移住
雨月は「YES」と返事をした。
小型バスに十数名の男女が乗せられたが、アイマスクをつけられ、耳元のイヤホンはヘビィメタルを流し続ける。町がどこにあるのかを知られたらまずいからだ。
ストレスフルな環境に、人権なんてないのかと叫びたかった。嗅覚を頼りに外部を探ろうと思ったが、窓は締め切られて、シートのゴムの臭いと、同乗者の息や体臭の混ざっりあった香りしか得られず。諦めて車の振動に身をゆだねるしかなかった。
小型バスが工場に着き、雨月を含む、数名が降りた。残りの人たちは別の工場に行くのだろう。中に案内される。防塵服に着替える。工場の中では空冷が聞いておらず蒸し暑い。
何人もの工員たちが、ベルトコンベアーの前で立ち仕事をしている。海外へ輸出する電化製品の基盤でも作っているのだろうか。外見を見ただけでは何の製品なのか想像つかなかった。
工場長に案内されて、一通りの仕事の説明を受ける。
視覚優位の発達障害者も多いはずなのに、なぜ口頭での説明なのだろうか。
雨月は訝しげに思ったが、自室に送られた大量のプリントを見て納得した。
これを忘れずに覚えろと言うのか。これからのことを考えて頭が痛くなった。
寮は相部屋だった。
人との交流は苦手だが、これから生活を共にする相手だから無視するわけにもいかない。
「初めまして、雨月佑です」
「こんばんは、高木良介です」
それからしばらく沈黙が続く。話が中々はずまない。よくあることだった。
「高木さんは具体的にどのような症状ですか」
「自閉傾向が強いかな」
「いいですね。自分はそれプラス注意力散漫なので」
「良くはないですよ。あなたよりはましですが。プリント見ておかないと後悔しますよ」
「あっ。忘れていた」
言い方が皮肉めいていたり、相手に対して失礼なのも、ASDにはありがちである。雨月もムッとしたが、初日でもめるのも困るので我慢していた。客観的に見ればお互い様なのだが。
雨月は自分の机に戻り、プリントを一枚一枚見ることにした。
TVもラジオも、自分の稼ぎで手に入れなければならず。部屋には聖書ぐらいしかなかった。
「ホテルじゃあるまいし」
プリントには、工場での作業手順が細かく書かれてた。あまり頭に入らない。いつものことだ。
興味のある狭い範囲の関心事には、恐るべき集中力を発揮して、瞬く間に記憶してしまう。過集中というやつだ。ただし、あまり仕事や勉強には発揮されない。使い勝手の悪い能力で困る。
一通りプリントを読む。「あとは出たとこ勝負だ」この割り切りの良さが逆に自分の首を絞めていることを雨月は気づいていない。ADHDが悪く作用しているのか、雨月は妙に飽きっぽかった。
暇だったので、相部屋の男に再度話しかけようとふすまを開けると、明日の仕事に向けて勉強中だった。
邪魔をしては悪いと思い。戸を閉めて、することがないので聖書を読んでみた。
神が自分たちを作ったと書かれている。雨月は自分を振り返った。能力に凸凹があり、仕事に適応できないそれでいて、仕事以外で食べていける才能のない自分をなぜ神は作ったのか?
聖書に書いてあることが全て真実だと信じているわけではないが、世界三大宗教の一つであるキリスト教は、発達障害に対して、どのような回答を出しているのだろうか?
無神論者ではなく、特定の宗教を信じているわけでもない雨月には、この問いは難しすぎた。
もっとも、現存する宗教を信じたところで、教義に従った気休めが書かれているにすぎないのだが。
そう思いなおして、思考停止した。