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在りか ~私の居場所と異世界について~  作者: 白之一果
第1章 旅の始まり
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第13節 道中とランプと属性の色

 三の鐘と共にロドの町を出発した乗合馬車は、六人乗りとは言っても荷物も積んでいるので、六人乗ったらいっぱいいっぱいの広さという訳ではなかった。幌の付いたそれを、馬二頭が引っ張っている。

 今は私達三人しか乗っていない。こんな事なら瑠璃の言う通り一人分、若しくは二人分の料金でも良かったかもしれない。


「暫く行商人には合いませんから、腹が減ったら持ってるもの食べてて下さい」


 そういえば御者のお兄さんがいた。青い髪と、青い目のお兄さん。もうこの奇抜な配色にも慣れて来た。

 おなかは特に空いていない。朝宿で軽く食事をしたし、ククルにパンを包んでもらう時摘み食いもしていたのだ。


 町を挟んで荒野と反対側の街道は、アッピア街道の様な石畳の街道だった。起伏あるオレンジの荒野と違って、石畳の外は平坦な茶色の土の地面が広がっている。

 平らな土と隙間のある石畳を比べて、正直どちらが馬車の乗り心地がましだろう。まぁ異世界物定番のベアリング?どうこうの知識は私は全くないので、改善の仕様もない。車に興味なんかなかったし、ゴールドのペーパードライバーだったし。


(十年位前に教習所で運転した後はただの身分証明書だったもんねアレ。まぁ車と馬車が一緒かはよく分かんないけど)


 普通の女性ならそんなものだと思う。余程彼氏が車好きでなければ。

 町の喧騒は直ぐに遠ざかって、ただ馬車を引く馬の足音と、幌が棚引く音だけがする。低木が次第に増え、景色に緑が混ざり始める。青い空には雲一つない。大樹は淡い光を放っていて暖かい。絶好のピクニック日和だ。

 町を囲んでいた塀が小さくなるのと対照的に、荒野からずっと続く左手遠方の巨大な壁が存在感を増していく。でもあれも少しずつ遠ざかっている気もする。ここまで壁と平行に進んで来たけれど、ガンゼットは方向が違うのかもしれない。右手に見えていた大樹が今は右前方にある。


 町が見えなくなると、また景色は単調になる。来た道が分からなくなるのは何となく不安だと思って暫く流れて行く景色を見ていたのだけれど、それも早々に飽きて来た。


「そうだ、手紙」


 宿屋さんにもらった手紙を見よう。封がされていないので見たければいつでも確認出来る。あれからきちんと中を改めていなかったのだ。

 中身は日本語で書かれた、なんて事はない紹介状だった。宿に泊めてあげてね、と言う内容が丁寧に書いてある普通の手紙。途中に私達三人の名前と年齢が入っている。

 特にどうと言う事はないのだけれど。


「どう思う?」


 私はそれを見せながら、瑠璃と蘇芳に問い掛けた。


「どう、とは?」

「この手紙。使って良いと思う?」


 深読みし過ぎだろうか。親切を素直に受け取れない私がひねくれてるのだろうか。いや、急に変わった宿屋さん態度を見て疑うのは当然ではないか。


(あ、そうか、提携店とかって事もあるのか。紹介料が入る的な)


 それなら折角書いてくれたのだから、普通にありがたく使わせて頂くべきだろ。


「申し訳ございません、人種の心配事はよく分かり兼ねます。お使いになりたいならその様になされば宜しいのでは?」

「危険じゃない?」


 念の為確認しておこう。


「危険、と言いますと?」


 瑠璃も蘇芳も特に反応はない。手紙をじっと見ていたのは気のせいだっただろうか。まぁこの二人が危険ではないと判断しても、それは私の安全を計る基準になるかは怪しい。


 かっぽかっぽと馬の蹄の音だけが止まずに鳴り続ける。そんなに早い速度ではない。商人の馬車が通ると宿屋さんは言っていたけれど、そんな気配もない。暇だ。

 荒野を歩いていた時と変わったのは、自分の足で歩いていない事と瑠璃と蘇芳との距離。同じ感覚で話が出来ないからこれが仲間と呼べるものかは今一分からないけれど、この世界の誰よりも私の近くにいる二人。


「ねぇお兄さん、いつまで走るの?」

「五の鐘が鳴るまでには休める様にしますよ」

「休むって何処で?」

「安心して下さい、野宿じゃないですよ。街道沿いに小屋があります。ベッドが六つあるだけの小屋ですけど、夜はそこで休みます」


 御者に声を掛けると、彼は笑ってそう教えてくれた、

 どうやら野営ではないらしい。蘇芳がいるし野営でも別にかまわ……御者もいる。無理だ。例え冒険者が巡回している街道とはいえ、壁なしで本当の野宿はやはり不安だ。


「六人乗りでベッドが六?もしお客さんがいっぱいだったらお兄さんは何処で寝るの?」

「僕は馬小屋で寝ますよ。馬車の番が必要ですからね」

「馬小屋に泊まるの!?」


 それは普通の事だろうか。お兄さんが笑ってそう言うので、日本の感覚で考えている私の方がおかしいのかもしれない。まぁお兄さんが良いなら良いだろう。

 なら今日小屋は私達三人で使えるという事か。お風呂の為に隠れる必要がないのは好都合だ。御者に申し訳ない気もしたが、馬を見ていないといけないのでは仕方がない。


(馬が逃げたり襲われたりしたら大変だし。後四日もあるんでしょ?)


 魔獣や獣は冒険者が倒してくれても、泥棒は流石に専門外だろう。


 五の鐘は就寝の鐘だ。寝るまでほぼ走るなら、まだかなり時間がある。商会が通れば気分転換が出来るのに。何もないのは本当に退屈だ。


「そう言えば瑠璃、学院ってどんなところか知ってる?」

「さぁ?」


 瑠璃は知識の精霊だけれど、精霊や神法については知っていても人の事はあまり知らない。


「学院が気になりますか?」


 御者が話に入って来た。


「知ってるの?」

「そりゃぁ皆通いますからね。早い子は七歳くらいからですが、成人間際に神法が発動する子もいますし、まだ遅くはないですよ。心配いりません」


 義務教育だが年齢が決まっている訳ではないらしい。神法が発動した子から通う様だ。それは神法に特化した学校と言う事だろうか。時々名前を聞くから気にはなっていた。

 宿屋さんに十五歳は成人していると言われたし、大人になったら基本は独学だ。教えてもらえるなんてラッキーだと思ったのだけれど、私は大丈夫だろうか。まぁ皆の反応からすれば多分幼く見られているのだと思う。社会人の為の公開講座とか有ればそれでもまぁ良いが、でもやはり学生とは扱いが違う。この世界の常識を学ぶ様な内容ではないだろう。


(年齢くらい詐称すればいいか。どうせ十五だって適当だし。あ、でもお金ないんだった。学費とか今無理だわ)


 手持ちが少な過ぎる。たとえ通えても、確実に労働と学院を掛け持ちする苦学生だ。奨学金制度はあるだろうか。そう言えばギルドの税金はかなり高かったので、北欧仕様で学費は無料ならいいのに。


「学院って、例えばどんな事するの?」

「神力や神法の勉強がメインですね。使いこなせないと危険ですから。後は文字と算術と、専門分野は選択制です」


 やはり神法関係の学校らしい。これは神法を使える事すら言わない方が良いだろうか。

 水や土で壁なんか作っていたら不自然だとは言うのは何となく理解している。町では誰もそんな事をしていなかったし、あの井戸をいっぱいに出来ない程度なら、壁を作るくらいの水を作り出すのもどうかというレベルかもしれない。困った。私は考えなしに迂闊に人に神法を見せてはいけないのだ。


 御者のお兄さんと楽しく話しているのに拗ねているのか、お兄さんが親しげなのが気に入らないのか、瑠璃は終始機嫌が悪かった。蘇芳はあまり表情に出さないけれど、私達の話には興味がないとでも言う様に外をじっと見ている。


 四の鐘が鳴っても商会の馬車には出合わなかった。その代わりと言っては何だが、冒険者を二組程追い越した。町から結構離れたと思うけれど、皆歩いていた。乗合馬車高い。毎日冒険するなら使用するのは現実的ではないのかもしれない。

 暗くなって来て、御者がランプを灯した。


 その日は本当に何事もなく、目的の小屋に付いた。小屋は小さめだけれどしっかりしたログハウスだった。

 馬小屋もただ柱と屋根があるだけの簡素なものではなく、ちゃんと小さな家になっていた。良かった、彼の寝る部屋とベッドもあるみたい。変な罪悪感に苛まれなくて済む。

 御者が馬小屋に入るのを確認して、私達もログハウスに入る。そして私はそこで始めて失敗に気付いた。


「暗い」


 振り返って馬小屋の方を見る。窓から明かりが漏れている。


「そう言えばお兄さん、さっきランプ持って入ったわ」


 明かりになるものなど、勿論何も持っていない。

 小屋に泊まるのも想定していなかったけれど、そこに明かりがない事はもっと想像していなかった。だって町は普通に明るかったし、宿にはランプが普通に置いてあったのだ。


「旅する時は自分で持って歩かないとダメなのかぁ」


 キャンプをする人なら普通の事かもしれないが、生憎私はアウトドア派ではない。まぁないものは仕方がない。御者に予備がないか聞いて来よう。

 瑠璃と蘇芳にここで待つ様に言うと、とんでもないと拒否された。馬小屋は目と鼻の先である。


 外は大樹の光で相変わらず明るい。満月の様なこの明るさは一体いつまで続くのだろう。既にここに来て十四日はこの明るさが続いている。大樹は衛星ではないから、もしかしたらずっとこうなのかもしれない。


 隣の馬小屋に入ると、そこは馬房が四つと、御者用の小部屋が付いていた。水回りはない様だけれど、まぁそれはログハウスも同じだし、寧ろ相部屋のログハウスより一人で部屋が使えて気楽かもしれない。

 馬にはきちんと藁と水が与えられていた。藁は馬車に積んであったけれど、この水はどうしたのだろう。荷台に積んである様子はなかったが。

 小部屋に扉はなかったので、勝手に中を覗いて私は御者に声を掛けた。


「お兄さん、ランプ余ってない?」

「持ってないんですか?」


 寝支度をしていた御者が手を止めて振り返る。


「忘れたの」

「そうですか。すみません、私もこれしかないんです。嵩張るものですし」


 そうだと思う。こんなもの二個も三個も持ち歩かないだろう。


「ではそれをトーコ様に渡しなさい」

「瑠璃!」


 だからログハウスで待っていて欲しかったのに。大きなため息が出る。馬車に乗っているだけでも、移動は相当疲れたらしい。今騒ぐ気力はない。


「気にしないで。明日商会の馬車に会ったら止めてもらえる?」

「分かりました」


 幾ら残っているんだったか。


(お金大丈夫かな)


 御者が若干ひいている。気持ちは分かる。


「あ、あと一つ聞いてもいい?」

「なんでしょう」

「貴方って水属性?」

「そうですよ?御者ですから」

「御者って皆水属性なの?」

「例外はあるかもしれませんが、そうですね、移動する職業に水属性は多いですね」


 そうか。何て合理的だろう。飲み水を持ち歩くのは大変だ。水は思い。コンビニも水道もない、海も川もないこの土地だ。とても理に適っている。


 御者の髪と目の色は青。水屋のおばあさんも青だった。瑠璃は水色だけれど、もしかして属性は身体的特徴で見分けられるのかもしれない。ファンタジーだ。


(でも私黒だしなぁ?紫で土属性の蘇芳はどうなの?)


 土は茶色にしてほしい。茶色の髪と目と言えば宿屋さんがそうだったけれど、土属性かどうかは知らない。足を治療してくれた聖属性の人は白髪だった。光属性のククルの髪と目は黄色だったけれど、メルイドは光属性でも金色だ。


「サンプルが足りないか」

「はい?」

「何でもない。お休みなさい」

「はい、お休みなさい」


 馬小屋を出てログハウスに戻ると、私は近くのベッドに腰掛け瑠璃に聞いてみる事にした。よく考えれば神法の事は瑠璃が専門だ。


「精霊の属性って、髪や目の色と関係ある?青は水属性?」

「そうですね」


 あっさり肯定された。


「瑠璃は何で水色なの?」

「器が大きいからですね。大樹にいる時は透明に近いですし、前の器にいる時は青かったですよ」


 精霊の髪や目の色は変わるらしい。

 器が大きいという事は、それだけ危険な人物だという事だ。大きな力は人を光に還す。それは私も例外ではない。色で判断出来るならそれに越した事はない。対策も立て易いし、そもそも近づかなければ良い。

 これは詳しく聞いておかなければ。


「蘇芳は前何色だった?」

「茶色ですね」

「大樹にいた時は?」

「透明に近いでしょうか」

「紫の?」

「はい」


 青の上位が水色で、茶色の上位が紫で、器が大きくなるほど透明。茶色と紫は分かり難い。


「じゃぁ光は黄色?メルイドは何で金色だったの?」

「メルイドは神の称号を持っていますから、その影響でしょう」

「器が大きい光属性も金色?」

「見た事がないので恐らくですが、そうだと思います」

(特殊能力者は上位互換されるのか)


 他にいたのは鍛冶屋さんの赤と、インテリ眼鏡様の緑。風の属性があるという事は。


「緑は風属性で、赤は火の属性?」

「そうですね」

「上位の色は?」

「これも器に入ったものは見た事がないので何とも。大樹では透き通った赤と緑ですが」


 透き通った赤と緑。宝石やステンドグラスの様な感じだろうか。ピンクや黄緑に近いのかもしれない。


「あと聖属性は白ね」

「そうですね。ですが精霊は水土光風火の五種しかおりませんよ?聖の属性とは光の精霊が神法を行使し続けた結果生まれる力です」


 そう言えばククルも医療ギルドの人を見てそんな事を言っていた様な気がする。ではあの医者達は年を取った訳でもないのに黄色の髪が白に変わったのか。精霊じゃなくても色が変わる場合があると。まぁ治療が出来る様になる分には危険じゃないから良い。


「他に属性はある?」

「闇の属性があると聞いておりますが、私が生まれてからこの三百五十年程では見た事がありませんわね。闇属性は水土風火の四つを極めれば成れますけれど、そもそも今いる生命に四つの属性を持つものがおりませんから」

「そうなん…………だ?」


 今何か凄い事を言わなかっただろうか。


「ちなみに蘇芳、貴方は幾つ?」

「三百五十程です」


 年上どころの話ではない。三百五十歳と精神年齢二十八歳の経験値の差がどれ程なのか想像も出来ない。二人にとって私など、口でも頭でも力でも容易くやり込められる小娘に違いない。この二人に私の常識が通じないのは良く分かった。やはり逆らうのは程々にしなければ。


「ちなみに私の髪は何で黒なんだと思う?」

「分かり兼ねます」


 元々髪はこの色だ。皆が属性に染まるなら私も例外ではないのではという期待は、あっさり打ち砕かれる。


「トーコ様はお生まれがエルダーンではありませんし、元からその色なのだとしたらそもそも精霊の影響を受けないのかもしれません」

「そうなんだ」


 闇属性だからとかではないらしい。まぁ使えないのは初めから分かっていたが。


(ならあの人は?)


 あの村で会った青年は何だというのだろう。黒髪の、ミツヒデと呼ばれていたあの青年は。

 これが夢なら私の願望。地獄なら、彼が蜘蛛の糸の様な気がした。まぁあの荒野に戻らないなら二度と会う事もないかもしれないが。


「そうだ瑠璃。何でもかんでも私のものにしようとしなくていいんだよ?あのランプはあの人のものだったでしょ?欲しかったら私は自分で買うから」

「……分かりました。トーコ様がそれで良いなら」


 私は瑠璃に丁重にお願いした。大抵私の言う事は受け入れられてしまうので、言い方には注意しなければとは思っている。納得していない場合もあるのだ。

 私の身に危険が及ばない限りは結構許容範囲なのかもしれないが、それでも積もり積もって、という事もある。何かのきっかけで爆発したり、逆鱗に触れたりしたら私は、確実に一瞬で光に還る筈である。


「さて、じゃぁこっちも綺麗にしますか」


 暗くてあまり見えないけれど、土足だからか床がざらざらしている。きっとこの備え付けの薄い布団も洗われていないだろう。


「この機会に私も洗うのマスターしようかしら」

「それは素晴らしい心がけです」

「お心の赴くままにどうぞ」


 心の赴くまま神法を行使した結果が今だ。それは良くないのでそこは自重する。また湖を作る気はない。

 私は最近分かる様になって来た神力の流れを、手に集める様に集中する。これが分かる様になって来たおかげで、神力が減るのも感覚的に捉えられる様になってしまった。神力計がないから便利と言えば便利なのかもしれないが、喪失感に似た何かがあるのが若干あれだ。

 まぁでも私はあまり神法を使わないし、同じ器から瑠璃と蘇芳が神法を使っているらしいけれど三倍速の自動回復のおかげで割といつも神力は満タンだ。器自体も大きいらしいし、あまり心配する必要がないのは有り難い。


 目を閉じて、掌から零れた水がログハウスを下から上へ洗い流す様子を想像する。勿論布団も一緒に水に包み込んで、最後は屋根の上で蒸発するイメージ。土も汚れも何か良くない菌も全部、水と混ざって一緒に消えれば良い。無駄な水はなるべく使わない様に節約しよう。

 こういう時電化製品が全くないのは助かる。乾けば使えるらしいとはいえ、素人の私にはショートとか漏電とかいろいろ怖い。

 胸の前に構えた手から、湖の時みたいに水が噴き出さない様に、イメージを丸いババロアに調整する。噴水でも良かったけれど、掌からあまり広がってほしくない。

 後は言葉。早く神法を完成させる為に言葉を使う。この場合は……。


「クリーニング」

 

 囁き程の小さな声でも神法は発動し、神力が一気に体の外に溢れ出す。掌で神力は水に変わり床に流れ落ちて行く。落ちた水が波紋の様に輪を作って、土を押し流しながら床を一気に広がるのが感覚で分かる。輪の内側は既に水気すら取り払われて綺麗になっている。

 水の輪は壁に当たり、今度は昇って行く。途中で布団が飲み込まれてふわっと浮いたけれど、それも一瞬で通り抜ける。軽くなった布団がベッドに落ちる。

 最後に輪は天井で収束し、空へ向かってスッと抜け、消える。


 結果を確認すべく、私は静かに目を開けた。期待通りの効果だ。集中に一秒、イメージに七秒、実行に二秒と言ったところ。もう少しイメージする時間が短ければサクッと使えるだろう。

 それにしても神力を発動している間のあの研ぎ澄まされた感覚は凄い。目を閉じていても世界が見える。これはあれだ、最早人の域ではない気がする。凄いぞ私。


 言葉は別に洗濯でも洗浄でもwashでも何でも良かった。何となく今回は私のイメージでクリーニングになった。生活感が漂って申し訳ない。


「ふぅ」

「お見事です!」


 胸の前に掲げていた両手を下ろすと、瑠璃と蘇芳が拍手してくれた。失敗しなかった事に安堵する。

 大樹の明かりでログハウスの色が変わったのが見える。やはり相当汚れていた様だ。

 念の為そっと扉を開けて馬小屋を確認する。馬や御者が騒いでいる気配はない。完璧だ。


「でもやっぱり人を洗うのはねぇ」


 身体の水分を分ける自信がない。全部蒸発させたらアウトだ。

 瑠璃が物凄く期待を込めた目で此方を見ている。


「瑠璃、お風呂と洗濯はお願い出来る?」

「お任せください!」


 満面の笑みで私を洗うのを引き受けてくれた。まぁ瑠璃も喜んでいるし、私の事は任せておいても良いだろう。万一私一人になる時はまぁ、普通に桶に水溜めて洗濯する事にしよう。


 窓はあってもやはり部屋の中では暗かったので、私達は外に出て食事をした。

 馬小屋から見えない位置で、蘇芳に土のテーブルと椅子を作ってもらう。私も一応作ってみたのだけれど、維持するのに集中力がいるみたいなので食事を優先した。外が寒くなくて良かった。

 夕食はククルに包んでもらったパンとチーズ。質素だ。荒野にいた時と比べたら雲泥の差だし、旅の食事としては普通かもしれないが、宿屋の食事が多くて美味しかったからそう思うのも仕方がない。

 お腹いっぱいにはならないけれど、後二回分くらいしかないから残しておく。


 食事が終わる頃、丁度五の鐘が鳴った。大人しく布団に入ろう。食べて直ぐ寝るのはどうかとも思うけれど、暗いしする事もない。明日もまたあの乗り心地の悪い馬車だ。


(あれ絶対体調悪いと吐く)


 布団は洗ってふわっとしたが薄い事に変わりはなかったので、他のベッドから二組程持って来て重ねてみる事にした。瑠璃と蘇芳がその様子を不思議そうに見ていた。


(うん、いい感じだわ)


 窓から差し込む大樹の光を浴びながら、私は眠りについた。

 瑠璃と蘇芳に部屋から出ない様お願いも忘れなかった。

 



 翌日、土の日。一の鐘でいつも通り目が覚めた。目覚まし時計がいらないのは助かる。

 そう言えば時計のない生活をしていて気が付いたのだけれど、仕事をしてないと時間なんて対して気にならない。期限がある様な事がないし、鐘が鳴ったからお昼にしようかな?くらいで十分なのだ。あんなに時間に追われていたのが嘘みたいに心穏やかでいられる。やはり人間には余裕が必要だ。

 それとお布団を重ねたのは正解だった。身体が痛くない。次の小屋でもそうしようと思う。


 朝の日課のお風呂と洗濯を瑠璃にお願いしてさっぱりする。汗だけではなく、パジャマがないので服のしわも伸びる。これが一番重宝している神法だと思う。後はトイレがない時の土の壁とか。

 それから部屋の中で夕食と同じ朝食を取る。ちなみにテーブルはないので蘇芳の御手製の土のテーブルセットだ。終わったら練習がてら私が消す。

 いつ頃出発か聞きに行こうとログハウスを出ると、表で御者のお兄さんが茫然と此方を見つめていた。


「おはよう。どうかした?」

「あの、これ……」


 お兄さんが指さしたのはログハウスだ。これが何か…………。

 お兄さんに視線を戻してはっとする。お兄さんの背後の馬小屋と、ログハウスの外観の色が明らかに違う。

 

(しまった!全然完璧じゃないじゃん!瑠璃みたいに中だけ綺麗にすれば良かった!)


 既に後の祭りである。


「どうなってるんだ?こんな色じゃなかったのに」

「どうなってるんでしょうねぇ」


 乾いた笑いしか出ない。笑顔が引きつる。


「そんな事より今日は何時頃出発!?」


 強引に話を変えると、今日は二の鐘から四の鐘頃まで走ると答えが返って来た。恐らく今日は商会に会えるだろうとも。

 一の鐘と二の鐘の間は短いけれど、準備するものも特にない。私達は荷物もないので、呆けているお兄さんがふらふらと馬車を準備し終わったところで出発に至った。


 相変わらす景色に大した変化はない。ただ遠ざかっていた左手遠方の巨大な壁が、今度は少しずつ近づいて来た。大樹は相変わらず右前方にあるから、壁の伸びる向きが変わったのかもしれない。

 そもそも私は何方に進んでいるのか元から良く分かっていない。東西南北も分からないし、土地勘も全くないから仕方がない。


「お兄さん、あの壁の事知ってる?」

「領界の事ですか?…………知らないんですか?」

「いや、そうじゃないんだけど……」


 暇な道中、巨大な壁に付いてお兄さんに聞いてみたらそんな答えが返って来た。誤魔化してみたけれど、お兄さんは訝しんでいる。これは知らないと不味かった様だ。


「ってお兄さん前見て前!!」


 馬車が大きく揺れたので慌ててお兄さんを仕事に戻す。お兄さんが進行方向に向き直ってから、一応瑠璃に小声で確認してみる。


「瑠璃はあの壁の事、知らないよね?」


 人の事について精霊はあまり詳しくない。どうせ答えはないだろうと思っていると。


「あれは神が人種の為に御造りになった境界です。人種だけがあまりに無為に争うので、随分昔に神が境を設けて人種を分けたと聞いています」


 神話か何かだろうか。でも知識の精霊である瑠璃が知っている事は事実。かもしれない。

 境界とかリョウ界とか、これは取り敢えず人に聞いちゃいけない事は覚えておこう。もう少し詳しく聞きたいが、それは御者がいない方が良い気がするので夜にしよう。


 三の鐘が鳴ったのでパンとチーズを出して食べていると、御者の予告通り商会の馬車に出会った。


「止まって下さい!!」

「はいよ!!何か入用で?」

「はい、僕は携帯食を。後お客さんが」

「食事とランプ頂戴」


 御者の背後から身を乗り出すと、恰幅の良いターバンを巻いたそれはもうまさに行商人、というイメージのおじさんに、馬車から降りて商品を見に来る様に言われた。

 乗合馬車を降りて商会の馬車に近づくと、想像していた移動販売そのものだった。


「お嬢ちゃんが買うのかい?」

「うん」


 身長が足りなくて馬車の荷台が見えない私を見て、行商人が荷台に乗せてくれた。丁寧に抱き上げてくれたのはこの服のせいかもしれない。身なりを良くしておいてよかった。瑠璃が睨んでいるのが少し怖いが。


 荷台には果物や加工食品など様々並んでいた。生活雑貨もある。流石に神力計はなかったけれど、ランプは三つほどあった。


「これ、性能に違いがある?」

「ないよ。違うのは見た目だけ」

「いくら?」

「小さいのは小銀貨六枚、その隣が小銀貨五枚。そっちの見た目が良いのが小銀貨七枚だよ」

 

 見た目はキャンプ用のランタンとそう変わりない。だから安いものなら二、三千円くらいで想像していたけれど、そんなに甘くはない様だ。

 手持ちは大銀貨十一枚と大銅貨が五枚で十一万五百円。買えなくはない。だが後の事を考えると安く抑えたい。


(でも持ち運ぶなら小さい方が良い?)


 取り敢えず小さいランプを持ってみる。軽い。


(これ熱くなったりしないのかな?)


 使った事がないからよく分からない。


「あれ?スイッチがない。おじさん、これどうやって点けるの?」

「神石はここから入れるんだよ」


 行商人が底を外してくれる。ランプの底は神石を入れる四角い箱が付いていた。


「このランプって神石で点けるの?」

「神石でなかったら何で着けるんだい?」

「電球とか、火とか?」

「火は熱いし危ないよ!デンキュウは知らないけど、でも変わった事を考えるね」

(じゃあランプだけ買ってもダメじゃん。神石もいるの?)


 家電は見た事がないからまぁ電球に関してはそうなのかもしれない。


「魔石は使える?」

「「とんでもない!!」」


 行商人と瑠璃の声が重なった。何故だ。魔石なら沢山あったのに。


「神石はいくら?」

「大きさにもよるよ。どれくらいのが欲しいの?」

「取り敢えずガンゼットに着くまでもてばいいけど」

「ならこれで十分だ」


 見せてくれたのは、透明に透き通った綺麗な水晶だった。ベリーシエの魔石を浄化した時にそっくりの石。蘇芳の袖の中のものよりかなり小さいが。

 行商人が自分の胸元から神力計を出して神石に当てると「50/50/100」と表示された。ほら、と見せてくれるけれど、この数字がどれくらい持つのか判断出来ない。数字三つもある。


(どう読むの?)


 そして気付いた。神力計は何も人だけを計るものではない事に。


(しまった。ものの寿命が見れるんなら買っておけばよかったかも。高いけど)


 もう遅い。ここにはない。


「これ、どれくらい持つの?」

「丸四日かな。一の鐘から二の鐘までと、四の鐘から五の鐘までの薄暗い時間を目一杯使うなら十四日ってところだね」


 十分だ。


「いくら?」

「小銀貨七枚と大銅貨一枚と小銅貨五枚だよ」

「…………もっと安いのはないの?」

「これが一番小さいよ」


 思ったより高い。いや、神力五百の魔石の買い取り価格は確か五万円くらいだったから、こんなものかもしれない。

 しかし普通のランプと合わせて一万二千百五十円の出費だ。


(仕方ないかなぁ。これで十四日しか持たないなんてもったいないとは思うけど、夜暗いままなのはなぁ)


 また旅をするかもしれないし、家を借りても部屋で使えるだろう。


(買っておいた方がいいよね?ね??)

「なくなったらランプ屋か石屋で神力を補充してもらうと良いよ。町なら大銅貨五枚だから」


 充電式らしい。意外とエコだ。


(なら買っておくか。仕様がないなぁもぅ!)


 結局ランプと神石と携帯用を三食分購入した。携帯食は何の肉で出来てるのか分からないジャーキーと硬いパンとチーズだった。干し肉と言った方が冒険者っぽい。特に冒険はしていないが。

 値段は一食大銅貨五枚。これで宿のご飯と同じ金額なんて納得いかない。お金がないから飲み物は水でいい。瑠璃が出せばタダだ。そうだ、そろそろコップと飲み水出す練習しよう。


 そんな感じで初めての行商人との取引は終わった。値引きをお願いした訳でもなく駆け引きも何もない、ただの買い物だけれども。

 商会の馬車は私を荷台から降ろすと颯爽と走って行ってしまった。乗合馬車の御者もちゃんと待っていてくれた。良かった。まぁ保険で蘇芳に見張らせていたのだけれど。


 乗合馬車での道中は、宿屋のおじさんが言った通り追剥ぎにも盗賊にも魔獣にも会わず、本当に何事も起きない。そもそも人気のない場所に共同の休憩小屋や布団があった時点で平和なんだろうとは思っていた。


(女子供で五日も旅しても、誰も不思議がらなかったしね)


 そう思っていたのだけれど、その日の夜になって、変化は唐突に訪れた。

 丁度次のログハウスでクリーニングの練習をし、ランプを灯して楽しく携帯食を頂いている時だ。前触れもなく入り口の扉が開いた。

 そこに立っていたのは武装で身を固め、剣を握りしめた大柄な男。


(…………どちら様ですか?)

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