逡巡
刺身見学後は、切り身を切ることになった。別の先輩のやり方を見て手順を覚えることになる。口頭での解説もあり、視覚優位の自分には辛かったが、聞きそびれたところは、相手にうざがられようが聞き返す。先輩も初回ということもあって、言いなおしてくれた。
冷凍された塩鮭の頭を落とし、その切り口から包丁を差し入れて、背骨に沿ってスライドさせていく。気を付けないと、背骨を越えて刃先が向こう側へ突き抜けてしまう。二枚におろした鮭の邪魔なひれを切り落とす。先端から均等に切り身にしていく。細すぎても厚すぎても駄目だ。また最後の部分もちゃんと食べられる切り身にしなくてはいけない。自分はなかなか上手くいかず薄い煎餅のような切り身になってしまう。失敗した部位はほかの部位と一緒にあらとして出す。
最初のうちはミスも許せるのか、残念な作品はすべてあらになった。この作業も二日目ぐらいには結果を出さないとカミナリが落ちるだろう。先輩も目を細めて薄笑いしながら、自分のぎこちない作業ぶりを見ている。もしかして、不慣れな過去の自分と重ね合わせて、こいつはもっと下手だと嘲笑しているのかもしれない。またネガティブな考えが頭をよぎる。この癖は治さなければ。
果たして、人一倍不器用な自分は、もう一人の先輩のような、繊細な水菓子のような透明感のある刺身を作ることができるのだろうか。いけない、今は切り身に集中しなくては。
ざらざらした塩が手にまとわりつく、この触感も比較的苦手だった。爪と肉の間に塩が入り込み、その指で鱗だらけの塩鮭を触る。内臓がない分臭いがきつくなくていいが、それでもなんぼか生臭い。
商品を売り場に出す時、自分以外の切り身の厚さを見る。自分とは違う。厚すぎず薄すぎず、おまけに形にばらつきがない。うらやましい。自分の不器用さは、手が駄目なのだろうか、それとも脳からきているのか。視覚情報が上手く脳に伝わらないのだろうか。考え事で手が止まっていることを、見回りに来た上司に注意される。「なにぼーっと突っ立ってるんだ!」慌てて動き出す。考え事はマルチタスクではないが、考えながら仕事をするのは苦手だ。普通の人はどう考え、どう動いているのだろうか?
今日も早めに終わって、ジョブパートナーとミーティング。不器用で困ると話すと、「そこは経験と慣れだから。発達障害は人の倍時間がかかるが、覚えたことは決して忘れない」と励まされた。自分はADHDもあるので人一倍忘れやすいんですと言おうと思ったが飲み込んだ。
売り場に出て、先輩の切った鮭の切り身を買う。自転車をひたすら漕いだ後、自室に戻り、定規で切り身の幅を測る。給湯室でガスコンロを使い切り身を焼いてみる。焼いて縮んだ幅を再度測る。買う人のことを考えて切られているとしか思えない。ASDは他人の気持ちを推し量るのが苦手だという。
対人折衝と器用さが要求される仕事が、自分に務まるのだろうか。まだわからないが、刺身に興味が出てきたので、可能性があるのかもしれない。ただ、今までの駄目な自分が「今度も駄目だよ」と耳元で予言している。ネガティブな想像が希望を討ち果たしてしまうのが、いつもの脳のとるパターン。
今日は明日の天気予報を電話で聞くことにした。少しずつ進歩はしている。物忘れがひどい自分は後退するかもしれないが、ならばまた歩を進めるだけだ。




