適正と工場
早朝、六時に起こされる。
社員全員でラジオ体操。朝のラジオ体操なんて、小学生の夏休み以来である。
その後、朝礼があり、工場長から自己紹介を促される。不意打ちだと雨月は思ったが、同期に工場入りした他の人たちは、スマートにこなしている。どうやら昨日渡されたプリントの中に、自己紹介の準備に関する注意書きがあったようだ。見事に見落としていた。つっかえながら、我ながら雑だと思える自分についての説明書きを披露したような気分だ。聞いている同僚達はどう思っているのだろうか。自分の下手さ加減について自己評価をしていたら顔が真っ赤に染まる。
暑い防塵服に着替えて、風を受けて工場に入る。自分の持ち場に立つ。工場は立ち仕事で、そのつらさを雨月は知らない。ベルトコンベアーで運ばれてきた機材に部品をネジで留める作業だ。三か所を留めるだけで、マルチタスクはないのだが、初めてのことで慣れずに手間取る。ベルトコンベアーが止まると、ジョブパートナーの中村さんに注意を受ける。派手な叱責ではないものの、叱られることは大の苦手でこたえる。時間がたつにつれて、肩や腕、そして腰が疲れる。果たして自分の作っている物は何の役に立つのかと疑問に思う暇もなく、次の機材がやってくる。辛い。仕事をしていて、自分の頭が自動思考し始め、それを無理やり止めるのが辛い。
休憩時間が来て解放される。昼はまだまだだ。体をゆすって疲れをとる。身体が工場の部品の一部になったかのように固まっている。四肢が軽く痛む。単純労働が辛いものだとは予想できなかった。大半の発達障害は想像力に欠ける。休憩時間はあっという間に過ぎ、また仕事以外の思考の許されない時間が始まる。暑い、だるい、飽きる、辛い、そして機械特有の油やハンダの臭いが苦手だったりする。昼休みまではまだまだ長い時間を要する。耐えるのだ。
雨月は何度もベルトコンベアーを止めた。最終チェックでも部品の不備が見つかった。数回注意された。
昼食の時間が来る。防塵服を脱いで食堂へと向かう。何から何までが苦痛で早く解放されたかった。工場内の照明、壁の配色、機械の立てる音、作業する音。全てが感覚器官を逆なでしているような気がする。視覚、聴覚、触覚、嗅覚、これだけ合わないのは自分だけだろうか。他の皆も我慢しているのか。食堂では中華丼が出た。食べ物に好き嫌いが多い雨月だったが、今回はセーフ。食べる時は無口な人が多い。マルチタスクが苦手な発達障害者は、食べながら話すとどちらかが、おろそかになってしまうからだ。
昼食を終えてからの仕事、同じことの繰り返し、ADHDが悪さをしているのか、飽きてしまい集中力が途切れる。雨月は薬が合わないことに気づいていた。診断が出てから二種類の薬を処方されたが、ひとつは副作用が酷過ぎて飲めず、もう一つは薬効の点で今ひとつだった。現実問題として、注意力散漫なのは解消されないまま働きに出ている。もちろん、雇用主も織り込み済みのはずだが、予想していたのと違っていたと思っているのかもしれない。
なんとか仕事が定時に終わり、寮へ戻ることが許される時間になった。ただジョブパートナーが「今はまだ最初だから様子を見るが、あまりにもミスが多ければ面談してもらう」と言われたのが気にかかった。
寮での食事を終えた後、同室の男に感想を聞いてみた。物覚えが悪く名前を失念していた。
「同じことの繰り返しで、楽だった」
「そうなんですか。自分はどうも単純作業は飽きてしまうんです」
「お互い、早く仕事に慣れましょう」
と数語かわすと部屋に戻った。
男は明日の仕事に向けて再度予習をしている。雨月は名前を聞きそびれたことを後悔した。
雨月は、読み忘れたプリントを見ると「自己紹介」について書かれた紙を発見した。時すでに遅しである。暇なので聖書をまた読む。アダムとイブのどちらかに、そそっかしくておちょっこちょいで慌て者で、他者とのコミュニケーションが苦手な者がいたのだろうか?疑問は疑問のまま終わり、寝た。