教育
目が覚めて、なるべく音を立てずに身支度をする。ここで朝食についてすっかり忘れていたことを思い出す。すきっ腹で自転車はきつい。おまけに外は雨のようだ。雨粒が屋根をたたく音がした。雨足が強いことが想像できる。仕方なく傘をさして自転車に乗る。身体のバランスが悪いのか、肩や背中が濡れた。慣れない道筋を雨に邪魔されながら地図を使ってたどる。かごのバッグも雨に濡れる。大したものは入っていない。携帯電話がない町でよかった。
六時ギリギリに店着し、急いで着替える。長靴を履いてエプロンを締め、紙製の帽子をかぶる。先輩職員や上司はすでに持ち場についてた。なるべく大声で挨拶をしたつもりだが、「声が小さい」と言われた。上司から紙を渡される。大きな字で予定作業一覧が書いてあった。非常にわかりやすい。その紙は目立つところに貼られた。
命令されるがままに、刺身を解凍したり、雑用をやらされた。自分はとろいところがあり、どうしても他の職員と比べると動作が遅くフットワークも悪いようだ。発達性強調運動障害(DCD)もあるだろうと、前の世界にいたころに医師から指摘されたことを思い出した。
配送車がやってくる。空間認知力に問題があるので、台車に荷物を積み込むときにアンバランスになってしまう。ジョブパートナーにこのことを伝えるのをすっかり忘れていた。また崩れそうになった荷物をゆるゆると運んだ。「遅い!」と怒鳴られる。上司の短気な性格は治らないのだろう。大声を出される度に、身がすくむ。
荷物を運んだ後に、パートさん方がやってくる。自分はパック作業に回される。三十代ぐらいの女性パートが、一連の動作を見せて教えてくれる。確かに自分は視覚優位らしいのだが、記憶が動画ではなく静止画なのでマスターするのに骨が折れる。テンポよく、てきぱきとは動けない。
できたパックを売り場に並べるのも、実はよくわからない。パックには決まった長さがあるのだが、適当においていくと、上手くはまらずに、パックを縦にして入れたら叱られた。他の人はなぜパックを余さずに陳列できるのか不思議だ。
開店前に陳列を終わらせて、台車などをしまい込む。スピードが要求される一連の作業を、動作が遅くて不器用な自分が身に着けることはできるのだろうか。著しく不安だ。などと考え事をしていたら「ぼーっとするな!」と叱られた。気が付くといつの間にか考え事をしてしまう。薬が効かないのだから仕方がない。
陳列が終わると、先輩社員から魚のさばき方を教育される。前回は半魚人のことを考えて失敗したので、今回は絶対半魚人のことなど考えないぞと思っていたら、工程がすべて終わっていた。しまった。
「また見てなかったのか!」と怒られた。身が恐怖で縮む。メモ帳を出したら、「商品に触るのにメモなんて出すな!」と再度怒られて、心がおびえた。叱られることの多い仕事は精神衛生上悪いと思う。
このままならいつになったら、魚をおろせるのか。そういえば渡されたプリントを読むのを忘れていたことを今思い出した。目の前で起きていることより、頭の中で思いつくことが最優先されるのには困る。工場時代でも、ここまで集中力が途切れることはなかったような気がする。それとも工場時代も、ちゃんとやれていたと思っていたら、実は違っていてミスを連発していたのだろうか。と思っていたら。「飯に行くぞ」
と言われた。いつの間にか時間がたっている。これは、どうしたらいいんだろうか。
実は食事中の雑談もうまくできない。だから中々交流ができない。言葉が出てこない。
「今度の営業が高女に似ていてな」という声が聞こえたら、その言葉尻をキャッチして「高女ったらどんどん上に行くお歯黒の妖怪ですよね」と話しだしてしまった。よく見たら反対側のテーブルにいた別部門の人なので、驚いた顔をしていた。とっさに「今度鮮魚に配属になった雨月です」とフォローしておいたが、果たして上手くいったのだろうか。上司からは「ずいぶんマニアックだな。その知力を仕事にも生かしてくれよ」と言われてしまった。ASDの知識は狭くて深く、おまけに好きなことにしか発動しないので、どうなることやら。いっぺんに二つのことができないので、後は誰とも話さず、ただ黙々と食べた。




