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第二話 浮舟

ゆらゆらと湖面を漂う。小さな小舟には、男が一人乗っていた。

ゆらゆらと男は揺れながら、男は月見酒を一人楽しんでいた。男は、したたか酒に酔っていた。

「 今夜は、綺麗な満月だな。」

男は、旨い酒があれば、機嫌がいい。男にとって酒は裏切らない友と言えた。

そして、酒を飲むときには欠かさず素朴な酒杯を持参した。綺麗な染付の絵が描かれているわけでもない。茶色の小さな酒杯。口が触れる部分に、僅かな釉薬が掛かっている。


床前看月光(床前(しょうぜん)、月光を見る)

疑是地上霜(疑うらくは(これ)地上の霜かと)

挙頭望山月((こうべ)を挙げて山月を望み)

低頭思故郷(首を低たれて故郷を思う)


男は詩を口にすると、一人呟いた。

「 杯を月に向けて「一杯どう」と呼びかければ自分の影も現れて、これで全部で三人だ。 」

ふふっ、と自嘲気味に男は笑う。暫くして、とぷんっ、と小舟から音がした。



オスカ-は、目の前にある酒杯を静かに眺めていた。町にある市場の露店で売られていた酒杯である。目利きが見れば、この酒杯の良さが分かるだろうが、ぱっと見がそこらへんの雑器と変わらない地味さで二束三文で売られていた。

「 運が良かったな。東の国のものは、ここらへんでは滅多に流れてこないからな。」

東の国は、ここから遥か遠く番族の住む場所、と陰口を叩く者もここら辺では珍しくない。それくらいこの国と東の国は遠すぎるために、互いに知らないことが多かった。

オスカ-は市場などで、稀に見つかる東の国のものを買うのが好きだった。

独特の造形美。シンプルで飾り気がないが、凛とした品格が見られることがある。

昨晩は、奇妙な夢を見た。

一人の男が、小舟に乗って月見酒を楽しんでいる夢。一体、いつの時代なのだろうか。見たことがないような形の服を、男は着ていた。

「 オスカ-。お前、また呼ばれたな。そんなガラクタを買って、どうする気じゃ。」

顔を上げると、アレクが目の前に立ってオスカ-を見下ろしていた。

「 呼ばれた。あ、やっぱりそう思うかい。でも、いいんだ。私はこれを気に入っているからね。」

とオスカ-が機嫌よく応えると、アレクは物好きな奴、と一人ごちた。

アレクはオスカ-と契約している火の上位精霊である。

彼女の赤い瞳と髪はルビ-を思い起こさせるが、彼女の依代がルビ-がはめ込まれた指輪だからだろうか。指輪は女物なので、オスカ-の指には嵌らない。普段はチェ-ンを指輪に通して首にかけていて、肌身離さず持ち歩いている。

オスカーは酒杯をキッチンの食器棚に置くと、

「 寝るよ。おやすみ。」

そうアレクに告げて、自室へと戻った。


*******



長い髪を後ろで結び、腰にはここらでは見られない剣を差していた。服装も一風変わった感じだった。物珍しさからすれ違う前から不躾にジロジロ見られ、ずっと居心地が悪い。気にしないでいたが、やはり他人の視線と言うものは慣れないものだ。

冒険者となり稼ぎながらここまでたどり着いたが、長い道のりだった。なんとなく気が向いた方へと、宛てもなく旅をしてきた。

「 なんとか夜になる前に、着くことができたな。」

ふぅ、とため息をついて、ふと川べりをぼんやりと眺めていた。黄昏時で、陽が静かに沈もうとしている。宿を決めなくては。男は立ち上がると、町の雑踏に紛れ込んだ。


ぼんやりと前を向いて歩いていると、目の前の角をサッと歩く男の後姿が見えた。その姿を見た瞬間、髪の長い男は、はっとした。見覚えのある後姿。肩にかかるくらいの髪を、後ろで雑に縛っている。

だが、そんなはずはない。

はずはないのに、余りにもその後姿は、知っている人にそっくりだった。

思わず反射的に髪の長い男は後を追いかける。角を曲がると、男は更に一つ先の角を曲がっている。慌てて追いかける。今度こそ、追いつく。そう思って再び角を曲がった。

が、男はどこにもいなかった。

長い髪の男は、呆然とその場に立ち尽くした。追いついたはずなのに。

それにしても余りにも知っている男に、あの後姿はそっくりだった。

奇妙なこともあるものだ、と狐につままれた気分で髪の長い男は、宿へ向かった。



「 定春。おい、起きろ。」

長い髪の男は、寝入りばなに起こされて、ちょっと不愉快だった。

が、聞き覚えのある声であることに気づき、がばっと掛け布団を撥ね退けて起き上がった。

目の前に、懐かしい顔があった。男が静かに立っていた。

「 有山先生・・・・・・・」

定春と呼ばれた髪の長い男は、怖さは感じなかった。逆に会えたことが、嬉しかった。

「 定春・・・・・・・随分、苦労したみたいだな。だが、元気そうだ。」

「 有山先生、別れは突然過ぎました。」

有山の何気ない言葉が、定春の心に沁みる。有山はいつもそうだった。さりげなく相手を労わる。

「 何気弱になってるんだ。俺は、いつもお前の傍にいる。お前が俺を忘れない限り、俺はいつもお前の傍にいて、お前を見守っているぞ。」

カカカカカカ、と大声で有山は笑うと、

「 頑張れよ。」

と言うと、定春の頭の上に自分の手をがしっと乗っけると、わしわしと頭を撫でた。

定春は思わず頭を垂れ、なされるままにされていた。

ふっと頭が軽くなった。定春は、思わず頭を上げた。だが、視線の先には、有山の姿はいなかった。

定春は、ずっと有山がいた場所を、じっと見つめていた。

定春は、目の前に繕い屋があることに気が付いた。

そう言えば・・・・・と、自分の服に綻びができていたことを、ふと思い出す。

なんとなくふらふらと定春は繕い屋のドアを入っていった。


カランカラン。

ドアのベルが鳴る。カウンターに青年が一人、立っていた。

「 いらっしゃいませ。」

と青年は笑顔で定春に、要件は何かと問う。

はっと我に返った定春は、慌てて鞄の中に入っている上着を一枚取り出した。

「 これを繕って欲しいのだが。」

青年は上着を受け取ると、穴が開いている部分を見て答えた。

「 これだと、直ぐに直せますよ。今日は営業時間間際なので、二日お時間を頂けますか。」

「 分かった。二日後に、またくる。」

定春はそう言って、店をでた。

繕い屋ファ-ベル。

店の看板には、そう書いてあった。

繕いなんて頼む予定ではなかったが、自分で繕うと不格好になるのは間違いない。そう思い直して宿へと向かった。


******


オスカーは預かった上着を持って、奥の部屋へと引っ込んだ。

キッチンに行くと、初老の男性が水場の前で立っていた。

オスカ-を静かに見つめている。初老の男性はオスカ-に向かって一礼すると、すっと姿を消した。

そして水場の前のダイニングテーブルの上には、棚に置いてあったはずの酒杯が置かれていた。

「 あぁ、彼の元に行きたいんだね。」

オスカーは、酒杯を手に取ると上着と一緒に置いた。


二日後。

定春は、繕い屋ファーベルへ行った。店内に入ると、あの青年がカウンターで待っていた。

「 このように仕上げました。ご確認ください。」

繕いは綺麗に仕上がっていた。地の色と同じような色の糸で、繕われていた。ぱっと見た感じ、繕っている部分が分からないくらいだった。

「 ん?これは・・・・・・」

上着の下に置かれている箱に気づいた定春は、箱を開けた。

そこには、素焼きの酒杯が入っていた。

それは定春にとって、とても見覚えのある品だった。

「 どうしてこれが・・・・・・・・」

定春が絶句していると、青年は穏やかに言った。

「 先日、市場で安く売られていた品です。私は、こういう珍しいものが好きでして。今日、初めてご利用して頂いたので、サ-ビスとしてお付けします。」

定春は、驚く。

「 いや、これではサ-ビス過剰なのでは?貰うわけにはいかない。買い取らせて貰う。」

慌てて定春は青年に言うが、青年は一向にかまわないという風情で、

「 いいのです。この酒杯が、あなたの元へ行きたがっているのですから。どうか貰ってやってください。あなたには、私以上に大切な品なのでしょう?」

青年はそう言うと、酒杯を小箱に入れた。上着と一緒に定春へ渡した。

その青年の笑顔は、定春に有無を言わせないものだった。

「 では。有難く頂戴する。」

定春は青年に一礼すると、繕いの代金を支払い店を後にした。

定春は狐につままれたようだった。

師匠が愛用していた酒杯。とても大切にしていたのに、師匠の死とともに行方知れずになっていた。その酒杯が、今、手元にある。

先日、師匠の姿を見たのは白昼夢かと思ったが、このことを知らせに来たのかもしれない。いや、上手く世間を渡れずに、頑なに己を貫こうとして旅をする弟子を不憫に思って励ましに来たのか。

定春の見る景色が、霞んでいった。

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