プロローグ
プロローグを入れたので、主人公の交流関係に関する文章が所々変わっています。
「これは……。よく、手に入ったな……」
蝋燭が一本燃えているだけの薄暗い部屋で男が息を呑む。
両目を完全に覆うくらいに伸ばされている青みがかった前髪に無精髭。
長身痩躯な体を緩んだネクタイを伴ったくたびれたスーツに包み、その上に所々に血が滲む白衣をボタン一つ留めずに羽織った男であった。
「暴いた墓で見つけたんだよ。偶然だ」
答えたのは白衣の男と同程度の身長で、
しかしこちらの方が体格の良い、
長袖の肌着の上に黒に近い紺色のグリップが覗くショルダーホルスターを装着した、
黒いメッシュの入った緋色の髪の男。
色落ちしたフード付きの藍色のコートを手近なソファに掛け、
自身も乱暴に腰掛けた緋色の髪の男は、体をソファに預けきって気怠そうに質問した。
「で? いくらで買う?」
「待て。今考えてる」
普段冷静な白衣の男にしては珍しく提示された物を食い入るように見つめて、余裕のなさそうな声で答えるので、彼は得意気に話を続ける。
「どうやらイイもんだったらしいな」
「いや、当時の価値だと、大分安い方だ」
だが、そのしたり顔もすぐに崩された。
「んだと?」
「お前、自分で調べなかったのか? コーヒー豆の全部が全部、高価だったわけじゃない」
「じゃあ安物にお前はそこまで興奮してたわけかよ」
「馬鹿を言え。確かに豆の種類は大事だ。
だが、より重要なのは挽き方と淹れ方だ。
いくらコイツが十把一絡げな安物だったとしても、俺なら美味いコーヒーにできる」
値踏みが終わったのか、簡素な作業用デスクに置かれたコーヒー豆の入った麻袋を見せつけながら白衣の男は呆れたように言い放つ。
「はぁ……。価値がねぇってんなら、別の所に持ってくぞ?」
「買わないとは、言ってないだろう。それに、お前も俺以外でこれを売るアテはないはずだ」
「そりゃお前もだろ。俺以外に持ち込む奴がいんのか?」
「それを言われると痛いな。
ただ……、お前以前にうちでインスタントと挽いた豆を間違えてお湯をぶっかけたこと、忘れてないだろうな」
前髪の間から覗く垂れた目尻の醸し出す柔らかな雰囲気とは真逆の、
刺々しい眼光を緋色の髪の男に向けて、ドスの利いた声で白衣の男は尋ねた。
しかしながら、彼がその程度の脅しにわざわざ反応することはなく、
降参だとでも言うように頭をソファの後ろに投げ出して両手を力なく上げた。
「ハイハイ、わぁってるよ……。
その分差っ引いた額でいいから、せめてコレの十発分とグレネード二個分以上で頼むぜ」
ホルスターに収まる拳銃を指し示し次いで腰元を軽く叩いてから、
それを手に入れるのにそんだけ使ったんだと前置いて請求する。
対して、白衣の男は肩透かしでもくらったかのように緋色の髪の男を見つめるだけだ。
そんな様子に気がついて彼は訝しむ。
「……何だよ」
「お前、何か悪いものでも食べたのか?」
「…………どうせ髪に隠れて見えねぇなら、目がもう一つ増えてもいいとは思わねぇか? なぁオイ、どう思うよ」
まるで最初から抜いていたと錯覚する速度でホルスターから銃を抜いた彼は、
白衣の男の眉間に狙いを定めて、声のトーンを落とし寒気のするような圧を放つ。
「なんだ、いつものお前だな。少し驚いた」
あっけらかんと彼は言った。
言われた方は忌々しげに舌を打って不機嫌さを隠そうともしない。
不貞腐れたように緩慢な動作で銃を仕舞い、
掛けておいた藍色のコートのポケットから厚紙で作られた煙草のケースと
特別な装飾の見られない鈍色のオイルライターを取り出した。
カキンと小気味のいい音を立ててライターの蓋を開き、咥えた煙草に火を灯す。
ふわりとくゆる紫煙を散らして、白衣の男はガラス製の灰皿を彼の目の前に突き出した。
「一応、ここは医療現場だ」
「――――、闇医者の言葉とは思えねぇな」
差し出された灰皿にまだまだ吸える煙草の吸殻をぐしぐしと押し付けて火を消した。
「認可されているからといって腕が立つわけでもない」
「ちげぇねぇ。間違いなくお前の方が腕は良い。腕は、な」
その評価に白衣の男はニヤリと笑った。
歪に口角を釣り上げるそれには、今まで感じられなかった彼の意地の悪い部分が見え隠れする。
「先立つものが必要なのはどこも同じだ。臓器一つで命を買えるのなら安いだろう?」
「おお怖、金がねぇなら臓器を売れたぁな。こんな終わった世界でも、やっぱり金は大事ってわけだ」
「そんなことはないぞ。もっと大事な事もきっとある」
「例えば?」
「愛」
「……」
まん丸と目を見開く緋色の髪の男としたり顔で笑みを作る白衣の男。
しばし互いに押し黙って、そして同時に破顔した。
随分とツボに入ったようで、ヒッヒッヒとまるで腹黒い老婆のような引き笑いにまで至ってしまう。
「あ、あい! 愛って、愛かぁっ!」
「フッ、ああ。愛さ」
「ブッハッ! あー、ダメだ! 腹痛ぇ! 死ぬ、死ぬっての!」
ひとしきり笑い合った彼らは、どうにか腹筋が引きつるのを落ち着かせようと呼吸を整える。
だが、途中で二人して相手を更に笑わせようとした為に結局治まるまでに五分はかかってしまった。
未だに息は荒いものの先に落ち着いた白衣の男は、
作業用デスクの傍にあった肘掛け付きのキャスターチェアに腰掛け、
話題を変えて会話を続ける。
「しかし、さっきのお前は、やっぱり変だったぞ。何かあったか?」
と、そう問われた瞬間に緋色の髪の男は笑いも動きも、一瞬だが呼吸すら止めた。
「おいッ」
尋常でないその様子に気がついて白衣の男は思わず立ち上がって二割増しにして声をかけた。
「いや……、少し面食らっただけだ……」
「――――少なくとも今のお前の様子は、初めてだな。俺が言ったのは、お前が妙に素直だって事だったんだが……」
一拍空けて言葉を紡ぐ。
「どうもお前にとっては違う事だったみたいだ」
肘掛けに腕を置いた白衣の男は、カウンセラーのような対応で続きを促す。
「外傷はないようだし、精神的なものか?
まさかお前が鬱々とした状態になるとも思えないんだがな」
「似たようなもんだ。
どうにも、そのコーヒー豆を取った墓を暴いた後から調子が狂いやがるのさ。
まるで、いや、とりあえず聞くか?」
「まぁお前の苦労話を聞くのはいつものことだ。
ちょっと待ってろ、そろそろ湯が湧いた頃だ。
コーヒーを飲みながらでも、いいだろう?」
「金は払わねぇぞ」
「いらん。サービスだ」
「そうかい。太っ腹なこって。あ、そうだ……。オイ」
「なんだ?」
「電気、流石に付けろよ」
「…………闇医者の雰囲気を出したかったんだが」
「はやくコーヒー持って来い。馬鹿医者……」