天音の世界へ
じいちゃんはまるで俺には人に見えないものが見えてるみたいな言い方をする。
「じいちゃん?」
「なんだ」
「俺が、人に見えないものが見えること知ってたのか?」
恐る恐る訊いてみる。
「なんとなくじゃがな」
そう言って頷いた。
「……そうだったのか」
思わず呟いた。
じいちゃんには俺に妖怪やアヤカシが見えることは言わなかった。
いや、正確には言えなかったのだ。これを誰かに言うたびに俺は頭のおかしな奴、気味が悪い奴、構ってほしくて嘘を吐く奴として扱われていた。両親でさえ俺の言うことを信じてくれなかった。だからじいちゃんだけはそんな目で見てほしくなくて、言わなかった。
「でもどうして気付いたんだ?」
「お前が五歳くらいの時だったか。一度ここに来たことがあるんだ」
「え、そうだったのか……」
俺にはその記憶がない。
高校入学のためにこの町に来たのが最初だと思ってた。
「そん時のお前は意味のわからんこと言っていてな。誰もいないところを見て「あそこに誰かいる」とか騒いで、そりゃあうるさかった。ワシも最初はただの子どもの悪戯ぐらいにしか思っていなかったんだが、ある日お前が「好きな人ができた」とか言って遊びから戻ってきたことがあってな」
「俺に……好きな人?」
「それすらも覚えてないのか。なんでも今工事してる時和湖で会ったらしい」
時和湖。そのセリフに俺の注目がいく。
「俺、その時時和湖に行ってたのか」
「ああ、それからは毎日のように行っていた。そんで帰ってくるたびに今日何やった、明日はなにやる、と騒いでな。ワシも孫の嫁になるかもしれない人だからこの目でみたくなってな。こっそりお前の後を付けてみたんだ。だけど、湖にいるのはお前一人で他には誰一人としておらんかった。なのにお前は誰かと話してるみたいに楽しそうに笑っておった。そこで気付いたんだ。縁には本当にワシらには見えてないものが見えているとな」
じいちゃんは一通り話し終えると、湯呑に入っているお茶を啜るようにして飲んで落ち着いている。
逆に俺の頭の中は混乱していた。頭に何かひっかかっているような、何か大切なことを忘れている感じがする。
五歳の時、俺はここに来たことがあって、その時好きな人が出来て、その人は時和湖で出会って、それで毎日のように時和湖で遊んでた。
もしかしてその好きな人って――
「そういえば天音ちゃんだったかな。昔お前が言ってた好きな人の特徴に似てるのぅ」
その言葉で頭の引っ掛かっているものが取れた。
頭を錯綜していた情報が結びつき、一本の線になる。
『大人になったらアマ姉のこと絶対守るから、そしたら僕と結婚して』
「……思い出した」
そうだ。俺はここに来た。その時、時和に会っている。それで毎日のように時和湖に遊びに行っていた。
そして俺は五歳にして時和に結婚を申し込んだんだ。
「なんてことしてんだ、俺……」
昔の自分の大胆さに今更恥しくなる。
でも、これで俺は諦めるわけにはいかなくなった。
遠い昔、俺もさっきまで忘れてたけど、約束したんだ。
大人になったら時和を、天音を守ると。
「ありがとう、じいちゃん」
「ワシはただ昔話をしただけだよ」と茶を啜る。
ホント持つべきものは美人の特徴を忘れないエロジジィだ。
自室に戻る。
そこにはさっきと同じ位置に百目鬼が座っており、天音をジッと見つめていた。
「百目鬼」
「五月女か。どうした気持ちの整理がついたか」
「ああ、ついた。だけど諦めないっていう気持ちの整理だけどな」
百目鬼は一拍開けて口を開いた。
「まだ、何かする気なのか。止めておけ、もう救うことはできないし、天音もそれを望んでない」
「そんなことは関係ない。俺はただ昔の約束を守るために時和を助けるんだ」
百目鬼が振り返る。
「五月女、覚えていたのか」
「今さっき思い出したんだよ。というか百目鬼もあの頃の俺と会ってるのか?」
俺の記憶にはないけど。
「俺が一方的に知っていただけだ。なんせ天音に纏わりつく害虫だったからな。よく観察していた」
まるで娘の彼氏を見た時の父親みたいだ。
「それはまぁいい。今は時間がもったいないんだ」
「何をする気だ。お前にも言った通り天音を別の場所の土地神にするには時間が足りないし、契を結ぶこともできない。これ以上どうしようもない」
「そんな戯言はいい。百目鬼に二つ訊きたいことがある」
「な、なんだ」
「まずその契ってどうやるんだ」
「契はその土地の上に立って心の奥底にその土地の風景を刻み込むんだ。その土地を己の心象風景とすれば契になる」
「つまり、時和の心の中に残せばいいってことだな」
「簡単に言えばそうなる」
よしまず一つ目は大丈夫そうだ。
「じゃあ次、人間が神様とその契を結べるか」
「なぁっ!」
百目鬼の顔が驚愕の色に染まる。
「そんなこと出来るわけがない!」
「それは誰か試して失敗したってことか?」
「前例がないんだ。人間と契を結ぶってことは人間の土地神になるってことだぞ。そんなの聞いたことがない」
「人間の世界だとそうでもないだろ。神様が守るのは土地だけじゃない。守り神っていう人を守ってくれる神様もいるだろ。だから俺は時和を俺の守り神にする」
「そんなこと出来るわけがない」
「出来るかできないかはやってみないとわからない。百目鬼もさっき言っただろ、前例がないって。なら失敗しない可能性もあるってことだ」
百目鬼は俺をジッと見つめたまま、息を呑んだ。内心どう思っているのかは知らない。途方もないことだと呆れてるのか、くだらないことだと蔑んでいるか、もしかしたらと希望を持っているのか。
それはわからないが、これには百目鬼の力が必要だ。
「これが俺の出した時和を守るための策だ。だけどこれは仮説でしかない。素人が考えた机上の空論だ。これだけじゃあ実現はおろか実証さえもできない。だから頼む。協力してくれ、百目鬼」
部屋が静かになる。
やがて百目鬼が立ち上がり、俺と目線を合わせた。
「失敗したらどうなるかわからない。お前が天音の器に耐え切れずに精神が崩壊するかもしれない。それでもいいか」
「ああ、絶対失敗しないから大丈夫だ」
そう言うと百目鬼は軽く笑う。
「まるで昔のお前を見ているみたいだ。無駄に熱くて鬱陶しい奴だった」
「そうじゃないと時和を守れないからしかたない」
「よしなら、さっそく始めるぞ」
「え、もう出来るのか!」
「ああ、お前の仮説を聞けば実証する方法くらい思いつく。だが、実現させるかはお前しだいだ」
流石は理事長だ。頼もし過ぎる。
「いいか、さっきも言ったが契はその土地を己の心象風景にすることだ。この土地を人間に置き換えるってことは心象風景の中にその人間がいることになる。つまり天音とお前が繋がり、心象風景の中にお前を刻むことができたら、成功する。だが今の天音は意識がなく、それは不可能だ。だから逆にお前が天音の心象風景の中に入り、どうにかして天音の心象風景に自分を刻め」
「どうにかしてってどうやって」
「それはお前が考えろ。俺がやるのは仮説を実証に持って行くところまでだ」
と作戦会議は終了した。
俺は天音の隣で横になり、百目鬼は俺と時和の枕元へとくる。
「俺がお前の意識を天音の心象風景の中に入れる。言わばお前と天音を繋ぐパイプだと思ってくれ」
「わかった」
そう言うと、百目鬼は俺と時和の額に人差し指と中指を当てる。
だんだんと触れている部分がじんわりと暖かくなる。それに比例してだんだんと俺の意識が遠のく。まるで耐えられない眠気に襲われてるようだ。
「天音と一緒に帰ってこい、五月女」
意識が途切れる前に百目鬼がそう呟いた。




