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隣

作者: 雨上鴉
掲載日:2016/09/17

「寒い……」

夜九時。秋に変わり始めるころの、肌寒い季節の中。ボクは一人、目的もなく歩いていた。まだ冬物の服を出していなかったので、お気に入りのシャツに、薄いパーカーしか着ていない。考えもなしに飛び出したのは、間違いだったな……。お腹空いてきたし。

ポケットの中をごそごそ漁ってみたけれど、あったのは飴玉が3つと、小銭が少々。いくら普段夕飯の買い出しに行くからといって、常日頃からお金を持っているわけではない。まだ子供だし。

辛うじて、菓子パンを一つ買える程度のお金はあったから、コンビニへ。闇雲に走っていたら知らないところに来てしまっていたようで、見たことがない店員さんにお会計をされた。できるだけ目を合わせないようにして、お金を支払う。時間が時間だから、ちょっと変な顔で見られた気がするけれど、構わずに近くにあった公園へ。咲きかけている秋桜が揺れた。

「はぁ……。なんでこうなっちゃったかなぁ」

葉っぱが赤くなってきた紅葉の下に座る。……ベンチもあったけど、周りに何にもなくて殺風景だったからやめた。

菓子パンの袋を開ける。『サックサクなメロンパン・メープルシロップ入り』なんていう、シロップなのか、メロンなのかはっきりしろ!と言いたくなるようなパッケージだった。……いやまぁ、おいしいけどね?大きいし。

お腹が空いた状態で長い間走ったから、大きかったメロンパンも、あっという間に小さくなって食べきってしまった。ゴミ箱まで行くのも面倒だったから、飴玉の入っていない方のポケットに突っ込む。

「……父さん、怒ってるかな」

星が散らばる空を見上げる。今日は月が出ていないのか、いつもより星が多い。

そもそもボクがこんなところにいるのには、ちゃんと訳がある。

ボクの家は、いわゆる父子家庭というやつで、母はいない。

数年前に、離婚しちゃったんだって。まぁ、それはどうでもいいとして。

疲れ切っていた父さんを、怒らせちゃったんだ。普段は、滅多に怒る人じゃないんだけどね。会社の偉い人みたいだし、疲れがたまってたんじゃないかな。人間生きてればそんなこともあるよね!十歳が言うことじゃない気がするけど!

……うん、カラ元気なのは自分でもよく分かってる。独り言みたいに架空の人に相談してる時点で、参ってるなぁってさ。

ボクにも、言い分はあるのに。耳を傾けてもらえなかった。

――そんなに、ボクだけが悪いことだったの?父さんは、そんなにボクが……。

頭が訳の分からない思考回路でいっぱいになって。衝動的に、飛び出してしまったってわけ。

帰るにも、もうしばらくは帰らない方が良さそうだし。もうちょっとここにいよっと。

紅葉の木の下に、寝転がる。ボクが住んでいる場所からは見えない星が、たくさん見えた。都会の明りに邪魔されるから、家でこんなに大量の星が見れることはまず、ない。

ゆっくりと目を閉じる。いつもならもう、寝ている時間だ。当然、眠いわけで。……今の時期なら、まだ風邪引かないよね?

適当に納得して、寝てしまった。


――この時のボクには、小学生が行ける範囲に、こんなに星が見える場所がある違和感に、気付けなかったんだ。

 

 寝てしまった(何分前のボクかは分からないけれど)ボクを、全力で殴りたい。できることならば、今すぐに。多分今、人生最大の危機に直面している。

 「……え」

 目が覚めると、寝ていたあの公園ではなく、見覚えのない天井が見えた。……ここどこ?

 まだ、ベッドの上に寝かされていたのなら分かる。どっかの近所の人が助けてくれたのだろうという推測はつく。

けど、実際にボクが寝ていたのは、真っ白なお皿の上だった。位置が高いから、テーブルか何かの上なんだろうけど。

え、こんなお皿売ってるの?ボクいくら子供だっていっても、百四十センチは越えてるよ?そんなボクが乗っかって、まだ余裕があるって、どういうこと?

 驚くのはそれだけじゃなくて。いやまぁお皿にも驚いたけどさ。もっとこう、危機感を抱かせるようなことって、あるでしょ?

 ……僕の目の前に、黒い大きな影が見えた。何かな?って思って、よく目を凝らして見てみたら。

 「……!」

 大きな竜が、ボクのすぐ近くにいたんだ――

 ゲームの中によく出てくる、かっこいい竜。キラキラ光る夕日色の鱗が、とっても綺麗で。こんな状況じゃなければ、飛び跳ねて喜んだんだけど。今は、絶賛食べられる前なんだから、そんなことできるはずもなく。

ボクどうやら、今日が命日みたい。

大きなお皿は、きっとボクを食べるためのものなんだ。横に大きなナイフとフォークも見えるし。……あのナイフ、ちゃんと刃がついてるっぽいんだけど。え、ナイフで斬首刑ってこと?……ギロチンより酷くない?ああでも、足からちょっとずつ切って食べる可能性もあるのか。やだよー絶対痛いじゃん。一思いにパクッと言ってくれたらいいのに……。流石にボクのサイズは一口じゃ無理か。見たところ、体長三メートルってとこだろうし。いやまぁ、ボクから見たら十分大きいんだけど。

……せめて、寝ている間に食べてくれれば、怖い思いをせずに済んだのにな。

……あれ?待って。何で、ボクを食べないの?

ボクを食べるつもりなら、それこそボクが寝ている間に食べてしまえばいい。その方が逃げられる可能性も少ない。

けれど、さっきから目の前の竜は、何もしてこない。ただただ、うろうろしているだけ。……ん?なんか喋ってる?

「……いやいやいやいくら好き嫌い克服だからって私が人間を食べられるわけがないじゃないですかお母様一体何をお考えになってああもうそもそも人間を食べなくてももっと他においしくて栄養のある食べ物なんていくらでもあるのにお母様はなんでわざわ仕入れてるんですか嫌がらせですかそうですか」

……とりあえず、今は大丈夫そう。この竜なぜか、人間を食べたくないみたいだし。

竜がぶつぶつ喋っているうちに、逃げられないかな。ボクが起きたこと、気づいていないみたいだし。危なくなさそうって言っても、気が変わってパクッと……。いや、これ以上はやめておこう。怖いし。人間が嫌いなら、逃げても追ってこないでしょ。

寝たふりをしたまま、周りを確認する。十メートルくらい先に、扉があった。この部屋の外に出るには、そこしかないだろう。

ボクは、さっきからその辺をウロウロしている竜が気づかないように、そーっと起き上がる。……うん、気づかれていないみたい。運動は得意じゃないけど、やるしかない。

意を決し、お皿から飛び出す。そのままテーブルから降りて(ほぼ落下だったけど)、扉に向かって走り出す。

「え、あ、ちょっ、待ってください!」

後ろからさっきの竜が慌てた様子で叫んでいたけど、振り向かずに走った。……あと一メートル!

大きなドアノブに手を伸ばしたその時。

ヒュンッ

「――だから、待ってくださいって言ってるでしょう!」

この距離なんて三歩ぐらいの距離なんだろう。あっという間に追いつかれて、行く手を阻まれた。

「……混乱しているのは分かるけど、ちょっと待ってください。今出て行っても、私以外の他の方に食べられてしまうだけです」

「でも、ボク帰らな……」

――帰るって、どこに?

ここに連れてこられる前に、家を飛び出してきたんだ。帰れるわけがない。……さっきまで父さんに心の中で謝ってたけど。

コンコンッ

目の前の扉から、ノックの音がした。

「……!マズイ。隠れて」

おそらく、さっき竜がいっていた「他の方」だろう。ここにどれだけの竜がいるのかは謎だけど。慌てて竜の後ろに隠れる。この竜を信用していいのかはまだ分からないけれど、今はこうするしかない。

ガチャ

大きなドアノブが回って、扉が開いた。ズシンッ!って効果音が似合いそうな音を立てて入ってきたのは、もっと大きな竜。結構どぎついピンク色の鱗をしていた。

……え、竜ってまだ大きくなるの?

「☆△◎△▲◆○!」

「▼☆♪○□◆△」

「▲×●◇◎♯▽>?」

聞き取れない言語で、二人(二頭?)は話す。怒られているっぽい?はっきりは分かんないけど、そんな気がした。

「……×□▼◇△○?◆☆◇□▲」

会話が終わったみたい。ピンクの竜が呆れた顔して出て行った。

「……取りあえず、もう大丈夫かな」

パタンっと扉が閉まり、夕日色の竜がこちらを向いた。

「えっと……」

「取りあえず、座って話しましょう。どうぞ、こちらに」

竜が出してきたのは、ボクサイズの小さな椅子。

「私が昔使っていた椅子です。多分、君なら丁度いいでしょう」

言われるままに座ってみると、確かに丁度いいサイズだった。この竜にも、この椅子が丁度いい頃があったんだ。

「はい、どうぞ。……ちょっと大きいです?」

器用に爪で挟んで、マグカップを渡された。中身は、多分ココア。マグカップが大きいから、両手で持つ。

「ありがとう……」

「どういたしまして」

ガラス玉みたいに透き通った青い目が、笑ってくれた。やっぱりこの竜、怖い竜じゃない。

「……ねぇ、ここは一体どこ?何でボクはここに?貴方は何でボクを助けてくれたの?」

「……んー。なんて説明すればいいですかね」

ボクの前に座った竜は、困った顔で笑った。意外と竜の表情は、分かりやすく変わるみたい。

「まず、ここはどこなのか、から話しますね。ここは、君がいた世界とは全然違う世界です。竜の世界、とでも言いましょうか。君がいた世界で人間が暮らしているように、ここでは竜が生活しているんです。暮らしぶりはあまり変わらないですよ。で、君は『行商竜』と呼ばれる、人間の世界に行く許可を持つ竜に連れてこられて、私の家に買われてきた、というわけです」

……つまり、ボクが公園で寝ている間に、そーっと行商竜さんがやってきて、ボクを食用として売りに出しちゃった、ってことかな。うわー、すごいファンタジーな状況だね!

 「……君には、謝らなければならないですね。怖かったでしょう?人間から見たら、私たちは得体のしれない生物ですし」

 「まぁ、確かに怖かったけれど……。でも、今は大丈夫!貴方が怖い竜じゃないって、分かったから」

 ボクがそういうと、びっくりした顔をされた。

 「……ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいでず。――私が君を助けた理由、でしたね。私は、長い間ずっと人間に憧れていました。いうなれば、人間のファンなんですよ。ずっと、話してみたいって、思っていました。……こんな形で、叶うとは思いませんでしたけれど」

 今度はボクがびっくりした。え、人間のファン?不思議な竜……。

 ボクの言いたいことが分かったのか、困った顔で竜は笑った。

 「人間が好きだ、なんていう方は他にはいないです。私はかなり変わっているので。お母様は、私が好き嫌いをしていると思っているみたいですけれど。今回君を渡してきたのも、私の好き嫌いをなくすため以外の何物でもないです」

 「ボクを食べなくて、貴方は大丈夫なの?」

 「……君は優しいですね。大丈夫。後で台所からこっそり何かとってきます。人間を食べなくても、食べるものはいっぱいあるんです」

 綺麗なウインクをされた。この竜、存外に器用なのかも知れない。

 「……そういえば、自己紹介がまだでした。君の名前は?」

 「え?……あ、そっか。そういえば、言ってなかった。ボク、ワカバ。えっと、貴方は?」

 「私の名前は……んー。聞き取れないかもしれないけど、▼●▽♪です」

 ……前置き通り、全く聞き取れなかった。あえて表現するならば『ギィーヤーヤージー』……みたいな。

 「普段私たちが使う言葉と、君――ワカバが使う言葉は、全然違いますもんね。……そうだ。代わりに、ワカバ。君が何かつけてください!」

 「え、ボクが!?」

中々の無茶ブリのような気がするんだけど……。でも、謎の発音の名前では呼びにくいし。

名前、なまえ、ナマエ……。

うーん、パッと言われても思いつかないや。何かヒント……。ポケットの中に何か入ってたっけ。

がさごそパーカーのポケットを探ってみる。うーん、飴玉ぐらいしかない。……あ。

指先に当たったビニールを引っ張り出す。出てきたのは、ここに来る前に公園で食べていた『サックサクなメロンパン・メープルシロップ入り』だった。

「メープル……」

目の前の竜の色は、冬の空の透き通った夕日色。で、メープルは楓だから、今の時期は赤色とか、オレンジ色のはず。

……ぴったりじゃん。

「メープル。貴方の名前は、メープル!」

「メープル。……うん、素敵な名前。ありがとう、ワカバ!」

――こうして、ボクと夕日色の竜……メープルは、出会ったんだ。


ここにきて二日目。事件が起こった。

「では、ちょっとだけ出かけてきますね」

「うん!気を付けてね」

メープルが、食料をとりに部屋を後にした時だ。

バタンッ!

「▲♯◎△♪◇!」

ものすごい勢いで、先日のピンクの竜が入ってきたのだ。

「ふぇ!」

扉の前にいたボクは、思わず変な声を出してしまった。

「▼●▽♪!▼○◎▽×◇▼□♯◆○□!……?」

何か叫んでいたその竜は、ボクに気づいたらしく、固まった。もちろんボクが動けるはずもなく。二人(?)でしばらくフリーズ。

「……あんた、この間▼●▽♪の夕飯に出した人間じゃないかい!あの子ったら、やっぱり食べてなかったんだね……!」

「ひぃっ!ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「いや何であんたが謝るんだい」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……え?」

てっきり、今すぐにでも目の前の竜に食べられてしまうのかと思った。

「あの子のことだから、そんな気はしてたのよねぇ……」

「えっと……。ぼ、ボク、ワカバって言います。あ、貴方は?」

「ん?ああ、名前かい?アタシは♭○♪◯。▼●▽♪の母親だよ」

……名前は聞き取れなかったけど、取りあえずメープルの母親なのは分かった。

「……最近やたら間食用のパンを持って行っていると思ったら、あんたがいたからね。納得したわ」

あ、あの焼きそばパン間食用だったんだ……。

「全く。あの子もあの子ね。こそこそやってないで、言ってくれればいいのに」

「え?」

ピンクの竜はボクを見て笑った。その顔はなんだかとても優しかった。

「あんたを食用に渡したのは、まぁ確かに好き嫌いをなくすって意味合いもあったけど、ほとんど表向きなのよ。本当は、あの子に寄り添う友人を作ってあげたかっただけ」

 「……でもボク、人間だよ?」

 「あら、友情に種族は関係ないわ。あの子、竜見知りだから、ああでもしないと一生部屋に閉じこもっているわ。ワカバが来ることで、何かきっかけになればいい、って思ったのよ。あ、でもこんな思考なのは、アタシ達家族以外にはあまりいないから、外には出ちゃダメよ。まぁせいぜい、この家の中くらいならいいけど?」

 「……ホントにいいの?」

 「ええ。後で、他の兄弟たちも紹介するわね」

それを聞いて、安心したのか力が抜けた。メープルにあんな風に言われていたから、もっと怖いのかと思っていた。

「え、ちょ、お母様!?」

その後、食料を取りに行ったメープルが、帰ってきてびっくりしたりとか、メープルの兄弟が異様にキャラが濃くて翻弄したりしたけどそこは語ると長くなるのでまた別の機会に。


メープルは、ご飯を取りに行くとき以外は、ずっとボクの傍にいてくれた。

「本当は、君を元の世界に帰してあげたいのだけれど……。私は行商竜じゃないから、人間界には行けないんです」

メープルによると、人間界に行ける竜というのは、本当にごく限られているらしい。どうやって行くのかは、分からないけれど。分かってたら実行しているわけだし。

「私が人間に会いたくても会えなかったのは、行ってはならないという決まりがあったからです。まだ破った方はいないので、どんな罰則が下るのかは分かりませんが、無事ではいられないでしょう。……協力してあげられなくて、本当にごめんなさい」

「メープルが謝ることじゃないよ!元はといえば、ボクが公園で寝ちゃってたのがいけなかったんだし……」

「でも、だから私と君が出会えたんです。悪いことだけじゃないですよ」

「……ありがとう、メープル」

メープルの年は、人間でいう十七歳くらいなんだって。ボクとは七歳の差。まぁ実際は、そんなちょっとの差ではないんだけどね。

兄弟も母もいないボクには、メープルの年上のお兄さんの雰囲気が、とても嬉しかったし、新鮮だった。

「帰らずに、ずっとここにいたいなぁ」

「……会いたい人は、いないんですか?」

「――いないかな」

「……そう、ですか」

聞いちゃダメだと思ったのだろう。メープルは、それ以上は追及しなかった。メープルのこういうところが、大好きだしとても助かってる。

「ところで、今日のご飯は何?」

「あ、そういえばもうそんな時間でしたね。今日は、ホットケーキです。ジャムもあったので、持ってきてみました」

「やった!美味しいよね、ホットケーキ!」

メープルは、奥から大きなホットケーキを持ってきて、にっこりと笑った。ボクが食べやすいように、小さめに切り分けたモノを渡してくれた。

「そうそう。今日の夜、お母様達出かけるみたいなんです」

「そうなの?メープルは?」

「私は行かないですよ。ワカバといる方が楽しいですし。……そこで、提案なんですが。よかったら、一緒に外に出てみませんか?」

「外に?」

ボクがここに来てから、扉の向こうに出たことは一度もない。時々足音がしたり、声がしたりはするけど、どんな風になっているのかは、知らないんだ。お許しが出ているとは言っても、メープル以外の竜はまだちょっと怖いし。それが分かってるから、メープルも何も言ってこなかったんだ。

「丁度今日は満月で、月が綺麗でしょうし。私の背中に乗っていれば、多分みんなワカバに気づかない。どうです?行ってみますか?」

メープルの背中に乗るってことは、竜に乗って空を飛べるってこと……?

「うん!行きたい!」

「なら、決定ですね。では……そうですね。他の方が空にいない時間となると……。十二時頃がいいですかね。お母様達は明日の昼ごろに帰ってくるみたいなので、朝そっと帰ってきましょう。一応ワカバには、私が背負っていくリュックの中に入ってもらって、誰もいなくなったら出てきてもらうということで」

着々と計画が進んでいく。ボクはとても久しぶりにワクワクした。ここににいなかった時には、滅多に得られなかったワクワク感。

「楽しみだなぁ」

ボクはそうつぶやいて、ホットケーキを口に入れた。


夜の十二時過ぎ。空はすっかり暗くなって、家々の明かりも点々としていた。それでも結構明るいのは、一つ一つの明かりが大きいからだろう。

「うわぁ……。空が、近い……」

ボクは今、空を飛んでいた。正確に言うと、飛んでいるのはメープルだけど。

ボク達は今、人気(いや、この場合竜気?)のない場所を旋回していた。森の上とか、海の上とか。月が明るいから、この世界の綺麗な自然が、鮮明に見えた。

「……この世界は、綺麗だね」

上を見上げれば、月の明るさにも負けないほど、星がたくさん浮かんでいて。星座や星の名前なんてボクには分からないけれど、今ならこの星全てを好きになれる気がした。眼下に広がる海には、星が落ちて、暗いはずの海が輝いていた。時々パシャンっと水の跳ねる音がした。

そんな些細な音が、上空からでも聞こえるほど。今ボク達がいるこの世界は、優しい静けさで満ちていた。

「……この世界が、ワカバにどんな風に映っているのかは分からないですが。この世界は元々、人間が捨てたもので出来ているんです」

「……?」

速度を緩やかに、メープルは真っ直ぐに海の上を飛び出した。ボクはメープルの声が聞こえるよう、できるだけ顔をリュックから出した。

「空も海も森も神話も、全部全部。私達竜の存在ですら、遠い昔、人間が作り出し、そして捨てていったモノの寄せ集め。不思議な話ですよね。ガラクタだ幻想だと捨てられた者たちが作る世界が、実はこんなにも美しいだなんて」

「……じゃあ、今ボクが見ているこの風景は、元々人間がいる世界だった、ってこと……?」

ボクの住んでいる町は、星が見えない。海もないし、植物はせいぜい、公園に申し訳程度に植えられているぐらい。もちろん竜もいない。物語の中の存在。

確かに、便利かもしれない。簡単に、誰かに出会えるし、人の距離は近くなったはずだ。

けどそこには、名前も付けられないような『何か』が欠けていた。

「私が人間のファンだっていうことは、最初にあった時にも言ったと思います。私は、この世界の根源となった、人間の想像力とか、考え方に興味があるんです。人間たちがこの世界を捨てて、何を得たのか。そこに望んだモノはあったのかを」

青い眼は、眼下の暗い海を映していた。

「……難しいことは、正直ボクには分からない。けど、今人間が暮らしている世界が、誰にとってもの望んだ結果かって言われたら、違うって断言できる」

「……それは、何で?」

「うーん……。みんなみんなが、今の世界に満足していない、ってわけでもないとは思うんだけど。ボクにとっては、とても。――とても、生き辛いんだ」

ボクが悪いとか、努力が足りないとか。散々、いろんなことを言われた。所詮は、誰もが他人事。たとえ自分の発言で人が死のうが、知ったことではない。

「人間が夢見るのは、きっと誰も傷つかない世界なんだ。……確かに、聞こえはいいけれど、そんな世界はありえない」

現にこうして、生き辛さを感じているボクがいる。一人いる時点で、この幻想は崩れているんだ。

「――女の子みたいで気持ち悪いとか、女々しいとか。何でも出来すぎて、不気味だって言われたこともあったっけ。ああ、でも父さんに言われたことが、一番辛かったかなぁ」

気が付けば、夜はもっと更けてきていた。時計がないから今何時なのかは分からないけど、かなりの時間が経過していたみたいだ。遠くに見える街の明かりも、ほとんど無い。

「……ボクの話、長いんだけど聞いてくれる?」

「もちろん。長いお話、大好きですから」

「……ありがとう」

ボクは少し深呼吸をして。ゆっくりと、口を開いた。


――ボクは、ずっと周りから浮いた存在だった。

女の子みたいな、可愛い感じの顔立ち。見た目で分かる『周りと違うところ』ほど、標的にしやすいものはない。しょうもない理由だなって思うけれど、暇な子供には、それくらいのことしかすることがないんだ。責めないであげて欲しい。

……俗にいう、いじめってやつ。そんな大層な名前がつくほどのことをされたか、と言われれば微妙だけど。けれど、ドラマや物語なんかで出るような、分かりやすいものでない方が、性質が悪くってさ。

さらに酷いことに、この頃両親が離婚した。母は、ボクを引き取る気が全くなくて。父さんに無理矢理、ボクを押しつけて出て行った。

……頑張ったよ。引き取るつもりのない子供を、父さんがまともに育てるわけがないし。料理も家事も、ボク一人でするしかなかった。

それでもボクは、父さんに振り向いてもらいたくて。運動は駄目なことが分かっていたから、たくさん勉強した。元々それなりに頭は良かったみたい。多分、今なら六年生の教科書を持ってこられても、解けるんじゃないかな。小学校に上がる時、ボクは一年生の勉強する内容を全部理解していた。

それでも父さんが、ボクを見ることはなかった。

学校に行くようになってからは、ボクはますます周りから浮いていった。そりゃそうだよね。習う前に内容が全部分かっていて、しかも毎回テストは全部百点。周りにも百点を取る子はたくさんいたけれど、全部全部の教科で毎回百点なのは、流石にボクしかいなかった。周りの子も先生も、最初は誉めてくれたし、すごい嬉しかったけど。毎回毎回続く百点のテストに、周りはだんだん気味悪がっていった。……今思えば、当然の反応だよね。勉強しているようにも見えなかっただろうし。

必要にかられたっていうのもあるけれど、家事も頑張った。洗濯から掃除から、色々。その中でも頑張ったのは料理。成果が一番、父さんに伝わるから。図書館でいっぱい料理本を借りてきて、読み漁った。お菓子の本も読んだかな。おかげで、一般家庭で出てくるレベルの料理は作れるようになった。ボクの味覚がおかしくなければ、その辺のお店の料理と変わらないくらいには美味しく作れると思う。

それでも父さんが、ボクが作った料理を食べることはなかった。

学校での遠足の時。みんなが、おのおのの母が作った弁当を持ってくる中、ボクは自分で弁当を作ってきた。

――ワカバ君は自分で料理ができるんだねぇ。

そう言った先生の顔は、笑っていなかった。……すごく、怖かった。

――ワカバくんって、何でも出来すぎて、怖いよね。

そう、言われるようになった。

最初の頃は、保育園の頃と同じような態度で対応された。小さな嫌がらせをいっぱいされる毎日。

……まだ、この頃まではマシな方だった。嫌がらせといえど、ボクに少しでも関心があったのだから。

本当に恐ろしいのは、それすらなくなった時。

誰も、ボクを見ない。興味もない。無視とかそういうわけじゃなくて、関心がないんだ。

いてもいなくても、構わない。どうでもいい。

嫌がらせを受けるよりも、なによりも。必要とされないことが、こんなにも辛いとは思わなかった。

そして、あの日。父さんと喧嘩した時、言われたんだ。

――お前なんて、要らない。


「……ボクは、どうすればよかったのかなぁ」

無意識に、正解を探してきたような気がする。みんなに溶け込むように生きることは、ボクには難しくて。生き辛くて。

……こんな自分が、嫌で仕方なかった。

「……ワカバは、持っていますよ。必要とされる権利を。君の周りが、その義務を全うしなかっただけで。ワカバは、必要とされていいんです。自分を、卑下しないで。そのままで、いいんです」

「……メープルは、優しい」

眼下は、海から森になっていた。深い深い、威厳ある森。その中にポツンと佇む、古いお城。メープルはお城の屋上に降り立つと、ボクを背中から降ろした。石造りの床が、ひんやりとした温度を伝える。

「少し、休憩しましょう。流石に飛びすぎました」

苦笑いになりながらメープルは言った。ボクは背中に乗ったままだから疲れはないけれど、メープルはボクを乗せたままとんでいるのだ。背中に人ひとりおんぶしたまま、何キロも走ったようなものなんだろう。

ボクとメープルは、適当なところに腰を下ろした。冷たい石造りのお城からは、さっきまで飛んでいた星空が遠くに見えた。

「……ねぇ、メープル。この世界は、人間が捨てたモノの寄せ集めでできているって、言ってたよね?」

「はい。確かにそうですね。このお城も、きっと昔人間界に存在したものの一つです」

絵本の中に出てきそうなお城。今は、本当に絵本の中にしか存在しないんだ。

「今も、この世界は変わって行っているの?」

「うーん……。私が生まれるより前は、常に変わって行っていたみたいですが、今は劇的に変わるほどではありません」

でも、この世界は変わっていないわけじゃない。今も、少しずつ変わって行っているんだ。

「……生き物も、この世界にやってくるんだよね」

「……はい」

「なら、ボクは」

意図的に、連れてこられたわけじゃなくて。あるべきして、この世界に飛ばされたのでは?

周りから関心もなく、誰も必要としなくなって。遥か昔、この世界に飛ばされた景色や生き物のように。捨てたんだ。ボクという、存在自体を。

メープルは、何も言わなかった。きっと、それは肯定。

「……優しいね、本当に。メープルは、優しい」

「……このまま、ずっと隠し通すつもりでいました。本当なら、言うことではなかったのかもしれません」

「いいの。多分、ボクじゃなかったら気づかなかっただろうし。メープルが謝ることじゃないよ」

 おそらく、ボクと同じ年齢の子ならば、分からない。そもそも、ここに飛ばされない。

彼らは、愛されているのだから。

 「……ボクはもう、ここの住民だったんだね」

あの日、家を飛び出した時から。ボクはもう、元の世界にはいなかった。

 「人間界でのボクは、もういない。ボク自身が、殺した。……要らないって、捨てたんだ」

 普通、ボクみたいな状況に陥っても。自分だけは、自分自身を必要とするだろう。けれど、ボクは。それすらも、できなかった。父さんに言われた言葉で、心が折れてしまったんだ。

行商竜なんてものに連れ去られたわけじゃない。ボクは、自らこの世界に来た。

「……行商竜は、実際に存在します。ただ、彼らは人間を攫わない。間違ってこの世界に来てしまった人間を、帰すことを仕事にしています。……けれど、ワカバは帰せなかった。どれだけ調べても、ワカバの帰り道は、分からなかった」

「迷い込むこともあるの?」

「数年に一度ほど。路頭に迷った大人に多いですけれど。ワカバの年の子がここに迷い込むことは、ほぼありません。いや、ないわけじゃないのでしょうけれど。行商竜が気付く前に、自力で帰っていることが多いですね」

子供が迷子になったら、親は子を探す。子供は親から必要とされるから、帰り道に沿って歩いて帰ることができる。

「行商竜がする仕事は、迷い込んだ人に帰り道を示すこと。その人の人間関係を調べて、必要としている人のところまで道を拓く。誰か見つかる時もあるし、自分自身の時もあります。その時は、お家までの道のりになりますね」

けど、ボクにはそれがなかった。目的地となる人が、どこにもいなかったんだ。自分自身に帰るという手段さえ取れない。途方に暮れた行商竜は、メープルの家にボクを寄こした。

「……恐怖を与えてくれと、言われました。怖い思いをすれば、元の世界にいる自分を必要とするのではないか、と。けれど、私は人間のファンだから。怖がらせるなんてこと、できませんでした。それどころか、私は貴方と仲良くなってしまった。本来なら、一緒にいるべきではないのに」

最初にボクがお皿の上に乗っていたのは、そういうことだったんだね……。あれ結構怖かったけど、帰りたいとは思わなかったなぁ。今言われて、そういえばそうだ、っていうくらい。

「ワカバは、恐れを知らない。だから、自分自身を捨てることに、なんの抵抗もなかった。心から、消えてしまいたいと思ってしまった。……信じがたい話です。こんなにも素直で可愛い子を、必要としないで、捨ててしまうだなんて」

「メープルが言うほど、ボクは良い子でもなければ、可愛くもないよ。……自分が異質な存在だってことは、一番ボクが分かっているから。みんなを恨んでもいないし、妬んでもいない。……ああ、でも」

最後に。ほんの少し。砂粒程度の、拭いたら飛んでしまいそうなほどでも、いいから。

「……ボクのこと。愛してほしかったなぁ」

ボクは、顔を上げていられなくなって俯く。灰色の石畳が、水滴で濡れていた。……雨かなぁ。さっきまで、晴れていたのに。

「……ワカバ。君は、たくさん頑張ったんですね。認めてもらえなくても、それでも。何度でも、頑張ったんですね。……ワカバは、頑張り屋さんだから。……もう、頑張らなくて、いいんです。辛いことはみんな、ここにはありません。もしあるなら、私が食べてあげますから。ワカバは、ここに居ます。……ちゃんと、ここに居るんです」

ずっと、ずっと。怖くて仕方がなかった。自分が本当に存在しているのか、それさえも不確かで。ボクというセカイは、不安定で消えかけていた。

メープルが、ボクの身体を包むように抱きしめた。人より低いメープルの体温。

それでも。ボクには十分過ぎるくらい、暖かかった。


「ボクは、この世界に残りたい。メープルと一緒に、生きていきたい。……元の世界で出来なかったこと。ここでなら、いっぱいできる気がするんだ!」

次の日。ボクはメープルと、先日お世話になったメープルのお母さんにそう言った。

「……本当に、いいんですか?今ならまだ……」

「いいの。もう、決めたんだから」

「でも……」

「……あんたもめんどくさいわねぇ。ワカバがいいって言ってるんだから、いいに決まっているでしょう?」

ばしーんっ!

ひらがな表記が丁度いいぐらいの、平手打ちがメープルの背中にヒットした。見た目弱そうだけど、あれボクが受けたら吹っ飛ぶんだろうな……。

「アタシは賛成だよ。まぁぶっちゃけ、ワカバの言うことに異論なんてあるわけがないんだけどね。ワカバがいることでこの子もいい影響受けるでしょ。息子が一人増えたくらいで、どうこう言うほどアタシはケチじゃないわよ?」

流石お母さんというか、なんというか。心が広い。

「ワカバも遠慮せず、アタシのことお母さんって呼んでいいからね!むしろそっちの方が嬉しいわ!」

「うん、ありがとう!えっと……お母さん」

ちょっと恥ずかしくて、最後の方は声が小さくなっちゃったけど。ちゃんと聞こえたみたいで、満足げに笑ってくれた。

「さーて。そうなったら、いろいろ買いに行かなきゃね。人間の子供用の服って売っていたかしら……。ああでも、小さい食器も用意しなきゃね。それは角の陶器屋に頼んで作ってもらって……」

「お母さんがやる気に満ち溢れてる……」

「お母様は、ああなると止まりませんからねぇ。……お母様だけじゃなくて、他の竜たちも。世話好きで優しい方ばかりですから。すぐにワカバも馴染めますよ」

「出ても大丈夫なの?食べちゃったりしない?」

そういうとメープルは少しだけ笑った。

「竜が人間を食べるなんて、大嘘です。そもそも滅多にいない人間をどこで食べるって話なので。けれど、珍しがって向こうから群がってこられても、ワカバが怖いんじゃないかなって思って、出ちゃダメって言ってきたんです。私やお母様が皆さんにワカバを紹介するから、大丈夫ですよ」

「あ、紹介!そうだ、紹介が先だよアンタ!」

「お母さん話聞いてたんだ!?」

ずっと買い物の話してたから、てっきり聞いていないのかと思ってたのに……。

「お隣さんには実はもう声かけてあるんだ。情報通だから、いるものが売っているところも知っていると思ってね。先にそっから回ろうか。今から」

『今から!?』

メープルとボクの声が重なった。二人して顔を見合わせて、吹き出す。

「アンタら、仲いいわねぇ……。まぁこれも、友情ってやつでしょう。……ほら、さっさとあいさつ回りに行った行った!」

背中を押されて、部屋を出る。玄関までメープルに案内してもらって、スニーカーの紐を結び直した。

「……ワカバ。この先、この世界はちょっとずつ変わっていきます。それは、ワカバにとっていいことか悪いことかは分かりません。けれど。ワカバは、ここに居ます。私もお母様も。今から会うたくさんの方も。みんな、ワカバを必要としています。それだけは、どうか忘れないで」

「……うん」

玄関の扉が開く。太陽の光が、眩しい。うっすらと、違う竜の影が見えた。

ボクは飛び出す。新しい世界に。


「初めまして!ワカバって言います!」


ボクの隣には、君がいる。


                        END


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