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最終話 境界の向こうで、空は呼吸する

 夜は以前よりも静かになっていた。


 騒音が消えたわけではない。

 車は走り、波は防波堤を打ち、どこかの家ではテレビがつけっぱなしになっている。

 それでも、音の“隙間”が増えた。

 まるで世界が、必要最低限の呼吸だけを残して、余計なものを削ぎ落としているようだった。


 澪は防波堤の上に立っていた。

 夜風が制服の裾を揺らし、潮の匂いが濃く鼻を刺す。


 あの日から、空は完全には元に戻っていない。

 雲の流れは不規則で、星の瞬きにはわずかな遅れがある。

 誰も気づかないほどの、ほんの誤差。

 けれど澪には分かる。



―――世界はまだ軋んでいる―――



 背後で足音がした。


「来ると思っていました」


 低く落ち着いた声。

 振り返ると、作業灯の白い光の中に、黒い帽子とスーツ姿の男が立っていた。


 高虎 悠乃助。

 五星商事・異界部門の調査責任者。



「止めに来たんですか」



 澪の問いに、高虎は首を横に振った。



「いいえ。確認に来ました。あなたが“呼ばれているかどうか”を」



 澪は小さく息を吸った。


「・・・呼ばれています」



 否定する理由はなかった。

 あの声は、今も耳の奥に残っている。



『見つけて』



 たった一言。

 命令でも、願いでもない。

 ただ、存在の確認を求める声。


「でも、・・・行きません」


 澪はそう言った。


 高虎は意外そうに眉を上げたが、すぐに納得したように頷いた。


「それが、あなたの答えですか」


「はい」


 防波堤の向こう、海面がかすかに青く光った。

 揺らぎ反応。

 境界が、また開こうとしている。



 高虎は通信機に短く指示を出す。


「観測のみ。干渉はしない」


 そして一息つくと澪を見た。


「あなたのお父さんも、同じ選択をしました」


 胸が、きゅっと縮む。


「父は・・・」


「境界の向こうへ行くことも出来た。戻らないという選択も出来た。ですが、彼は“こちら側”に留まった」


 高虎の声には、評価も後悔もなかった。

 ただ、事実だけがあった。


「少しだけお話しをしましょう。私の父、五星商事の社長は異世界の存在を知り、調査団を向かわせました。そしてソコに魔王の因子を見つけてしまったのです」


 高虎の言葉は淡々と続いた。

「その調査団にあなたの父上も所属していました。この世界に稀にいるスキル持ちとして」


「スキル持ち?ですか?」


「ええ、[封魔士]のスキル。このスキルは魔王の力を封じる力を持ち、魔王が誕生する度に現れるレアスキルです。私の父は魔王の力を我が物にしようと様々な武装を蛭子状態の魔王に取り付けていきました。いわば魔王+現代社会の兵器です。しかし魔王は自我を失い暴走してしまい、この世界にも害を及ぼす存在となってしまった」


「異世界の魔王が、この世界に侵略ですか?」


「異世界の人々は生まれた魔王の姿を見て魔導王と呼んでいました。魔導王がこの世界に君臨すれば侵略など甘いものではないと考えています。全てを破壊しつくすまで暴れるでしょう。自我を失った状態で」


「そんな・・・、そんなのあなたたち五星商事のせいじゃないですか!」


「そうです。とは言っても賛同していたのは一部です。私は父の野望を阻止するために動いています。そしてあなたの父も[封魔士]のチカラで魔導王の力の一部を封印して彷徨っています」



「魔王の力の一部を封印して彷徨っている・・・?」


「魔導王、異世界デルカニアでは第三の混沌とよばれる魔導王ヴァリオンを、暴走したままこちらの世界に来ないように、あのクジラは境界を防いでくれています」


「もしかして、それが封魔士・・・?」


「あくまで事実を分析した推測です。そして境界は消えかかっています。その内クジラも役目を終えて消えるでしょう。境界は、越えるものではありません。世界が呼吸するために、たまに開く“隙間”です」


 海が、空が、同時にざわめいた。


 夜空に、巨大な影が浮かび上がる。


 空を泳ぐクジラ。


 以前よりも、少しだけ輪郭が淡い。

 雲と溶け合い、光の層が幾重にも重なっている。


 澪の胸に、あの懐かしい温かさが広がった。


 恐怖はない。


 けれど、近づけば戻れなくなると、はっきり分かる。


「・・・お父さんは、あの中にいるんですか」


 澪は、聞いてしまった。


 高虎は答えなかった。

 代わりに、こう言った。


「そう“感じる”なら、それがあなたにとっての真実です」


「私はなぜ呼ばれたのでしょう・・・?」


「確証はありませんが、封印しきれなかった魔王の残った力をあなたに封じて欲しいのかもしれません。これも推測ですが」


「封印?私が?」


「推測です。行かないと決めたあなたに答えは不要でしょう?」



 クジラが、ゆっくりとこちらを向く。


 眼孔の奥で、微かな光が脈打つ。

 胎内の音。

 世界が生まれる前の、あの静かな振動。


 澪は一歩、前に出た。


 そして、立ち止まった。


 行かない。

 見送る。


 それが、自分の選択だと分かっていた。


「・・・ありがとう」


 誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。


 クジラは尾びれを一度だけ動かす。

 空気が波打ち、光の粒が降り注ぐ。


 それは触れる前に消え、何も残さない。


 やがて影は薄れ、夜空はゆっくりと元の形を取り戻していった。


 境界は閉じる。


 世界は、また一つ呼吸を終えた。


 高虎は帽子を被り直し、背を向けた。


「異界調査は、これで終了です。少なくとも、この町では」


「世界は、・・・もう大丈夫なんですか」


「大丈夫ではありません。ただ、人間が壊すよりは、ずっとマシな歪みです。ここから先は私が父の道化師にならないよう、何とかしますのでご安心を・・・」


 そう言い残して、彼は暗闇に消えた。


 防波堤に、澪だけが残る。


 空は静かだった。

 何事もなかったかのように。


 けれど澪は知っている。


 世界は、完全ではない。

 だからこそ、続いていく。


 澪はポケットからイヤホンを取り出し、耳に差し込んだ。

 古いピアノのインスト曲。


 歌はない。

 それでいい。


 空を一度だけ見上げ、澪は歩き出した。


 境界のこちら側で、生きていくために。


 空は、もう何も言わなかった。



 そして10年後。


 再び境界が呼吸を始めた・・・。

 

 大きな地鳴りと共に暴走を始めた魔導王ヴァリオンの手により、羽曽部食品株式会社が敷地ごと異世界に転移してしまう事となる。


蒼木しのです。

こちらの小説は「漂流企業 食品工場まるごと異世界転移」の10年前のお話となります。

本編では、魔王の誕生と共にレアスキル「封魔士」というのが本来は登場し、第一の混沌、第二の混沌を封じてきましたが、第三の混沌の時に「封魔士」は現れませんでした。その隙間を補完する物語となっています。ただ、主人公の澪はあくまで物語の中心ではありません。「封魔士」のスキルを持っていたかも不明なまま物語は終わってしまいます。

本編ともっとリンクさせたい気持ちはありましたが、それでは漂流企業Ⅱや漂流企業0とかになってしまいますので、単体で完結できるような構成にしました。

この物語はこれで終わりです。

読んでくれた方々、ありがとうございました。

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