第一話 アンネの日記
カランカランカランカラン。
大きな鐘の音がした。店のカウンターには、一人の青年が立っていた。
アンネは店にそっと入ると、青年の前に立った。
ここは、何でも繕ってくれるという店だと聞いた。ダ-ニングと言えば、普通は靴下やセ-タ-などの衣類に空いた穴を模様のように糸で直すことを指す。だが、この店は、ちょっと違っているらしい。噂では、衣類に限らず、何でも繕ってくれるらしい。
小さな店で、あまり繁盛しているとは、正直なところ思えない。
だが、アンネは、藁をも縋る想いで、この店に来たのだ。
青年はアンネに気づくと、優しく微笑み、
「 いらっしゃいませ。」
と言った。アンネは、青年の笑顔を見て、ちょっとときめいてしまったが、直ぐに我に返ると、
「 あのぅ。この店は、衣類に限らず何でも繕ってくれると聞いたのですが。」
と青年に要件を伝える。
「 はい。何でも繕います。」
「 これも繕えますか?」
アンネは、おずおずと一冊の本をカウンターに置いた。
「 拝見しても?」
と青年に聞かれ、アンネはこくりと頷いた。青年は、ぱらぱらとぺ-ジを捲った。それは、本ではなく日記のようだった。そしてそれは、随分くたびれていて、背表紙が取れかかっている。表紙も随分擦り切れている。本の角は、丸くなっていた。
「 これは日記ですか。随分、古いものですね。」
青年は、アンネに尋ねる。
「 はい。これは、父の日記で、父が若い頃に書いていたものです。直せますか?」
「 えぇ、問題ありません。お急ぎでしょうか。お急ぎでなければ、そうですね。2週間くらいお時間を頂きたいのですが。」
アンネは目を丸くした。本当に、何でも直せるんだ。
「 2週間くらい、直してもらえるのなら待てます。もっとかかっても構いません。どうか、宜しくお願いします。」
アンネはそう応えると、ぺこりと頭を下げた。2週間後にこの店に父の日記を取りに来る約束をして、アンネはこの店を出た。
アンネは、飛び跳ねたいくらい嬉しかった。何度も繰り返し読んだ、父の日記。どこもかしこも汚れて擦り切れて、ボロボロだ。それが綺麗になるなんて!思ってもみなかった。思い切って店を訪ねてみて良かった、とアンネは心底思った。
アンネが店を出た後、青年は古くくたびれた日記を手に持ち、部屋の奥へと引っ込んだ。丁度、店じまいの時だったのだ。アンネが最後の客だった。
青年は作業台の上に日記を置くと、台所へ夕食を作りに行った。夕食が終わり一息ついていると、背後から女性の声がした。
「 オスカー。今度は、ソレを繕うのか?手間暇かかる割には、金にならんものを請け負ってからに。たわけが。」
「 アレク。相変わらず口が悪いな。まぁ、いいじゃないか。物は素直そうだし、手間が掛かるとは思わないが。」
「 そうかの。そうだとよいがの。まぁ、我が言うたところで、聞く耳もたんそなたのことじゃ。もう言うまい。それより、我は美味しいシャンパンが飲みたい。ロゼじゃ、早う持ってこい。」
「 アレク、人使いが荒い。」
オスカーと呼ばれた青年は、やれやれと言った感じで、キッチンの奥へ引っ込むと一本のボトルを持って来た。そして二人は、ボトル一本のシャンパンを開けた後、眠りについた。
その晩、オスカーは夢を見た。
見知らぬ男が、日記を書いていた。歳は、三十代といったところだろうか。楽しそうに日記を書いている。その男の後ろから、オスカーは日記を覗き見た。
日記には、娘が初めてハイハイをした。世間では、最初にいう言葉が”ママ”というので、”パパ”と言わせるために、何度も繰り返し娘に向かってパパを連呼したが、娘は最初にママと言って残念だった。だが、愛らしくて可愛い。と、まぁ、親ばかぶりを発揮したような内容だった。
その男は、毎日、毎日、自分の書斎で日記を書き続けていた。
主に愛する娘や妻についてだった。
男は、やがて戦場に行くことになった。砲弾が鳴り響く。
毎日、重病人が、野戦病院に運ばれてくる。もう、野戦病院では、収容しきれないのに。
男は、医者だった。毎日、怪我人や病人との戦いだった。
ろくな設備がない為、命が空しく散っていった。
荼毘にふされる煙を、ただただ見送る日々だった。
それでも男は、なんとか人を助けようとした。そして毎晩、日記を書き続けた。
愛する妻へ。愛する娘へ。任期を終えたら、先ず二人を思いっきり抱きしめよう。そして娘に読み聞かせる物語を決めていること。色々な想いを、書き綴った。
毎日、毎日。
アンネが日記を渡されたのは、彼女が15歳の誕生日を迎えた翌日の事だった。日記は、父の物だった。父が先の大戦で従軍医として参戦し、戦地で死亡したことは、物心ついた時には知っていた。小さいころから、ぼんやりと知ってはいた。なぜなら、周囲の大人たちが話していたから。15歳になって、母から渡された父の日記を読んで、写真の父に触れられたような気がした。
記憶には無い父。小さすぎて、父の事を覚えてない自分が、切なくて切なくて堪らなかった。
お父さん、会いたいよぅ。
何度、泣いたか分からない。母から聞かされる父の話は、実感のわかないものだった。
大好きな母が愛してやまない父の話は、愛情の籠った大切な話で、楽しい話が多かった。母と二人で笑い転げることもあった。だが、それはエピソードに過ぎない。それが、悲しかった。
父の日記を繰り返し読む度に、父の性格が少しづつ分かったような気もした。
写真の父は、いつまで経っても歳をとらない。母と娘の私は、歳をとっているというのに。
もう直ぐアンネは、結婚をする。結婚して、父と母のように仲の良い家庭を築くと報告をしたかった。
朝、オスカーは目が覚めると、どんよりとした気分だった。
日記がベットサイドテ-ブルの上には、いつの間にかアンネが持って来た日記が置いてあった。
「 お前が見せた夢なのか。会いたいのか。」
オスカーはそう呟くと、アレクを呼んだ。
アレクは、不機嫌そうな顔で現れると、早速オスカーに文句を言い始めた。
「 それみろ。早速用を頼まれておるではないか。」
アレクは赤い髪を揺らしながら、その髪と同じ赤い瞳でオスカーを睨みつけた。
「 しょうがないじゃないか。あんなものを見せられたら、合わせてやりたくなるのが人情だろ。」
オスカーは、アレクの怒りなど微塵も気にかけていない。それが、アレクを益々怒らせるのであった。「 お前は、いつもいつも、いつもいつも、それじゃ!もっと美味しいシャンパンを頻繁に飲ませてくれなければ、割りにあわんぞ!」
アレクの怒りは、止まることを知らない。オスカーは、やれやれという表情をすると、
「 アレクだって、本当は同情しているんだろう。」
分かっているんだから文句を言わずに、ちゃっちゃとやってしまおうと暗に言っている。
「分かったわ。しょうがない。二週間後までに、その日記を綺麗にしておくがいい。」
アレクは、そういい捨てると、すっと姿を消した。
「 もう、こうなることが分かっているのだから、文句を言っても始まらないというのに」
オスカーは苦笑すると、ベットから起きて朝食の準備に取り掛かった。
日記を受け取ってから13日目。日記は綺麗に蘇った。
洗浄魔法で丹念に汚れを落とし、修復魔法で一つ一つ綻びをなおす。だが、オスカーは考えた。
まるっきり綺麗に修復してしまうのは、どうか、と。
なぜなら、この日記の痛みや汚れは、ある意味この日記の歴史の経過でもある。新品同様に、というのは、ちょっと違うような気がした。あの太陽のような笑い方をする男が、どこにいくにも所持していた日記。なので、少しだけ時間の経過が感じられるような古さを残しておいた。
14日目の当日。アンネは再び繕い屋ファ-ベルを訪ねた。
青年は、アンネを見ると、部屋の奥へと案内した。
ソファに座るように促して青年は退室し、暫くして紅茶を二人分用意して現れた。
アンネの前にティカップを置くと飲むように促し、繕い終わった日記を作業台から持って来た。
アンネは青年が説明する繕いの話を聞きながら、感動していた。
こんなにも変わるものなんて。ピカピカしすぎてもいない。程よい古さを保ちつつ、日記は丁寧に繕われていた。
そして青年の話を聞いているうちに、アンネは急に眠くなり気が付けばコトリと眠りについた。
気が付くと辺り一面、霧で覆われているような靄がかかっていた。
ここは、どこだろう。アンネは上半身を起こすと、周囲を見渡してみた。
徐々に霧が晴れてくると、アンネから少し離れたところに男性が一人、アンネに背を向けて立っていた。アンネはその男の後姿を、じっと見つめる。
その男は、アンネに気が付いたように、アンネの方を向いた。
アンネはその男の顔を見て、はっとした。
お父さん・・・・・声にならない声、でアンネは呟いた。
あぁ、どうしてだろう。みるみる涙が溢れてきて、男の顔がよく見えない。
男は少し困った顔をして、しゃがみ込んだ。
「 アンネ、綺麗になったなぁ。マリ-にそっくりだ。」
そういうと、男はアンネの頭に軽く手を置くと、撫でながら言った。
「 アンネ、君が幸せで、本当に良かった。君に会えて、僕は嬉しいよ。」
アンネは、その言葉を聞くと、うわぁぁぁぁぁ~ん、と大声で泣きに泣いた。
「 お父さん、お父さん、お父さん・・・・会いたかった、会いたかったよ」
泣き止まないアンネに、父は告げる。
「 もう、時間だ。泣かないで。最後は、笑って別れよう。」
「 やだ、やだよう。まだ、何も話してないっ」
しょうがないなぁ、というような顔をするが、娘の泣きじゃくる姿を見て男は顔をくしゃりと歪めた。
「 指切りげんまんだ。また、会おう。」
父はそう告げると、娘に小指を差し出した。
二人は、小指を絡ませると
「 指切りげんまん、嘘ついたら、針千本、の~ます。指切った。」
娘は父の小指から小指を放そうとしなかった。
「 お父さん。約束破ったら、本当に針千本飲ますからねっ。」
娘は、ちょっと怒ったように口を尖らせて父に言った。
「 うん、約束だ。」
父は、優しく囁くように応えた。そして、小指がするっと離れると、
「 またな。」
と言って、片手を上げ消えていった。
気が付くと、アンネは繕い屋のソファで寝ていた。一体、どうしたんだろう。
アンネが気が付いた様子を見て、青年は話しかけてきた。
「 大丈夫ですか。繕いの説明の最中に、お客様が急に倒れたものですから、暫く様子をみていたのです。どうもよく眠っておられたようなので。気が付かれて良かった。」
「 まぁ、随分、ご迷惑をかけてしまいました。」
アンネは慌てて青年に謝った。青年の後ろにある壁掛け時計を、ちらっと盗み見た。
一体、自分はどれだけ気を失ってしまったのだろう、と思ったからだ。
しかし、時間は10分ほどしか経っていなかった。とても深く眠っていたような感じだったのに。
「 いえいえ、気になさらないでください。直ぐに気が付かれてよかった。」
アンネはとても恐縮し、再び礼と謝罪を繰り返し言った。
「 随分、よく眠っておられましたが、良い夢は見られましたか」
青年の言葉に、アンネはハッとした。だが、直ぐに笑顔で青年に応えた。
「 はい。とてもいい夢が見れました。」
カランカラン。
繕い屋ファーベルの扉を開け、アンネは店をでた。
空を見上げると、ゆっくりと雲が西へと走っていた。
う~ん、と両手を上げ、軽く背伸びをすると、アンネは家路へと向かった。




