愛について
その頃、理生は少しずつ生活のリズムを取り戻していた。
朝に目を覚まし、薬を飲み、大学へ向かう。
授業の途中で胸の奥に重さを感じることもあったが、
その重ささえも、以前よりは穏やかに受け止められるようになっていた。
沙耶とは週に一度、講義のあとに会っていた。
特に約束をしたわけではないのに、なぜか同じ時間に同じ場所に現れることが多かった。
話題はいつも他愛もないことばかりだった。
最近読んだ本の話、教授の口癖、あるいは季節のこと。
だが、理生にとってそれらの会話は、
自分が再び「世界と接続している」という確かな証拠だった。
ある日の帰り道、沙耶がふと尋ねた。
「理生くんはさ、“愛”って信じる?」
理生は立ち止まり、少し考えた。
「うーん……正直、よく分からない。
誰かを好きになることと、誰かを必要とすることって、同じなのかな。」
沙耶は微笑んだ。
「似てるけど、ちょっと違う気がする。
必要とするのは、自分のため。
でも、愛するのは、相手の存在そのものを喜ぶことじゃない?」
その言葉を聞いた瞬間、理生は言葉を失った。
相手の存在そのものを喜ぶ――その感覚が、今の自分にはどれほど遠いものかを思い知らされた。
それでも、心のどこかで、その遠さが“恋い”の始まりのようにも思えた。
夜、理生はノートに書いた。
> 「愛とは、幸福の他者形である。」
愛は、他者を通じてのみ現れる幸福のかたち。
幸福が“自分の内側”にある静かな感覚だとすれば、
愛は“外側”へと向かう力だ。
理生はそう考えながら、ペンを止めた。
翌週、沙耶と映画を見に行った。
古いフランス映画で、物語の大半が静かな会話で成り立っていた。
登場人物の男女は何度もすれ違い、言葉を交わしながら、結局最後まで理解し合えない。
それでも、彼らは互いを見つめることをやめなかった。
劇場を出たとき、沙耶が言った。
「なんか、寂しい映画だったね。」
理生は頷いた。
「でも、あの寂しさが、たぶん“愛”なんだと思う。」
沙耶は少し驚いたように理生を見た。
「どういう意味?」
「分かり合えないって、絶望でもあるけど、希望でもある。
完全に分かり合えないからこそ、相手を見つめ続けようとする。
それが、愛なのかもしれない。」
沙耶はしばらく黙って歩いた。
やがて、少し恥ずかしそうに笑った。
「理生くんって、たまに哲学の授業みたいなこと言うね。」
「職業病だよ。」
二人は同時に笑った。
笑い声が夜の街に溶けていった。
その後も、二人はしばしば一緒に過ごした。
カフェでノートを広げて議論したり、図書館で黙って本を読んだり。
沙耶が話すとき、理生はその声の調子を注意深く聞いた。
彼女が少し疲れているときの声の低さ、
嬉しい話をするときの小さな抑揚。
それらすべてが、世界の音として理生の中に戻ってきていた。
ある日、沙耶が言った。
「理生くんって、人の話をすごくちゃんと聞くね。」
理生は苦笑した。
「そうかな。自分では、聞いてるふりしかできてない気がする。」
「ふりでもいいんだよ。
“聞こうとすること”が、いちばん大事だと思う。」
その瞬間、理生の中で何かがほどけた。
“聞こうとすること”――それは、他者の存在を受け入れる最初の行為だ。
幸福や愛は、その延長線上にしかない。
その夜、理生はまたノートを開いた。
> 「愛とは、他者を理解しようとする意志。」
> 「幸福とは、他者に触れようとする意志。」
両者の違いは微細だが、その間には決定的な距離がある。
愛が成立するとき、人は他者の幸福を自分の痛みとして感じる。
その痛みを受け入れられるかどうかで、愛の形が決まる。
理生はしばらくペンを持ったまま、窓の外を見つめた。
外では雨が降り始めていた。
雨粒がガラスを伝い、街灯の光を歪ませていた。
その光の揺れを見ながら、理生は思った。
愛もまた、幸福のように、掴もうとした瞬間にこぼれ落ちる。
だからこそ、人はそれを追いかけ続けるのだ。
翌週、沙耶が大学を休んだ。
風邪だと聞いた。
理生は彼女の家の前まで行って、コンビニの袋をドアノブにかけた。
おかゆ、ポカリスエット、ビタミン剤。
呼び鈴を押す勇気は出なかった。
ただ、袋の取っ手に小さなメモを挟んだ。
> 「早く元気になって。」
その五文字を書くのに、驚くほど時間がかかった。
帰り道、理生は自分の心臓の音を聞いた。
それは久しぶりに“強く”鳴っていた。
幸福とは、誰かを想うことのなかに潜む鼓動なのかもしれない。
それは理屈ではなく、ただ生きている証だった。




