勧誘
雨月佑は焦っていた。超売り手市場の就職戦線の中で彼だけが落ちこぼれていたからだ。
受ける会社はことごとく落ち続け、自尊心はズタボロになり、受けられる会社が見当たらない。あとはブラックで有名な会社しか残っていないような状況になっている。
新品のスーツは彼の心を反映したように、ベルトは途中で一回転し、ズボンの折り目も二重線になるような身だしなみの酷さだ。疲れているのだろう。スーツを着慣れないだけかもしれない。
アスファルトの照り返しをまともにくらい、歩き疲れて足を引きずり、頭脳は面接疲れでフリーズ状態だ。合わせ鏡のように続くビル街のどこのオフィスにも自分の居場所はなかった。
雨月は、発達障害だった。注意欠損と衝動性、共感力のなさを併発したタイプで、仕事のパフォーマンスは同期の定型発達者と比べて落ちる。
最近の企業は、クローズで入社試験を受けにくる彼らを選別する能力に磨きをかけていた。法律により、精神障害者の雇用率アップが求められているが、特例子会社への道は希望者が殺到したため狭き門であり、雇用側の企業にしても、発達障害者と精神障害者のどちらを選ぶかで迷っている状況だった。会社としても、よく知らない発達障害者より、多少は症状などが把握できる精神障害者を選択する所が多く、大半の発達障害者は、面接や書類選考の時点で落とされて、オープン雇用で低所得に甘んじるか、『初期水準経済区域』に収容されるしかなかった。
初期水準経済区域とは、体のいい隔離病棟みたいなものだと、発達障害者ならだれもが知っていた。そこに収容されることは、現代の便利な生活からの永遠の離別を意味した。今を生きようとしている彼らに対する最後通告を意味する。
雨月の元に、初期水準経済区域からの交渉人が訪れたのは、就職活動も終盤に差し掛かった頃だった。地味なグレーのスーツに、細いネクタイ、髪は左サイドに流している。レンズの幅が狭く、きつそうな印象のメガネをかけた三十代ぐらいの男性だった。
「雨月君だね。就職活動では大分苦戦しているようだね」
さらりとこちらの苦境を見透かしていた。男性は続けた。
「初期水準経済区域なら、君たちみたいな障害者も雇用できるんだがね」
初期水準経済区域についての噂は雨月も耳にしていた。生活水準が昭和三十年代に設定されていて、給与が低く抑えられている。少ない人件費を元に、海外競争へ打って出るための政策だった。ただ、現代の日本で享受できる娯楽や医療、家電製品の利便さはほとんど受けられないと言われている。雇用先は工場などのコミュニケーション力を必要としない職場、まれに職人として修業に出されるケースもあるらしい。
「嫌です」雨月は即答した。
そもそも家電製品に囲まれて何とか生活が成り立っている自分が、電化製品も簡素なものしかない環境で暮らせられるはずはないと思っていた。労働環境だって、労働基準法もへったくれもない、教育という名目のパワハラやモラハラの存在する職場だろうと想像できた。
「でもこちらでは、ほとんど合格する見込みはないのだろう」
男は、雨月の不安な心を見透かし、誘いの手を畳みかけてくる。
「TVの普及は微妙かもしれないが、映画館はある。書籍だって恵まれている。なあに、新興国に出稼ぎに来たと思えばいい」
その他、衛生環境は意外と整備されていること、シャワートイレなどはないが、それぐらいは我慢できるだろうと諭された。
「学生時代のアルバイトは上手くいっていたかい」
雨月の心が揺れた。