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雨月の脳裏に、上手くいかなかったアルバイトの経験がよみがえった。何度も同じミスを繰り返す。最初は親切に教えてくれた上司や同僚も、汚物を見るような目つきに変わる。マルチタスクができなくて怒鳴られる。何かにつけて叱咤される。他人のミスも自分のせいにされる。苦い現実だ。
「いい返事を待っているよ」
交渉人は、笑顔を向けて去って行った。内心では勝利に酔いしれているのだろう。どう転んでも、奴は「YES」と返答するであろう。確信に満ち溢れた表情だった。
雨月は、気にくわない客人が帰った後、スマホを開いて、初期水準経済区域について調べた。検索上位に、政策自体をベタ褒めした迎合した記述が連なった。十ページほど閲覧してみたが、どれもこれも「発達障害者の楽園」的な、時の政府におもねった賞賛の言葉しか見つけられなかった。
最後の頼みの綱と、本音で書かれている巨大掲示板を探ってみる。
初期水準経済区域は、インターネットが存在していないため、現実世界への情報の流出は極端に少なく、脱出者と名乗る人間の書き込みは、未来人の予言並に胡散臭く、嘘の報告も多かった。
それでも、藁にすがる思いで、雨月はその情報を読むしかなかった。
【脱出者】
「肉はカエルだよ。魚はブラックバスやブルーギルだったよ。あとオキアミが多い。昆虫も主要な蛋白源で、エビだと思ったら芋虫だったとか」
「自動販売機も少ないし不便。飲料は瓶が主体だから重くて重くて、筋肉ならつくな」
「白米がなくて、雑穀を混ぜたものが出てくる。美味しくないから移住者は今のうちに、ごはんをうんと食っておけ」
「テレビもあるけど、給料じゃ買えない。諦めて街角テレビで我慢。内容は古い番組の再放送が主流だからこちらも我慢」
「医療はひどい、今治る病気はほとんど治らないと思った方がいい。薬価も高い」
「映画は人気のないフィルムを惰性で流すだけ。白黒が多い注意」
読み進むうちに、向こうでの生活に対してやるせない気分になってきた。
スマホの画面を終わらせる。
便利で快適な生活を続けられるのも、あとわずかなのだろうか。
結局この世界では、定型発達者並みの青春や楽しみも得られなかった。
せめて、自分が幼少時に診断を受けていれば、療育やSSTなどでもっとまともな人間になり、就職面接も軽く合格していた可能性を思うと、涙が出てきた。暗い過去がフラッシュバックして、思わず泣き声を上げる。
雨月の診断は遅かった。学生時代にアルバイトが上手くいかないことに気づいて、病院の門をたたいた。
半年後に診断を受けるが、投薬された薬は効かず。実生活にプラスになることはあまりなかった。
布団を敷いて寝ころび、初期水準経済区域での未来に思いをはせる。
おそらくどこかの工場に入れられて、輸出向けの部品を作るはめになりそうだ。
自分はマルチタスクができない。それ以外にも単純作業にすぐに飽きてしまう。
それなら職人というコースもあるが、手先が不器用なので務まるのかが不安だ。親方が厳しい人だったらどうする?
あまり想像力が働かないので、考えてもそれ以上の展開はなく、いつしか雨月は眠りについた。