第三話 熊のミ-シャは笑っている
テディベアの名前は、ミ-シャ。どこか愛嬌のある顔立ちで、どんな時でも笑っていた。
マリ-は祖父から貰ったテディベアが、大好きだった。もう二十歳を過ぎてお屋敷でメイドとして働いているが、未だにこのテディベアは手放せない。
ルドルフとは長い付き合いだ。ある意味、実の友達よりも親密だ。マリ-はほぼ毎晩ルドルフに話しかける。ルドルフは笑って聞いてくれる。
「 マリ-。今日はお館様が屋敷に戻って来られる。粗相のないように、気を付けるように。」
メイド頭のハンナから朝礼で言われたマリ-は、緊張した面持ちで他のメイド達と一緒に玄関でお館様を待っていた。
屋敷は郊外にあり、病弱な次男のルディと奥様のフラウが住んでおられる。長男ハイネは首都の学校へ進学しているので、お館様と一緒に首都の街中の屋敷暮らしをしておられる。今回はハイネ様の学校が休みではないのだろう。お館様だけが戻られる。
重く厚い玄関の扉が開いた。
待ち構えていた者達は、一斉に礼をして主を迎える。
「 皆、元気だったか。」
お館様の優し気な声が聞こえた。奥様のフラウが応じて、
「 おかえりなさい。皆、元気ですわ。ただ・・・ルディが二日前に熱をだして、今日熱が下がったところですの。」
と病弱な次男ルディの近状を伝えた。
「 そうか。なかなか体調が安定しないな。郊外なら空気もいいし、外で遊ぶ回数も増えて体力もつくかと思ったが、そう簡単にはいかないか。」
「 ルディはあなたにとても会いたがっているので、一休みされたら会ってやって下さいませ。とても喜びますわ。」
「 そうか。では先に顔を見に行こう。」
お館様はそう告げると、階段を登ってルディの部屋へと向かった。
コンコン。ノックをして入る旨を伝えて、ドアを開ける。
ルディはベットで横になっていたが、眠ってはいなかった。ルディは久しぶりに会う父に満面の笑みで、お父様と呼びかけた。
「 思ったより元気そうで何よりだ。熱がでたと聞いたが、具合はどうだね?」
父は息子に優しく問いかける。ルディの顔は一瞬曇ったが、直ぐに笑顔になると、
「 心配をおかけして申し訳ありません。今は熱も下がり、起きても大丈夫だと思うのですが、お母さまが念のために養生しておくようにと。」
と応えた。
「 そうか。お母さまの言いつけを良く守り、くれぐれも大事にな。」
父はそう言うと、自室へと帰っていった。父とは5分も満たない面会だった。
父は三日ほど屋敷に滞在すると、再び首都の街中の屋敷へと戻っていった。
そしていつもの生活が、戻ってきた。父がこの屋敷にいる間、母は少し浮かれているのが分かる。両親の夫婦仲は、とても良かった。手紙のやり取りは頻繁に行っている様だが、実際に会えるとなると、やはり違うのだろう。父が帰ってしまうと、母は寂しそうにすることがあった。
ルディは自分の体が、どうして丈夫ではないのかといつも思わずにはいられなかった。
自分の体が丈夫なら、家族が離れて暮らす必要もないのに。母に寂しい思いをさせずに済むのに。
ルディは自分の体が忌まわしく感じられて仕方がなかった。
だが、だからと言って簡単に健康になれるわけでもなく、自分の体が病弱だということを受け入れざるをえないことも頭ではわかっていた。
ルディが自分の体の事で、どうしようもなく辛くなり泣いていると、いつも世話係のメイドマリ-が優しく慰めてくれるのだった。
「 ルディ坊ちゃま。大丈夫ですよ。幼い時に病弱な人でも、大人になったら元気になる人も多いんです。しっかりご飯を召し上がり、少しづつ体力をつけていけばルディ坊ちゃまも元気になりますよ。」
マリ-の笑顔はひまわりのようで、いつもルディの心にぱっと光を差すのだった。
「 坊ちゃま。お別れは寂しいですが、マリ-とミーシャは坊ちゃまの事をいつも想っています。お元気で。」
マリ-が結婚を機にメイドを止めて実家のある国に帰った。
ルディは寂しかった。いつも優しく微笑んでくれ、自分を支えてくれるマリ-の不在が。
夜になると、どうしようもなく寂しくて、一人部屋のベットで布団に包まってシクシク泣いていた。
そんな夜を何日も繰り返していたある晩、ルディがシクシク泣いていると、
「 おや。子供が一人で泣いているよ。」
突然、ルディの傍から可愛らしい声が聞こえた。一瞬、ドキっとしたルディだが、声の主の正体が分からない。この部屋には、自分しかいないはずなのに。
「 ルディは、相変わらず泣き虫なんだなぁ。」
なんだ、僕の事を知っているのか? ルディは、益々緊張した。そして僕を知っているらしい声の主に興味がでた。
「 ルディ。僕達と約束しただろ? ちゃんと健康になって、楽しむんだ、って。泣いてばかりじゃ、ちっとも前に進まないよ。それに、また会える日が来ると思うんだ。それまでに、ルディ、僕達の約束を守ってね。」
ルディはハッとして、被っていた布団を撥ね退けて声がする方を見た。すると、茶色い毛並みがすっと消えていくところだった。
一体、僕は何を見たんだろう。茶色い毛並み。まるでマリ-が持っていたミーシャと同じ色だった。
「 まさか。」
ルディは首を横に振って、今の声は気のせいだと思った。
だが、別れの時に、僕はマリ-とミーシャに約束をした。
心配そうに僕を見るマリ-を見るのが辛くて、僕はマリ-を心配させまいと咄嗟に約束をしたのだ。
忘れていた。いや、全く忘れていたわけではないが、心が寂しさに染まって、どうしようもなかったのだ。
今の僕を見たら、マリ-はどう思うだろう。今度マリ-に会う時に、ちゃんと約束を果たしただろうと胸を張って会うのだ。
その約束を叶えるために、頑張らなくては。
そう思ってルディは少しづつ体力をつけるために、運動をするようになった。運動だけではない。勉強にも力を入れるようになった。無理をすると直ぐに体調を壊してしまうので、最初は様子をみながら休み休み勉強や簡単な運動から始めた。徐々に食事量も増えると同時に、体力もついてきた。
体力がついていけばいくほど、やれることも増えていく。ルディは毎日が楽しくなっていった。ビスビス泣いていた以前の自分が嘘みたいだった。
マリ-がルディの元を去ってから一年。
取り巻く国の状況がきな臭くなってきた。ルディのいる国がマリ-のいる隣国と戦争を始めるという噂が立ち始めた。両国の穏健派は互いに協力して解決策を模索し、戦争回避に努めた。だが軍閥らが強硬に戦争を始めてしまった。
そこからの三年は、生き地獄のようだった。
徐々に流通しなくなる物資。幸いなことにルディの父が治めている領地は、田舎ということもあって酪農や農業が盛んだった。領地内の民が食べていける分くらいは、十分生産することは可能なはずだった。
だが戦争で若者が駆り出されていくと労働力が減り、予定分の生産がままならなくなった。領民は段々生活が苦しくなってきたが、それでも他の領地に比べれば食べ物があるだけましだった。
戦争前は田舎者と侮っていた都市部より食べ物を分けて欲しい、と他の領主から訴えがあっても、ルディの父は親しい領主以外には食料を分けることはなかった。それほどまでに戦争は厳しかった。ルディの家の領地でさえ、厳しくなっていったのだから。
そして五年後。戦争は終結を迎えた。
ある日、ルディの住む屋敷に、小包が一つ届いた。
ルディが中身を開けてみると、中には丁寧に紙に包まれたミーシャがいた。
ミーシャは少しくたびれていたが、別れた時と大差なく笑っていた。
ルディは不思議に思った。マリ-がミ-シャを手放すとは考えられないからだ。箱の中には一通の手紙が入っていた。書き手はマリ-の夫からだった。
ルディと別れ国に帰ったマリ-の結婚後の話。
マリ-の結婚生活は、幸せだったようだ。やがて子供を身ごもったが、長引く戦争に加えて食糧難のため、マリ-は流産をしてしまった。流産後、マリ-の体調は悪くなる一方で、終戦一年前に死んでしまった。
マリ-はいつもルディの事を気にかけていたという。死ぬ間際に、ミ-シャをルディへ送ってほしいと言ったそうだ。
手紙の文末には、マリ-の最後の言葉が書かれていた。
「 ルディ坊ちゃま。体が弱く、寂しい子供でいらっしゃいました。でもマリ-は信じています。坊ちゃまがお元気になられ、楽しく暮らしておられる日が来ることを。活きることは、常にままなりません。もし、これから挫けそうになった時は、ミ-シャを見て私を思い出してくださいませ。坊ちゃまとマリ-とミーシャで暮らした、あの日々を。どんな時も、ミーシャが笑って応えてくれます。いつまでもお元気で。」




