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在りか ~私の居場所と異世界について~  作者: 白之一果
第1章 旅の始まり
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第16節 奴隷と契約と新たな従者

「ここって娼館なの?」

「……そうです。だから緑色、なんです」


 少女がおずおずと答えた。冒険者三人組が確か十五、六と言っていた気がする。

 どうやら緑色の建物は娼館らしい。ならここの町は殆ど娼館なのではないだろうか。


(吉原か)


 そういう場所ははタイムスリップものやゲームでしか見た事がない。実際こんな感じなのだろうか。

 割と煌びやかで高そうな館だとは思っていた。宿だと聞いていたけれど、金貨を扱うという大きな商会を想像したりもしていた。

 しかし思い当たる節がない訳でもない。昨夜の夢の喘ぎ声、あれは私の欲求不満等ではなく屋敷の部屋中から聞こえていたのではないだろうか。あの夢のせいで起きてからもずっと、鍛冶屋×石屋とか、寧ろ石屋×鍛冶屋?とかもんもんとしているけれど、実際に娼館に行きたいかというとそういう訳ではない気がする。


(変な風に願望が叶うな)


 十五歳?大丈夫だ。私は中身はアダルトだ。大体十五歳はそういうのに一番興味ある年頃だと思う。男も女も。

 いやいや、そうではなくて。何だ、私は宿屋のおじさんさんに娼館を紹介されたのだろうか。たまたま知り合いが娼館付きの宿を経営してたのだろうか。娼館のシステムがいまいち分からないが、それって普通なんだろうか。


「そういえば貴方、名前は?」

「ミィです」

「その服、寒くないの?」


 それより恥ずかしくはないのか。夜ベッドの中なら兎も角、これから明るくなる。外からも丸見えだし何か羽織った方が良いのではないだろうか。


「奴隷は皆この服です」

「奴隷!?……娼婦じゃなくて?」


 人生でこんな言葉を発する日が来るとは思わなかった。だってその格好、どう控えめに見ても肌色要素が多過ぎる。

 オーガンジーの様な透けた布を、一枚は胸に軽く巻き付けただけ。もう一枚は腰骨の辺りで飾りひもで留めただけ。スカートの様な長さはない。これはもう服ではない何かだ。

 首元で光るチョーカーに付いた鈴は、きっと動くたびに鳴ってある種の人を煽るに違いない。そういうプレイなら仕方がないが。


「私は春をひさいだりしません。そういうのは上にいる人達の仕事で……」


 四人で見上げる。そこにあるのは青い空のみ。この建物、確か五階建てだったかと思う。


「蘇芳、上にいた人達はどうしたの?」

「散らばって行きましたが」

「散らばっ……!?」


 何のスプラッタだ。


「皆逃げました」


 奴隷少女ミィが補足した。何だ、そういう事か。本当に蘇芳も言葉が足りない。


「皆って?」

「奴隷の皆です。百人くらいいましたけど、皆逃げました。ご主人様達が光に還ったので」

「百人も奴隷がいたの?ご主人は……気の毒だったわね」

「気の毒?私達を攫って来たのに?あいつ等が全員光に還って皆助かったの!ここにいたら何れ香に染まって自我を失ったわ!」


 初めてミィの感情が見える。ミィの瞳には年に似合わない強さと陰が見え隠れする。

 冒険者達が引き込まれると言った意味が解る気がした。


「コウに染まるって?」

「お香……です。館に充満してた甘い香りは、耐性がないと意志を奪うんです」


 璃々に睨まれてミィの言葉が改まる。一緒に勢いも止んだ。

 あれはご飯の匂いではなかったようだ。館が壊れて良かったのかもしれない。空気の入れ替えが出来た。


 それにしても、奴隷は皆逃げてご主人様達は全員光に還ったとはどういう状況なのか。この惨状でそんなにはっきり分かれるものか。部屋の場所が悪かったのだろうか。

 蘇芳の言葉を思い出す。蘇芳は無闇に光に還したのではなく、選んだと言った。カエルの話をしているのだとばかり思っていたけれど、そもそも蘇芳がこの勢いで倒さなければいけないカエルが何なのか聞いていない。


「蘇芳、カエルってここのご主人の事?」

「人種の身分まで分かりません」

「じゃぁ、何を光に還したの?人?」

「そうです。トーコ様に害を成そうとしたもの、それに加担するものは全て光に還しました」

「……私達を案内してくれた女の人も?」

「左様です」


 悪びれるどころか、蘇芳は得意げに頷く。


(紹介状を見せて私はここに招き入れられたんだけど、あれは……)

「貴方も、売られて来たんですね」


 ミィが聞きたくなかった言葉を私に浴びせる。


「手紙を持ってくる人は沢山います。皆この部屋に通されて香に酔って、動きを封じられている間に奴隷契約で身分を落とされるんです」


 自分もそうだったとでも言う様に、ミィがチョーカーに手をやる。

 身分を落とす。これはファッションでもプレイでもない、彼女を奴隷たらしめる証なのだ。

 精霊たちを見ると、瑠璃が事も無げに言った。


「あの手紙に付いていた神法は動きを封じると言ってもとても弱いものでしたので、トーコ様が起きていればお身体に支障がある様なものではないですわ。既にその糸も切れましたし」


 精霊二人がじっと見ていた手紙。そういえば夢で金縛りにあった気がする。


「手紙がおかしなものだって知ってたの?」

「おかしなと言う程ものでもありません。あんなものでトーコ様を害する事など出来ませんもの」


 蘇芳もそうだと言う様に頷いている。二人共知っていたのだ。私はそれを漸く理解した。


「館の従業員は、皆この事を知っていたから光に還したの?」

「まぁ、そうです。精霊の贈り物ならミィに回収を手伝わせましたからここに」


 蘇芳が着物の袖から片手いっぱいの神石を掬い出す。

 神石は綺麗に透き通っているけれど、ベリーシエの魔石を浄化したものより小さくて、ペリドットの様な薄い緑色をしたものが多かった。他にはアメジストの様な紫のものが少し、ガーネット風の赤いものが少し、アクアマリン風の薄い青の…………瑠璃が髪に付けているのによく似た神石。

 宿屋のおじさんが、水屋の行方をしきりに気にしていたのはいつだったか。

 

 神石は透明の透き通ったものしか見た事がなかったから、てっきりそういうものだと思っていた。

 でも蘇芳の手の中を見る限り、恐らく石も属性で色が違う。

 ランプ用に買ったのはベリーシエのと同じ透明の神石だった。あれは光の属性。他の色でもランプ点くだろうか。赤いのは多分火の属性だし、熱くなってしまうかもしれない。燃えたりしなければ、代用品が多いだけ良いと思う。


 心に引っかかった何かが、私の中にぽっかり空いた黒い穴を押し広げる様に増大していく。

 精霊はやはり精霊。人ではない。だから私の味方でもないのか。確かに聞い事は素直に教えてくれるし、それが今まで嘘だと確信する様な事はなかった。


(でも、聞いてない事は?)


 もやもやが私を飲み込む。これは嫌だ。こんな気持ちになるのは。


 多分瑠璃と蘇芳の間で意思疎通出来ている事で、私が知らない事が沢山ある。私だけ仲間外れ。

 このもやもやは、きっと寂しさだ。


(寂しいと思ってしまうのは、私が子供だから?)


 湧き出す涙を隠す様に皆から視線を逸らす。


「身分が解らないのに、良く従業員を選別出来たね」

「敵意を抱いているかそうでないかで判断しました」

「そう」


 精霊は人の感情を読む様だ。恐らく人間がするそれとは全く違う方法で、多分とても正確に。

 ただ、それに共感する訳ではない。正か負か、〇か×かで判断するだけ。


「取り敢えずそれは仕舞っておいてね」


 蘇芳に神石を戻させて、私は二人の事を頭から追いやる。本当は疑いたくない。ここで私の傍にいてくれる唯一の二人なのだから。素直に信じれたらどんなに楽だろう。

 

「ミィ、貴方はどんな神の称号を持っているの?」

「それは……」


 ミィが言い淀む。特殊なもの程公表されないと聞いたし、メルイドは特殊だったのかもしれない。


「答えろ」


 蘇芳の言葉にミィが手をきつく握りしめるのが分かった。ミィは何度か口を開きかけるけれど、出て来るのは喘ぐ様な吐息ばかりで言葉にならない。

 これは委縮してるのだろう。まぁ捕らえられた挙げ句に強制労働させられた後では仕方ないのかもしれない。半壊している館中に散らばった小さな神石を幾つも探し出す間に逃げなかったのだから、きっとそれ以外にも何かあったのだと思う。


「言えないなら今は良いよ。私に害がない限りはね。瑠璃、蘇芳、彼女の力について知っている事はある?」

「いいえ」

「何も」


 この答えが嘘でなければ良い。私が寝ている間に三人で共闘されても私には分からない。裏切られた時はきっと、私の最後だ。


「ミィ、逃げてもいいよ?今なら私は追わないし、二人にも追わないでって言うよ?」

「私は……」


 空がだんだん明るくなる。もう直ぐ二の鐘が鳴る。外が賑やかになっている。

 周りの声に耳を傾ける。館の状況を心配する声、奴隷を叱責する声、泣き叫ぶ声。


(……ちょっと待って。この状況、私結構ヤバくない?)


 館の周りに人が集まり始めている。しかも連れ戻された奴隷がいる様子。

 蘇芳は館の従業員を全員光に還したと言ったけれど、ここは娼館が集まる町。奴隷を取引する人達の徒党があってもおかしくはない。そして奴隷にする人を招く部屋にいる私と、明らかに奴隷仕様のミィ。性格があれでも見目は麗しい瑠璃と蘇芳。

 センチメンタルに浸っている場合ではない。


「二人とも、これ以上被害を出さずにこの町から出る方法ってある?」

「いくらでもありますが」

「出来るだけ穏便に」

「それはどうでしょう?」


 今更か。もうここまで騒ぎになっていたらどうしようもないかもしれない。


「では支柱を立てて、飛んで行くのはどうでしょう」

「支柱?」

「はい」

「私がトーコ様を抱いて飛びます」


 瑠璃がそう提案し、蘇芳が私を抱き上げる。

 恐らく土や水で支柱を立てるのだろう。それならあっという間に幾らでも立てられる。私は赤と緑の兄弟が土管を飛び跳ねるのを想像した。


(まぁ私はいい案が思い付かないし、取り敢えずそれでいいか)


 公衆の面前でそいういことをするという事は、もう絶対にこの町には戻って来られない気がする。

 それでも良い。娼館の町に戻ってくるつもりはない。自分が売られそうになったのに、流石にそんなに私はお人好しじゃない。


「じゃぁ瑠璃、お風呂お願い出来る?」

「はい」


 取り敢えず出かける前にお風呂だ。大丈夫と言われても、甘ったるい匂いを全てきっちり落としておかないと心配だ。

 蘇芳に抱かれたまま、瑠璃の水がいつもの様に私を清める。あぁ気持ちいい。


「貴方はどうする?」

「私は……」


 私達の様子にあんぐり口を開けて呆けていたミィが、一瞬視線を外に向ける。

 外は益々騒がしくなっている。瓦礫を動かす音もし始めている。もうじき人がここへ来る。


「タイムリミット。時は金なりよミィ。蘇芳、お願い」


 怒鳴り声と奴隷の悲鳴が響く中に、一際大きなどよめきが上がった。町に大きな支柱が幾つも立ち上がり始めたのだ。


「行きましょう」


 三階のこの部屋から飛び移れる高さの支柱。それを飛んで渡って行く。結構な高さと速さを覚悟しなくてはいけない。


「じゃぁね、ミィ。また何処かで合いましょう」


 蘇芳の肩越しにミィに微笑む。

 奴隷は哀れだ。階下の悲鳴が私にそう思わせる。彼女達はここから抜け出す術がない。

 蘇芳の首に手を回し、しっかりと抱きつく。蘇芳が少しひざを曲げ、最初の支柱に飛ぼうとした時だった。


「連れて行って下さい!ここに残るのは嫌!」


 ミィが叫んだ。真っ直ぐ私を見る深紅の瞳から、大粒の涙が零れている。


「ではこの町から出たら、貴方の能力を教えてくれる?」


 こんな時に弱みに付け込むなんて、人としてどうなんだろう。

 ミィがハッとした顔をしたけれど、直ぐに意を決して頷くのを見て満足感を覚える。


「瑠璃、ミィを抱いて連れて来て」

「……畏まりました」


 瑠璃の声が不本意だと言っている。抱っこが嫌な様だ。でも言っておかないとミィが大変な事になりそうな気がしたから仕様がない。


「行きましょう」


 私達は今度こそ緑の館から町へ躍り出て、あっという間に壁を越えて町から飛び出した。

 蘇芳の背中越しに、支柱が砂となり風とともに消えてゆくのを見ながら。




「もう絶対飛んで行くとか言わない」


 追手を振り切って町からも街道からも大分離れたところで、私達は小休止を取っていた。主に私とミィの為に。

 支柱を飛び移る。2Dのスクロールする画面を想像し、甘く見ていた私が愚かだった。


(何あの人力ジェットコースター!恐怖なんてもんじゃないわよ!!)


 あんなに支柱と支柱の距離が離れているとは思わなかったのだ。あんなに早いとも思わなかったのだ。蘇芳と瑠璃の脚力は絶対におかしい。踏み外すかと思うあの着地点の小ささ、着地の瞬間のあの重力がかかる感じ、そして急激な上下運動を繰り返す胃と脳が浮く感覚。


(うぅ気持ち悪い……もう一生柱は使わせない……)


 そう決意するには十分な運動だった。普通のOLが日常生活で経験する動きではない。

 蘇芳がとても残念そうな目でこちらを見ている。


(そんな小動物みたいな目しても駄目!流されないからね!!……うっっぷ……)


 救いと言えば、久々の土のベッドが飛躍的に進化してる事だろうか。どうやら緑の館で私がフカフカベッドを褒めたのに触発されたらしい蘇芳が、柔らかさや質感を再現した様だ。なんとフレームとマットレスと布団からなる三段構造。全部土だけれどこれは凄い。地面に放置されているミィに申し訳ないくらい良い出来だ。


「大丈夫ですか?」

「……大丈夫じゃない……何で二人は平気なの……」


 困った様な二人。きっと私が何で苦しんでるのかまるで解っていない。精霊め。

 心の中で八つ当たりしつつ、低木にもたれかかって休んでいるミィを見る。どうやらそこまで自力で這って行ったらしい。

 深紅の髪と目の少女。連れて来てしまったけれど、私は一体何を考えているんだろう。少女も少女だ。こんな得体のしれない初対面の人間に付いて来るなんて、そんなにあそこの奴隷生活は大変だったのだろうか。ここでも同じ状況になるとは思わなかったのだろうか。

 

(だって瑠璃か蘇芳に捕まった訳でしょ?)


 少女と目が合う。けれど力なく視線は逸らされた。いや、恐らく眠ったのだ。疲れたのだきっと。私も疲れている。気持ちも悪い。

 それとも私達から逃げる為か、反撃する為に体力を回復しているのだろうか。

 

 そこは周りは何もないだだっ広い平地だった。荒野ではないけれど、草原と言うには草が少ない。ところどころに木が生えていて、今はその陰で隠れる様に休んでいる。

 精霊二人は取り敢えず私を心配してくれているし、奴隷少女は疲れて眠っている。


(今私も寝て大丈夫よね?そろそろ我慢も限界。一眠りしよう。疑うのはもう後でいいや)


 本当に今は体が怠い。

 この選択が命取りだとしたら……まぁいい。失うものなんて、そう言えば何もないのだ。




 と、結構な覚悟で鐘一つ分眠ったけれど、起きても特段状況に変化はなかった。

 傍に座る蘇芳と瑠璃。低木の淵でこちらを見ているミィ。


「おはようございます、トーコ様」

「おはよう。瑠璃、お風呂入りたい」

「はい」


 もう一回見てるし良いか、等と軽く考える。神法の発動に緊張するミィを他所に、私はベッドから降りて瑠璃に靴や服ごと洗ってもらった。すっきりして乾いた布の感触を確かめる。よし、完璧だ。しわ一つない。アイロンいらずで本当に助かる。服は綿に近いし、パジャマなんかないからいつもこれを着ているのだ。


(でも何だかんだで一日二回は洗ってもらってるし良いよね?)


 この方法だと全く服が傷まないのも助かる。長く使えれば買わなくて済む。金銭的な余裕は全くないのだから。

 ベッドに触れて砂に還すのも意識しないで出来るくらいには慣れた。ミィがまた眼を見開いている。そう言えばこれはまだ見せていなかったかもしれない。まぁどうしよう等と思ってももうどうにもならないので諦める。見ていない事にする様お願いしたとして、一体それがどれだけの効果を持つのか。そんなものあってないに等しい唯の口約束だ。


 ぐぅ~っとお腹が鳴いた。三の鐘が鳴ったばかりだから体内時計は結構性格だ。

 そう、本当に心配しないといけないのはこちらだ。ご飯がない。近くに町もない。例え町が近くに会ったとしても、暫く町には行きたくない。ちょっと心が折れた。

 そう言えば昨日の昼から何も食べてない。ミィは荷物なんか持っていないし、精霊は食べないから持っている訳がない。


(取り敢えず水で我慢して……)


 ミィの事を忘れていた。ミィがじっとこっちを見ている。駄目だ。頭が全然回っていない。


「飲む?」

「え?……いいんですか?」

「いいよ」


 コップの水は飲んでも出すから減らない。私はミィに近づいてコップを差し出した。


「トーコ様!そんなものに施しなど」

「いいの。私がしたいんだから」


 瑠璃を言葉で押し留め、少し離れてミィが水を飲むのを観察していると、蘇芳が椅子を作ってくれた。完璧なアンティーク調の椅子で、繊細な細工とふわっとしたクッションがしつらえられている。緑の館にあったものに似ている。蘇芳の土の家具の凄いところは、触っても汚れないところだと思う。どうなっているんだろう。土なのに。

 ミィは少しづつ口を付けていたけれど、水がなくならないのに気が付くと一気に飲み出した。いくらでも入るといった様に暫く水を飲み続ける。

 

「瑠璃、神力って寝ないと回復しないんだよね?ミィも?」

「はい」

「じゃぁミィの神力って多い?」

「気にする程のものではありません」


 瑠璃にこっそり聞いてみる。

 これは嘘じゃないと思いたい。こんな事になるなら選り好みしないで神力計を買っておくんだった。


「町の人と同じくらい?」

「そうですね」

「あの、ありがとうございました」


 ミィが漸くコップから口を離し、私に返そうとする。私はこのまま立ち上がって受け取りに行くか逡巡して、コップごと水に返した。両手一杯くらいの水がミィの手にかかる。驚いたミィは小さな悲鳴を上げ、手の中の水を放り出した勢いで尻もちを付いた。スカートは短いし、中が丸見えだ。まぁ元から透けて見えていたけれど。

 水はあっという間に地面に浸み込んで跡形もなくなった。


「すみません!!」


 ミィが慌てて土下座している。壊したのは私なのだから気にする事はないのに、奴隷とはこういうものなのだろうか。


「じゃぁミィ、貴方の力について教えてくれる?」

「……」

「どうしたの?約束したよね?」


 頭を地面に着けたまま、ミィは顔を上げない。震えているのがここからでも分かる。


「言いたくないの?ミィ、貴方これからどうするの?」

「……?」

「館から出たいだけならもう出たよ?主人が光に還ったんなら、貴方は今自由でしょ?」

「……私は奴隷です。行くところも帰るところもありません」


 重い。元から奴隷なのか、私みたいに騙されて奴隷になってしまったのかは知らないけれど、行くところがないというのは家族がいないという事だろうか。


「普通の人になればいいじゃない。別の町で暮らすとか、いろいろ出来るんじゃない?」


 働き口があるのか良く分からないが、娼館ではなく住み込みでバイトするとか、やり様はいくらでもある気がする。


「読み書きが出来ないとか?でも特別な力があるんでしょ?」


 それを駆使してどうにか出来ないのか。どんな能力かは知らないが、見目はかなり良い方だと思うし、雇ってもらえない事はないと思う。


「この服と首輪は奴隷のものです。首輪は私の力では外す事が出来ません。お金もないですし、隠すものも買えません。商人は奴隷に物を売ったりしません。それに、奴隷商と一緒でなければ奴隷は町に入れません」


 思ったよりここは奴隷に厳しい世界の様だ。何処でもそうなのかもしれないけれど。

 まぁ確かにその服は少しあれだ。一般人には見えない。だからと言って、蘇芳の袖の中にある私のドレスをミィに貸してあげるつもりはないが。高かったし。


「そう言えばミィって、奴隷の割に綺麗だよね?お風呂は入れてたんだ?」


 奴隷は鎖で繋がれてピラミッドで重労働しているとか、私にはその程度の知識しかない。襤褸を着て薄汚れているイメージなのだ。でもミィは全く違う。

 力を入れれば破れそうな透けた繊細な服を纏い、整えられた深紅の髪は多分香油か何か付けられている。清潔にしている印象もある。井戸を使って水を調達する様な生活環境でお風呂に入れるのは結構な事だと思う。

 娼館にいたのだからそういうものかもしれないけれど、ミィは春は売らないと言っていた。これから他所へ売られる予定だったのだろうか。


「答えなさい」


 瑠璃がミィを睨む。俯いている本人には見えないだろうが。


「それは……」

「蘇芳、ミィは私に敵意がある?」

「敵意はない様ですが、警戒しています」


 それは流石に私でも分かる。でも敵意がないなら。


「行くところがないなら、一緒に行く?」

「え?」

「「トーコ様!!」」


 秘密を知る人は少ない方が良いに決まっている。でも光に還すなんて、私にそんな勇気はない。


(なら一緒にいて監視すべきじゃない?メルイド達の時も、着いて来るように瑠璃は言ったでしょ?)


 だからこれは間違いではないと思う。もう既にいろいろ見せてしまったし、一緒にいた所で子供一人だ。何が出来るというのか。特殊能力を明かす気もない様だし、観察するチャンスでもある。


(それにこの子、家族がいないんだよね?)


 今の私と同じ様に。だったら引き込んで、信じさせれば強い味方にならないだろうか。私を頼ってくれるのではないだろうか。裏切れなくなるのではないだろうか。


(意地悪だなぁ)


 そういう自覚はある。だって奴隷の現状を聞いて、きっと断れないと思っているのだから。

 そういう打算があったのは事実。私は私だけを見てくれる味方が欲しい。私はそれで安心したいのだ。


「一緒に行くなら裏切るのは許さないけど」

「当然です!」

「……」


 ミィは近づいても攻撃も防御もしなかった。そういう能力ではないのだと思う。


(でも紅って事は火の属性なんだよね?攻撃しようと思えば幾らでも出来そうに思うけど)


 神力が多くないと神法で出来る事も大した事はない。警戒すべきはやはり特殊能力、神の称号の方だろう。


(いやいや、寝込みを襲われるとかいろいろあるじゃん。私体力も身体能力もいたって普通だし。万が一ミィが忍者とか暗殺者だったらどうするよ。私なんかあっという間だよきっと)


 流石にそれは妄想し過ぎか。


「連れて行って、下さい」


 もし魅了して相手を操るとかだったらどうするのか、精神干渉系は危なくないか。


「裏切らないでね?」

「もちろんです。ご主人様」


 これは保険。正当防衛。


「出て来なさい」


 ミィの胸の辺りを睨む。

 これを始めて見た時、私は絶対こんな事しないと思っていたから、詳しいやり方なんて聞いていない。でも力で呼び出す事が分かっていれば、多分何とでもなるのだ。


 神力の流れを意識してミィの心臓の辺りにぶつける。ミィが小さく呻き、胸を両手で押さえて蹲る。

 ぶつけた神力を無理矢理ミィの中に押し込む。壊さない様にゆっくり、慎重に。


「い……やっ………」


 苦しそうな声。瑠璃が精霊を掴み出した時、ククルにこんな様子はなかった。


(これも練習が必要って事か)


 ミィの中に何かがある。丸い、卵の様なものが。その中に何かいる。精霊だ。見つけた。

 卵の殻はゼリーみたい。ちょっと抵抗があるけれど、全く障害にはならない。にゅるっと中に侵入したら、今度は水みたいな感覚。羊水だろうか。妊娠した事がないから分からないけれど、確か衝撃から守るもの。

 精霊が私の神力から逃げようとするのが分かる。


(逃げても駄目。ツカマエタ)

 

 精霊を捉えて一気に神力を引き抜く。器を壊さない様になるべく細く、糸よりも細く。

 でも強く。


「アデル!!」


 赤い光を帯びた小さな妖精が現れる。ミィが泣きそうな声で叫んだ。苦しそうに、精霊を取り戻そうと必死に此方に手を伸ばす。でも無理だ。だって瑠璃が水の蔓でミィの手足を地面に縛り付けている。


「止めて!アデルを返して!!」

「ちゃんと返すわ。ただ約束するだけ」


 ミィを一瞥して、私は赤い精霊に向き直る。


「アデルと言うの?精霊は普通器から出られないと聞いたけど、貴方は名前を貰ってるのね」

「アデル!?返事をして!!」


 精霊がミィを見て、弱弱しく首を横に振った。


「まさかミィって、精霊と話が出来るの?」


 ミィが息を呑む。当たらずと雖も遠からず。


「そうなんだ。じゃぁこれが大切な約束だって分かってもらえるよね?ねぇアデル、契約よ」


 瑠璃と蘇芳の満足気な眼差し。大丈夫。私は間違っていない。


「ミィは私に嘘を付けない。私が聞く事には正直に答える。私達の事を人に喋れない。私を害せない。許可なく私の傍から離れられない。私を裏切れない」


 思い付く事を並べ立てる。


「約束を破ったらミィは、光に還るわ」


 傍から見たら完全に悪役は私。


(勇者に倒されて終わり、とかは止めてほしいなぁ)

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