第4話 静かな調査線
青凪町の朝は、いつもより静かだった。
港に近い道路は通行止めになり、理由は「老朽化した防波堤の点検」と掲示されている。
だがその内側では、見慣れない機材と黒い車両が並び、町の人間は近づこうとしなかった。
澪は登校途中、その様子を遠目に見ていた。
海は凪いでいる。風も弱い。
なのに、胸の奥だけがざわついている。
昨夜、確かに聞いた声。
夢だったと片付けるには、生々しすぎた。
学校では、その話題が意図的に避けられているようだった。
教師たちは海の話を振らず、生徒たちもどこか遠慮がちだ。
代わりに、テストや行事の話題が妙に強調されている。
昼休み、澪は一人で校舎裏に出た。
ここからは、海が少しだけ見える。
そのとき、背後から声がした。
「君が、早瀬澪さんだね」
振り返ると、スーツ姿の男が立っていた。
校内で見るには場違いなほど、整った身なり。
だが、若くもあり20代半ばであろう青年であった。
「・・・どちら様ですか」
「名乗るほどでもないが、一応」
男は名刺を差し出した。
五星商事
異界研究統括部
部長 高虎 悠乃助
その名前を見た瞬間、澪の心臓が一度強く跳ねた。
「昨日、君のご自宅にも伺った」
「・・・父のことで?」
高虎は即答しなかった。
それが、肯定よりも重く感じられた。
「君のお父上、早瀬奏氏は、かつて“境界観測”に関わっていた。異世界、と言い換えてもいい」
澪は言葉を失う。
「だが、安心してほしい」
高虎は淡々と言う。
「我々は、君を調査対象にはしていない」
「じゃあ、何のために?」
「君は“指標”だ」
「・・・しひょう?」
「境界が揺らぐとき、必ず近くにいる。それだけの話だ」
澪は海の方を見た。
空は青く、何も起きていない。
「クジラも、その一つですか」
「空の・・・あの存在か」
高虎はわずかに視線を上げた。
「正体は不明だ。だが、境界に触れた“何か”であることは間違いない」
「私の父と、何か関係が?」
高虎は答えない。
代わりに、別の話をした。
「異世界デルカニアでは、現在“魔王因子”の誕生が確認されている。君の父は、それの為に社長の命を受け向こう側へ行った」
澪の喉が詰まる。初めて聞く世界の地名。そして父がそこに向かっていた?
「そして、帰ってこなかった」
それは事実だけを並べた言葉だった。
感情はなく、慰めもない。
「クジラは・・・?」
澪の言葉には、クジラは私に関係あるのか、もしかして父なのか?そんな想いを含んでいた。
「それは分からない」
高虎ははっきりと言った。
「希望も否定も、我々はしない。事実だけを積み上げる」
遠くで、低い音が響いた。
澪が顔を上げると、海と空の境目が、わずかに歪んでいた。
ほんの数秒。誰も気づかない程度の変化。
だが澪の胸だけが、強く反応した。
呼吸が重なる。
鼓動が、あの夜と同じリズムを刻む。
「・・・また、開いたんですか?小規模な揺らぎだ」
高虎は無線を確認しながら答える。
「君が何かをする必要はない。ただ、見たことを忘れないでほしい」
「忘れなかったら?」
「それだけで、十分だ」
高虎は立ち去った。
その背中を見送りながら、澪は思った。
自分は、この物語の“中心”ではない。だが、確実にその“端”に立っている。
空を見上げても、クジラの姿はない。
それでも、世界のどこかで境界は揺れ続けている。
そして澪はまだ知らない。
この静かな日常が、いつか確実に形を変えることを。




