トラックに轢かれたような衝撃
宴会は日が暮れても続けられ、夜の八時を回ったあたりでお開きとなった。その間、俺はずっと時和に振り回されて、運動会の後の疲労感のようなものが肩にどっしりとのしかかる。
妖怪たちは森の中へと消えていき、残ったのは俺と時和と何処かにいるであろう百目鬼の三人だ。
「今日は来てくれてありがとう。おかげで楽しかったわ」
「俺は疲れたよ」
そう言って大きく背伸びをする。これから帰って英語と数学の予習しなくちゃいけない。高校生っていうのは面倒だ。
それに好き好んで入っている時和は本当に凄いなんて思っていると、時和がこちらを覗き込むようにして見ていた。
「もしかしてこういうの迷惑?」
と不安そうな顔をして上目遣いで訊いてきた。
普段の俺なら躊躇なく、「迷惑だった」と言うのだが、そんなことだから冷血漢なんて呼ばれるのだろう。
だが、今日の俺は百目鬼に指摘され、自分でも意識しているから、言い留まった。
こういう時はどういうべきだろう。
『凄い楽しかったよ』
『そうならまた呼んでいいわね』
却下だ。こんなことを毎回やっていたら体が壊れそうだ。
『あんまり誘わないでくれ』
『そう。そんなこと言うから冷血漢なのよ』
オブラートに包んだところで言っていることは変わらないので却下。
『偶にはいいかもしれない』
『偶にってことは週に一回くらいはいいわよね』
向こうの感覚で決めつけられそうなので却下。
「あー、月に一回ぐらいならこういうのも悪くないと思う」
とりあえず、ちゃんとした意思表示をして気を使うことにした。
「そう、ならよかったわ」
時和は心の底からほっとしたように胸を撫で下ろした。
「なあ、どうして時和は人間の世界にきたんだ。別にここでも楽しくやっていけるだろ」
宴会の様子を見ていれば、時和がここでも十分楽しくやっているのはわかる。ここに不満を持っていそうにも思えない。それなのにどうして人間の世界まで来て友達を作ろうとしているのか。
それがどうも気になった。
「そうね……もっとこの世を楽しみたいからかしら。ここでの生活も楽しいわ。みんなで飲んで騒いで、人間の世界にある柵なんて一つもないわ。でも、人間の世界はそこじゃないと得られない楽しさっていうものがあるの。柵があるからこそ生まれる楽しさっていうものがあるわ。私はその両方ほしいの。ここでの楽しみも、人間の世界での楽しみも両方ほしい。だってそうじゃないともったいないじゃない。せっかくこの世に生を受けたのだから、欲張って、欲張って楽しいこと全部やりつくしたいと思うのが当然でしょ」
時和は歩き出し、湖畔と湖の境界に立つ。
「それに私は神様だから寿命もないし、老いもない。長い時間があるから二つの世界を行き来できるしね」
時和は境界を飛び越えて湖側へと行く。一昨日と同じように重力に反発して水の上に浮いている。その姿だけが時和が神様なのだと確認できる。
そして時和はクルリと回転し、にっこりと笑う。
「こんな風にね」
その顔は本当にこの世を楽しんでいる人の顔だ。
俺には到底できないな。
「でも、縁くんと会って、人間の世界が楽しくないんじゃないかって不安になったわ」
と急に声のトーンを落とす。
「俺が何かしたか?」
「ぜんぜん楽しそうに生きてない。笑わないし、友達いないし、顔が怖いし、融通利かないし、捻くれてるし、天の邪鬼だし」
「おい、だんだんと俺の悪口になってるぞ」
というかどうして会ったばかりの奴にそんなことを言われないといけないんだ。
「冷血漢だし」
「ほっといてくれ!」
コイツ神様のくせに人の傷を抉ってくる。
「まるで世捨て人ね。世の中が嫌で隠居して遠くから傍観するだけの人」
なんだ。ここは俺の公開処刑場か?
そんなことを考えていたから、次の一言は完全に不意打ちとなった。
「でも、私は貴方と出会えてよかったわ」
歩いていたら突然後ろからトラックに轢かれたぐらいの衝撃的だった。
なぜか時和の目を見られなくなる。不自然なくらいに視線を外した。
まさか俺が恥しがってる。いや俺はそんな奴じゃないだろ。何事にも動じないような奴だ。その俺が女子にあんなこと言われて恥しがるわけがない。
そうだ。俺は女子に冷血漢なんて呼ばれてる男だぞ。無表情、無関心が俺のポリシーみないなものだっただろ。
心を落ち着かせようと何度も深呼吸を繰り返していると、時和が言葉を続けた。
「だってこうやってお菓子をもってきてくれたし」
一瞬で心が落ち着いた。
というか、気持ちが氷点下まで下がった。
深い意味を期待した自分が恥しかったが、それよりもなによりも目の前で、アレが美味しかった、コレをもう一度食べたいと騒いでいる神様に怒りを覚えた。
「おい、時和はちょっとこっち来い」
手招きすると時和はのこのこやってきた。
そして時和の脳天にげんこつしてやった。
その後数日間、時和は俺を呼び出すようなことはしなかった。もともと別にそれほど親しくもなかったので、これと言って不思議に思っていなかったが、この前廊下ですれ違った時にあからさまに視線を反らされた。
どうやらげんこつをしたことを怒っているようだった。
最初のうちは俺も自業自得だと思っていたが、今冷静に考えてみると俺はなんであそこまで怒ったんだ。傍から見れば、ただこっちが勘違いして、勝手に怒っただけじゃないか。
つまり全面的に俺が悪い。
「なぁ五月女。お前時和さんに何かしたのか?」
昼休み。俺が時和のことを考えていると、篠崎がやってきた。そしてまさに俺が今悩んでいることを指摘された。
「なんでそんなこと訊くんだ?」
「今、学校中の噂だぜ。五月女が時和さんを怒らせたって」
どうやら噂の原因は廊下での出来事だろう。
「で、どうなんだ。本当なのか?」
「まぁ概ね」
「マジか!」
声が大きい。教室中の注目の的だ。
「声を抑えろ」
「お前、いつ知り合ったんだ?」
「最近だ」
篠崎は「道理で時和さんのことを熱心に訊いてくるわけだ」となぜか悔しがっているように見えた。
「それでお前何したんだ。あのお淑やかな時和さんを怒らせたんだ。よっぽどことしたんだろ」
お淑やかという部分で思わず笑いそうになったが抑えた。やっぱり学校だとそういう印象なのだろう。
「まぁいろいろだよ」
「そのいろいろが気になるんだろ」
篠崎だけには時和の頭にげんこつをしたなんて言えない。次の日には壮大な尾鰭がついていることだろう。そしたら俺は確実に学校で肩身の狭い思いする。
「まぁ言いたくならいなら聞かないけど。でも五月女、少し気をつけた方がいいぞ。お前は特に学校内での評判悪いから」
「冷血漢か……」
そう呟くと篠崎は驚いた顔をする。
「なんだ知ってたのか。やっぱり流石の五月女でも自分の噂くらい気にするよな」
知ったのは人伝えで数日前だけどな。
「だいたいお前、人と接しなさすぎるんだよ。自分から話しかけようとしないし、話しかけても受け答えが「ああ」の一通り。誰だって勘違いするって」
やっぱりそういうのから直していった方がいいのか。でも、今更俺が積極的に話しかけたり、愛想よく受け答えしても手遅れな気がするけど。
「その点俺はお前の良さはしっかりとわかってるぞ」
とウィンクした。
気持ち悪い……。
だが、俺の良さというものを、今後のために訊いておきたい。
「なぁ、俺の良さってなんだ」
「宿題写させてくれるところと放課後一緒に残ってくれるところ」
篠崎には遠慮なく脳天にげんこつをしてやった。
しかし、篠崎の言うことは正しい。自分から話しかけなければ関係は生まれないし、コミュニケーションを取ることもできない。つまり、時和が俺を無視している今、自分から話しかけなければ仲直りもできないわけだ。
流石にこのままっていうのは目覚めが悪いし、学校での居心地も悪い。
問題は手段だ。普通に時和のクラスに行って、時和を呼び出して謝ればいいのだが、これには大きなリスクがある。
それは時和が呼び出しに応じなかった時のことだ。時和が俺に怒っていることを教室中に知れ渡らせることになる。そうすれば今以上の噂が流れることは間違いない。
ハイリスク(学校中から冷たい目線を向けられる)なくせにローリターン(時和と仲直りできる)だ。
ということで、もっとリスクの低い手段を選ばないといけない。だが俺はこういう仲直りのための手段というものに乏しい。今まで一方的なイジメはあっても、ケンカをしたことはなかったからだ。
時和に謝ることができて、拒否されない方法。
一つだけ思い当たるのがあった。
けどこれは――
「やりたくねぇな」