肥溜めで乾杯②
前話の最後に追加で文を入れてますので
そこから読んでくださりますようお願いします。
ピンスポットライトが照らす木製のカウンターテーブルに
カリカリに焼かれたクラッカー風のチーズが乗った皿と、
飲まれて半分まで減ったビールが注がれたジョッキが置いてある。
それらに対しているのは、くたびれた風貌の初老の男と、
肩まで大きく開いたタイトなカクテルドレスに身を包んだ妙齢の女だ。
テーブルに反射したライトに薄っすらと照らされた顔は対照的で、
男は仏頂面を、女はニヒルに口角を上げていた。
チーズの乗った皿にしなやかで美しい褐色の指を伸ばし、
その人差し指と親指で艶かしくつまんだ女は、
ちろりと舌を出して口の中に迎え入れ一部だけを齧る。
蠱惑的な眼差しは最後まで初老の男から離れはしなかった。
「やめろ、あばずれめ。酒が不味くなる」
「ふふふっ、酷い事を言うわね。
今まで体を売ったことなんてないのよ?」
「売らんでも十分だっただけだろうに」
バリバリとチーズを噛み潰し一気にビールをあおる。
飲み切るとジョッキで乱暴にカウンターを叩き、
有無も言わせず女の眼前に空となったそれを突き出した。
ジョッキの勢いに思わず女の体は後ろへと揺らいだ。
その拍子に彼女の、
この時勢にどのように手入れをしているのか、
褐色の肌によく映える軽く結われた長い白金の髪がふわりと舞う。
「またビール? 最近は随分と羽振りが悪いじゃないの。
酒肴も安い焼きチーズ。
まぁ、此処の住人にしてみれば決して安くはないんだろうけど。
貴方はそうじゃないでしょう?」
「いいから注いでくれ。お前さんには関係のねぇことだ」
はいはい、
と言いつつ女はカウンターの下に設置された冷蔵庫から
コルクで蓋をされた茶褐色の瓶を取り出し、渡されたジョッキになみなみと注ぐ。
その間も軽口は忘れない。
「私はてっきり、孫娘が原因かと思ったんだけどね」
「本当にお前は、一体どこから仕入れてくるんだ」
クスクスと、胡散臭く。
「魔女め……」
情報とは有史以来、値千金の宝である。
特に大陸間での通信を個人で行うことが、
機能が生きている通信衛星を保持していない限り、
困難な現在ではそれが顕著であった。
ゆえに新鮮な情報を素早く仕入れられることは時として武器となり、
時として身を守る盾となる。
だからこそ、大規模なコミュニティとして各地で知られているものは
必然とそれを有するようになっていった。
蔑される場所であり決してコミュニティとは言えない烏合の衆であれど、
廃都という大規模な溜まり場が今なお存続できているのも
偏にこれを行えているからに他ならない。
すなわち彼女、『アルカナ・クリストフ』という情報屋があってこその状況なのだ。
だが、そんな廃都に蔓延る実力者のうちの一角を前にして、
男は全く気後れなどした様子もない。
当然だろう。
彼女の拠点である酒場『クリスティ』はほんの一部の人間にしか知られていない。
それと言うのも、
商人の目利きに受かった者が更に彼女の所有する忠義の兵の査定を受けて
漸く訪れることの出来る場所だからである。
ゆえにこの初老の男もまたその厳しい審査をくぐり抜けた傑物であり、
そういった者は常として早々簡単に相手に呑まれるようなタマではない。
されど聞いての通り、アルカナはそんな彼をして魔女と言わしめる存在であった。
「孫じゃあねぇわい。何度も言ってるが、ありゃ貰い子だ」
「貰い子でも、あの歳まで育てたならもう孫みたいなものでしょう。確か今年で……」
「――――、十三年」
酒をあおり、息をついて男は漏らした。
寂しげな声音であった。
「半ば無理矢理にあれを押し付けられて、もうそれだけになる」
「長いわね。本当に、長いこと」
「お前さんが此処に流れてきたのも、確かそのくらいだったか?」
「そうだったかしら? もう忘れたわ。
なにせうら若き乙女の過去だから。
青くて瑞々しくて――――反吐が出そうになる」
今まで飄々と話しをしていた彼女から唯一漏れた感情の波を
彼は、藪蛇を出すつもりもないので追求したりはせず、
代わりに琥珀色の液体に視線を落とした。
「フン……」
「貴方の機嫌が悪いのも、
大方孫娘のそういったところの所為なんじゃないかと
私は思うわけなんだけどね」
「どこまで目敏いんだ。お前って女は」
「それが売りだもの。
で、どうなの? 合ってると嬉しいんだけど」
「はぁ……、まぁ、そうだな。
お前さんの言ってることは正しい。
こんなクソッタレな世界でも、ある程度余裕のある環境で生きられたなら、
ガキは多かれ少なかれ夢を見る。
それがどれだけ荒唐無稽かも知らねぇで、ただただ叶うと信じている」
「あぁ、なるほど。まだ覚めないどころか――――」
「最近は行動力が上がってやがる」
吐き捨てた言葉の代わりに残りのチーズを全て口内に収めた。
咀嚼する度に乾いた音がなり、
何処かに欠片でも刺さったのか、
にわかに顔を歪めたと思えば残りのビールを飲み干してしまった。
「あっはっは!
でも、それなら貴方此処にいて良いの?
目を離したら何処へなりとも行ってしまいそうじゃない」
ジロリとアルカナを睨みつけた男は、
カウンターチェアに座ったまま
突き出たテーブルの影に横置きにしてあった簡素な杖を引き上げ見せつけた。
「足のイカれた年寄りが付いて行って何が出来るってんだ」
「足がダメでも腕があるじゃない。ご自慢のさ」
「知るかっ。
付いて来て欲しくねぇんだとよ。
ならこっちも知ったこっちゃねぇ」
「あら、薄情な人」
「はん!
あれは薬と酒と硝煙で狂った奴らに近づくような馬鹿でもねぇし、
同年代と比べて体も動く。
狙撃の腕も中々だし、
ついでに手先も器用で面も悪かねぇ」
滔々と並べられる孫娘に対する賛辞を右から左へ聞き流しつつ、
アルカナは背後で淡い橙色にライトアップされているボトルラックの下の
ガラス戸が付いた食器棚から黒いフラットプレートを取り出し、
切り分けた状態で真空容器に保存してあったサラミを
トングで摘んで四枚乗せ、楊枝を一本刺した状態で男の前に差し出した。
「よくもまぁ一息でそこまで褒められるものね。
いつもより親馬鹿に入るのが早くないかしら?
ちょっとお酒は休みなさいな」
「あぁん?」
「怒るのはやめてちょうだい。酒場の主としての気遣いよ」
「お前さんの気遣いなんぞ怖くて受け取れるかい」
「酷いわねぇ。じゃあ、こうしましょ。
これの代金として、ね。教えて欲しいのよ」
「……またその話か。
一体何が琴線に触れたのか知らねぇが、覚えてないと何度言えば――――」
「どうも、野犬がうろついてるらしいの」
ピタリと男は動きを止め、今までよりも更に深く険しい皺を眉間に寄せた。
その雰囲気は尋常ではなく、
たかが犬と笑い飛ばすことなど到底出来ない事実だというのは明らかであった。
驚きが大部分であったが微かな怒気がその瞳の奥で揺らいでいる。
「テメェの子飼いは何してやがった」
「三人死んだわ。明け方ね。
運良く一人が命懸けで報告してくれて助かったわよ。
でも残念ながら、人の味を覚えたのは確実でしょうね」
「もともと視界に入れば本能的に人を襲う相手。
その狩り易さを知って積極的になった程度は問題じゃあねぇ。
スリーマンセルの銃持った兵隊を全滅させたってことは十中八九、統率役がいるってぇことだ」
「そういうこと。流石の洞察力ね」
「うるせぇわい」
男の人差し指が忙しなく動き、テーブルに当たってコツコツと音を鳴らし続ける。
慌てているからではない、
今その情報を眼前の魔女が打ち明けたという事自体に憤っているからである。
話の流れから、
彼女が何を起点として男から受諾の言葉を引き出そうとしているかは明瞭に理解できる。
隠していないのは男がその思惑を看破した所で全く意味を成さないため。
「別に野犬が出た程度で、それがあれを襲うって確率は――――」
「ほんとに?」
声を張ったわけでもないのに、有無を言わせぬ力があった。
背筋に冷たい指をなぞられたかのように総毛立つ。
目の前の女は嫋やかな笑みをたたえているだけなのに。
アルカナは再度問うた。
「ほんとに、無事かしら?」
半月に歪む目元。
その奥で揺らめく金色の瞳はまるで毒蛇を想起させる。
男は酒に浮かれた頭に冷水を浴びせられた気分で、
逃げ場はないのだと思い知らされた。
アルカナは沈黙を肯定と取り、故に代価を約束する。
「安心なさい。あの子はきっと無事に戻ってくるでしょう」
諦観の念を表す男に背を向けたアルカナの表情は、
先の恐ろしくも魅惑的な美貌が際立つようなものではなく。
きゅっと結んだ片手を胸において口走るのも、温かみのあるもので。
「お願いね。愛しい貴方」
声音から感じ取れる彼女の脳裏に浮かぶ人物への絶大な信頼に、
背中しか見えねど、
男は熱に浮かされた少女を幻視した




