1.旅立ち
「つまり私は世界の危機に呼び出された勇者ってことですか」
「えぇ、そういう事です。貴方はこの世界に伝わる、伝説の勇者なのです」
切り株の椅子に座って縮こまっている私に村の長さんは微笑んだ。その背中からは普段見る事のない透明な羽が生えている。耳も長い。俗に言うエルフ耳だ。
ファンタジーのような世界に来てしまった。改めて愕然とした。
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目が覚めてまず目に入ったのが、色とりどりの髪をした子供が宙に浮いて私を見つめている光景だった。あぁ、夢か、と二度寝しようものなら、彼女達は容赦なく私を布団から引き剥がし、地面に転がした。早く起きなさい、とお母さんの如く怒られた。
眠っていた部屋から連れ出されるとそこは、森の中の町。見慣れない服を身にまとった女性達が行き交っている。向こうには露店が開かれており、シートやテントが並んでいる。賑やかな声が飛び交っている。太い木々にはドア、窓がつけられている。その景色の向こう側は森になっていた。丁度この居住地区のような空間を囲っているように見える。
ぽかん、としている私に構わず、妖精のような彼女達は中央にそびえる一段と大きな木に向けて、私の背中を押す。
「ど、どこ行くんですか…。ここはどこなんですか…」
意味不明な事態に寝起きの頭はついていけなかった。それなのに、徐々に覚醒していく意識は嫌でもこれが現実なのだ、と言っているようで。不安が襲う中、やっとの事で喉からしょぼくれた声を絞り出した。
先頭にいた輪のように髪を結った女の子はこちらを振り向いた。
「…あぁ、そういえば勇者って異世界から召還されてくるんだっけ。ごめんね、話は長様から聞いて」
勇者、異世界、召還。なにそれ、RPGみたい。やはり訳の分からない事を言われて、私はとても現実逃避に走りたくなった。
項垂れた私の背中をなおもぐいぐい押す妖精さん、大樹に備え付けられた扉をくぐらされた先には広い木目調の部屋が広がっていた。そこには、ブロンドヘアの女性がウッドテーブル越しに、にこやかに立っていた。先程の彼女達とは違い、容姿は大人のものだというのに背中からは羽。エルフ耳。彼女は自らを妖精の村の長だといった。
テーブルに座るよう彼女に促され、恐る恐る向かいの席に着く。それと同時に小さな妖精さんがハーブティをテーブルに置いてくれた。いい香りだ。緊張で喉が渇いていたので、すぐにカップを手にとって、一杯呷った。爽やかな風味が口の中に広がる。少しだけ落ち着いてきた。
彼女が言うに、私は世界の危機に神によって召還された勇者のようだ。といっても今のところこの世界は平和みたい。町の外に出ても、魔物はいるものの手を出そうとしなければ襲ってこないとか。よ、良かった…のか分からない情報だ。
「いつ何時、誰が世界を脅かすのかわからないのですが…。頑張ってください」
「何をどう頑張るんですか…?私、ただの人間ですよ、……世界救うなんて無理ですよ」
「…フフ、百年前の勇者様もそう仰ってました。懐かしいわ」
「百年前?」
どう見ても若々しい女性の村長さんは頬に手を当て目を細くする。百年前も彼女は健在していたのか。妖精にありがちな長生きってこと…?
「えぇ、百年前、魔王が世界を支配していた時も神は勇者を召還なされたんです」
魔王いるのか――。数々のゲームの「魔王」が頭の中を駆け巡る。いつの間にか顔が強張っていた。
「帰らせてください。無理です。無理です絶対無理」
「前勇者様も同じように仰ってましたわ。…でも世界を救うまでは帰れません」
「なんで!?」
「召還には神にとって多大なコストがかかります。何度もやり直す事は出来ません。…帰らせるにしろ、同じことです」
村長さんは、無表情でそう言い放った。
な、なんて勝手な神様なんだ…!震えが止まらない。そっちの都合で、訳の分からない世界に呼び出されたっていうのに、なんで魔王を退治しないといけないのか。戻れないのか!…私なんて、なんの力もない、ただの人間だっていうのに。そう考えると目の前が真っ暗になりそうだった。体が冷えていく。
だが、思考を停止させる訳にはいかない、と必死に膝に乗せていた手と手を握りしめた。
「ミヤコさんは、自分がただの力の無い人間だ、と思っていませんか」
村長さんは静かな語り口だった。力なく頷くしかなかった。だってそうじゃないか。
「実はこの世界では、貴方は1.3倍の力を発揮することが出来るようなのです。この世界の人間ではないですから、体も割と丈夫のようですよ」
「はぁ…」
これはなにか?地球にいるより月にいた方が重力がかからないとかそういう感じか?それにしても微妙な数値だ。私の頭の憂いは取れそうにない。それを見越していたのか、村長さんは言葉を続けた。
「この世界では魔物がお金を落とします。魔物は余程の事がない限り人を殺す事はしません。…貴方のいた世界より安定した日々を過ごせると思いますよ」
「安定した日々」その言葉は、私の心を確実に突いていた。この女性は私の今の状況を知っていてこう言っているのではなかろうか。高校二年の、やる気のない私の行く末。お先真っ暗に思えていた。まぁ、なんというか…何も、したいことがなかった。
ファンタジーに近い現状もあってか、好奇心がむくむくと湧き上がる。これから、楽しめるかもしれない。
…だが、私は世界の平和を揺るがす程の敵を倒せるのか?その為に命を投げ捨てられるのか?「現実」と「ファンタジー」、どちらにせよ厳しいのは確かだった。しかも今帰れないときたものだから、「ファンタジー」択一しかない。
「…ここで頑張るしか、ないですよね…」
「そうですね。泣き喚いて駄々をこねるより、賢明な判断です」
どうにでもなれ。私のげっそりとした返事に満足そうに微笑む村長さん。正直この人怖い。もしかしてこの人がラスボスなんじゃないの?こうやっていきなり指示を出す所とかさぁ…と失礼な思考が浮かんできた。妖精という非力な自分の代わりに勇者を使ってこの世界を牛耳る…?いや、それはないか…。…そうだと思いたい。
ただただ乾いた笑いを浮かべる私に村長さんはぺらぺらとRPGの常套句を並べる。
「私としては、魔物を相手にしながら冒険してみるのをお勧めしますわ、勇者様」
「はぁ…」
「僅かながらですが、旅の軍資金を差し上げます。この村の武器屋、防具屋で装備を整えてから旅に出ると良いでしょう」
「はい…有難うございます…」
村長さんはテーブルに麻袋を置いた。置く際に「ちゃりん」という音がしたので、多分この世界の通貨が入っていると思われる。…直接装備くれたらいいのに、と思ったけど、おそらくこの世界の商店に慣れろ的な意味も含まれているんだろうな、と勝手に察しておく。
「あぁそうだ。この世界に来たばかりのミヤコさんにはガイドのような存在が必要でしょう?丁度村から出て世界を学びたいといっている子がいるのですが、どうでしょう?」
「是非一緒に旅していただきたいですね」
「それは良かった。レーズン、出てきなさい。聞いているのでしょう?」
村長さんが私のいる向こうに向かって声をあげると、すぐに苦笑いが聞こえてきた。振り返ると、入り口からひょこりと顔を出す妖精がいた。…あの輪っかの子だ。
彼女は私に一瞥すると、村長さんの脇へと羽ばたいていく。村長さんは彼女の頭を撫でながら、私に向かって紹介した。
「彼女はレーズン。村一番の商才の持ち主です。かねてから商売について外で学びたいと言っていたのですが、何分妖精は非力なもので…勇者様がついていて下さると助かりますわ」
「あ、でも初級魔術くらいは使えるからね」
「それでも心強いよ。よろしくね」
「うん!よろしく」
レーズンは私に近寄ると、手を差し出した。私も右手を差し出して握手をした。見た感じ子供のような彼女はにかっと笑った。
「そうだ!まずはこの村を観光していってよ!ね、いいでしょ?」
「それはいいですね。この世界を楽しんでいってもらえれば、愛着も沸くと思います」
「あはは…はい」