世界は何事もなく
目を閉じていても感じる強い光。その眩しさで目が覚めた。現実と夢の境にいるように意識がはっきりとしない。無造作に転がっているめざましを手に取ると、六時十三分を指示していた。
いつもよりだいぶ起きるのが早い。しかし、不思議と眠気はない。ここ数日のもやもやが嘘のように、気持ちも晴れやかだ。
まぁ、その原因は全て隣で安らかな表情で寝ている神様のせいなんだろう。
「すぅ、すぅ」
俺の隣で寄り添うように寝ている時和。寝息が聞こえてくるということは人間に化けているということなんだろう。
結局のところ俺は成功したということなのだろうか。あのウジウジ時和を説得することができたという実感がない。
まぁなにせ俺がやったことと言えば、告白と結婚式の真似事だ。
…………。
今になって思い出すと、顔から火が出るほど恥ずかしい。ここまま時和が起きるのを待っててもいいのだが、正直言って顔を合わせずらい。
なら、逃げてしまおう、と立ち上がり家を出た。
行く宛などなかったが、自然と足は時和湖へと向いていた。
そこにはまだ時和湖が残っている。しかし、水の量が明らかに減っている。明日明後日には完全に湖ではなくなってしまうのだろう。
俺と時和の思い出の場所。
そう思うと今まで感じなかった気持ちが溢れてくる。
子供のころお気に入りだった公園がマンションになってしまった時の気持ちに似ている。
これでもし時和が消えたりしたら、俺はどうしていただろうか。
悲しむか、怒るか、まぁどちらにしてもこんな気持ちになることだけはなかっただろう。それにもしものことだとしてもそんなことはあまり考えてたくない。
ここにいても仕方ない、と振り向くとそこには百目鬼がいた。じっとこちらを無表情で見つめている。
「よう」
「……まさか本当にやるとはな」
呆れているのか、それとも喜んでいるのか、相変わらず感情が読めない。
「時和なら部屋で寝てるぞ」
「知っている。それよりお前は平気なのか?」
「平気? 何がだ?」
「お前が計画した通り、時和はお前の守り神となったんだ。体に異常があってもおかしくない」
と言われても特に異常はない。
むしろ前より気分がいいくらいだ。
そのことを百目鬼に伝えると、「そうか」と言ってそれ以上追及してこなかった。
「お前には礼を言わなければならない」
「礼?」
「ああ、正直に言えば、私も天音が湖と共に消えることは反対だった。たとえそれが天音の望みだとしてもだ。しかし、私には彼女を止めることはできなかった。所詮、私は彼女につき従う付き人でしかないのだ」
「そんなことないだろ。たぶん時和はお前のことをそんな風には思ってない」
「そうだろうな。だが、彼女を止めたのは私ではなく、五月女、お前だった。それが真実だ。私には彼女を止める力はなかった。だから、お前が天音を止めてくれたことを本当に感謝している、ありがとう」
と百目鬼は頭を深く下げる。
「感謝するのは俺もだ。お前の力がなかったら今頃時和はここにいない。だから、頭を下げる必要もない」
「確かにそうかもしれん」
「ああ、そうだ」
会話が途切れたところで、そろそろ朝食を作らないといけない時間帯になるんじゃないかと思った。
百目鬼に別れを告げて家へと戻る。
部屋では時和が相変わらず寝息をたてている。
起こすのも気が引けるので、そのまま寝かしておく。
学校に登校すると、いの一番に篠崎が駆けよって来た。
「五月女、その額どうしたんだ?」
俺の額の絆創膏を見て言う篠崎。
「ああ、ちょっとな」
そう誤魔化すと篠崎はそれ以上追及してこなかった。
「それで時和さん。どうなった」
「あっ」
すっかり忘れていた。
あの時は勢いで大嘘を吐いてしまったが、どうする。
「ああ、大丈夫だ。心配いらない」
「そうか、手術はもうしたのか?」
「あー」
さてどう答える。
「まぁしたと言えばしたのかな」
「そうか。でも、よかった。お前がいきなり呼ばれた時はマジで驚いたわ」
「悪かったな、いきなり頼んで」
「いや、いいさ。学校のマドンナのためさ」
篠崎は目線を外し、
「ってことだ、みんな。時和さんは心配しらないとさ」
と教室中に聞こえるように叫ぶと、クラスメイト達もホッとしたような顔をする。
事情が飲み込めず呆けていると、篠崎が説明し出す。
「お前が登校するまでずっと教室中、時和さんの話題でもちきりだったんだ。でも、みんな怖くてお前に訊けなかったんだよ」
教室を見渡すとみんな罰が悪そうに俺から顔を背ける。
教室中そんな反応をするので、流石におかしかった。
「うん? どうした、篠崎」
なぜか篠崎が目を見開いてこちらを見ている。
「驚いた。お前、普通に笑えるんだな」
「え?」
そう言われて、無意識に顔に手をやる。
「いや、珍しいものを見せてもらったよ。これも時和効果だな」
「時和効果?」
「時和さんと接するようになってから、お前変わったからな。昨日と今日とそれが大きく出てるぜ。いやいや、恋のパワーはすごいですな」
「……そんなんじゃない」
篠崎の冷やかしをあしらうと、担任が教室に入って来た。
クラスメイト達が席に座る流れに乗る。
担任が連絡事項を告げていく中、俺の頭では篠崎が言った言葉が駆け廻っていた。
「変わった……のか?」
そんな自覚はない。
確かに俺の日常が劇的に変わった。時和天音という神と出会ったことで、しかしその中で俺の性格や感情までも変わったとまでは思えない。
いや、実際俺は変わってはいないだろう。
ここで誰かに話しかけられても素っ気ない態度は変わらないし、目付きの悪さも無愛想さも無関心さも変わらない。
ただ、時和天音という神に接している俺を見て篠崎が変わったと思い込んでいるだけだ。
それはつまり、俺は時和天音を周りとは違う接し方をしているということで、
それはつまり、俺の中で時和天音は特別ということで、
それはつまり、俺はやっぱり時和天音のことが――
いや、やめよう。なんだか、こんなの俺じゃない。
くだらない思考を中断し、意識を学校生活へと切り替える。
当然、そこは神だの、アヤカシだの、妖怪だの、そう言った非日常的なものはない。時和天音もいないのだ。当たり前だが。
そろそろ時期は期末テスト。少しは気合いを入れよう。
学校は特に変わったこともなく、はたまた退屈というわけでもなく、下校時刻を迎えた。足早に帰って行く生徒、まだ友達と談笑している生徒、早々に部活に向かう生徒、たくさんの流れがある中、俺は高根沢に呼び出されて、一年六組を訪れていた。
「それで天音っちとはどうなったの?」
「はい?」
聞かれたことは予想の斜め上を行くものだった。
「お前、時和の様子とか訊くために呼び出したんじゃないのか?」
「それは大樹から聞いた。大丈夫なんでしょ、天音っち。なら、聞くことなし。あ、でも勘違いしないでね。心配してないわけないんだから。ちゃんとお見舞いに行くから」
「そうか」
たぶん、お見舞いに行く前に退院したことにされるだろう。
すまん、高根沢。
心の中でいちよう謝っておく。
「それで私の質問に答えなさい。あれからどうなったの? 仲直りはできた? ちゃんとデートとか誘った?」
「どうと言われてもな。特になにもない」
嘘は吐いていない気がする。
確かに俺は時和に告白(?)はしたが、返事をもらってない。これでどうなったと言われても返しようがない。
「はぁ? 五月女くん、時和さんとずっと一緒だったんでしょ。それなのに何もないってどういうこと?」
「どういうことと言われても」
どうしようもない。
「ダメ、全然ダメだよ。もっと押して行こうよ。そんな怖そうな顔してるんだから」
「おい、それはどういう意味だ」
「そうだな、時和さん。今、どうしてるの?」
どうやら俺の抗議は聞き入れてもらえないようだ。
「たぶん、寝てるよ」
「麻酔が利いてるのか……」
いや、そんなもん利いてない。
「よし、これから時和さんのところに行って。起きるまでずっと一緒にいなさい」
「またなんで?」
「わかってないな。恐い手術が終わって目覚めるとちょっと気にあるあの子が隣にいるって凄いドキッとこない?」
「そんな経験ない」
「想像しろ、イマジンだ」
無茶言うな。
「あーダメだ。つまり、ホッとするの。わからないかなぁ」
「悪かったな。わからなくて」
「まぁ、いいや。ほらとりあえず行ってらっしゃい」
と俺の肩を押す高根沢。
「でも、ようやくわかった。五月女くん、やっぱり天音っちのことが好きなんだね」
高根沢は俺だけにしか聞こえない声で呟いた。
「なっ!! 何言ってんだ!?」
「だって前の五月女くんなら「俺と時和はそんな関係じゃねぇ」とか絶対言いそうなのに、今日は何も言わなかったしね」
「…………」
コイツ……。
「ま、このことは私の胸の奥深くにしまっておくよ。それじゃほら、しっかりね」
そう言って高根沢は俺を見送った。




