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アイアン’ズ ドリーム  作者: 三葉野黒葉
8/11

終わった世界と一人の男⑦

とりあえず一区切りかな。

一章おわーり


 重い地響きと耳をつんざく喚声を上げながら、何かが金庫室に近づいてくる。


 凄まじい勢いだ。

 ラックが勢い良く幾つも薙ぎ倒される音がしている。


 上階の廊下、あの崩落した先へと登った彼は、

 その正体を確かめることはせず脇目も振らずに走り出した。


 その行動がもう数秒でも遅れていれば彼は奴と直面し、

 否が応でも対処を求められていただろう。



 人のいなくなった金庫室へと突入して来たのは、

 やはりか、体中から液体を染み出させながら血眼で怒り狂う鼠の王。



 即座に天井の穴とその真下にある足場を認めると、

 王鼠は巨体にあるまじき跳躍力を発揮し、軽やかに上階の廊下へと侵入を果たした。


 そして、

 廊下の奥より獲物たる男が走っている音が響いてくるのを聞き取り、

 再び甲高い鳴き声をあげて追跡を始めた。


 そこら中に散乱している瓦礫は全く王鼠の速度を緩める要因とはならない。


 仮に百メートルにおける記録を計れたならば、恐らく七秒前半は軽いはずである。


 十分に筋肉を保有した四足歩行生物であるがゆえの結果だ。



 だが、

 実は男が万全の状態で走る速度はこれを超えている。


 正確に計る機会などがあるわけではなかったが、

 チーターと競争したとしても勝てる可能性はあると思える程度の自負が彼にはあった。


 されど、そうでありながらも段々と彼と王鼠の間にある距離は縮まっていた。


 それは、彼が足枷となる荷物を背負っていたことと、

 王鼠にとってはないも同然の物である瓦礫が彼にとっては立派な障害物であったということが理由だ。


 奴ならば巨体で弾きつつ進めるが、彼は避けるか飛び越えるかした方が早い。


 力づくでどかせないのではなく、どかさないで進む方が結果として良いのだ。


 それでも、その余計な動作があるせいで距離はどんどん詰められていってしまう。




 やがて、暗闇のヴェールを振り払って王鼠が姿を現した。


 体表から気体が発生している。

 僅かばかりの生物の名残を見せて液状化しながら張り付いている大ネズミから生まれているものだ。


 恐らくは先ほど扉に嵌っていた際、共に挟まっていた個体のものだろう。


 非常に不味い事体である。


 いかに彼と言えど人間であることには変わりなく、

 同じ有機生命体である大ネズミの成れの果てから察するに、

 捕まれば同様の結末を迎えることになるのは必至である。



 曲がり角が見えた。

 前方約十メートル先。



 単に曲がった程度では距離を稼ぐことは出来ない。



 ゆえに、彼は三角飛びの要領で壁を蹴り、宙に体を投げ出した。



 視界に映る世界がスローモーションとなったかのように錯覚する。


 宙を舞う体は段々と逆さになっていき、

 背後が確認できるようになり、

 そこに丁度角に差し掛かった王鼠が顔を出したのを見た。


 緩やかに進んでいく世界の中、

 ベストのホルスターより自動拳銃を抜き放ち構えた彼の動きは実に流麗で、刹那的なもの。



 とくんとくんと心臓が二度拍動して、

 二回の銃声が三度目をかき消した。



 空気を切り裂き、ライフリングによって回転を加えられた弾丸が直進する。


 狙いは眼球。

 王鼠の四つあるうちの右横顔についたもの。


 既に五メートルもないほどに詰められていた距離だ。

 外すことなど有り得ない。


 スローモーションとなっていた感覚が解けた彼が

 器用に受け身を取りつつ着地したのと同時に、

 王鼠の右側の二つの眼球は穿たれ血が吹き出した。


 意識していなかった攻撃に対し、王鼠の混乱は酷いものであった。


 カーブを曲がりきれずそのまま壁に衝突し、跳ね回ってもがいている。


 突発的な痛みに対する行動というのは知能が違っていても変わらないものだな、とどこかズレた感想を抱くも、一瞥して出口を目指す。





 油断なくトップスピードを維持して、

 やがて辿り着いたのは壁にステップが設置された袋小路である。


 ステップに手をかけ上を見上げるも暗視フィルタには先の様子は映らない。


 遥か先の地上への出入り口は暗闇に隠されていた。



 意を決して上がらんとしたそのとき、球状の液体が飛来する。



 それに気がついた彼は舌打ちをして即座にステップを一段飛ばし気味に登り出した。


 球状の液体は先ほどまで彼のいた場所に当たり、

 そこにあったコンクリートの床や壁に金属製のステップまでをも、

 表面だけではあるが、溶解させた。


 成したのは当然、奴である。


 呆れた執念に苦言を呈する暇もなく彼は進む。



 ひたすらに手足を動かし続ける。

 地上までそう遠くはないはずだ。


 最初に侵入した地下は地上より五メートル程度しかなかったのだから。



 なのに、どうしてゴールが見えてこない。


 まだか、まだか、まだか。



 焦りが生まれる中で彼は、

 自分以外がステップを駆け上がってくる音を聞き取った。


 巫山戯ろ、と言葉を吐き出してやりたいぐらいだった。


 完全に悪手ではあったが、彼は止まって下を確認してしまう。


 響く音が段々と大きくなってくる。


 見えたのは、

 右目から血を流して舌や唾液を振りまきながら

 一心不乱にステップを足場に登ってくる王鼠の姿。


 苛立ちながら思わず銃弾を眉間と口内と眼球を狙って打ち込むが、

 態勢の悪さが影響して致命傷を与えることが出来ない。


 むしろ不運な事に、

 加えられた傷により王鼠の怒りは更に強まり、

 もはや獣とすら思えない悲鳴のごとき喚声を上げて登る速度を上げるのだ。


 苦し紛れに攻撃を仕掛けることと逃げること。

 二つの選択肢を天秤にかけたとき、軍配が上がるのは古来より後者と決まっている。


 一筋の希望は、あとほんの少しで出口が見えるはずという不確定な予測事項。



 登る。上る。昇る。未だ出口は見えてこない。


 縮まる。ひらく。迫る。逃げる。付かず離れずの距離のまま。



 ガキンと音がして、彼の体がガクンと鞭のようにしなって止まった。



 何事かと見てみれば、

 バックパックからはみ出していたショットガンの銃身が

 壁から突き出ていた配管の隙間に入り込んでしまっている。


 体を左右に動かして引き抜こうとするも、

 知恵の輪のように嵌った銃身は入り込んだ場所からしか抜けない状態になっていた。


 何度体を動かしても抜ける気配がないので、

 横着をやめて左の肩だけショルダーハーネスから外し、


 左手はステップを掴み右手で銃身を掴んで、

 逆にバックの方からショットガンを抜いた。


 すると意地の悪いことに、

 バックから抜いた拍子に擬音にすればスポンといった感じで、

 呆気なく配管の方からも引き抜けた。



 その為に図らずも彼の顔は下側へと向くことになる。



 そして、目の前に奴はいた。



 小刻みに吐かれる生臭い息がバラクラバを越えて顔に吹きかかる。


 鼻先数十センチの距離に、視界を埋め尽くす液体塗れの毛の生えた表皮。



 健在な二つの左目と視線が交差し、

 瞬く隙に王鼠は門歯を剥いて男に襲いかかった。


 咄嗟に前へと突き出したのはショットガンを持った右腕。


 銃身を支え棒のようにして、王鼠の口が閉じるのを阻害する。


 しかし、ミシミシと銃身は悲鳴を上げ、

 このままでは数分ももたないことは明白であった。


 上半身を捻ることで後方を向いているような体勢もすこぶる悪い。


 腰が固定されないので力が十分に伝わらないのだ。


 徐々に突き出した右腕ごと彼の体が押され始める。


 このままでは彼が競り負けるのは時間の問題であった。



 仮に王鼠にせめて人並みの知能があれば、

 ただ生まれ持った特徴を利用して獲物を狩り食らうことしか能のない獣でさえなければ、

 きっと気がついていただろう。



 ステップを掴んで体を支えていたはずの彼の左手が、既に離されていた事に。



 本来ならば左手は彼の体を支える役目を担っていた。

 しかし、現状ではその役目は右腕が負担してくれている。


 王鼠の攻撃を遮るのと同時にそれは体の支えにもなっていたのだ。



 だからこそステップから離すことが出来た。

 そう、

 腰元の破片手榴弾を取ることが出来たのだ。



 爆発までのラグは約五秒。


 ゆえに口で安全ピンを外し即座に大口を開ける王鼠の口内へと落とし、ショットガンを引き抜いた。


 支え棒が取られた結果、勢い良く口は閉じられる。


 すんでのところで右腕は退避出来たものの、

 あらゆる所にヒビが入ったショットガンの方は先端が間に合わず齧られ、

 もう本来の用途では使うことは出来ないのが見て取れた。


 であれば、

 本来以外の用途で天寿を全うさせてやることがせめてもの償いであろう。



 齧られた所為で尖ったショットガンの先端を振るい、残る二つの左目の間に突き刺す。


 そこまでされては堪ったものではなく、

 ついに王鼠はステップから体を離し、重力に従って落下していった。



 そして数秒もしないうちに、肉の壁に遮られた鈍い爆音と細かな肉片が少し彼の下へ飛来した。


 運悪くゴーグルにへばり付いたのを、グローブに覆われた指で拭い取る。


 ついぞ断末魔は聞こえない。



 今度こそ、後顧の憂いはなくなったのである。



     ◆



 結局、王鼠を撃退してから十分近くはステップを登り続けることになった。


 結果論だがあの場で奴を殺害できたことは最善であったのだ。


 逃げながらこの距離を登り続けるのは最悪の可能性の一つとハッキリ言うことが出来るから。



 漸く着いた地上への出入り口。

 ハンドルによる施錠式なそれは少し錆びついていて手応えが固かったが、問題なく開閉は可能であった。


 嫌な音を立てながらハンドルは回り解錠される。

 段々と開いていき、地上の光が溢れ出す。



 出た先は、ちらほらと木が生えている小高い丘の茂みの中であった。


 現在地を知った彼は、

 成る程ステップの長さの理由はこれかと得心するとともに、

 そこで不意に何かを思い出し、丘からの景色を観察して最初に侵入した住宅地を探す。


 見つけるのは簡単であった。


 あの追いつ追われつをしていた通路の長さから考えて、そう遠くない場所にあるのは分かっていた。


 そして、侵入場所と丘の位置関係から恐らく近くにアレがあるはずであった。


 侵入場所を視界に収めつつ丘を下っていくと、

 程なくして、道路近くの密集した樹木群の陰にギリーネットでカモフラージュされた大型の物が置かれているのを発見した。


 近づいてネットを一気に剥がす。

 出てきたのは巨大な車だ。


 これこそ彼の移動手段である。

 ただの車ではない。所謂装甲車というものだ。


 車高及び車幅はおよそ二.五メートル。全長は約五.五メートル。

 防弾ガラス完備。オリーブグリーンの甲鈑と直径が彼の太腿まであるオフロードタイヤ。


 いかにも荒事向きな頼もしい彼の相棒である。


 車底に溶接してあったキーケースから車の鍵を取り出して解錠し、

 背負っていたバックを助手席へと乗せようとして動きを止めた。


 開けてすぐに目に入ったのが、

 助手席に鎮座する修理すれば稼働できる程度に壊れた警備用ロボットであったからだ。



 それをきっかけに改めて車内の様子を見回すと、酷いものであった。


 助手席にある開け放しのグローブボックスからは

 水着モデルの写真が表紙を飾る読み終わった古い雑誌が飛び出ていて、


 中央の灰皿からは吸い殻が零れ落ちていて、


 運転席と助手席の間のシフトレバーの近くにあるコンソールボックスには、

 プラスチックのラージカップに注がれた飲みかけのアイスコーヒーと朝に食べた軽食の包み紙が入っている。


 また後部には、

 動かないように固定して使用している、

 今まで発掘した物の流用品である弾薬ケースが足元に所狭しと設置されていたり、


 長大なライフルやリボルバーなどが入れられたガンケースが乱雑に置かれていたりしている。



 塗装が少し剥がれている甲鈑の所々が凹んでいるのと、

 二箇所ほど防弾ガラスに銃痕があることを除けば綺麗な外見に反して、

 内部は中々に壊滅的な状況だ。


 だが、無理にでも乗せねばならないのでこの場合後部に置くしかなかった。


 バックを後部の空いている所に置き扉を閉める。


 なんとかなったなと一心地つこうとすると中で何かが崩れる音がした。


 冷や汗が一筋流れたが気にしないことにする。



 何と言うか、

 普段からこういった生活を送っているはずなのにもかかわらず、今日は随分と疲労が溜まっているのを感じていた。



 いつもと同じだがいつもとは違う。

 そんなよく分からない微妙な感覚であった。


 カーゴパンツのサイドポケットからボイスレコーダーを取り出す。


 確かあったはずだとグローブボックスの中を探る。


 すると出てきたのは光充電機と幾つかの規格のケーブルが数本。


 そのうちの一つがボイスレコーダーのものと一致したので早速充電を始める。


 PDAからチップも取り出してレコーダーに戻し、それはコンソールボックスに飲みかけのアイスコーヒーと共に収納した。包み紙はその辺に捨てた。


 運転席側に回り込みエンジンをかけ、シートベルトはせずに車を発進させた。


 何よりもまず最初にすべきは最初の住宅に寄りワイヤーを回収することだった。


 ややあってそれも終え、残存する道路を目印に彼は居住地への帰路につく。



 窓を開けて肘をかけると、そこから乾いた風が入ってくる。


 顎下に手をかけて一気にバラクラバを脱ぐと、黒いメッシュの入った緋色の髪が顕になり、それは風を受けてパタパタとなびいた。


 時折小石やらを踏んで揺れる車体。


 静かな走行音に被さってくる風の声。


 アウトバーンに入った道は、どこまでもどこまでも続いていく。




 ふと生まれる侘しさの中で彼の脳裏に浮かんできたのは、

 やはり地下で見つけたあの白骨死体。


 あの光景は数ある彼の未来の一つ。


 横目で充電中のレコーダーを見た。無意識の内に手に取った。


 既にある程度充電されたそれを起動し、録音ボタンを押す。




「――――今日から、日記でも付けることにした」




 過去の声は上書きされて、今を生きる声が詰まっていく。


 そうした行動の理由は、きっと彼にも分かっていない。




装甲車のモデルはConquest KNIGHT XVです

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