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アイアン’ズ ドリーム  作者: 三葉野黒葉
11/11

肥溜めで乾杯③

 

 緋色の髪の男は無表情とはさもありなんという様子であるが、


 ハンドルを握る手の人差し指が忙しなくそれを突ついていることからも分かるように、


 表面に出していないだけで、

 実は大層憤っていた。


 胸中を穏やかでなくす原因は当然ながら、かの女主人である。


 常日頃、事ある毎に彼女は彼に依頼を投げてくる。


 そのどれもが、大小の差はあるけれど廃都に降りかかる面倒事の解決に繋がるものであった。


 酔狂なことで、はてさて何の目的からか、

 彼女としては余程この肥溜めに平穏であって欲しいようだ。


 であるからして、彼女の子飼いが依頼ではないと言ってきたのを

 彼は少ない喜びと大きな猜疑心とで受け入れていた。


 言葉通りならば素晴らしいことで、

 そうでなければやっぱりなと感じるだけであるから。


 けれど、流石の彼でもあっけらかんとした口ぶりで

 『食料庫からお酒を数本取ってきてもらってもいいかしら』などと、

 しかも車の無線機越しで、

 さながら使い走りのような扱いを受けるのは我慢ならなかった。


 文句の一つでも大声で叫んで耳に多大なダメージを負わせてやろうかと肺に空気を満たしたのだが、

 それを吐き出す暇もなく、

 思えば彼女が無線通話をしてくるときはいつもそうだが、

 要件を伝えてすぐさま有無も言わさず切ってしまったのだ。


 結局依頼ではないかと思うよりも、まず態度が可怪しいではないかと思った。


 そして、にもかかわらずハンドルを切って車を進める先にはしっかりその目的地が存在しているのも、

 自分の彼女への捨てきれない甘さを考えさせられて、

 そういった色々な想いが絡まって結局憤りに繋がっていた。




 走る道は元々大通りであったから道幅は広いが、


 所々に転がる瓦礫や鉄製の板、石製もしくは木製の長い柱、果てには道自体が隆起しているなど、

 様々な障害物が転がっているので決してハンドルから手は離せない。


 この車ならば多少の物は踏み越えていけるが、

 自然界を行くのとは違い、そこにはほとんど存在しない鋭利な人工物によって

 タイヤを抉られてしまえば目も当てられないので、

 都度都度、車線を変える必要があった。


 おかげでドライビングテクニックは順調に上がっている。



 廃都の道は、車を持っている者が皆無であることから、

 どこもかしこもこのようなものである。


 彼も最初に車を走らせたときこそは酷いものだと嘆いたものだが、

 今は別段そういうことはなかった。



 平時では、と条件付けさせてもらうけれど。



 面倒なのは

 他所から流れてきた、車を多数所持できるほどの組織だった集団のような、


 あるいは別の、言ってしまえば敵対する存在に追われて車を駆る時ほどこの酷さが際立つのだ。


 高速で走りつつ無理に障害物を踏み越えれば衝撃で座席から尻が飛び上がり、


 避ければ遠心力で車体ごと左右に揺さぶられて三半規管がめまいを発生させる。


 そういうわけで、空いた窓に左肘をかけて

 右手だけでハンドルを操りすいすいと進んでいく様を続けていきたかったのだ。



 とある十字路にさしかかって、左の方に見えたのを認めたくはなかったのだ。



 視界の端に引っかかったのを横目で見やる。


 カメラのシャッターが切られるような感覚と言えばよいだろうか。


 とかくそのような感じで、瞬間ごとに実情を把握する。

 カシャ、カシャと。


 一台のオフロードモデルのバイクが

 彼の車に向かって猛スピードで近づいてくる。


 乗っているのは小柄な人間だ。

 ヘルメットを被っているので性別は分からない。


 何かに追われているようだった。


 直進するバイクの後方に焦点を当て、

 少しずつ視力の倍率を上げて確認する。


 バイクとはそこまで距離が離れているわけではなかったので

 そこまで引き上げなくても十分であった。



 犬だ。


 毛並みは様々だが、

 あの開いた口から垂らされている舌は正しくそれだ。


 件のバイクに乗る者は犬に追いかけられていたのだ。


 恐らく10匹を越す、

 全長1.5メートルほどの犬に。


 それはもう、

 お腹が空いて堪らないといった風で狂ったように足を動かしている犬に。



 そこまで確認しきって漸く、車は十字路を抜けた。


 一先ず静かな風景に戻った。


 最初は見開いていた瞼が徐々に下がっていき、

 やがて普段通りの顔つきになる。


 手元を乱さず少し進んで、ふと呟いた。



「…………ペットの散歩かな?」



 No、

 という解答を叩きつけるかのように彼らが後方に現れた。


 束の間の現実逃避も虚しくサイドミラーに映り込んだのは、

 高速でほぼ直角の十字路に突っ込みながらも、

 見事なコーナリングで左折して彼の車に追従してきた、

 デザインのシンプルなオフロードモデルのバイク。


 加えて犬。

 もしかするとバイクに匹敵する大きさの犬。


「ふっざけんな! ド畜生!」


 大声で悪態をつくと、彼は思い切りアクセルを踏み込もうとした。



 その時だ。





 話を切るが、

 彼については様々に常人以上の能力を有していることは明らかだが、

 それは五感にしても例外ではない。


 限りなく本物に近い素材が使われている

 フィルタの変更や倍率の変更を行える生体義眼は別として、


 雑協の中でさえ百メートル離れた会話を聞き分ける聴覚、


 千リットルの真水に垂らされた一滴の果実の汁を種類まで区別できる味覚ないしは嗅覚、


 例えば壁に手を当てたとして超微細な振動を解析して部屋の内情を把握できる触覚など。


 主に違いを見分けることに優れた感覚は、今まで幾度となく彼の窮地を救ってきた。


 そんな五感の一つである聴覚が、

 今回に関しては、窮地を救うのではなく逆に陥れる方向に働いてしまった。


 つまり、

 彼とバイクの間に距離があること、

 ヘルメット越しであること、

 エンジン音、走る際に出る音、


 その他諸々の妨害要素全てを歯牙にも掛けず、

 彼の耳は必死な叫びを聞き分けてしまったわけである。




「た、助けてぇェぇえ!

 そこの! そこの車の! 助けてェ!」



 ソプラノの、

 これが叫びでなく日常の他愛のない会話に用いるのであればきっと透き通る鈴の音を思わせるであろう、

 少女の叫びであった。


 極めて余裕のないそれに普通ならば同情して

 速度を緩めるなどして思わず応じてしまうだろう。


 もしくは、少なからず下心を芽生えさせて

 そういった行動を起こしてしまうかもしれない。


 けれども。


「うッるせぇ!

 赤の他人なんざ見捨ててなんぼじゃボケェ!」


 墓に潜っている時ならばともかく

 地上においては基本自己責任で通している彼にとって、

 その叫びに何ら感じ入ることはなく、


 むしろ面倒事に巻き込もうとしているバイクの搭乗者に苛つきを隠そうともしなかった。


 ところで、

 彼はその類まれなる聴覚によって彼女の叫びを聞き分けたのだが、


 それは双方向の意思疎通に繋がるかと言われれば、

 そんな訳がないのはよく分かるはずだ。


 彼女に彼の怒声の内容は聞こえない。


 だが、彼が何かを言っているのは理解できる。



 自分が悲痛な叫びをもって助けを求めた結果、


 目の前の車を走らせる運転手が窓から顔を出して

 後方で犬に追われる自分に向かって叫び返してくれた。


 この時、彼女は一体何を考えるだろうか。


 極限状態にある彼女はどう解釈するだろうか。



「返してくれたっ!

 ありがとう! 待ってて! すぐ追いつくから!」


 当然、少し解釈の都合が良すぎるかもしれないが、こうなる。



 今まで自分に操れる範囲で最高速を出していた彼女だが、希望の糸を掴む為に

 形振り構わず彼の車へと近づこうとバイクの出せる全速力を出した。


「近づくなって言って――――

 ッ、あぁクソッ! 聞こえるわけねぇよなァ!」


 自分の思惑とは別の動きをされて遅ればせながら彼我の聴力の差に気がついた。


「口元で判断してくれよ……。

 オイ! いいか? 来るな! 来・る・な!」


「なんか言ってる。凄い必死……。もしかして!」


 気づいたのだろうか。

 彼が自分を助けようなどと微塵も思っていないことに。


「運転手さん! ボクは大丈夫! すぐ追いつくから心配しないで!」


「してねぇよ! 帰れってんだよ!」


「自分も危ないのにあんなに……。

 お兄さん! 気にしないで前に気をつけて!」


「後ろがそれどころじゃねぇんだよ!

 お前の所為でなぁッ!」


 そんな意味の分からない会話のドッジボールを行ってる間も、

 彼と彼女の距離は近づいていく。


 相手に意思を伝えるのに夢中でアクセルを踏んで逃げることを忘れた彼と、

 少しでも早く追いつこうと限界速度で猛追する彼女との差である。


 やがてバイクは車のすぐ後ろにまで距離を詰めた。


 彼女はすぐにでも運転手である彼に

 自分は何をすればいいかを聞こうと、

 速度を緩めずに運転席のある左側面へ回ろうとする。


 その動きをサイドミラーで確認して、

 彼は漸く言葉が通じてくれるだろうことに不思議な安堵を感じた。



 ゆえにお互いに気が緩んでしまったのだ。


 そんな時、

 人は高確率で今まで出来ていたことが出来なくなり、


 そしてまた、

 その状態で咄嗟に起こす行動は変えようのない心根をありありと表すものだ。



 ハンドルを操り損ねて、

 バイクのタイヤが小さくない瓦礫に乗り上げた。


 

 伝わる感触からやってしまったと痛感する彼女と

 鏡越しのアクシデントに彼女の死を読み取った彼は、


 思わず二人して情けなく「あ」と声に出す。


 体勢が狂ったままでバイクの全速力を制御できるはずもなく、

 呆気なく車体は傾いていき、


 思わず手を話してしまった彼女は

 前方へと投げ出されてしまう。


 偶然か意識的にか、手は彼の方へと伸びていた。


 ヘルメット越しにお互いの目が合った。


 そしてゆっくりと彼女の体は地面へと。




「なにやってんだバカ野郎ォ!」




 勢い良くドアを開いて、急ブレーキを踏み、

 急速に車の速度を緩める。


 相対速度の変化から即座に彼女の体は乗車口へと近づいていく。


 そこを狙いすまして、

 右手だけで器用にハンドルを操りつつ、

 左手で彼女の腕をしっかりと掴んだ。


 すぐさま腕を引いて、

 力加減など構いもせずただ力強くその小柄な体を抱きとめる。


 少なからず死を想像してしまったのだろう、

 背に回された彼の手と縋り付かれた胸には

 カタカタと小刻みな震えが伝わってきた。




 ドアを閉めてサイドミラーで後方の犬の集団を確認すると、

 横倒しになったバイクがそのまま滑って彼らへと突っ込んでいき、


 二匹が衝突され、残りはそれに混乱したのか

 左右に避けつつも足を完全に止めていた。


 一先ず安全が確保できたのを確認してから、

 しかし停車すればまた追いつかれかねないので車を走らせ続けながら、


 彼は抱きしめたままの彼女のヘルメットをコツコツと叩いた。


「オイ、いい加減メットが痛ぇから脱げ。

 と言うか離れろ」


 その言葉に従い運転の邪魔にならないように助手席へと移動して、


 黒地に人差し指だけが白いデザインのバイクグローブを外してから、

 グローブと同デザインの黒を基調として脇腹の部分が白いライディングジャケットの

 背中へとしまわれていたイエローブロンドの後ろ髪を外へ出し、


 そうしてヘルメットを脱いだ。


 蒸れていたのを嫌ったのか、

 脱いだ傍からフルフルと頭を左右にふるので、

 そのブロンドヘアも応じて宙を舞った。


 健やかに生活しているのが窺い知れる

 少し乾燥しているだけの白磁の肌が紅潮している。


 それはただ蒸し暑さの為か、

 はたまた別の理由からか。


 彼女はほんのりと涙の滲んだ目元を拭おうともしないで、

 とびきりの笑顔を見せるのだ。


「助けてくれて、ありがとうっ!」


 一点の曇りもない純粋な感謝の言葉に対して、

 彼はフンと鼻を鳴らすだけ。


「成り行きだ……」


 彼は、いや

 彼でなくてもきっと分かることだろう。


 彼の言葉にキラキラと目を輝かせて、

 まるで憧れの人物に出会えたような態度を取る彼女の心境など手に取るように。



 間違いなく、彼女は彼を見当違いに評価していた。



「あのな、お前多分誤解して――――」


「ボク、ルナリスって言うんだ、あ、いや、言うんです!

 よければお兄さんの名前も教えて! ……ください!」


 押しの強さが凄まじい。


 最初は助手席に行儀よく収まっていたのが、

 段々と前のめりになって、

 ついには運転席のシートに手をかけて彼に顔を近づけていた。


 そんな様子を鬱陶しそうにするのかと思えば、

 意外にも彼の眉間にしわなどよっておらず、


 呆れながらもどこか感心している雰囲気である。


 口元が緩んでいるとかそういうわけではなく、

 一見すると二の句が継げず彼女の顔を見つめることしか出来ていないだけの様であったが、


 確かに彼は、ルナリスという少女そのものに目を向けていた。


 ゆえに答えた。

 最近ではめっきり伝えることの減った名を。


「エルドラ……。

 エルドラ・ヴィナス、だ」


 それだけ口にして再び運転に集中する。


 彼の名前を教えられた少女はそれを心の中で反芻しているのか、

 右手をスレンダーな胸に当てて

 噛みしめながら言葉を紡いだ。


「エルドラ、さん?」


「……さんはいらねぇ。敬語も、まあ、勝手にしろ」


「っ! うん! エルドラ!

 えっと、その……ありがとね!」


 やはり礼に対しては鼻を鳴らすだけである。


 ただ、今度は少し、嬉しそうに、気恥ずかしそうに。




 エルドラとルナリス、

 二人の出会いはこのようであったのだ。




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