滅びの竜
滅びの竜
「……ん……んぅ……」
じくじくと右手の親指が痛みを訴え、ぼやける意識を無理矢理に覚醒へと導かれる。
「い……痛たたた……」
寝床が悪かったのか、全身がギシギシと痛み、上手に関節が動く気配はなく、紫弦はのろのろと上体を起こした。
「ここ、どこ?」
両肘を支えに使って、上半身を起こした紫弦は、固い地面の手触りを確認すると、ゆっくりと周囲を見回した。
サラサラと乾いた砂と、その下に在る硬い岩肌は赤く、広大な風景は視界の端から端までを同じ色の岩山が埋めていた。
切り立つ様にそびえる岩山は、吹きすさぶ風に砂を散らすが、岩自体に崩れる気配はなく、雄々とその存在を主張していた。
足元を確かめるように、しっかりと踏みしめながら立ち上がり、衣服に積もった砂を払う。
髪や耳にも砂は入り込んでいて、紫弦は眉をひそめて体を揺すると、乾燥した風が吹き、またもや舞い上がった砂にまみれてしまう
「意味ないし……」
砂を払う事を諦めて、自分自身の置かれた状況を整理してみようと、紫弦はもう一度周囲を見回して大きな溜息を吐いた。
一切の理解が追いつかない。
まず、ここが何処なのか、何故ここにいるのか、紫弦には答えを出す事ができず、改めて全身を使って溜息を吐いていた。
薄く曇った空に太陽の輪郭は見つからず、今が夜ではないであろう事はわかるが、大よその時刻すら判断できない。
その場に膝を抱えてうずくまるが、ぬるい風が項垂れた紫弦の首筋を撫でるだけで、一向に現状が好転する気配はない。
「よしっ!」
声を出して自分を一喝すると、紫弦は思いきり良く立ち上がり、両手で音がする程強くその頬を叩いた。
「とりあえず、ここに居ても仕方ないよな」
うんうんと、ひとり頷いて紫弦は歩き出した。
一枚岩の絶壁に手を這わせながら進んだ先にあったのは、断崖と呼ぶのにふさわしい壮大な渓谷で、底に流れていると思しき川は僅かに存在が確認できる程度で、遥かに遠い。
川を挟む岩壁の距離も遥か、目測では測りきれず、数百mはありそうだった。
「なんだろ、アレ……草?」
徒歩で辿り着くのは難しそうな絶壁の合間に、背の低い茂みの様なものが、少しの距離を置いて、いくつも姿を見せている。
近寄ってみると、砂地特有の背の低い植物の様だと感じた茂みは、枯木や枯葉を集めた寄木の巣だった様で、随分と丈夫な造りの物だった。
「何の……巣?」
巣、だとは思うがその大きさが紫弦の知るどの生物にも当てはまらず、紫弦が入っても余裕のあるソレを使用する生物が戻って来る事を想像しただけで、紫弦の表情はサッと青くなってしまう。
見渡せば巣の数は、この渓谷に数え切れない程ある。
それらが巣に戻り、紫弦を侵入者だと判断し、ましてや肉食だったとしたら……。
現状を打破する前に、紫弦の生命が打破されてしまう。
「もしかして、ヤバイ?
……早く離れた方がいいかな?」
慌ててその場を離れてしまおうと、元来た方へと身体を向き直れば、狭い足場がズルリと少し崩れた。
「あっ…ぶな……細心の、」
[グアアアアアッ]
細心の注意を払って移動しようとした時、谷に轟く程の嘶きが響いた。
明らかに犬や猫といった動物ではなく、人間ですらない叫びは、やはり紫弦の知る生物のものではなく、近いものをあげるとしたら、動物園で出会った事のある、アフリカ象の声量に虎の咆哮を混ぜた様な存在を誇示するものだった。
[ギシャアアアアアアアオオオゥ…]
「ひぃっ……」
動物園の猛獣は檻に入っているが、この咆哮の主はどう考えても檻に入れられているとは思えない。
早く、早く離れなくては、早く―――……。
ガラッ―――……
「えっ!?」
はやるままに足を動かした事が災いしたのか、紫弦の身体はその足元の岩と一緒に傾き、なだれていった。
「うええええええええっ!!」
今まで手をつていた筈の岩壁がどんどんと遠くなり、尚も崩れる岩が落石となって紫弦と供に転がり落ちる。
紫弦は力いっぱい目を瞑っていた。