不協和音
「なに? それっていつの話だ」
「一年前辺りから計画されてたらしいんだけど、公になったのは先週あな。急ピッチで作業を進めて来年の夏にオープンするって。もしかしたらそれで天音っちの家も移動しなくちゃいけなくて、それで元気がないのかなって」
いや元気とかの問題じゃない。時和は自分を時和湖の九十九神だと言っていた。それはつまり時和は時和湖であって、時和湖は時和というわけだ。その自分の分身と言える時和湖が埋められ、実質的になくなるんだ。元気がなくなるとかじゃなくてもしかしたら時和湖と一緒に消えることになるんじゃ。
考えれば考えるほど最悪の事態しか思いつかない。
「どうしたの五月女くん。顔が真っ青だけど」
高根沢の声でハッとなる。
ここで考えても仕方ない。しってそうなやつに訊かないと。
「悪い高根沢。俺、急用思い出した!」
と言って屋上から出て行く。
本人に訊くのはダメだ。時和は人に心配を掛けることを嫌ってる。最悪嘘を吐く可能性もある。
となると一人しかいない。
「百目鬼いるか!」
理事長室を入るなり叫ぶ。そこには百目鬼と教頭がいた。
「君、理事長を呼び捨てとは何事だ!」
最初に口を開いたのは教頭だった。随分とご立腹のようで、怒声を上げている。
だが、今はそんなことに付き合ってる時間はない。教頭を無視して百目鬼に駆けよる。
「百目鬼、時和湖がなくなるってのは本当か!」
それを聞いた瞬間、百目鬼の無表情が一瞬崩れた。
「すいません、教頭。少しの時間でいいので席を外してもらえないでしょうか?」
「し、しかし……」
教頭は俺をチラッと見て、「わかりました」と言って理事長室から出て行った。
「それでその話を何処から聞いた?」
「友達からだ」
「……そうか」
百目鬼は立ち上がり、コーヒーサバ―に手を付けた。
「本当なのか?」
「事実だ。私営プールができるのは来年だが、今月中には時和湖は埋められるだろう」
つまり後一カ月後ぐらいには時和湖は埋まってるってことか。
「おい大丈夫なのか! 時和は時和湖自身なんだろ! なら時和湖がなくなったら、時和も消えるんじゃないか」
「少し落ち着け」と百目鬼がコーヒーを俺に手渡す。
俺は息を履いて、一口飲んだ。
「それでどうなんだ」
「お前が言った通り確かにここままだと天音は消える。だが手がないわけではない」
俺が言い返す前に百目鬼は言い張った。
「確かに天音と時和湖は同じ存在だが、各々がちゃんとした存在を持っている。天音は神様としての体を持って存在し、時和湖は湖を持って存在している。矛盾してるようだが、同じであるが一緒じゃないんだ」
「そこにつけいる隙がある」と百目鬼は続ける。
「時和を別の土地に移住させて、その土地神にする」
「そんなこと出来るのか」
「不可能じゃない。だが、その土地に慣れるまでそこから出られないというリスクもある。最低でも三年、相性が悪いと一生ということもありうる」
「一生……」
それはキツイ。
だけど消えるよりはマシだ。
「それで何処にするかは決めたのか」
「いや、それは……まだだ」
百目鬼が言いづらそうに答える。
「そんなんで間に合うのか」
「それは大丈夫だ。いくつか候補はある。あとは時和が選ぶのを待つだけだ」
「そ、そうか」
安心したと思ったらどっと疲れが押し寄せてきた。ソファーに倒れるようにして座り込んだ。
「そんなに時和が心配だったのか」
そう言われて初めて自分がらしくもないことをしてるのに気づいた。
「いや、別にそういうわけじゃあ……ただ知り合いがいなくなるのが嫌だっただけだ」
「そうか」と言って百目鬼は珍しく笑っていた。
理事長室を出る時、教頭とすれ違うと一瞬睨まれた。まぁあんだけのことをしたんだから当然だろう。
明日はたぶん呼び出される。そしたらまた変な噂がたつだろう。
帰り道、時和湖によってみた時和はいなかったが、その代わり時和湖の前に看板が建っていた。
『時和私営プール建設予定地』と書かれている。
今日の朝にはこんな看板は建ってなかった。仕事が早いことだ。
もし百目鬼に会わずにこれを見ていたら慌てふためいたことだろう。だが、今は時和湖がなくなるちょっとした寂しさがあるくらいだ。やっぱり今まで通学で見てきただけあって、普通の人よりは愛着があるし、時和と関わってからは足を運ぶことが多かった。けどまぁそれは仕方ない。
そんな風に割り切って時和湖を離れた。
しかしその後、工事が始って二日目に時和は事業中に突然倒れたと知らせが来た。
「どういうことだ」
高根沢から知らせを受けて俺は保健室へと着ていた。そこにはベッドで寝ている時和と百目鬼がいる。保険医の先生や一緒に来た高根沢は百目鬼の一言で退室していった。
「…………」
百目鬼は答えない。目を瞑って黙って腕を組んでいる。
それが俺の冷静さを欠いた。百目鬼の胸倉を掴み上げ、無理やりこちらを向かせる。
「百目鬼、お前は俺に言った。後は時和が場所を選ぶだけだって。それなのになんで時和が倒れた。お前の言葉は嘘だったのか!」
胸倉を掴む手に力が入る。
「…………」
それでも百目鬼は何も言わず、ただジッと俺を見つめる。
「なんとか言え! 百目鬼!」
「縁くん、ここは保健室なんだから静かにしなさい」
声に振り向くとそこには起き上がった時和がいた。
「時和……」
百目鬼から手を離して、時和を見つめる。その顔は血が通ってないじゃないかと思うほど蒼白だ。
「時和、教えろ。なんで倒れた。お前は別の場所で土地神になるはずじゃないのか?」
俺の質問に時和は力なく笑う。
「百目鬼はまた話したのね。まったく口が軽いんだから」
「今はそんなことどうでもいい。どうしてお前はまだそんな弱り切ってるんだ!」
時和は俺の顔をジッと見る。
その目には光がない。まるでこの世に希望がないみたいな。正直言って死んだ魚の目だ。
なんでだ。なんで俺を見てそんな目をする。
「私は他の場所の土地神になる気はないわ」
時和は自分の口でそう言った。
「……な、なに言ってんだ。お前、このままだと消えるんだぞ。死ぬんだぞ。それでいいっていうのか!」
時和は頷く。
「意味がわからない。どうして消えるってわかっててそんなことが出来るんだ」
「私は生まれた時から時和湖なの。今更、時和湖と離れるつもりはないわ」
「その時和湖はなくなるんだよ! わかってんのか!」
「私は時和湖。時和湖の土地神よ。時和湖が消える時が私の消える時なの」
これが人間と神様の違いなのか。
俺は人間だから時和の気持ちが理解できないのか。
だけど、たとえ時和の気持ちがわかったとしてもそれだけはわからない。わかりたくない。
「わからない……俺にはお前の言ってることがぜんぜんわからない」
「わからなくてもいいわ。でも、これだけは理解して今の縁くんに何を言われても私は時和湖から離れる気はないわ」
時和の言葉が心に突き刺さった。まるで時和が俺を崖から突き落としたようだ。
今まで味わったことのない絶望感と喪失感が俺を襲う。
「そうかよ、わかった。もう俺は何も言わない」
俺は保健室から出た。




