娯楽
休みが来た。雨月は出不精で、あまり往来に出たがらない。自室にこもっていてもTVがあるわけではなし、相部屋の男とも、特に話題があるわけではなし、おまけに彼は今日は出勤日だった。雨月のすることといえば、ノートやプリントの裏にへたくそなマンガを描くぐらいだ。たまには外に出て近所を散策するようだ。
寮から表に出てみる。砂利道を少し歩く。慣れていないせいか歩みを何度も止める。歩きなれておらず、足が痛いのだろう。かすかに潮の香りがしていて、松の木が至る所にある。松ぼっくりが空き缶の代わりに蹴られるのを待っている。しばらく歩くとコンビニがあるのが意外だった。雨月には、まったく不向きだった煩雑なコンビニ業務をこなせる人がいるのだろうか。いるとすれば障害の程度が軽いか、定型発達者ということになる。
雑誌を立ち読みしてみる。向こうの世界とまったく変わらない内容の漫画誌が一号遅れで販売されていた。日程のずれは、単なる流通上の問題なのか、一週ずれると単価が安くなるのだろうかと勘ぐってみたが正しい理由はわからずじまいだった。
その他の商品は、ほぼ向こうの世界と同じ、なんとなく展開されている商品の種類が百円均一の品ぞろえに酷似しているような気がする。こちらの物価と合わせようとしているのか。見たことのないメーカーの安めの商品にターゲットを合わせているように思える。
「てっきり商品も三十年代に合わせていると思った」と独り言を言う。頻繁に独り言を言うのは、割と知られた発達障害者特有の癖である。出版社は東京一極集中だから、地元のローカルな出版社が参入したとしても淘汰されてしまうだろう。
現実のここは、不便な地方集落でしかなく、違うことといえば、テレビやPCなどの利便性のある家電製品が普及しておらず。娯楽の種類も少ないことだ。他には住民にお仲間が多いことぐらいだ。元いた住民より、工場の社員として移住してきた者のほうが多いということはないかもしれないが、半々ぐらいではないだろうかと考えている。何せ移動時間は情報をシャットアウトされているので推理を働かせるしかない。
町中に唯一ある映画館に入ってみた。交渉人(ネゴシエーター)から事前に聞かされていた娯楽施設だ。よく知らない古い西部劇を上映していた。結局、暇だったので最後まで見てしまう。似たような人達が集中しているせいか、マナーは割といいかと思ったが、上映中に入ってくる、あわてんぼさんが多数いたことと、パンフレットの忘れ物が多かったことで、やはりここは、発達障害者の町なのだろう。自分の働く工場以外にも他に工場があるのかもしれない。そうでなければ町として採算が合わない。
町の中央には、大きなスーパーマーケットがあったのだが、興味がないので入らずに素通りした。
どうせ、あちらの世界のスーパーと同じような品ぞろえなのだろう。どうやって値段をこちらの町で生活してる人の水準に合わせているかが少し気になる。小売りはそこの独占になるから、薄利多売で何とかしのいでいるのかもしれない。
雨月にとって料理はマルチタスクを要求されるので苦手だ。食事は寮の食堂で済ませている。
やっと名札で名前を把握できた高木は、料理にハマっているのか、たまに自炊をしているらしい。冷蔵庫は数人で使っていて、各自名前を書いている。ウッカリさんがたまに人のを使うので、わりとトラブルは多いのだが、同じ発達障害者同士、気にしない精神でもめ事を防いでいる。
こちらから持ち込める金額は一定の枠内に決められているので、あまり無駄遣いはできない。
雨月は給料が入ったら、書店で本を買い漁るつもりでいる。TVは高いらしいから、まだ先になりそうだ。
自室に戻る。ノートの端に漫画を描いてみる。あとは聖書を少し読んでみる。興味が薄れあまり頭に入らない。
明日からまた仕事だ。果たして無事続くのだろうか。