグでも普段通りで」
「普段通り……本当に宜しいんですか?」
「勿論……」
何故か私の膝にミィの手がかかる。ミィはそのまま足を開いて私の膝の上に跨り、手を首に回して来る。ミィの服は薄い。肌の感触がばっちり伝わって来る。ミィの胸に私の顔が埋まる。頭の後ろ、髪を梳く様に手を入れられ、耳たぶに触れそうな距離でミィが囁く。少し乱れた息遣いに得も言われぬ感情が湧き上がる。
「トーコ様、末永く可愛がって下さいませ」
「違う!!」
そういう挨拶じゃない!瑠璃も目が怖い!
「……普段通りですが、間違っていましたか?春を売る奴隷達がいつもこういう挨拶をしていたのですが、私はまだした事がなくて……すみません」
本気で申し訳なさそうにミィが謝罪した。そう言えばミィは娼館で暮らしていたのだった。
私はミィを膝から降ろして徐に立ち上がる。
「挨拶っていうのはこうするの」
取り敢えずカーテシーを教えておこう。握手は人に近づき過ぎる。隠し武器とか持っていたら怖い。
まぁ私だってした事ないから知識の中の挨拶だが、取り敢えずスカートを摘まんで膝を曲げて優雅に見えればいいだろう。さっきの挨拶よりはずっとましだ。
ミィは素直に私の真似をした。
(あ、これはまずいな。スカート短過ぎる)
摘まむと中が丸見えだ。意外と丸見えだと欲情しないのだが、そういう問題ではない。兎に角先に服をどうにかしないと。
瑠璃もカーテシーを練習している。蘇芳は着物だから、スカートが踏まめなくて困っている。お辞儀を教えてみたら、自分だけの挨拶を蘇芳は気に入った様だ。瑠璃が若干面白くなさそうだが。
「服かぁ。そう言えば瑠璃達って服はどうしてるの?神様が支給してくれるの?お金持ってないよね?」
「この服ですか?私達は神力を顕現させて纏っているだけです。厳密には人種の服とは違います」
「へ?」
「精霊は主に合わせて形を作りますから、元々形も定まっていません。獣の精霊は服など作りませんわ」
「そうなんだ?」
確かに光に還る時服を着せられたドーベルマンなど出て来たら可笑しくて涙が止まりそうだけれども。
でも神力の私のイメージは「気」とかそういう感じだ。無理に形で言うなら気体。顕現が固形や液体と同義かは分からないが、それにしたって土だ。若しくは水。
(それで体を覆っているだけって、実際裸って事?)
「ミィの服がそんなに気になるなら、ミィにも神力を纏わせますか?」
「出来るの!?」
「まぁミィの器用さにもよりますが、起きているうちは維持出来るのではないでしょうか。ただミィの神力ではいつまでもつか分かりませんが。練習させますか?」
「神力ってなくなっても死なないんだよね?」
「死にはしません。具合が悪くなって意識がなくなるだけです」
それは結構な一大事だと思うが。まぁ死なないならいい。私の目線のやり場的にも。
どれくらい神力を使うのか全く分からないが、瑠璃や蘇芳が常に服を着ていても私の神力が減っていく感じは今までなかった事を踏まえて、瑠璃に指導をお願いした結果……。
「こんな方法思い付きもしなかったです。こんな事ならもっと早く奴隷を抜けられたかもしれないのに……」
何か世紀の大発見みたいに盛り上がるミィ。
(いやいやよく考えて?神力って目に見えないものだよ?万が一神力切れで昏倒したらどうするの?その瞬間から裸だよ!?)
私は絶対に嫌だ。まぁミィは元々裸みたいなものだったから気にならないのかもしれない。
という以前に、今のミィの状態は炎に包まれているだけなのだけれど、これは服と呼べるのだろうか。
(それ熱くないの?表現だけ見ると殺人事件だよ?しかも薄いし、炎が揺らめいて、透けてる服と変わんないよ?)
「ミィは器用ですわね。この薄さに仕上げるなんて、人種にしては才能があります」
「器用なのはアデルです。それにルリ様と、アデルの指示のお陰で感覚も直ぐ掴めますし」
「そう言えばミィは精霊と話が出来るのでしたね。ではお前はこのままこの層を重ねる練習をなさい。トーコ様は……」
瑠璃が困った様に此方を見た。
(不出来で申し訳ありませんね)
取り敢えず土で試したのだけれど、私はあまり才能がなかった様だ。砂まみれである。周りには砂の小山が幾つも出来ている。
(おおざっぱなのは得意なのよ?いや得意って程でもないけど、壊すとかは直ぐ出来るし!)
よし、今度は水で試してみよう。
「トーコ様!!」
……まぁ、予想通り。水は膜になる前に弾けで全身ぐっしょり水浸し。服を着たまま試しているから、水も滴る良い女の完成だ。さっきの砂と混ざって大分汚い。
取り敢えず私には無理な事は分かった。
(今はね。あくまでも今は、だから)
「乾かします。大丈夫ですわ、トーコ様の器は特別ですもの。この程度のコントロールなど直ぐに出来る様になります」
「ありがとう」
精霊に慰められた。神の器なのだからもっと仕事してほしい、とか思うのは我儘だろうか。何事も一朝一夕にはいかないらしい。努力は必要だ。勿論分かっている。世の中にチートなんてそうごろごろ転がってない事くらいは。
下の土がぐちゃぐちゃで嫌だなぁと思っていたら、視線で察した瑠璃が私を抱き上げ、靴まで洗って乾かしてくれた。地面の水分も抜いてくれる。気が利く精霊で助かる。
抱き上げられたまま瑠璃の服に触る。この服は人間のものと変わらない様に見える。どういう神力の使い方をすればこうなるのか。
「ところで、服の色はどうするの?」
「色、ですか?私は水に色を映します。錯覚の様なものですね。他の精霊で、水自体を染めているもの等は見た事があります。蘇芳は、土は色の違う種類が沢山ある様ですから、色に合わせて調達しているのでは?後は微調整でしょうか。火にも沢山色がありますけど、ミィには難しいかと」
「そうなの?蘇芳」
「はい。私は土だけではなく鉱石や神石や魔石も使います」
蘇芳のは染色でなくて物そのものだから華やかな色が出せるんだろうか。蘇芳の着物の紫は結構鮮やかだ。
しかしそれで普通の服に見えるのなら精霊の器用さとは凄い。きっとゲームみたいなステータスがあったらDexterity?のところは私と大分桁が違うと思う。
「ベッドや椅子の色は良い素材が見つかりましたら色付けしますが、お好みの色はありますか?」
「え?あーそっか。そう言う事か」
蘇芳の作る家具は土製だ。神力で土を顕現させる服と、神法で土のベッドを形作るのと、過程は違っても結果的には同じ事なのだろう。
確か緑の館で見た高そうな家具は、木の部分がダークブラウンで布のところは緑や金色を基調としたものだった。
(私結構緑好きなのに……あの館を思い出すのはちょっと嫌かも)
「じゃぁ、硬いところは白で、柔らかいところは淡い感じの色で良いのがあれば」
「承りました」
最近私のキャラがブラックな方に偏っている気がするから、見た目くらい明るい感じにしようと思う。
さて、ではミィが練習している間に私はこの後の事を考えよう。これから何処へ行くか。食料と宿、お金はどうするのか。これが当面の問題だろう。
この辺りは低木が主。荒野に近い草原では木の実も果物も期待出来ない。そもそも自生しているものが何なのか分からないのに食べる勇気はない。
町へは行きたくない。もう何を信じて良いか分からない。緑色に気を付ければいいのか人に気を付ければいいのか手紙に気を付ければいいのか何なのか。そこまでして町に行きたいかと問われると、そうではない。
大きな町なら私の事を見知っている人もいないと思うけれど、今はそこで泊まったりする気にはなれなかった。
(だって宿屋さん、私の事売ったんだよ……ね?)
またあんな事されたら、今度こそ人を完全に信用出来なくなる気がする。
取り敢えずタダほど怪しいものはない事は学んだ。今はそれだけで十分だ。
ロドの町にいた時に図書館か本屋にでも行って、もっとこの辺りの事を勉強しておくべきだった。歴史とか文化とか、地図だけでもあれば気持ち的にも違ったかもしれない。まぁ今更思い付いてももう遅い。
(なら、あそこへ行ってみる?)
私が遥か前方に微かに見える森へと目を向けた時、背後で何かが地面に落ちる音がした。
「ミィ!!ちょっと大丈夫!?」
「神力なくなりましたわね」
多分そうなのだろう。ミィが倒れていた。神力の炎の服は跡形もなく消えて、奴隷の服に戻っている。
慌てて近寄って脈を取る。
「寝てれば回復するんだよね!?」
「そうです。ですからお気になさらず」
良かった、本当に気を失っているだけの様だ。微かに吐息が聞こえる。
これが「大丈夫」という状態かは分からないけれど、一先ず死んでない事に安心した。光に還っていない時点で大丈夫なのだろうが、咄嗟の時やはり死を疑うのは今までいた世界の常識で私が出来ているからだろう。
それにしても。
(安心?何で?あったばかりの少女に?ミィは私の何?可哀そうな奴隷?それとも既に仲間だと思ってるの?)
自分の所有物だから……とかちょっと怖い事が頭を過る。
(いやいや、流石にそれはない)
ミィの神力の服は、まぁ透けない程度には維持出来ていたけれど、頻繁に炎の端が出たり模様が揺らめいていたりした。普通の服としては数分持つかどうか。そうでなくてもこんな短時間で神力がなくなって気絶していたら常時保つのは絶対に無理だ。
今度機会があったら布くらい買ってあげよう。服を仕立てる程のお金は出せないけれど、ミィが裁縫を頑張ればいつか服になる筈だ。私には期待しない欲しい。
「じゃぁ二人とも、ここから近い、人のいる場所って分かる?」
「さっきの町が一番近いです」
「次は?」
二人が指さしたのは、境界の壁を背にして正面。ガンゼットは右手、森は左手。もしかして中央都市というやつだろうか。確かロドの町からガンゼット経由で三週間。あの不思議な暦なら十五日と言う事になる。
ちなみに大樹は左手前方、森の向こうに見えている。
「あっちに人の集まる所はある?」
森を指して聞いてみる。
二人は顔を見合わせて、それから頷いた。何だ今の。何かあるのか。
「町程ではありませんが、森の中にも境界には少し人がいます。森で人がいない場所へ行くなら、境界から離れて……そうですね、大樹の方向に向かうのが宜しいかと」
「そう。ありがとう。じゃぁそうしよう」
人のいない方へ行きたいという私の希望をくみ取ってくれたのだろうか。
「でも一回、街道の方へ行っても良い?行商人が通るなら食料を買いたいわ」
あとあれば神力計と、ランプ用の神石とか諸々。
「そうだ瑠璃、ランプって光属性以外の神石でも点くの?」
「光が灯りはしませんが、着くには着きますよ?」
「良かった!だって光の神石が一番少ないでしょ?緑の風属性?とか沢山あったよね?買わなくていいなんてラッキー……」
「風の神石ならランプが破裂するかと思います。火なら爆発するでしょう」
左様ですか。使えない。
「ちなみに水や土なら?」
「どうでしょう?水漏れや砂漏れするのでは?試してみますか?」
「いや、いいよ」
(砂漏れって何だ。一個しかないのよランプ。貴重品なの。分かってる?)
分かっていないのは明白だ。精霊は夜光る。薄っすら発光している程度だが、あれは大樹の様だ。夜目も効く様子だし、二人は人ではない。ランプなど必要ないのだろう。
「蘇芳、光の神石幾つ持ってる?」
「五つほどでしょうか。トーコ様がお持ちのものよりはどれも少し大きいです」
一つ出して貰って、自分の持っているものと比べる。確かに粒が大きい。
やはり神力計がいる。今度行商人に会ったら神力計の読み方も素直に聞こうか。
「じゃぁもう少し町から離れてから、街道に戻ろう」
「はい」
「そうだ、移動なんだけど」
さっきの話を聞いて思い付いた事があった。
「蘇芳、馬車作れる?ベッドや椅子みたいに本物っぽいやつ!色も付けて」
「この程度でしたら」
目の前にあっという間に馬車が出来上がる。この程度、が相変わらず凄い精巧だ。モデルは乗合馬車。
「凄い蘇芳!天才!!」
「ただ、茶色以外が今は難しいのと、動く部分は良く見ていないので再現性が良くありません」
「動く?あぁ、馬?」
「生き物もですし、後は下の、この辺りです」
蘇芳の言葉通り馬は直立不動。車輪も、これは回らない。
「確かにテーブルや椅子やベッドは貴方毎晩眺めてましたけど、馬車は荷台に乗っていましたものね」
私が褒めたからか、若干不満そうな顔をした瑠璃の補足が入る。
そうか。蘇芳は観察して真似をしているに過ぎないのだ。という事は、構造が複雑な物や機械みたいなものは作れない可能性がある。
良い案だと思ったのに残念だ。
「仕方ない。じゃぁ水路でも掘るか」
水路なら私でも作れる。地面を抉ればいいだけなのだから。
ただ、掘って水路を作ったりしたら私達の進んだ道は丸分かりだ。埋め戻す事は出来ても生えている草や木まで戻せないし、硬さも土の色も変わってしまう。
でもあんな遠くまで歩くのは嫌だ。無理だ。お腹も空いているのに。
「それよりトーコ様、地面の上に作る方が早いですわよ?」
「地面の上?」
「えぇ」
瑠璃があっという間に地面から十センチメートルほど浮いた所に水の道を敷いた。
「Excellent!瑠璃!!」
最高だ。何処の外人かと思う程喜んでしまった。少し顔が熱いが、瑠璃の顔も綻んだから良い事にする。
これなら地面も濡れないし、使い終わったら消すだけで良い。後はこの上を舟で滑って行けば完璧だ。機転が利くって素晴らしい。早速舟を浮かべて滑ろう。
寝ているミィを担いだ蘇芳が、水の上にもう片方の手を翳して小舟を作り出す。
「トーコ様、こちらへ」
私は当然の様に瑠璃に抱き上げられる。地面から浮いた水の道の上に浮かぶ舟は、縁まで結構な高さがあるが、瑠璃がいつの間にか水で階段を作っていて、普通に歩いて登れた。多分私が酔ったのを考慮してくれたのだと思う。この二人ならジャンプして飛び乗れただろうし、何せ精霊は浮く事が出来る。私の体重を加えても浮けるかどうかは知らないが。
舟に乗り込んだ私達は、水の道の上を滑って行く。相変わらず天気は良くて風が気持ちいい。唯一の懸念事項と言えば誰かに見られる事くらいか。騒がれたくはない。
水の道は横から見たらほぼ線だった。それだけ薄い。浸かっている舟底はどうなっているんだろう。少し離れた場所から見れば、舟と私達がただ浮いている様に見えると思う。それは多分人に見せてはいけないものだと思う。
でもこれ以上水の道を下げると、地面に合わせて凹凸が出来てしまうから仕方がない。出来るだけ低い位置に真っ直ぐな水の道を敷いてもらう。舟も出来るだけ背を低く。あまり浅いと怖いけれど、瑠璃に抱っこされているから落ちる事はないと思う。
短いスパンで水の道を消してもらいつつ進む。イメージは戦車のキャタピラだ。水の道は消えた分だけ前へ延びる。そこを舟は一定の速度で突っ走る。馬車なんかあっという間に追い越す速さで。
一応瑠璃の肩越しに後ろを確認したけれど、水飛沫は器用に水路の中に落ちて、地面を濡らす事はなかった。
(本当に神法ってアイデア次第で何でも出来るわぁ。流石神様の法ね)
何て私に都合の良い夢。
まぁ山の上とか高い所から見たら丸見えなのだろうけれど、この辺りは平地ばかりで山は近くにない。ここに来た時に見えていたあのはげ山とか、今から行く森の方は少し高くなっているが、あんなところから見えていたらもうお手上げだというくらいには離れているから大丈夫だと思う。
街道から一定の距離を置いて平行に森を目指す。少しずつ離れて行く境界の壁。
神様が人を分けた壁。だからあんなに高いのだと納得する。ずっと見えていたのに結局一度も近づいていない。けれどどの道神様が分けたというくらいなのだから、飛び越えられる様なものではないだろう。
(まぁ実際相当高いみたいだし、物理的に無理じゃない?)
ではその外側の世界はどうなっているのか。
(出たらテーマパークの一アトラクションでした、とか止めてよ?)
妄想でにやけ醜態をさらしている何て真っ平だ。
「…………まさか、壁の向こうが夢の出口?」
「何か仰いましたか?」
「何でも……」
何故思い付かなかったのか。
(でもそれなら瑠璃が言ってた人がいるっていうのは、最後の試練的な何か?ここで何の準備もなく近づいてゲームオーバーは避けるべき?)
四の鐘が鳴った。そろそろ辺りが薄暗くなり始める。もう大分町から離れた。馬で追いつける速度ではなかったから、一旦街道に戻っても大丈夫だろう。
壁の外は……落ち着いてから考え直そう。鳴きっぱなしのお腹の状態程急いでいる訳ではないし、対策出来る事はしておきたい。チャンスは何度もあるとは限らないのだから。
「舟、止めて」
瑠璃に抱かれて舟から階段で降りる。ミィを抱えた蘇芳は飛び降りた。
消すのはすっかり私の役目になっている。瑠璃に下ろしてもらって屈む。右手で船に触れて砂にすると、砂はサラサラと水に沈んで行った。
今度は水に触れる。
(そうだな、クリーニングみたいな蒸発じゃなくて、吸い込んでみる?)
要は水の跡さえ残さなければいいのだから、水の形を壊して下に落とさなければ消し方は何でも良い筈だ。
(せっかく機会があるんだから、いろいろ練習してみるべきだよね?)
水に浸した掌から、水を喫い込むイメージを作る。吸い込んだ水は掌で神力に変換される。
右手が、熱い……。
「「トーコ様!!いけません!!」」
瑠璃と蘇芳の大喝に驚いて集中の糸が切れた。
「あ!」
水の道が崩壊し、一気に地面に落ちる。
「消えて!!」
地面に着く前に水は消えた。若干水滴が落ちたが、これくらいなら直ぐ乾くだろう。
「何よ二人共急に。驚かさないで」
「トーコ様!」
「大丈夫ですか!?」
蘇芳がミィをぽいっと地面に放り出し、慌てて駆け寄って来る。瑠璃は咄嗟に水に浸けていた私の右手を握った。
「な、何?」
「何ともないですね、良かった」
「トーコ様、ご気分は」
「何ともないけど、何、どうしたの?」
精霊二人が真顔でこちらを見ている。怖い。瑠璃まで無表情とか。
「トーコ様、一度顕現した神力を無闇に内に戻してはいけません。神力を吸い込み過ぎた生命は自我を失い魔物と成るのですよ」
「以前魔獣を見ましたね、あれも元は神の獣。何らかの方法で神力を取り込みすぎ、魔獣と化したものです」
(魔獣?って人を襲う獣だよね?ベリーシエは確かに私を襲ったけど。あれが元は神の獣?神獣!?)
そして人も、魔物になるのか。
「トーコ様はただでさえ回復するスピードが速いのです。覚えておいて下さいませ」
「で、でも、前に宿屋で水吸った事あるよ?」
「量をお考え下さい!ククルをちょっと包むくらいの水では大した事ありませんが、これは多過ぎます」
そう、直ぐに消して必要な分だけ出していたとはいえ、馬より速い速度で進む乗り物を浮かべて滑走出来る程度の距離は顕現している。横から見たら平面だったその水の道も、舟が浸かって浮いていた事を考えると実際は見えている以上の水量があったのかもしれない。それが結構な量だというのは理解出来なくはない。
私は怖くなって無言で頷いた。そして自分の行いを振り返った。
精霊契約の時、私はミィの中に自分の神力を流し込んだ。あの行いは、本当に危険な行為ではなかったのか。
糸をイメージしたのは不幸中の幸いだったかもしれない。
でないと今頃、ミィはここにいなかったかもしれない。




